第55話『忘却より目覚めしもの』
アステロニア=ゼロの軌道を離れて二日、アストラ・ヴェールは銀河星図にも記載のない空域──“断層Ω-117”へと向けて、慎重に航行を続けていた。
通常の航行ルートから外れたその宙域は、座標の境界そのものが揺らぎ、空間の法則が一定でない“銀河のほころび”とも呼ばれる領域だった。
《航行座標確認。断層前宙域まで、あと1.2天文単位。現在、周囲重力波と魔力圧力が不均衡です》
ナビスの声が艦橋に響くと同時に、船体がわずかにきしむ。重力波が艦の慣性制御に干渉していた。
「補正フィールドが不安定だ。ゼロス、空間補正値の再計算を」
「やっている。だが、問題はそれだけじゃない。ここの魔力層、異常に濃い」
ゼロスが前方ディスプレイを睨みながら呟く。画面には、まるで“裂け目”のような濃い影──空間そのものが複数の位相に引き裂かれているような断層が映し出されていた。
「この感じ……“星霊圏”が乱れてる。何かが、意図的に干渉してる」
ティシェリアの声は静かだが、その瞳には警戒の色が浮かんでいた。
「星霊圏って、あの自然魔力の流れのことだろ? 干渉って、誰が?」
「それは──“封印”よ。自然の流れを切断し、ある地点だけを時と空間から切り離す技術。古代銀河時代、特異個体や兵器を隔離するために使われていたもの」
「その中に……“誰か”がいる、ってことか」
朔夜の言葉に、誰も否定はしなかった。
《航行注意。断層境界付近、干渉波強度が上昇中。推奨:エネルギー分散フィールドを展開しつつ、第二位相での突入》
「やるしかないな。アストラ・ヴェール、全フィールド展開──断層宙域に突入する」
命令と共に、艦体が淡く光を放つ。外装が磁気フィールドで包まれ、空間の揺らぎに対抗するように位相調整が行われていく。
まるで、宇宙そのものが異物を拒んでいるかのような圧力。
だがその中に──確かにあった。微かながらも、ナビスのセンサーが捉えたのは、“主権コード由来の断片的信号”。
その先には、まだ語られていない“継承の影”が眠っている。アストラ・ヴェールは断層宙域の縁を越え、第二位相に移行しながら空間の裂け目に突入した。星図には表示されない領域、銀河の記録からも消された“無の空域”が、そこには広がっていた。
虚無に近い空間──だが、完全な空白ではない。
それは“触れてはいけない何か”が確かに存在すると、直感に訴えてくる宙域だった。
《検出:魔力波動、極限まで希薄。エネルギー粒子の動きが不自然。……この空間、誰かが長期にわたり“密閉”していた痕跡あり》
ナビスの分析結果に、艦橋の空気がわずかに緊張を帯びる。
「……隔離か。完全に“死んだ”空間にして、外からの干渉を遮断していたってことか」
ゼロスが納得するように呟いた。
まるで宇宙の棺桶のようなこの空域に、かつて何が封じられていたのか。
「けど、その“封印”が揺らぎ始めてる。ここに眠る何かが、目を覚まそうとしてる」
ティシェリアの声が、わずかに震える。
その時だった。
《信号捕捉──空間のひずみに乗って断片的な応答あり。構文は銀河標準に近似。意味解析中……》
ノイズ混じりの電磁波が、艦内の通信系に割り込んできた。
〈……主権……継承コード……照合──失われた座標にて……起動……〉
「……声?」
リィナが呟く。
朔夜は眉をひそめ、即座にナビスへ命じる。
「音声再構成、できるか?」
《試行中──応答主は旧銀河標準による通信プロトコルの遺物。……再生可能》
次の瞬間、艦内に“声”が響いた。
「……主権コード、照合──継承者反応、未認可。……問う、“魂”はここにあるか」
その声は、生きたものではない。それでいて、朔夜たちの胸に何かを刺すような“哀しみ”を宿していた。
「これ……誰かの意思が残ってるのか?」
ティシェリアが震えた声で問う。
ゼロスが低く応じた。
「おそらく……銀河連合末期に“置き去り”にされた存在だ。もしくは──主権継承プロトコルの“影”」
かつて継承されることなく、ただ使命だけを与えられ、忘れ去られたもの。
それが、いま朔夜という存在に“反応”しようとしている。
「ナビス、位置座標の特定は?」
《断層中心座標にて、立体構造物の存在を確認。……正体不明の艦艇、もしくは遺構と推定》
朔夜は静かに立ち上がった。
「行こう。ここに、“もう一つの継承”があるなら──避けて通れない」
アストラ・ヴェールは封鎖領域の中心へと接近していた。周囲の空間は徐々に歪みを帯び、現実の密度が薄れていく。ナビスが断続的に警告を発していた。
《空間安定率:42%へ低下。視覚外領域にて“記録にない構造物”の出現を確認──》
霧のような粒子をかき分けるように、眼前に現れたのは──
灰白の光を纏う、円環状の構造体だった。
それは艦ではなかった。都市に似たスケールを持ちながら、まるで“心臓”のように律動する機構。その中心部に、透明な封印室が存在していた。
「中に……誰かいる」
リィナの声が震える。
拡大映像に浮かんだのは、封印カプセル内で静かに眠る人影だった。
装甲のような外皮、かすかに発光する神経接続端子。半生体──サーヴァント種と思しき特徴。そして、その額には、朔夜と同じ構造を持つ“主権コード痕”が浮かび上がっていた。
「……これは……」
朔夜は言葉を失う。
ゼロスが冷静に言った。
「“第二継承個体”。主権継承計画において並列開発された、別系統の器。……起動反応あり」
《封印システムが外部刺激により緩み始めています。接触を継続すれば、自律起動の可能性が高》とナビスが告げる。
「目覚めるか、こいつも──」
その瞬間、ナビスの音声に割り込むように、艦内に再び“声”が響いた。
「──問う。魂は、ここにあるか」
「主権とは、“選ばれし力”か、“受け継がれし祈り”か」
それは、命ではない。だが、確かに“誰かの問い”だった。
朔夜は静かに、だがはっきりと答えた。
「魂はここにある。祈りも、力も──受け継ぐのは、意志だ」
その言葉に呼応するように、カプセル内の人物が微かに指を動かした。
《接続反応──生体機能:安定。主権照合値:86.3%一致。継承候補として“覚醒段階”に移行》
「起きるぞ……」
朔夜が言うと、ゼロスも小さく頷いた。
「これは新たな選択のはじまりだ。もう一つの“継承”が動き出す」
そのとき、ティシェリアが低く言葉を継ぐ。
「運命の分岐点。……あなたの旗の意味が、また試される」
光が、静かに満ちていく。
失われた継承者が、眠りから目覚めようとしていた──。
《ログ:読了ありがとうございます》
感想やブックマークは、物語の“銀河航路”を確定させる大切な観測点です。
あなたの感じたことが、次の物語の推進力になります──ぜひ一言でも届けてください。
また、更新情報や制作の裏話はX(@hiragiyomi)でも発信中です。
フォローしてもらえると、ナビスも喜びます。
《次回座標、設定中……》