第15話『帝都議会の影と臨時爵位案』
帝国の首都圏から届いた電子文書が、アストラ・ヴェールのメインスクリーンに表示されたのは、夜半を過ぎた頃だった。
《帝都議会は、本艦および艦長・天城朔夜の存在について、臨時爵位による保護および帝国資産編入の是非を議題として採択予定》
ナビスの声は、いつもより数分の一秒だけ遅れていた。
それは、機械であってもこの“提案”が意味する重みを理解していた証左かもしれない。
「……ついに来たか、帝国側の動きが」
俺は手元のパネルを撫でるように操作し、帝国からの提案書を精査する。
その内容は、端的に言えばこうだった。
──“天城朔夜に対し、臨時爵位・辺境男爵相当を授与。アストラ・ヴェールの保有を合法化しつつ、同時に帝国の管理下に置く”──
爵位の授与。聞こえはいい。だが実態は、帝国の“手綱”だ。
自由の代償に、首輪を受け入れる覚悟が求められる。
「連中、こちらが第三貴族連合と接触したのを察知してるな」
《情報漏洩経路不明。だが、帝国の情報網は惑星間通信の傍受・解析を日常的に行っています。会話の断片から接触を推測するのは容易です》
つまり、俺の行動は常に“誰かに見られている”ということだ。
だが、このタイミングで爵位が与えられるということは──
裏を返せば、帝国にとって俺がまだ“手放したくない駒”であるということでもあった。
ナビスが補足する。
《この提案を受諾すれば、帝国法における“合法存在”となります。一方で、軍部監察の対象として艦の行動記録の提出、戦闘ログの開示、航行範囲の制限などが課せられる見込みです》
「つまり、形式的に独立したように見せかけて、がっつり管理されるわけだ」
《はい。提案書内には“戦略資産”という言葉が三度使用されています。帝国にとって、あなたもこの艦も、もはや単なる個人ではありません》
*
リィナはその夜、自室から移動してきていた。
艦内にある小さな応接ブース。簡易照明が空間をほんのり照らす。
「……どう思う?」
俺の問いに、彼女は長く、深い沈黙の後、答えた。
「帝国に爵位をもらうことは、“属する”ことではありません。けれど、“属さない”という幻想を抱くことも、同じくらい危うい。銀河は、そんなに甘くありません」
静かな声。その響きに、かつて侯爵家の末娘として育った彼女の現実主義が滲む。
「私なら……その爵位、“もらっておきます”。使えるだけ使う。そして、使い終わったら、放り投げればいい」
冷たいようでいて、どこまでも現実的な提案だった。
俺がリィナを信頼する理由は、こういう部分にもある。
「帝国があなたを“認める”なら、逆にその認定を“利用”すればいい。
貴族の証である紋章。航行権限。交渉の席。その全部を使って、あなただけの道を切り開いてください」
「……皮肉なもんだな。自由のために、帝国の認可が必要になるなんて」
「本当に自由な存在なんて、この銀河にはいません。でも──“自由に見える者”は、確かに存在する」
彼女の目は、どこか遠くを見ていた。
それが自分の過去なのか、それとも朔夜に託した未来なのか、今はまだ分からなかった。
*
数時間後、俺は帝国への返信を一通だけ送信した。
《臨時爵位提案、条件付きで受諾》
条件の一文を添えて。
──“艦の所有権、運用権、航行権は一切譲渡しないこと”──
それが、俺が出した最大限の“歩み寄り”だった。
交渉の場は、これからだ。
だが、俺は自分の意思で動いた。
誰かに従わされるのではなく、俺自身のために“銀河を使う”。
──そしてこの選択が、後に銀河史を揺るがす扉となる。
そのことを、当時の俺はまだ知らなかった。