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流れ星・・

作者: 瑞雲

 もしかしたら・・私、魔力があったのかも知れません。何だか周りで、私の事を試して居る様な気がしました。でも・・私、その使い方聞いていないし、呪文も知りません。母に教えて貰えませんでした。知らない方が良いからでしょう。魔力を、私利私欲の為に使うからでしょうか。運命に翻弄されるままの人生を送りました。それでいいのだと思います。魔力があるのか、ないのか、瑞枝の事を試す人達がいました。私は、如何したら良かったのでしょうか。

 ①  会議 

 「八百万(やおよろず)の神様・仏様・・早急のお集まり有難うございます」水や太陽、風、などの自然のあらゆるものに神が宿るという考え方・・神道において、日本人はそれぞれの神として信仰してきた歴史があります。「それからK教の教祖様、B教の教祖様、Z教の教祖様、J教もS教もH教も・・・神様となって居られる、全ての宗教の教祖様・・既にご存じの事と存じます。地上では、大変な事が勃発しました。人類は広島・長崎において新型原子爆弾を炸裂させました。人類にとっても・・私達、神・仏にとっても大変痛ましい事です。このままにして置く訳には参りません。何とか手立ては無いものでしょうか。その相談の為に、皆様にお集まり頂きました。お忙しい中を誠に申し訳ございません。私の大王としての任期中に、こんな事になりました。世の中をスラム街にする訳には参りません。良い知恵がありましたら教えてください」神様・仏様は真剣に話し合いをされています。ここは日本の上空・・十万億土(じゅうまんおくど)現実世界と極楽浄土の間にある無数の神様・仏様の世界です。宇宙を統治されて居る大王様は大変ご心配の様子です。はるか上空・・十万億土離れて居ても、地上の事は手に取るように見えて居るんですね。「ウム!ハテ!・・」「サテ!・・」腕組みをして、また組み替えては、皆様思案中です。神様と云えども、的確な案はなかなか出ないようです。「どうぞよろしくお願いします。どうぞ・・。何か小さな事でも、意味があるかも知れません」大王様は重ねてお願いされました。その時の事です。末席の神様が、手を挙げて一つ案を出されました。「はい・・地上に使者を送りましょう」「おぉ~使者を・・」「天使ですのぉ」「良さそうです。他に案があれば・・それに付け加える事と致しましょう。急ぎます。天使は誰を選びますか・・」「誰に頼みましょうかね!」「・・・」「おぉ・そうだ!スバル地区に住んで居る・・元、カエサル・シーザーが適任ではないでしょうか」「ウム・・争いの神よのぉ~」「1千年後現れたのは・・日本です。その時は源頼朝と云う名前になりましたよ。武士の世を創ったと云う。世の中を変える事が出来る力を持って居たんです」「それから1千年後と云う事ですの・・。星回りとしても良いと思います」「ふむふむ・・」「彼らは、戦いの神ですけぇ・・求めて居るのは、平和な世の中を築いて欲しいんですけぇの・・」広島の上空ですから、広島弁も時々入ります。「どうしたもんでがんすかのぉ・・」「フ~」神様も仏様も、皆様ため息をついては思案されています。「それならば、私に妙案があります。後ほどお知らせ致します」と大王様は少し笑みを浮かべて居られました。「力もないし、魔力も無くして置きます。苦難を乗り越える度に強くなりますよ。人間も年を取ると、見えて来るものがあるように。困難を乗り越える度に・・知恵が付き、強くなるんです。荒い事もしないし、戦争もしないでしょう。まぁ、気性は激しいかも知れませんよ?前世が彼等ですから・・」「上手く行きますかの~」「そうですね~」「私達が見守るんです。好い事になるようにね」「そうですね、それが良いでしょう。その案しかないですよ。やって見ましょう」「人それぞれに、得意な分野を持っていますからね。政治で世の中を正す人、声楽とか音楽とかで世の中を癒す人、芸能もしかり・・。文章で人を励ます人、経済で世の中を助ける人・・。また普通に生きて、普通の考え方をする人とか居ても良いんです。任務はそれぞれの得意分野に任せるんです。沢山の天使たちが揃いますよ・・」「そうですね、そこから始めましょう・・」「了解しました」「賛成します」「で・・何処へ頼みます?」「人間は受胎してから・・生理の周期で、十月十日(とつきとおか)必要ですから。生まれるのは、来年7月になります」「急ぎましょう。育てる父・母は、誰に頼みますか・・」「丁度この・・下界の辺りは、中国山地の盆地です。そこの野々原と云う村に、連なって7軒の家がありますよ。その中の1軒の家に、三枝子と云う奥さんが居ます。しっかり者で、気立ても良くて美しい女性ですよ。夫は下山哲夫と言いまして・・敗戦により、先頃海軍の輸送船から復員したばかりです。三枝子の里も大きな庄屋でしたが、倒産して居ます。父が村長時代に助役の汚職がありまして・・その責任を取りました。素性といい性質といい適任です。苦労していますから、良い子を育てる事でしょう。上に長男が居ましたが、戦争中に百日咳で亡くして居ます。1歳の誕生日が・・葬式でした。抗生物質、ペニシリンの薬が手に入らなくて、助ける事が出来なかったと言います。可哀そうです。今でも悲嘆に暮れています。長女・佳枝(よしえ)は元気で良い子に育っています。夫・哲夫は、これから仕事を探さなければなりません。戦後直ぐの事です、どんな仕事をするんでしょう。ここに問題ありです。家には、西山のお祖母さんと云う人が居ます。跡取り息子が戦地で病死したものですから・・。一日を床に伏して居ます。娘は嫁いだのですが、離婚し・・幼い息子・哲夫を下山家(お金で育てて貰う)に里子に出して再婚しています。その状況の中で、孫にあたる・・下山哲夫夫婦が、後を看る事になったんです。哲夫は西山の名は継がないと、言い張ったのでした。「親の勝手で、あっちの家に行けぇ!こっちの家に行けぇ!名字が変わるのは絶対嫌じゃ!育てて貰った親に、恩があるんじゃ!」そんな訳で、苗字は育ての親の名前・・下山という名前です。この家の大体の様子は分かりますか?神様・仏様は全てお見通しですから・・わざわざ書かなくても良いでしょうか。

 スバル星とは(昴星)和名です。集まって一つになると云う意味の、古い言葉です。世界共通の正式名称はプレアデス星団です。おうし座にある散開星団です。とスマホにあります。

「スバル星は数百個の星が集まっている星団ですから、今回も仲間を集めて地上に降り立ち、人々の幸せの為に、活躍する事でしょう」「ほほーう楽しみですのぉ」「イヤイヤ・・事を急いて、早死にするんではなかったかのぉ!それに身内の裏切りがあり!・・また一つは、親の縁が薄い運命でしたよのぉ。頼朝のように、家も倒産しますよ。子孫も出来ますかどうか?ですからこの星は、天使とも悪魔とも言うんですよ。倒産した家はこの子が復興させますが、苦難の多い運命です・・出来ますかね?」「仲間が居るから、出来ますよ!仲間が仕事をするんです」「この子は、災難は全て克服しますよ。もしも長く生きる事が出来るならば・・地上天国は、夢では無いかも知れません」「私達も地上に降り立つ事が出来るんですか?」「そうなればいいですねぇ」「「いいですねぇ」「その時は皆で、世界平和の祝杯を挙げましょう」「挙げましょう」「嬉しい!」「それで~何年後でしょか?」「さぁ?・・まだ生まれて居ないんですから・・まだまだです」「まぁ~喜んでしまいましたよ!」「でもこの子達は、世の中を明るくします。希望を作ります。沢山の子供達と、平和への仕事をやり抜きますよ」「了解しました。いつか出来ると云う事ですね・・先が長いです~」「待てません~何とかなりませんか?」「あぁ?~」「そうですね~」

 その夜からの事でした。おうし座辺りから・・大きな流れ星達が尾を引いて落ちたのだそうです。街や村のあちこちに落ちて行くのが見えたと言うのです。この辺りにも!あの辺りにも!・・場所は多分、中国山地の盆地、野々原村ですかね。7軒の家が連なって居る辺りです。由緒あるお寺の・・お寺の・・、前の家だと思います。

 そして夜の事・・下山三枝子は、受胎告知の夢を見たようです。夢の中・・宇宙の大王様の声が響き渡りました。「私の子を授けます・・大切に育てて下さい~~」

 ②  誕生

 下山三枝子はいつもの様に、裏の畑で畑仕事をして居ました。今年は、殊の外美味しいトマトが沢山生りました。胡瓜も茄も花を咲かせて・・小さな実がついて居ます。先頃苗を挿したさつま芋は、秋には沢山収穫できますように。じゃが芋も秋には沢山採れますように。戦後の食料の無い時代です。三枝子は畑作業は初心者ですが、この地に住んで3年・・近所の方に教わりながら、一生懸命取り組んでいました。赤ちゃんの為に、お乳がいっぱい出ますように。家族の為に、食べ物を何とか調達しなければなりません。我が家で育てる他は、術がないんです。どの家も自給自足で暮らして居ました。三枝子は、もう臨月なんです。あまり大きくはない、お腹を抱えての作業です。日本手拭いを、姉様被りにして・・「そこまで耕したら、お昼にしようかね、赤ちゃん・・」独り言を言ってます。その時です・・あれ、ちょっと、おかしい・・あれあれ!!家の中に駆け込みました。布団ダンスから、布団を投げ出すや否や・・。その布団に倒れ掛かりました。「あれ!まあ!どうしょう・・」生温いものが、ぬるっと出て居るのでした。どうしょう。赤ちゃん、生まれている!!「佳枝ちゃん・・佳枝ちゃん・・裏の家へ行って、山口のお婆さんに来てください。とお願いして頂戴・・」佳枝は小学校入学前です。様子を察して、山口さん家に走って行きました。

 それから大騒ぎでした。お湯を沸かして、沐浴の準備です。オムツとか肌着とか、タオル等は戦後ながら準備は出来ていました。「タオルは箪笥の一番下の引き出しです」「ほいじゃあ、わしがへその緒を切るけぇの!えぇの!」「ありがとうございます。お願いします」山口のお婆さんは、落ち着いてハサミに焼きを入れました。「あっ!お母ちゃんの裁縫ハサミを使って居る・・」姉・佳枝は思ったそうです。戦後の咄嗟の事ですから・・。赤ちゃんは弱い小さな声で泣いて居るのでした。体を綺麗に洗って貰って、オムツをして、晒の肌着を着せて貰いました。「あれ!あれ、まぁ・・女の子よ」「女の子じゃの~。内も皆、女の子じゃ~、元気が一番ええんよ」 「夢では確かに・・男だと思いましたが!」母三枝子は、最初のお乳を含ませながら思いました。「産婆さんに来て貰うように頼むけぇのーよお看て貰いんさい」「ありがとう御座います。お世話になりました」山口のお婆さんは、無口で小柄な人でした。この人も戦争で息子さんを亡くして居られます。戦争未亡人となったお嫁さんとその子供4人・・6人家族です。お嫁さんは上の子供二人と、朝早く起きて草を刈って・・牛の世話をして、その後朝食・・子供を登校させて居ました。それから田圃・畑の野良仕事をして・・。夜なべの筵や縄、菰を編む内職をして生計を立てて居ました。女盛りの身で、手は浅黒くごつごつとして居るのでした。足は・・青い静脈が浮き出て居るのが痛ましいです。産後に無理をして働いたからでしょう・・。どの家にも、戦争の痛ましい物語があるんです。

 この様な戦後の有様は、何処にでも、普通にありました。この時生まれた、小さな赤ちゃんは・・私です。若々しく麗しいとか、めでたい事という願いを込めて・・瑞枝(みずえ)と名付けられました。

 ③  病気ばかり・・

 瑞枝は、なかなか大きくなりませんでした。ヒイヒイと、か弱い声で泣くのでした。気が付いた時には、栄養失調になって居たんです。お乳は出て居ましたので、安心して居ました。そのお乳に栄養が無いのでした。その後・・母・三枝子はとても気遣って居ました。私が小学生になっても、中学生になっても、口癖は、滋養があるから・・「桃山さんがね、瑞枝ちゃんに・・ヤギの乳を下さったんよ、飲みんさい」「ちょっと臭いから嫌よ」「滋養があるから、飲んで頂戴ね。砂糖をちょっと入れようか?」「滋養があるから・・食べるんよ。ほらほら・・美味しいよ!」母の口癖が蘇ります。      

 この頃から・・姉・佳枝は寂しさと云うものを、感じて居たんでしょうか。母の膝は、私が独占していました。そして・・父・哲夫は、女の人が出来たような気がします。

 小さな瑞枝も、どうにかハイハイが出来るようになりました。ある日の事です・・父母の寝室の子供布団から這い出て、ハイハイして居るんです。行く先は・・西山の曾祖母さんの部屋の布団でした。「あら!瑞枝ちゃんが居ない・・あぁびっくり!ハイハイしているよ!」初めてのハイハイ先は、曾祖母の部屋でした。曾祖母の部屋には、大きな金仏壇がありました。立派な金仏壇でした。純金のお道具は、戦争中の供出に出さなかったそうです。お祖母さんが隠し持っていたらしい・・と、母・三枝子から聞いた事があります。年寄りとは、なりふり構わずですね。瑞枝はと云うと・・少しハイハイして進んでは、座る。少しハイハイして、休む・・。曾祖母さんも布団からおいでおいでをして居ました。母も姉も手拍子で、応援して居ました。そうして瑞枝は、少しづつ元気になって行きました。ハイハイの後、曾祖母さんの布団でお昼寝もしました。その1年後位でしょうか・・瑞枝は、裏の家の山口さん家に夜遅くまで預かって貰った事があります。この時、曾祖母の通夜と葬式であろうかと思います。翌朝・・お祖母さんという人に会いました。父・哲夫を預けて、再婚した人です。「親の愛を知らない人ですから・・この頃、遊んで居るんです。夫に少し言って下さい・・」「・・・」この時の話し合いで、家と土地の名義は・・父ではなく、私・瑞枝になったのだと思います。父・哲夫は遊んで居たから、家と土地を守る為です。

 ④  これ何?

 「荒縄じゃね・・」高い高い空から、農作業に使う縄が1本、垂れ下がって居るのでした。「どうしたんじゃろうか?登っても良いのかな?登って見ようっと・・」やっと、どうにか歩けるようになったと云う瑞枝でしたが・・不思議なことに登ることが出来るんです。不思議・・。スイスイ・・家の屋根より高く、スイスイ・・お寺の本堂の屋根より高く登りました。先頃、植えられた田圃の苗は・・青く、綺麗に!・・パッチワークしたように、田圃は整って見えました。そよ風が頬を撫でました。「あぁ~気持ちいい・・!お母ちゃん、探すじゃろうか・・。黙って来たから、探すじゃろう。すぐ帰るから・・。あっ!お姉ちゃんが橋の袂で道草しとる。瑞枝が空中に居るとは思わないから・・。此処、見えないだろうな、小鳥位には見えるかな?・・ウフフ・面白い。見えたら面白いのにな、びっくりするだろうに・・。もう少し登って見よう・・雲の上の、光が漏れている処迄、スイスイ・・何処じゃろう。綺麗!・・金仏壇のような光が見えます。何処なんじゃろうか?もう少しよ・・スイスイ・・もう少しよ・・綺麗な光!凄い!」

 えっ!何だか・・下の下の方から声が聞こえるんです。「瑞枝ちゃーん。瑞枝ちゃーん。瑞枝ちゃーんー。待って、待って‥何処に行くん~」「瑞枝ちゃーん、瑞枝ちゃーん」叔父さんの声も聞こえます。めったに来ない人の声もするんです。その内、ぞろぞろ・ぞろぞろ・・沢山の人達が登って来ています。「瑞枝ちゃ~ん・瑞枝ちゃ~ん。瑞枝ちゃん・瑞枝ちゃ~ん。内も行くけぇ・・わしも行くけぇ・・おぉーい」ぞろぞろ・ぞろぞろ・・知らない人達も登って来ているんです。どうしょう・・。あの清々しい綺麗な光の漏れる処・・もうちょっとで、行けるんよ!来たらいけんよ!来たらいけんよ!内だけ行って見たいんじゃから!見るだけじゃから!・・あぁあ!・・縄が、びりッと音を立てました。びりびり・・。荒縄ですから、人々の重みに耐えきれずに、とうとう・・瑞枝もみんなも、真っ逆さまに田圃の中に落ちてしましました。「ドドド~」??・・教科書にも載って居る・・何だか、有名作家さんのお話に似ています。

 「瑞枝ちゃん・・瑞枝ちゃん・・」「あっ・お母ちゃん・・」「良かったね・・お薬効いたね」「えっ?あの綺麗な光は・・何処?凄く綺麗じゃったよ!お母ちゃん・・」「??・・お薬効いたね・・。もう少しで死ぬ処だったんよ!首のリンパ節に、細菌が入って腫れてね・・膿を出す、手術をして貰ったよ。お薬効いたね。良かったね。親戚の人も集まって下さったんよ。可愛い・可愛い・瑞枝ちゃん」母はしっかりと抱いて、頬擦りして呉れました。「瑞枝ちゃん、体力が無くて・・大きな傷跡になって、ごめんね。死ぬ処だったから・・ごめんね。これから、元気になろうね」死ぬ処だったから、傷跡気にしないで頂戴、母の願いでありました。

 この頃から父・哲夫は家に帰らなくなりました。その前の事になりますか?・・村内の知人宅で

借金をして、バタンコを買って、運送業を始めたようです。「お父ちゃんは、瑞枝ちゃんに優しいから・・。瑞枝ちゃんの言う事は聞いて呉れるから・・」母が愚痴を溢すんです・・困って居るから。小さな子供ながら、女の人に対抗したのかな??町に出た時に、お人形を買ってと言うのです・・その時も、ちょっと値段の高い方の人形を選んで居ました。「しょうがないのぉ・・高いのぉ。瑞ちゃんは可愛いけぇの~」父は困りながらも、買って呉れました。セルロイドの大きな頭のお人形を、おんぶしたり、抱っこして遊んだものです。「お父ちゃんに買って貰ったんよ」瑞枝は自慢げに言いました。

 父の仕事は・・バタンコで新聞を運搬する仕事でした。朝・2時頃・・刷り上がった新聞を会社に取りに行って・・各所の販売店に届ける仕事だったと思います。その前には、昼頃製材所に寄って、材木を街まで運んでいました。仮眠して・・夜中に走るという仕事でした。発想は良かったと思います。金回りも良かったのかも知れません。でも・・女の人を囲って居ましたから、身体も経済にも無理があったと思います。特に健康管理は、本妻にしか出来ないですね。2号さんは、お金を貰う為に居るんですから。愛?ですか?愛なんて・・お金が無くなったら、逃げて行く人ですから・・愛情なんてありませんよ!

 ⑤  骨折

 全校生徒600人位の愛川小学校に入学しました。1年生・・私達は2クラスになりました。1クラス55~56人位でしたか。戦争土産?と言われる戦後生まれの生徒達です。急に生徒が増えましたので、教室が足りません。講堂を仕切って、教室と職員室が出来ていました。朝礼で整列すると、やっぱり小さな・・前から2人目の瑞枝でした。ランドセルが重くて、学校から帰ると・・お昼寝をして居たものです。それでもどうにか、休む事もなく、元気で通学して居ました。

 10月に入って居ました。野々原村の子供達、仲良し5人は・・正子・直子・友里・友子・そして瑞枝です。道草しながら帰って居ました。橋を渡って、袂まで来た時の事です。「皆~・・ここから飛んで遊ぼうや!」正子の号令です。「うん・うん」「橋の欄干から飛ぶんで・・」2メートル弱ありますか?「うんうん・飛ぼう・飛ぼう」皆は体格が良くて、田畑のお手伝いもして居るから・・元気余って居るんです。瑞枝はどうしょう。飛べるじゃろうか?ちょっと怖いねモジモジ・・。欄干から、覗き込みました・・どうしょうか。下は草むらか。怖いなと思いながら、欄干に立ちました。「ブルブル・・エイ!」と飛びました。「グサッ」音がした気がしました。「痛い!」痛くて立てませんでした。「どうしたんね。瑞枝ちゃん」「痛いんよ。痛い!歩けんのよ」友達の手前もあるし、うずくまって、泣かないで我慢して居ました。稲刈りのお手伝いをして居た、母・三枝子に連絡が行って・・走って来て、抱き抱えて呉れました。それから病院に駆け込み、レントゲンを撮り、医師の丁寧な説明を受けました。「右足の、膝から下の(すね)の部位(弁慶の泣き所)、太い脛骨(けいこつ)と細い腓骨(ひこつ)とがあります。太い脛骨に2ケ所罅が(ひび)入って居ました。ここです。隙間が見えるでしょう。直ぐにギブスで固定しましょう」看護婦さんが優しく包帯を巻いて下さいました。「瑞枝ちゃん、痛かったね。よう我慢しましたね。松葉づえを注文しましょうね。サイズは、小よね・・。春迄、松葉づえで頑張ろうね」先生は40歳前後だと思います。笑顔で・・「必ず治りますから、養生しましょう。お母さん、頼みましたよ」  

 1日学校を休みました。次の日の事です。「瑞枝ちゃん、学校に行こう!お母ちゃんと行こう。おんぶして行こう。教室の後ろで待って居て上げる。おしっこの時困るから・・。後ろで編み物をして居るからね・・」母の決意の言葉でした。

 母と私は、ギブスが取れる迄・・毎日、村の同級生と一緒に登校して、一緒に帰るのでした。春迄・・1日も休むことなく続きました。ありがとうございました。母の愛、心意気・・しっかりと受け止めました。

 ギブスが取れる日、母はどんなにか心配した事でしょう。ちゃんと歩けるじゃろうかと・・。白いシーツの上に、油紙を敷いて・・医師は、ギブスの石膏を切って下さいました。「あっ・・鋸!」医療用の鋸でしょうが・・石膏がボロボロと切られて行きました。中から・・垢にまみれた、待望の足が出て来ました。「左足と比べると、まぁちょっと細いかの・・。その内、大丈夫になりますよ。歩いてみて下さい」「はい・・」「うんうん・・よしよし大丈夫!良かったですの・・」「ありがとうございました。お陰様です」母は心の底から、お礼を言って居ました。私も「先生ありがとうございました」元通りに歩けるんです・・。「お母ちゃん、ありがとう」

 ⑥  父の仕事は

冬・・県北の雪道の事です。スリップ事故で横転・・父には、顎にフロントガラスで切った、切り傷が出来、5針縫った跡があります。痛手はそれだけでは済みません。車の修理に何日か掛かります。新聞社の信用と云うか・・時間に遅れるようでは、その上何日も休むのでは、相手にされません。困ります!と云う事で・・契約打ち切りと云う事になったのではないでしょうか。・・哲夫は頭を低くして、お願いすると云う人ではありません。何かに付けて、偉そうなんです。これでは仕事があっても、頂けないでしょう。我が家の経済は、それからが大変でした。信用を無くした父は、定期的な仕事が無くなりました。収入も自ずから無くなりました。その後は、借金をして女の人に貢いだのでした。味噌やコメ、当面のお金でしょう。野々原村でも、隣村の叔母の家の近くでも、そのまた隣村の実の父の家の近くでも・・借金をして歩いたのです。借りて居る様子だけれども、小額だからと、そのままにして貰って居る家もあるようです。大抵の家は、返す様子が無いから、母・三枝子に請求するのでした。母は着物の仕立ての内職をして、私と姉を育てて居ました。その上、女の人に貢いだ借金の請求があるなんて!母は可愛そうでした。「女の人の処に、請求すればええのに!何でお母ちゃんが払うん?」「そお云う訳には行かんのんよ。世の中と云うものは・・」「泣いたらいけんよ!内、大きゅうなったら、着物も縫うから、教えて頂戴ね。お母ちゃん」証文の無い請求にも、母が払わなければなりません。「味噌と米と・・この日わざわざ郵便局から降ろして、貸して上げたんでがんす。ちいちとでも、払うて貰おうかの!」「はい、すみませんでした・・」娘時代は、村長さんのお嬢さんと呼ばれて居た母なのに・・華やかな生活をした人なのに・・神様・仏様、母は、可哀そうです!

 その後父・哲夫は、荷車に括り付けられて、帰って来ました。女の人に、逃げられたんでしょう。素面では帰られないものでしょうか。住んで居た家はもぬけの殻・・近くの居酒屋で飲み潰れて居た処・・母・三枝子に連絡して下さる人が居たのでした。

 ⑦  坊っちゃん

 野々原寺の末っ子さんは、途轍もなくガンボなんです(広島弁)。やんちゃ坊主、いたずらっ子なんです。村の人達は親しみと愛を込めて、坊っちゃんと呼んで居ます。本当の名前はある筈ですが・・ちょっと思い出せません。お姉さん二人は、既に嫁がれて居ます。後継者のお兄さんは大学生、次のお兄さんは高校生でしたか。坊っちゃんは・・瑞枝より2歳年上でした。母・三枝子は、1歳の時、百日咳で死んだ我が子を重ねて、思うのでした。生きて居たなら「もしも生きて居たなら・・男の子は、せいがええ。(威勢がいい)お父ちゃんもせいがよかろう・・」ですから坊っちゃんには、優しいし・・可愛いし・・悪戯が酷い時には叱りました。何しろ・・人に叱られた事がない坊っちゃんは、母・三枝子の事を、心根の優しい人でした・・と、思い出に語って呉れました。その坊っちゃんも大きな心の持ち主でした。私・瑞枝を負けない、そして泣かない女に育てて呉れたんです。坊っちゃんは、物事を観察したり、考えて試して見たり、人をよく見て居る事が分かりました。そのガンボの坊っちゃんには、朝早く起きて朝食前に・・ご院家さん(父)、奥さん(母)とあの漢字ばかりの、難しいお勤めがあるらしいんです。夕方は夏場は6時、冬場は5時に鐘楼の鐘を突く役目がありました。それに、山門付近の掃除・・。嫌とか、何とか言う愚痴を聞いた事がありません。やはりお寺に生まれたという、自覚は出来ているんです。

 ある日・・日曜学校の後か何かでしたか・・機嫌よく皆と境内で遊んで居ました。「瑞枝ちゃん、瑞枝ちゃん・・おいで!」と坊っちゃんが呼んでいます。「えっ!なぁに?」のんびりと尋ねました。「瑞枝ちゃんおいで・・こっちにおいで」と、手を引っ張るんです。人のいない欄干の下迄来て、優しく手を取りました。「えっ!何?」・・そして優しく、ちょっと抓るんです。「えっ!どうしたん?」坊っちゃんは平気な顔をして居ました。「えっ!なんで?」と思いながら、もう一度顔を見ました。平気な顔をして抓って居るんです。それで私・瑞枝は、澄ました顔で言いました。「痛い事ない!」それで・・坊っちゃんは、少し強く抓りました。私も、平気な顔です「痛・事・無」短縮して早く言いました。坊っちゃんは、また強く抓るんです。「痛・事・無!」繰り返しです。最後に瑞枝は、痛い事ないと云いながら「あぁ~ん・痛い事ない~お母ちゃん」と、泣くんです。坊っちゃんは、「アハハ!アハハ」と笑いながら、手を放して呉れました。「泣く位なら・・痛い事ないと言わんのよ・・」傍で見ていた、姉・佳枝は笑いながら言いました。坊っちゃんは、試したんです。瑞枝が、如何いう反応をするのか、試して見たかったんでしょう。その後も、時々抓って見てました。私も、やっぱり・・痛・事・無・でしたよ。

 可愛川に掛かる、釣り橋・・その釣り橋の真ん中より、もう少し端よりに、坊っちゃんが一人で、釣り橋にぶら下がって、遊んで(研究して)居ました。何をして居るんじゃろうか?と思いながら・・私は学校帰りのその日、ちらちら見ながら通り過ぎました。瑞枝は3年生になって居たと思います。春でしたか?初夏?でしたか・・。

 国道から、一つ田んぼ道に入ると、稲の緑・・水面に反射する柔らかな光・・泳ぐ蛙・・まぶしい程に、美しい自然が此処にも在るんです。仲良し5人組と2級上の、富ちゃんと幸ちゃんが一緒でした。一列になって田んぼ道を帰ります。そして・・土手に上がって、昭和橋に来た時の事です。「あっ!」橋の入り口で、皆が一斉に声を上げました。「どうしょうかぁ?」坊っちゃんが吊り橋を揺らして居るんです。「どうする?」「ギイギイ」と欄干の木が軋む音・・「ブン~ブン~」と釣り橋の鋼鉄のワイヤーロープが唸る音・・「ゴーゴー」と水しぶきあげて流れる、川の音・・ 坊っちゃんは、橋の真ん中より少し向こうです。この前の日の研究とかは、これなんでしょ!何処で、如何すると・・効率よく揺らす事が出来るかでしょ!それから人は、如何するんか?これが又面白い・・「さあ来い!」と言わんばかりに・・橋が大きく揺れて来ました。「さあ来い!早く渡って来い!」「ギイギイ・ギイギイ」・・その時「(かみ)の橋を渡ろうや!」川上にも、吊り橋があります。「遠回りして帰ろう・・」「えぇ~っ!」富ちゃんと幸ちゃんは、皆より2級上です。そして坊っちゃんと同級生です。お姉さんらしく・・「怪我をさせてはいけんけぇ。遠回りして帰ろう・・」「・・・」瑞枝は、走って家に帰りたいな、すぐなのに・・と思いました。でも、抗議までは出来ませんでした。橋を揺らしている坊っちゃんにも、遠回りしようと言った、富ちゃんと幸ちゃんにも出来ません。皆、仕方なく・・ブツブツ言いながら、土手を歩き出しました。気分を変える為かな?どうかな?皆はお喋りしています。「幸ちゃん、この草知っとる?」「知っとるよ。ドクダミ草よ。花が咲いたら・・お祖母ちゃんが、乾かしてお茶にして飲んどる。時々ヨモギも入れとるんよ」「ふう~ん、幸ちゃんのお祖母ちゃんは、よお知っとってじゃね」「家のお祖母ちゃんも、よお知っとてよ・・」「うんうん・・富ちゃんのお祖母さんに教えて貰ったよ、オオバコは薬になるんと・・」「そうそう・・この草の事よ!葉っぱを揉んでね、火傷やケガ、虫刺されに貼るんじゃと・・」「タンポポも・・根も茎も葉も花も、全~部薬になるんじゃと。ほんまに食べられるんよ」「ふぅ~んどうやって?食べたん?」「天ぷらとか、お浸しよ・・」「あっ!酸い葉・・いっぱいある!ここにも・そこにも」「そうそうこれね、こうしてポンと折ってね、茎の皮を剥いで、ここを食べるんよ」「・・ポリ・酸っぱい!美味しい!ウフフ・・じゃけぇー酸い葉というん?」「ウフフ・・土手にはいっぱい、食べられる草があるんじゃね・・」「でも、毒のある草もあるけぇね、大人に聞くんよ。それを覚えておくんよ」「は~い・・」「あっ!クコの木がこんな処に生えとるよ。お祖母ちゃんに教えて上げよう。赤い実を干してね、クコ酒を作って・・。自慢してじゃけぇ~美味しいんじゃろう」「お酒じゃけぇ~大人になったら、飲まして貰える・・ウフフ」「ゴ~ン・ゴ~ン」「あれ!6時じゃあ~坊っちゃんが鐘を突いとる・・。道草しよったら遅うなった。怒られるけぇ走って帰ろう」皆は、一目散に走りだしました。瑞枝も走りながら・・道草と云うのは、本当に道の草を食べながら遊んで帰ったのが、始まりなんじゃろうか?と思いました。

 4~5日過ぎました。青葉若葉の頃を全身で感じていました。優しい光でした。心地よい風が吹き抜けて行きます。その日、瑞枝は一人で下校して居ました。田んぼ道を通って、土手に上がって、昭和橋と書いてある、橋の入り口迄来た時の事です。「あっ!・・坊っちゃんが!!」坊っちゃんが橋のワイヤーロープにぶら下がって居ます。いつもの場所で待って居たんです。何処かを踏むと、効率よく揺れる事を収得して居るんです。橋は今にも揺れて来そうです。どうしょうか。遠回りは嫌よ!だから・・この揺れる橋を渡るしかないんです。瑞枝は、渡る事にしました。よし!真ん中を走って渡ろう・・。橋の入り口に、仁王立ちに立ちました。「よし!・・」ちょっと怖いけど・・「よし!行こう!」橋が大きく揺れ出しました。「さあ来い!」と云わんばかりに、さらに大きく揺れ出しました。欄干の木が軋む音・・ギイギイと不気味な音です。ワイヤーロープが唸る音ブン~ブン~。川上の方からの強い風に吹き倒されました。橋の上の風はヒュルル~ヒュルル~と鳴いて居るんです。欄干の木に、しがみ付きました。「ギ・ギイギイ」「ギ・ギイギイ」と軋む音が怖ろしい・・。何かに摑まらなくてはなりません。目の前には橋板を補修している、板・・1㎝程の出っ張りがありました。これに摑まるしかありません。補修板は・・幸いに、点々として、向こう迄続いてありました。ゴロンゴロン転がりながら、その補修板に摑まり、少しでも前に進みました。カバンごと転がるんですから・・弁当箱の音、筆箱の音が賑やかに聞こえました。その上橋板の隙間からは・・ゴォ~ゴォ~と水しぶきを上げて流れる・・深い緑色の川が見えました。風迄も、橋の上では強く吹き荒むんです。「ヒュルル~ヒュルル~・・」ゴロンゴロン・ゴロンゴロン・ゴロンゴロン・・一心に前に進んで・・橋の真ん中辺りになりました。転がりながら、坊っちゃんが見えました。ゴロンゴロン・ゴロンゴロン・・。その一瞬の事です!・・橋の揺れが小さくなりました。瑞枝は透かさず立ち上がり、走りながら言いました。「あっかんべーお母ちゃんに言うちゃるけぇ!」坊っちゃんにとって、もっとも怖い人の名、瑞枝の母の名を言い放ちました。振り返って、もう一度「あっかんべ~!イイダ~!」坊っちゃんは緩めて呉れたんです。瑞枝が頑張るから・・一心に頑張るから・・。

 瑞枝は一目散に走って帰りました。「ただいまー!お母ちゃん、ただいまー。坊っちゃんが、悪いんよ!橋を揺らすんよ!凄い事揺らすんよ!怒ってよ!」母に訴えたんですが・・「ハイハイ・・瑞ちゃんはどうしたん?」「ゴロンゴロン・・転がりながら渡って帰ったよ!怒ってよ!ねぇ、怒ってよ!」「ウフフ・・」裁縫している母の背中・・笑って居るようでした。瑞枝ちゃん・・大きくなったね。元気になったね。もう大丈夫!と思って居たのかなと思います。

 それから1年後・・我が家は倒産したようです。引越と云う事になりました。その経緯は、やはり物語になります。それはまた後日と云う事にして、今回は野々原寺に挨拶に伺った時の事です。父・下山哲夫は、若い頃(出兵前)に収得した技術を活かして、大手造船会社に就職して居ました。女性を囲って居た事も、運送業を始めた事も、失敗に終わりました。私、名義の家と土地を差し出して・・後始末と云う事になるのでしよう。街に出て、父と母は一から出直す事を決心して居たのでした。子供達の為です。その頃父は、市内にアパートを借りて住んで居て、月に2回か3回帰って来て居ました。帰る度に、子供達にお土産がありました。大きな大きな、どら焼きとバナナ・・そして洗濯物かな?当時、バナナは高価な果物でした。父は奮発してバナナをお土産にして帰って来ました。瑞枝は初めて見たバナナでした。土曜日の半ドン(現在は週休二日ですが、当時土曜日は半日の勤めがありました)の後に、バスを乗り継いで、帰って来て居るのです。2時間以上掛ったのでしょう。父が帰って来るという日は、佳枝と瑞枝はお土産が楽しみでした・・。待ちくたびれて、炬燵でうたた寝して居たのを思い出します。そうして何か月・・父と母は引っ越しの準備を進めて居たのでした。ある日曜日の夕方・・父と母と姉と私は、揃って野々原寺に挨拶に伺った事があります。意味は知らされないままでした。「これから私は、街に帰りますので、後をよろしくお願いいたします。夏休み前には・・・ ・・・ ・・・ 戦中からでした。大変お世話になりました。誠にありがとうございます」ご院家さんと奥さんと次男さんと坊ちゃんが揃って対応して下さいました。瑞枝は何となく、これが引越の挨拶と云うものかなと思いました。「体に気を付けて下さいよ。お世話になりましたの~。寂しゅうなりますの~。体に気を付けて下さいよ。皆さんお元気で居て下さい」「ありがとうございます。お世話になりました。皆様も、お元気で居てください」瑞枝は何となく、湿っぽく感じて居ました。「いつでも遊びに来て下さい。待っとるけぇの・・体に気を付けて・・」父・母・姉・の後ろで、瑞枝は言って居ました。「一旗揚げんと帰らんけぇ~」私は4年生でした。その場を繕って言っていました。後ろの方に居た坊っちゃんは、透かさず応えて発しました。「旗を持って帰るなよ~」坊っちゃんは、6年生でした。何と意味の深い言葉なんでしよう。「ウフフ・・」「まぁ・・アハハ・・」「ウフフ・・」湿っぽい場面も明るくなりました。「ありがとうございました。それでは・・」瑞枝の将来を見据えて居るかのような・・優しい、意味の深い言葉でした。無理するなよ・・でしょうか。小さい事に、こだわるなよ・・でしょうか。本当の幸せを見つけるんだよ・・でしょうか。瑞枝は未だに、一旗揚げて居ません。成功していません。故郷に錦を飾る事は出来て居ません。家庭を守りながら、コツコツと試みましたが・・その小さな土地さえも買い戻す事は出来ませんでした。父と姉の協力があれば、軽く出来た筈なのに・・!当の父と姉は自分の事しか考えにないのでした。

 坊っちゃんと私は、流れ星でしたか・・?長い目で見れば誰でも・・出会いは、ほんの一瞬です。互いに響きあって、互いの幸せを念じて、流れた星達なんでしょう。お陰様です、ありがとうございます。と言いたいです。私・瑞枝は、困難に負けないで、頑張る女性になりました。私の生涯は、あの揺れる橋を・・ゴロンゴロンと、転がりながら前に進む姿かも知れません。

 坊っちゃんはと云うと・・、教育者として長く社会に貢献されたと聞いて居ます。

 ⑧  姉・佳枝

 非通知設定の電話が時々あります。夜中であったり、お昼頃であったり・・暇になると思い付いて、私に電話して居るんでしょうか?多分?姉・佳枝からではないかな?と思います。・・でも、なんで?非通知設定なんでしょうか。ちゃんと電話して、用件を言えばいいのに!何の為に?何を求めて居るのかな?訳が分からないんです。挑発?と云うものかも知れない。妹だから・・ご機嫌伺いに来なさいよ。何か(お古でも)上げますよ。でしょうか?半年位前までは、非通知設定の無言の電話が頻繁にありました。私・瑞枝はもう・・気持ちは、姉さんから遠のいて居るんです。挑発?嫌なんです!自分の思うように、私を使いたいんでしょう!母亡き後、姉さんのした事が・・私にとって、どんなに辛かった事か分からないんでしょう。その事、私はもう忘れたいんです。考え方が全然違うんですよね。でも、もう一度だけと思いました。姉さんも辛い事があって・・妹に助けを求めて居るのかも知れません。と・・半年位前に、和解の糸口あるかも知れない。訪ねて試みましたが、やはり如何にもならないですね。別の世界に住んで居ましたよ・・。お金さえ有れば、人は思うようになる。とでも思って居るんでしょう。姉・佳枝と私は・・同じ家に生まれて、同じ父と母に育てて貰って居るのに。たった二人の姉妹なのに何故?と思いますね。誰でも思いますよ。でも何故に?挑発なんでしょうか。無言の電話なんでしょうか。それが不思議。不信なんですね。いつから?そんな事をするようになった?と聞いて見たいものです。姉さんとは、流れ星のように・・心は、遠ざかってしまいました。法事とか、親戚の葬式とかで会うと、普通にお話しをして居ます。また、病気とか事故とかあって、瑞枝が役に立つ事があれば、心に薄い鎧を着て伺いますよ。だから、挑発?引っ掛け?はいけません。この年になって、面倒くさい事に、拘りたくないと思います。

 昔々の事を思い出します。「お姉ちゃん・・この絵本を読んで頂戴・・」「は~い、あれ!またかぐや姫のお話・・もお、覚えたでしょうに・・」「ウフフ・・覚えたよ。でも、読んでね。かぐや姫のお話、好きなんだから・・」姉・佳枝は小学校高学年でした。読んで貰う時は、いつも膝に抱っこして貰いました。「佳枝ちゃん、ありがとうね・・急ぎの縫い物があるから、頼みます」母・三枝子は、夜なべに着物の仕立ての内職をして居ました。その後も、母に代わって勉強をみて貰いました。小学校入学前にも、国語の練習帳を買って来て、し・も・や・ま・み・ず・え・の字を教えて貰いました。1・2・3・の数字も教えて貰いました。それから、足し算・引き算も・・。「何度も何度も練習するんよ。ええですか。一度では覚えられんのよ」何度も練習する事を教えて貰いました。そして、上手に出来ると・・花丸を付けて、褒めて貰いました。佳枝姉さん、ありがとうございました。瑞枝が今日あるは、お姉さんのお陰なんですよ・・。

 でも二人は・・いつかは、さようならをする・・流れ星です・・。

 ⑨  不思議な考え方

 この事は、私だけが知らなかったんでしょうか?それとも普通に、一般にある事なんでしょうか?一度皆様に聞いて見たいと思って居たんです。私も還暦を過ぎて、人生一段落したのかな?と思う頃の事でした。小さな畑にハーブを植えて、ハーブボランティアを始めて居ました。洋裁の仕事は、やはり私の天職ではありませんでした。自分の洋服は縫えるんですが、人様の洋服を縫う事や、デザインする迄には至りませんでした。今思えば、それはそれで十分な事でした。そんな訳で、ハーブコーディネーターの資格を取って、ボランティア活動をして居ました。そして・・ある施設の屋上花壇に、ハーブと花を植えるボランティアを始めて居ました。隣の花壇には、先輩のボランティアさんが、切り花用の花を植えておられました。時たま出会うと・・挨拶をする程度で、忙しく花壇の世話をして帰りました。家の用事と畑の世話がありまして、ちょっとの暇を見つけては、施設の花壇のボランティアをして居ました。ですから・・隣の花壇のSボランティアさんと、仲良く一緒に作業をする事は出来なかったんです。また施設の中・・部屋に一輪挿しを活けるボランティアグループさんも居られる様でした。ただ・・紹介も、説明もなく1年過ぎた頃の事です。私が担当する花壇は・・ハーブが主流でした。ハーブだけでは寂しいから、ハーブとハーブの間に、パンジー・ビオラを植えて彩りにして居ました。ハーブには名札を付けて居ましたので、入居者さんには喜んで貰って居ました。 ある日の事・・私が屋上に入ると・・Sボランティアさんの影を、遠くで見た気がしましたが、何も言わずに消えて居ました。「あら!まぁ・・」隣の花壇の、Sさんの子豚のマスコット(高さ20㎝位)が来て居るんです。「あんれ!まぁ~」と元の位置に返して、花柄を取り、肥料を施し、水を撒いて帰ろうとした時の事でした。「あら!まぁ~どうしたんじゃろうか?」子豚のマスコットが来ていた処に、ダンゴ虫がウジャウジャ、山になって居たのが・・散らばる処でした。もう5分!気が付くのが遅かったら・・ダンゴ虫は全部、花壇の中に入って行った事でしょう。「まあまあ・・どうして?」持っていたビニール袋に掬い取って、大半を持ち帰る事が出来ました。

 次にSさんに出会った時、私はSさんを怒って差し上げたんです。「入居者さんが、教えて下さったよ!貴女の子豚のマスコットを置いてね。ダンゴ虫が山になって居ましたよ!プンプン・・。(罰に)向こうの空き地の草を抜いたらどうですか!お客様に、花だけ見て下さい。とは言えないんですよ。草も目に入るんですからね。向こうの空き地の処に、花の鉢など置くと綺麗ですよ・・私は、こっちの草を抜いて居るんです。大きな草だけ抜いて居ますよ。ほらね・・花の鉢を置いて、綺麗でしょう!」Sさんは・・神妙にしていました。その日はそれで、花壇の世話をして終わりました。ただ・・その後、向こうの空き地の草は、抜かれる様子は一向にありませんでした。

 今頃になって気が付きましたが(反応遅い)・・子豚のマスコットは、Sさん本人が置いたんですね。挑発です。引っ掛けです。私・瑞枝が、そのダンゴ虫をSさん担当の花壇に、もしも返したならば・・。今頃私は、Sさんの手下になって、Sさん命令の花を植えて居る事でしょう。世の中には、こういう事もあるんですね?私が知らないだけですか?

 夏になる頃でした・・水遣りをするボランティアさん、Yさんが現れました。水遣りだけのボランティアさん、困ります。それより、花を植えて下さいよ!水遣りは当事者、植えている私が居るのに!困ったなと思いました。水の加減は、当事者にしか分からないからです。この人と細々(こまごま)と連絡が取れると良いのですが、それは出来そうにないですね。施設が親切で向けて呉れたんでしょうか。

 ホームセンターのチラシで、パンジーが初広告されていました。待って居たんです。ハーブの花壇の彩りにパンジーが良いんです。それに、5月6月頃迄、半年も次々と咲いて呉れる、強い花なんです。とても重宝な花なんです。他に、半年も長く咲いて呉れる花は・・ビオラ、桜草、ひなげし、アリッサム、花手鞠等あります。毎日世話が出来る訳ではないので、やはり強い花、パンジー、ビオラになります。

 早速20鉢買い求めて、帰りがけに施設に寄って植えて帰りました。皆さんに花を見て貰えると云う事は、花の世話をする者には、とても嬉しい事なんです。土日祝日となる前に、植えて置きたいと思いました。家族さんのお見舞いがあるから・・屋上を散歩されるでしょうから・・。火曜日に植えたから、根付いて居るでしょう。確認の為に、金曜日に参上しました。楽しみでした・・「元気ですか。パンジーちゃん~あれ!あれあれ!!無い!」パンジーは根切り虫に食われたように、根元から切られて居るんです。根切り虫は、20株も全部切りませんよ。何で?・何で切るんですか?折角・・入居者さんに見て貰う為に、家族さんと和んで貰う為に、楽しんで貰う為に・・植えて居るのに!

 慌てて、すぐ近くに居られた・・入居者さんの家族に聞いて居ました。帰られる処でした。「あのう・・パンジーが、植えたパンジーが無いんです。何ででしょうか?」「さぁ~?」私に聞かれても困ります。と云う感じで、エレベーターを降りて行かれました。そうですね、私の問題でした。

 ボランティアの世話をして下さる処・・詰め所に訴えましたが・・室長は「私達は、パンジーを植えた処を見ていないので、如何にも答えが出来ないですよ。ねぇ~」と、職員さんと相槌を打ちながら言われました。詰め所は2階に在ります。看護師の資格のある方が、ボランティアの世話も担当して下さって居るんです。忙しいんです。植えた処を見ていないから・・なんとも情けない言葉でした。世間とは、こんなもんですね。・・でも、このままでは、花壇が見苦しいので・・急いでホームセンターに行って、パンジーを買い求めて、同じように植えて帰りました。何とか良くなりましたか。

 休み明けは、パンジーは大丈夫でした。(休日はボランティアは立ち入り禁止)一安心しました。2~3日後に参上すると・・やっぱり根切り虫が食ったように・・根元から切ってありました。もう一回、ホームセンターに行って、買い求めて植えて帰りました。Yさんの仕事ですね。何の為にでしょうか?・・この頃は、意味の分からない事をする人達が多いです。それからと云うもの・・嫌がらせは、だんだんエスカレートして行きました。

 「それにしても・・ボランティアを虐めて、何になるのでしょうね?可笑しな考え方です。辞める事はいつでも出来ますのに。意味が分からないんです」「ウフ!そうですね。何の為でしょうかのぉ???」「ウフフ・・可笑しいですね。この頃皆そうなんですか?」警察を退職されて、この施設に再就職されているNさんに、ちょっと愚痴を零しました。施設の見回りの途中に、親切に声を掛けて下さって居ました。この件は、詰め所に訴えたけれども・・施設の若い職員さんが、聞いて呉れるだけ!事件に対処はして貰えなかったです。思い余って、警察の相談室に相談しましたが・・「捕らえても、何じゃったかいのぉ・・罪は軽いよのお。それよりも・・のお・・」隣の席の若い警察官も相槌を打って答えました。「器物損壊罪ですよ!」それよりもは・・仕返しでしょうか。仲間の仕返しが怖いと云う事でしょうか。どうすればいいんですか?本当に本当に!この方も警察を退職された方でした。施設のNさんを知って居られるそうです。「後で連絡して置きますよ」「Nさんの携帯番号、分かりますよ。何かあったら、連絡下さいと言われていますから」「おぉ話が早い・・今、電話してみるけぇ、携帯番号を教えてぇ・・」「元気かいの。久しぶりじゃの・・。今、花壇の事で相談に来られとるんじゃがのぉ。うん。うん。よろしく頼む。いつかまた飲もう。ボーナスたんまり有ったかぁ・・」Nさんの先輩になる方らしいです。たんまり有ったかぁ・・の言葉のニュアンスで、先輩の優しさ・・目上の人であると感じました。やっぱり、私だけですか?カリカリして居ると・・世の中上手く渡れない・・と云う事でしょうか?

 その年花壇には・・根切り虫の被害の後は・・夜盗虫が入りだしました。ゴロンゴロンとした大きいのから、幼い夜盗虫まで。1回30~40匹を箸で捕りました。花を傷めない為には、薬を撒くより、取るのが一番いいからです。花壇の世話よりも、夜盗虫取りに手間がかかりました。その年、捕らえた夜盗虫は計・・220~230匹になります。その上・・花壇内に、除草剤が撒かれた感じがしました。植えても苗の様子が可笑しい!根付かないからです。万事休すです!春迄・・除草剤の効能が無くなる迄・・鉢植えで、パンジーを見て貰う事にしました。その折・・詰め所に、除草剤が撒かれた事を訴えました。「此処にも、除草剤ありますよ・・」若い職員さんが言うんです。「えぇっ!此処にもあるんですか!」瑞枝は驚きました。「いえいえ・・」看護師詰め所に除草剤がある。驚きました。後で気が付きました。これは、やり返しても良いから・・仲良く活動をして下さいと云う事でしょう。やり返しても、気持ちは収まらないから。挑発には乗りません。仲良くしません。手下にはなりません。  

 早春でした。節分・・植栽に取り付けた、鬼の面のディスプレーを外した頃でした。花壇の中ごろでしたか、少し在るヤブランに隠れるようにして・・小さな苗、パンジーの苗を見つけたんです。除草剤を掛けられたパンジーの花は、早くに枯れて居ました。その処で見つけたんです。1㎝にも満たない、小さな苗は、もう既にパンジーの姿でした。小さな葉っぱ・・よく出来ているんです。素晴らしいなと思いました。この様に・・自然界の感動を受けながら、その年も、次の年も、そのまた次の年も・・。夜盗虫の攻撃に会いました。我が家にも来ました。大きなグループなんでしょうか。道路側の花壇に!南側の畑にも夜盗虫が入り出しました。畑に、1~2匹は居るかも知れません、普通です。この年は多過ぎました。南側の畑には・・我が夫が投げ入れて居るのを、目撃しました。このグループの人達は、最後には家の中に責任を持って来て居る事を経験しています(以前勤めた会社でも)。我が家は破壊します。桑原桑原・・。私はこの事は、自分達の風習を押し付けただけですよ。と言いたいです。私は動じないから、関係ないんです。その年、我が家で捕った夜盗虫は40~50匹、栄養満点の夜盗虫が・・ゴロンゴロンと出て来ました。夫は、「町内会のKさんに会うと、夜盗虫がポケットに入っとるんじゃぁ!」と言いました。それを我が畑に、投げて居たんです。Kさんの畑で、Kさんの自家用車の中で、身の上話を聞いて居たら・・丸め込まれたんです。桑原桑原。(教えて上げなければ・・車の中に連れ込んで、近所の男の人と話はしませんよ)夫の気持ちは・・私に花壇に熱中して欲しくなかった!夫はそんな気持ちを利用されたんです。その後は糠で団子を作って、猫が来て育苗箱を荒らしたように、見せかけたりして居ました。近所の人に、それを見せて、笑って居ました。桑原桑原・・。現在は改心しています。脳梗塞になりましたから。

 この事の前には・・我が家の畑で、猫がリンチされた事も付け加えて置きます。多分ですが、夜・・近所のお宅からです。ご主人のペタペタとする足音が、ニャ~ニャ~鳴く猫を、蔦に絡ませて連れて来て、裏の南天の木に掛けて帰りました。ペタペタですから・・突っ掛けです。近所のお宅です。ニャ~ニャ~鳴いて居るけれど・・隣の家でしょう。クーラーをつけて居たから、鳴き声は遠くに聞こえて居ました。暑い日が続いて居ました。畑にも出ないで、10日位過ぎたある日の事です。驚きました。隣の家ではなく・・蔦に絡まって、我が家の南天の木に、猫が掛かって、リンチされて、頭が転がって居るんです。ビックリ!しました。そう言えば・・あの日、ニャ~ニャ~鳴く猫の声がして居ました。30分位して・・また、ペタペタと足音が聞こえて・・ギャギャ!・・喧嘩していました。喧嘩では無かったんですね。我が家は、鳴く猫に気が付かないから、リンチに来たんでしょう。・・多分、よく知って居る人です。いろいろお世話して上げました。何で我が家で、猫をリンチするんですか?と思いますね。多分・・多分・・もっとお世話をして欲しかった。ではなく・・手下にしたかった。手下として、家の用事をさせたかった。その後、こちらは何も言いませんでした。何もしませんでした。そのままで終わりました。桑原桑原・・助かりました。挑発でしょうか。何か、誰かに喋ったりしたら・・。リンチした猫をその家に返したりすると・・。どういう展開になって居るんでしょう。怖ろしい風習があるものです。

 施設の花壇のボランティアは5年過ぎ、6年弱になる頃・・コロナ禍により、活動停止です。夫は脳梗塞になり、入退院そして・・手が掛かる事になりました。

 施設の花壇、活動最後の年の暮れ迄・・夜盗虫が入りました。除草剤を撒かれたのは、1回だけでしたから先ずは助かりました。夜盗虫は5年間で、(1年で約240匹×5)約1200匹捕った事になります。そして年末には毎年・・白いティッシュペーパーが撒いてありました。ボランティア活動を終わる時には、白い厚紙が(ワイシャツの芯の厚紙か?)2枚、道具置きの棚に置いてありました。以前、誰かが壊した・・手提げ袋を引き裂いた事、バケツの底を壊した事を覚えているらしい。白紙にせよ!と云う事ですか。なりませんよ。気持ち的に白紙にならないから、こうして書いて居るんです。如何云う意味かなと思いました。人の心は暗号では動きません!意味が分からないからです。分からないのは・・私、瑞枝だけでしょうか。暗号で事が済むのならば・・互いの意思の疎通の無い、自分勝手な世の中になります。

 それにしても・・夜盗虫を良く育てたものです。労力の使い方・・間違って居ますよ!苗を植えて育てる方が、数倍楽にそして楽しいと思いますよ!不思議な考え方です。そしてまた私も・・よく捕ったものです。時間と手間が掛かりましたよ。意味の分から無い事をする人達とは、お別れしたいと思います。当然です。暗号で指図されて動くと・・責任は行動した人が取らなければなりません。お互いに、くれぐれも気を付けましょう。大きなグループになると、そのグループの人の為に働く訳です。人に迷惑を掛ける事でもお構いなしです。酷い時には事件になります。企業にしても・・。団体にしても・・。グループの為になるんでしょうか?

 あれから何年経ちましたか・・もう思い出す事も無くなりました。その人達と街で出会ったとしても、お互いに分からないで、通り過ぎる事でしょう。そうです・・みんな流れ星なんです・・。あの時の出会いも、何か意味のある出会いになるんでしょうか?意味はそれぞれに、作る・・ですね。

 ところで・・私は何をする為に生まれた天使なんでしょうか?そろそろ気が付いて置かなければなりません。人生最終章なんですから。母上様、知って居るなら教えて下されば良かったのに。どんな夢を見たとか・・ちょっとでも教えて欲しかったです。苦難する為の天使?ある筋の苦難を代表して受ける天使!なんて言わないで下さい。私の苦難が世間の人の幸せ!になって居るなら、礎として、人柱として、魔女として・・役に立って居るなら、了解しますよ!私のお陰ですよ!フフフ・・とね。しかしながら、そうではないから抗議して居るんですよ!それぞれに苦難はあるようです。まぁ人の勝手、解釈ですから、これ以上は言いません。

 母・三枝子は、体の弱かった私・瑞枝を殊の外大事に、一生懸命に育てて下さった。その意味を解りたいんです。世の中の為に、私も何か役に立つ事があるんでしょう?若い頃から、何か出来るとは思って居ました。その何かが分からなくて・・天職探しの一生でした。手あたり次第という位に試みました。子供達が居るので、無理なく出来る事をして見ました。ようやく60代で、ハーブに出会いました。ハーブを育てて、ボランティア活動をしました。その説明を書くために・・パソコンを練習しました。この頃です・・書けるのかな?私、この思いを書けるかも知れないと思いました。これまでの仕事や出来事、人の不思議な考え方を文章に出来るかも知れない。そうする事で・・風習や考え方の違いが、分かって来る!かも知れない。良いとか悪いとか、言わなくても・・広めるだけで良いと思うんです。こんな事をして居る。こんな考え方をして居る。それは面倒くさいな、もっと容易く事が進むはず。と思って頂く事です。それが私の仕事でしょうか!何となく・・そんな風に思うんです。

 ⑩  噂・・

 以前訪ねた時の、姉の家での話です。「叔母さんから聞いたんじゃけどね・・妹の万里枝ちゃんの事なんだけど・・噂なんじゃけれどもね~」と、姉・佳枝が、もったいぶって言うんです。私は、丁度・・施設の花壇ボランティアをして居る頃でした。夜盗虫を花壇に入れる人が居た頃です。大変な手間でした。花やハーブの世話の前に、夜盗虫を捕らなければなりませんでした。意味の分からない事をする人達に出会った頃でした。「えぇ~?なあに?万里枝ちゃんは、小さな赤ちゃん・・八ケ月児(やつきご)で生まれて来たから、生きられなかったね。可哀そう・・昔じゃけど田舎にも、保育器があったら、助かったかね?」「噂じゃけれども・・・」「そんな~そんな筈ないよね!それが本当ならば・・我が家は最低よね!」と言いながら、落胆してそそくさと退散しました。万里枝ちゃんは父の子ではない。と噂で言うんだそうです。家に帰って・・その日も、次の日も考え込みました。浮かない顔をしていたと思います。そんな時、近所の人のニヤニヤした、意味深長な挨拶や言動は気に入りません。意味深長は、なんとなく分かるんです。この人も繋がっているんかなと思いました。叔母から姉に伝えたのか?何で今頃・・私に伝えたのかな?施設の花壇のボランティア・・Yさん、Sさん達の手下になれと云う事か!我が家にも汚点があるから、意味深長に、チクチクされるよ。と云う事でしょう。

 〇・・でも私、知らないんですから。噂は信じませんよ!それに、当の親が死んでから言うのは・・確かめようが無いです。そこが可笑しいですね。作り話も出来ます。

 〇・・母・三枝子は、とても誠実な母でした。父と子供達の為に、一心に尽くして下さいました。あの頃・・父は、女の人を囲って居て、時々しか家に帰らなかった。食費も入らなかったらしい・・そんな時にも子供達を守って、着物の仕立ての内職をして養って下さいました。

 ☆・・そう言えば・・泥棒が入った事がありました。その後「貧乏での~、取るものが無ぁけえ~奥さんを娶ったんじゃ」とか言う噂を聞いたかも知れません。でも・・我が家の事では無いかも知れません。

 ☆・・そう言えば・・勤めて居た頃(私21歳頃)係長が近くに来て、小声で「へぇ~庄屋の娘がの~聞いて見んと分らんのぉ~」主語述語のない、意味深長な言葉を、突然に聞いた事があります。

 ☆・・そう言えば・・(私23歳頃)専門学校の同級生、加奈ちゃんから聞いた事があります。私の生まれは、野々原村の下山と云う話を家で話したそうです。「亡くなった妹さんは、他の人の子よ!」「どうして?どうしてそんな可笑しい事をいうん?」「母が言うとったよ。家の母は、野々原村のM家から嫁に来ているから・・」「ふぅん~どうしてそんな事を言うん?考えられないね!」驚きました。初めて主語述語のある会話でした。家に帰って父に話しました。父は55歳位でした。大手造船会社を退職して、一次下請けの設計会社に勤めて居ました。母の死後1年過ぎて居たでしょう。当時・・姉と父と私の貯金を出し合って頭金にしてローンが組めたんです。野々原村の家を畳んで・・13年経って居ました。郊外の不便な団地に家を建てて居ました。それでも家が持てた事は、私達には殊の外嬉しい事でした。生活費と家のローンは、父と姉の婿さんが半々に出して、姉がやり繰りして居ました。私の立場は・・提供したお金の事など言わずに、結婚して早くこの家を出なければならない処です。

 父と私、二人の部屋で・・「学校でね・・万里枝ちゃんの事なんだけれどね。他の人の子じゃと言われたよ!」「誰が言うんか!可笑し気な事を言うのぉ!誰じゃ!」父は驚いて居ました。「親が居るのに・・何で人の子じゃ!」そうです、人の噂で決めてはいけません。「その人のお母さんは、野々原村から嫁に来とってんじゃと」「??・・」父がこれ程驚いて言うのですから、万里枝ちゃんの件は、問題はありません。そしてその後、忘れました。・・形見分けした母の着物を、姉・佳枝に箪笥から抜き取られる等、哀しい事件がありました。その時・・涙涸れる迄泣きました。母の墓に参って迄泣きました。家を出ようにも、お金がありません。働け!と言っても・・志あって、専門学校で勉強して居るのに、何ていう事を!と、怒りたくなります。思う人も居ませんでした。このまま・・耐えるしかないんです。そして心の整理が付いて、気持ちが定まった頃でした。主人と巡り会う事が出来ました。その時の私の状況は、荒波を渡る小舟のようでした。でも・・野々原村で訓練して居ましたから、大丈夫でした。あの揺れる吊り橋を、ゴロンゴロンと転がりながら渡った事・・役に立って居ます。人生の目的は心の中で定まって居ました。それを叶える事が出来るように、一心に願って居たんです。この様な願いを、見えないハードルと云うのでしょう。その後、私・瑞枝は結婚して、長男を出産した頃でしたか。この病院の親戚の人に、加奈ちゃんを紹介しましたが・・加奈ちゃんはもう、心に決めた良い人が居ると言いました。私は、加奈ちゃんのお母さんを一度も恨んでいないし、むしろみんなに良いようにと願って居たんです。なのに・・その後、加奈ちゃんのお母さんは、病気で亡くなられたそうです。なんともお気の毒な事でした。「・・何でですか?何か私・・何もしていませんよ」魔力など持っていませんから・・と言いそうになりました。

 妹・万里枝ちゃんの噂の件は・・親も知らないと言って居ます。母は既に死んで、確かめようがありません。家に泥棒が入った事があります。その泥棒が言うのでしょう。父は女を囲って居た頃で、時々しか帰って来ませんでした。時期的に万里枝ちゃんの誕生が一致するのでしょうか。もしも私が、主語述語のある、ちゃんとした噂を聞いて居たなら・・もう少し大人になって居たなら・・父と母に相談して、噂の出所を突き詰めます。そして警察に訴えます!「住居侵入し婦女暴行した人が、自ら犯人と言って居ますよ。逮捕して下さい。お願いします」・・でも昭和30年前後ですから、この種の訴えには・・勝ち目が無い頃でしょうか。その噂から、子供達を守るために・・我が家は倒産と云う事になったのでしょう。家も土地も安く差し出して居ます。そして、高く転売されています。振り返って見ると・・どちらの家も、災難が無いとは、言えないかも知れません。佳枝と瑞枝はこの年になる迄・・知らないで居ました。その噂から、守って下さる人達がありました。野々原村の人達です。誠にありがたい事です。主語述語のない噂から、私達を守って下さって、誠に誠にありがとうございました。と申し上げたいです。

 ☆・・そう言えば・・(私43歳頃)娘の中学校のPTA役員をしていた時の事です。(当時のPTAは今は、父母会と云うのかな)長い間、その中学校は荒れた学校として有名でした。「転校して来て、すぐですから・・私は地区の様子が全然分かりません。他に適任者が居られる筈です」「いえいえ・・分からないから良いんです。出来ますよ」と、教頭先生に言われて・・在宅生活指導部・部長の役目を受けました。そうして1年・・荒れた学校を鎮める事が出来たんです。その年の生徒達も良い子達でした。穏やかな卒業式を済ませて、PTA役員の慰労会での事です。大体何もしなくても良いから・・大人数居るこの部を選んで役員になる。そお云う風潮もありました。その慰労会では、校長先生、教頭先生、PTA会長さん、役員さん全員が安堵されて、お互いに交わす祝杯も随分美味しく思いました。私も沢山の労いの言葉を頂きました。只・・今迄のPTA役員さんの顔が立たない・・!これからのPTA役員さんも、出来れば何もしたくないらしい!そこで、私の素性の洗い出しがあるんでしょうか。素性はPTAには関係ないと思うけれども、汚点を探して置くのでしょうか?前もって、娘に尋ねられたようです。独身時代は、何処の会社でOLしたか?菩提寺はどこか?等でしたかね。宴会の最中でした・・瑞枝より若い、細面のシャキシャキした女性役員さんでした。教頭先生との会話です。突然に・・「一点の曇りもない、家系じゃ!何処を取っても」と言って下さいました。私の事でしょう。不服顔でその役員さんは「では・・妹さんの事は・・」「えぇっ!なに?妹は、生まれて直ぐに亡くなりました」私は首を傾げました。その役員さんは、何か次の言葉を待って居るんでしょうか。「何で?何?あっそうそう・・結婚する時、身元調査をして貰って居ますよ!合格しています」良い言葉が出て来て良かったです。やっぱり・・何か汚点を探し出して置くのでしょう。汚点があれば、どうなるのでしょうか。仕事をしない方向に、引きずり込む!困った風習があるものです。そお云う仲間にならないように、気を付けなければなりません。

 ☆・・そう言えば・・(私46歳頃)娘が進学を希望して居ました。しかも東京へ遊学と云うんです。なんとか希望を叶えて上げたいと思いました。只・・我が家のローンが始まります。父の住む家のローンも組む事になりました。みんなの願いを叶える為には・・私・瑞枝は頑張らなくてはなりません。資格を取って、働く事になったんです。1年目は住宅展示場の案内係をしました。2年目からは、宅建の資格もあるし、住宅営業が出来そうですと・・所長の推薦もあり、その会社の女性住宅営業が誕生しました。その時の経緯も色々あるんですが、またいつかと云う事で、次に進みます。建売住宅の場合は建物の構造や間取り等を現地で見て頂き、説明です。そして資金繰りのお世話、計算・・銀行へ書類提出等を主にして居ました。その後に、引き渡しです。住宅営業は初めてでしたが、順調に成績を上げて居ました。次の年も良かったと思います。成績は表示されませんでした。男性諸君の手前があるんでしょうか。その頃でした・・隣の席の若い営業社員が、何処からか情報を仕入れて来たようです。ニヤニヤ笑いながら言うんです・・。「ニヤニヤ・ケラケラ・・ニヤニヤ・ケラケラ・兄弟は?」「姉でしょ、兄は1歳の誕生日が葬式だったそうです。百日咳で亡くなりました。戦争中でしたし、田舎でしたから・・抗生物質のペニシリンが手に入らなかったそうです。父は戦地でした。とても悔やんで居ました。妹が生まれましたが、すぐに亡くなりました。未熟児でしたから・・」「ウフフ・・ニヤニヤ・ケラケラ・・ニヤニヤ。妹じゃから、後じゃから、汚れてないか!ケラケラ」「えっ・・何か意味ありますか?」「ウフフ・・」所長が止めに入りました。「もう止めた方が良い・・」知らないから・知らないんですから・・不思議な事を聞く人達です。あのニヤニヤは気になりました。

 大体人は皆、自分より成績が良い人は・・面白く無いらしい。嫌がらせをして遊ぶんでしょうか。そうすると、面白いんでしょうか。労力や気持ちを別の処に使って居る!的外れですね。働く気が有るんでしょうか?と思います。これでは初めから、成績を上げている様子は無いなと思います。もしも私が、その噂を知って居たらなら。そんな事を言って欲しくないから・・私は、働かない方向へ、この人達の仲間に入る処でしたか。こうして仲間は、増えて大きくなって居るんでしょう。噂を集めた帳簿などあれば、仲間で共有して居る筈です。人の家の弱みを握って居ると云う事です。小さな工事など、発注する人が居るんかも知れません。仕事の受注等と、仲間の縁談の後押しですかね。妹、万里枝について、我が家の噂・・汚点は知らなかったです。だから・・平気でした。その人達は不思議な現象を表しました。ニヤニヤとして、意味深長な態度ですから、何か可笑しい事が分かります。まるで、鬼の首を取ったかのように笑って居ました。

 この現象を・・広範囲に聞くのですから、可笑しいと思いました。仲間で共有して居る・・家のデーターがある!誰でも閲覧出来る!データーが有る!我が家にとって、嘘の噂だから分かりました。

 そこで私・・有力者に訴えました。その大きなグループさんに抗議して貰ったんです。噂を集めたデーターがある!仲間で共有して居ます。仲間なら閲覧できる。と・・抗議して貰いました。

 大きな気持ちで対処するのは・・私・瑞枝だけでしょうか。他の人達は・・この様な噂等について、大人しく生きるのでしょうか。

 母上様・・神様・・仏様・・教えてください。私の役目は・・。流れ星としての、使命を教えてください。そろそろ人生最終章なんですから。

 私の役目は・・この風習を止める事ですか。人の価値観が変わりますか。お金の為に人を騙したりしない、住み良い世界になりますか。人を引っ掛けて手下にするとか、そんな世の中は可笑しいです。皆が本当の幸せを見つける事が出来ますか。瑞枝は沢山の困難に出会いました。それをどうにか乗り越えて来ています。乗り越える度に、心が強くなった気がします。でも魔力の使い方は、未だに分かりません!

 施設の花壇で・・ハーブと花を植えるボランティアをして居た頃を思い出します。ボランティア仲間がダンゴ虫を入れて、自分の目印を置いて置く・・挑発です!挑発と云う考え方自体・・戦いですから。困った人達です。別のボランティアさんが、根切り虫に見せかけて、パンジーの株元を切る!花壇に除草剤を撒く!夜盗虫を入れる(夜盗虫を育てる方が難です)夜盗虫はとうとう、5年間入りました。捕った夜盗虫は、5年間で約1200匹になります。施設に訴えました。警察にも相談しました。聞いて下さるだけで、嫌がらせは止まらなかったです。(ここが不思議ですよね)そして・・最初から、瑞枝の行動を見ていて下さる人がありました。時々声を掛けて下さいました。何か困った事があったら・・名刺を頂き、携帯の番号を教えて頂きました。(瑞枝は、何か大きな役目を担う事になるのかな?)警察を退職後、施設に再就職された人です。もしかしたら・・中学校のPTAで在宅生活指導部・部長をしたデーターがある。(強い意志を持って行動する等)ですから・・意味が分からない事をする、大きな集団のこの風習を止める事が出来るのは・・私・瑞枝だけかも知れない。遠くから見守って居て下さるのが分かるからです。このグループの風習を止める事が出来るのは・・瑞枝だけです。適任です!何故ならば・・佳枝と瑞枝・を悪い噂から守るために・・家を倒産させてまで、強い女に育てて貰って居ますから。それに、もしも書いたりする力が有るのなら・・小説の題材になると思うから。一挙両得です、どちらにもお得になりますね。本当は・・自分達で、仲間で治さなければならない事です。仲間では、可笑しい事が分からないから・・ちょっとだけ、私、お手伝いしましたかね。

 ⑪  ちょっと不思議・・魔力かな?

 瑞枝はまだ、40歳前でした・・。お正月休みを利用して、東京見物・家族旅行を計画しました。社宅の皆さんは、せっせと里帰りされて居ます。瑞枝には、帰りたい里がないんです。母亡き後、結婚する迄の2年間・姉家族と父と私、同じ家に住みました。親代わりと言って呉れた、姉・佳枝の言葉・・遠慮をしんさい!可愛らしうしんさい!どうせ里帰りするんでしょ!と云う情景が、頭にこびりついて居て忘れられないからです。此処は私の里ではない!帰らないよ!と、その時から決めて居ました。遠慮をする為に、無理に帰らないよ。お土産を持って、旅費を使って迄帰らないよ!同じお金を使うにしても、ホテルや旅館は、いい気持ちになれる。姉夫婦に気を使わなくて良いし・・本当に心と体の休養になるからです。その家は5年後に、買った時の倍の価格で買い取る事になりました。佳枝姉さん、これで文句ないでしょう!と云う意気込みがありました。瑞枝家族と父の住む家の為に、ローンを組みました。そうなんです・・私達は転勤になり・・父が生涯その家に住みました。その後畑にしてハーブを育てたりです。今は駐車場にして居ます。瑞枝苦難の生涯を物語る物件なんです。ホットする暇もなく・・今度は近所の人がその土地を、欲しがって居るんです。しかも安く売らせる為に、嫌がらせです。その人の向こう側の隣・・売りに出て居るんですよ!私もいい年を取り、動じ無くなりました。ですから掃除に行って居ます。5日か6日に一度、買い物の途中に掃除に行って居ます。とても綺麗な駐車場です。良い案がありました。この方法でやっと・・嫌がらせ納まって居ます。この駐車場は、熱い!とか言う噂は・・緑の物・・空いて居るスペースに鉢を置きました。セダム・・ビルの屋上に植えられていて、ビルをクールダウンさせて居る植物です。目に優しいかなと思いました。緑の風が吹くでしょうか。とメモを入れました。(施設の屋上に、敷き詰めてありました。ボランティア花壇に夜盗虫を投入された場所です)そのセダムの鉢の中に、ビオラが自然に生えていて・・風に揺れて居るんです。そよ風が吹いて居る事・・目に見えるんです。とても可愛いです。とてもありがたいです。思わず「ありがとう、ビオラちゃん」とつぶやいて居ました。こんな風に、自然界は窮地に助けて下さるんです。本当なんですよ。落ち着いて周りを見て下さい。続いて鉢に、ハーブを植えました。ペパーミント、スペアミント、レモンバーム、バジル・・強い植物ですから、大丈夫です。目に優しいし、香りもするし。ティーにも良いし。刈り取ってハーブのサシェ(香りの袋)など作って、お客様に差し上げたいと思って居ます。世の中、いろいろな思いが入り混じって居るんです。

 その時(東京見物した時)子供達は5年生と2年生でした。転勤1年目の家族4人・・新幹線で東京駅に着きました。先ず、皇居です。一般参賀に詣でて見ました。お上りさんですから仕方ありません。道路標識と人の流れを頼りにして、皇居に辿り着きました。一連の事でしょうが、持ち物検査を受けました。「アラアラお父さんは・・ちょっと念入りに検査されてるよ。ウフフ・・やっぱり、顔よ・・」とかなんとか言いながら、人の流れに付いて行きました。その折、一人広場に座って、皇居に恭しく礼をされている人を遠くに見ました。昭和60年頃のお正月です。

 その後は・・何処をどお通ったか・・よく分かりませんが・・国立競技場近くに来ていました。折角だから・・見て帰ろうや。と云う事で・・サッカー競技を観戦しました。何処対何処とかと云う事は、分かりません。計画なしに来ていますから・・覚えて居ません。多分決勝戦であったかも知れない。と、後から思いました。「ちょっと振り向いた間にゴールじゃから・・」「やっぱり、テレビで見る方がいいよ!解説があるから・・ウフフ」「まぁ、そお言わんと・・見たと云う話が出来るからね」と云う具合に・・分からないままで競技場を後にしました。緑の芝生が美しかった事・・沢山のカメラマンが整列して居て・・、アナウンサーは実況放送をして居る。と、思いながら・・。

 その日の夕食は、外のレストランで軽く食して、ホテルで一泊。

 次の日は、お芝居を見ましょう、と云う事になりました。「何を見たいん?」「此処は嫌じゃ・・」夫のお決まりの文句です。「では、移動しましょう。地下鉄で・・」どうにか大きな劇場に辿り着きました。「此処にしましょう」「ううん~ちょっと高いよ・・4人だから、如何する?」「2万円出る~如何する?止める?」「ここ迄来たのに、また?」「どっちでもいいよ!帰ろうか」計画なしの行き当たりばったりの旅です。しかもお正月早々に、あ~でもない。こ~でもない。いつものパターンです。その時の事です、素敵な女性の声がしました。私達の様子を見ての事でしょう。「券が余って居るんです・・お譲りしましょうか。いくらでもいいです。半額で如何ですか。同窓会の幹事をして居る者です。欠席者が出たものですから・・良かったら買って下さい」「ありがとうございます。お言葉に甘えて・・」リリリン~開幕のベルの音です、急いでください・・。1階の最後列の席でした。大女優・・山田五十鈴の三味線を弾く姿が良く見えました。そして桜吹雪が舞って居ました。題名忘れました。テレビや新聞で話題の舞台でした。

 何日か過ぎて、思い出しました(ちょっと遅すぎ)私・・この席、一度座った事があるんです。何時かと云うと・・この時から、15年位前になります。勤めていた頃の事です。出張と云うのは名ばかりで、書類を本部に届けると云う役目でした。そして・・東京の名所旧跡の案内ではなく、工事途中の現場を見せて頂いたのです。日頃のご褒美と云うのかな、粋な計らいだと思いました。その時、仕事に携わって居たからこそ、見せて頂いたのです。この時しか見る事が出来ない、工事現場です。そして永く思い出に残ります。現場主任さんは、40歳位でしょう。穏やかな口調で案内して下さいました。「お仕事、お忙しい中をありがとうございます。どうぞよろしくお願い致します」「遠くから、お疲れ様でした。よろしくお願いします。一日ゆっくりして下さい。現在は劇場の内装を済ませた処です。どうぞ座って見て下さい。椅子もゆったりして居ますよ」「ありがとうございます。臙脂色のビロードで重厚感ありますね・・では、ちょっとだけ座らせて下さい。良い気分です。いつか私もこの席に座って、お芝居を見たいです」「どうぞ・・実現して下さい」「本当・・ウフフ」

 と云う様な事を言った覚えがあります。ただの願望でした。お芝居に興味が有る訳でも無く・・日々の生活が過ぎて居ました。ところが、こうして思いも寄らずに、実現したのでした。あの時、丁度居合わせて、チケットを半額で譲って頂いたからです。この席・・。

 私・・不思議な力・・魔力を持って居るのかも知れません??・・まぁ、誰にも少しはありますね・・。

 ⑫ 試される?

 勤めて居た頃の話(瑞枝20歳位かな)・・何だか試されて居る様な気がして居ました。多分・・誰かの問い合わせ?に寄るものかも知れません。以前の事です・・母・三枝子は佳枝の縁談の件で、M町の先に、よく当たると云う評判の良い、占い師さんを訪ねて居ました。佳枝22歳、瑞枝16歳位でしょう。「佳枝さんの縁談は、そろそろ東の方から話が来ますよ。待って居て下さい」「そうそう妹さんも、ついでに見て上げましょう」「よろしくお願いします。瑞枝と申します。昭和○○年・○○月・○○日生まれです」「・・フムフム・・ありゃ!あった!!探して居た星です。○○星は、女性でありましたか!!日本に落ちているらしいと云う噂です。戦後のこの復興ぶりを見れば、しかりですよの~」「これ以上詳しく聞きたいなら・・鑑定料金が随分上がりますが・・どうしますか?」「そうですか。でも・・これ以上、鑑定料払えません。ですから・・いいです」「そうですね。後の事は何かで、お知らせます」「親の縁が薄い子です、可愛がって下さい。貴女は、〇年〇月に死ぬ事になって居ます。手立てをしましょう。この子は苦難の多い人生を歩みます。でも、克服しますよ。家は既に、倒産したでしょう」「はい瑞枝ちゃんが10歳の時に、倒産と云う事になりました。私の里も・・」「二代に渡って倒産したんです」「この子は、仲間(星)を集めて頂点に立つ事になります。そして、裏切られて早死にするんです。長生き出来る様に、操作しても良いですか。お母さんから頼まれたと云う事で・・」「はい、長生きをさせてください。お願いします」「分かりました・・子供を産みますから、なかなか頂点には立てないです。仕事も思うようには出来ません。目的の先延ばしをします。そうすれば、長生き出来るかも知れません」「私、この人の顔を見て見たいの~何時ごろ家に帰りますか。公立高校ですね。勉強をさせて上げて下さい。何が得意ですか。孤独に耐えられますか・・」

 初期鑑定料は多分・・着物1枚、内職の仕立て代位でしょう。これ以上詳しく聞きたいなら・・1ケ月分の給料位かなと思います。随分上がると云う、そんなには払えないから・・母三枝子はこれ以上の鑑定を辞めています。母は、詳しく聞かないで良かった。貧乏で、余裕が無くて良かったです。何故なら・・魔力を持って居ると云う事が分かれば・・自分の為に使うかも知れません。勝ち抜くために、人を追いやったり、倒したり・・悪い事をするかも知れません。横着をして、仕事をしないかも知れません。ですから・・知らない方が良かったと思います。

 その夜、テレビのニュースで、日本の長期経済成長を予想して居ました。世界第2位の経済大国に発展するでしょうと・・。

 試されて居るのかな・・(瑞枝20歳位)社員旅行に参加しました。三瓶山の麓で新緑を満喫して、帰りの列車での事です。車内アナウンスで「この駅で、25分間の列車通過の待合があります。ピンポンパン・・何とかなんとか・・」と云うんです。乗客は、どうにもこうにも、じっと待つしかありません。「あぁ~ぁ、仕方ないね・・何か食べようか・・」「ペチャクチャ・お喋り・・」

 あれ、あの人は用事も無いのに、駅のホームに長い事座って居る。私・瑞枝の席の斜め前の、窓の外でした。この駅にも、見覚えがあります。私のお祖母さん・・と思いました。父の母です。離婚して私の父を残して、この地に再婚して来て・・今は未亡人になって、長いらしい。この人にも、再婚先で、7人の子供が居ると云う。この頃は、既に皆独立して居て・・末の息子夫婦と住んで居ると云う事を、風の便りで聞いて居ます。会ったのは、曾祖母の葬式でした。私2~3歳位でしょう。母は父の愚痴を溢して居ました。その後は、家と土地を借金のかたに差し出す前に、許しを請うと云うか報告の為に、父と泊まりに来た事があります。田舎の家は、私の名義になって居ましたから。瑞枝10歳か11歳位の春休みでしたか。・・この場合私は、どうするべきものでしょうか。只・・祖母をじっと見て居ました。祖母もこちらを、意識して見て居ました。列車を降りて迄話をするのも、面倒くさいと思いました。こんな25分と云う短い間にです・・面倒くさいですよね。でもその時・・瑞枝は如何するのか?祖母を見つけ出す事が出来るかどうか?を試している人がありました。普通・・10歳位の時に会って居る、祖母を見つけ出す事は出来ますね。色白で、父と目元など似て居ましたから。・・魔力あり、と報告されたんでしょうか?

 多分あの人です・・エリートでした。背も高く体格も良く・・女性社員皆の憧れの人でした。先頃、若くて可愛い女性と結婚したと云う人です。年はと云うと・・30代に入った頃でしょう。Tさんが中心になって、瑞枝の事を試して居たのかも知れません。その後Tさんは交通事故の為に、植物人間のように動けなくなって入院して居ました。私は勤務中に(事務服で)皆に届け物を頼まれて、お見舞いした事があります。その後、何ケ月後に無事に退院して、転勤して行かれたそうです。この前後に、瑞枝は結婚して居ますから、その後の事は分かりませんが・・風の噂で聞きました。かの地で他界されたとか・・。何故に・・!と思います。所詮、人は流れ星と言いますけれども・・何故に、30代で亡くなるなんて・・。それに、瑞枝は如何するべきなんでしょう。誰に言えばいいのでしょう。試すのを止めて下さい。と・・

 不思議な出来事は、多々ありますが・・。証拠が無ければ、書けないです。一つ、気になる事があるんです。主人と出会って、親からも、結婚の承諾を頂きました。「君に伝えて置きたい事があるから・・」と云うので、デートと云う事になりました。本通りから一筋入った所の、古びた喫茶店でした。アンティーク調と云うのでしょう。仕事帰りのデートですから、仕事の区切りが付かないのでしょう、と思いながら・・30分以上も待ちました。ランプの灯りで、店は落ち着いたムードです。そうそう・・その時です、メロディーが流れて来ました。・・雪が降る・・。アダモの曲でしす。初めて聞いた曲でした。アダモの魂の叫びと云うのか・・瑞枝の気持ちに寄り添うかのようです。姉夫婦とは、上手く住めませんでした。早く家を出なければならない立場でした。ですから、切ないこの曲が流れて居た事を、よく覚えています。この曲・・マスターのサービスでしょうか?お客様のリクエストでしょうか?と、この頃ちょっと気になります。1時間位して、やっと現れました。そして軽く言うんです。「病気をした事があるから、言って置きたいと思った。子供は出来るから、心配しなくていい」と・・。「私も病気をしましたよ。リンパ線に、菌が入って・・ここ、顎の傷です。体力あれば・・小さく済むらしいけどね・・」内容は・・包茎とかで、人のより小さいと言うのでした。よく分からないので「そうですか・・」と、だけ言った様な気がします。70代のこの年になると・・良いアドバイスも出来たんですが。人と比べる訳ではないので。とか・・他を知りませんから。とかなんとか。その時は、お互いに分からなかったです。その日のデートは、それで終わりました。

 病気の事を聞いたからには、心配になりました。でも、相談出来る人は、誰一人居ませんでした。姉・佳枝はペラペラ喋る人ですから、頼りになりません。それこそ大変な事になります。それで、確認の為に、病院に相談するのが一番いいと思いました。病院と言っても・・何処で相談していいのか、皆目分かりません。電車通りに在り、産科・外科の看板を見て居ましたし・・母方の遠縁であると、聞いた事があります。浮かない顔をして居るよりいいと思いました。戸惑いましたが、決心しました。こんな事で、医師に相談してもいいんじゃろうか。と思いました。受付は2階と書いてありました。

 初診受付で・・「相談したい事があるんですが・・よろしいでしょうか。保険証要りますか」「どの様な・・」「結婚しますので・・ちょっと聞いて置きたいんです」「そちらの、待合室でお待ちください・・」診察を待って居る人は、誰も居ませんでした。直ぐにでも、医師と相談出来そうです。「リーンリーン・・」電話がなって居るのが聞こえました。奥では、何をして居るんでしょうか?20分も30分も経ちました。そうして・・ネクタイに紺のスーツ、若い記者らしい人が入って来て、瑞枝の顔を見て、そのまま急いで診察室に入って行きました。それから奥で、何か言い争いのような声がしました。「それは!出来ん!出来ません・・・・!」「・・・・」打開策あったのでしょうか?「・・・・・・」

「次の方どうぞ・・お待たせしました」と云う看護婦さんの落ち着いた声・・瑞枝は俯いて診察室に入りました。医師は、母方の祖母と縁があると聞いた事があります。多少でも、縁のある人に相談をしたいと思いました。只・・素性を名乗る程ではありません。その医師は、コロッとした体格で、ゆるい斜視がありました。祖母の体格に似て居ます。やはり・・どこか血をひくんでしょうか。「それでは、こちらで・・」「はい・・」診察室には、並んで淡い緑色の、ビニールのカーテンで区切られているブースがありました。そこに座りました。「それで・・なにか!」医師の質問の後に「ゴホ~ン・ゴホ~ン」隣のブースから咳払いがするんです。可笑しいですね。先程の若い記者風の人の咳払いとは違い、50絡みの人の咳払いでした。「えぇっ!」と思いました。戸惑いました。どうして隣に人が居るんじゃろう?別に聞かれて困る相談でもないし、瑞枝は続けました。「・・・・・・」「大丈夫ですよ!」と、医師のお墨付きを頂きました。気持ちは一件落着しましたが・・診察料は割に高い!と思いました。あちらからも貰って居るんでしょ!安くして欲しいです。あの咳払いは何を意味するんですか!・・隣のブースに人が居る!病院関係者では無いらしい人です。可笑しいです。聞いて居ますよの合図ですか?咳払いをする。可笑しいです。瑞枝に付いて調査する人達が、居るのかも知れません。この頃・・瑞枝は見守られて居たんでしょう。調査と云うべき事でしょうか。この様に理不尽な事迄して・・何の為ですか?と聞きたいです。国家繁栄の為にですか?子供が出来ない相手では、困るんですか?一人の女性の為に・・そこ迄しますか・・。

 そんな馬鹿な!瑞枝は、只・・一人の女性です。それとも、本当に魔力が有るんでしょうか?魔力があったとしても・・使い方・・呪文など分かりません。聞いて居ないからです。

 半年ほどして、その病院の医師の死亡のお知らせを、新聞で見ました。60代では無かった、50歳代だと思います。病気があったのでしょうか。瑞枝の魔力に関係するのでしょうか?

 母・三枝子は・・占いよりも、2年2ケ月永く生きる事が出来ました。享年49歳・・瑞枝22歳の年でした。姉・佳枝と私・瑞枝の為だけの人生でした。その後も、母の魂は・・瑞枝の成長をずっと見守って居て下さいました。誠にありがたいと思って居ます。

 世間では、魔女狩り・・と云う言葉が聞かれるようになりました。そして、ますますエスカレートして居るようでした。目鼻立ちが良くて・・とか、柳眉のとか、特徴で人を捜し出すゲームなんでしょう・・世の中このままでいいんでしょうか?

 それらの因果関係は分かりません・・宇宙の大王様はご存じかもしれません。聞いて見て下さい。多分大王様は・・「ハラハラドキドキして居ました。皆が、瑞枝を如何扱うのかを見て居ました。私利私欲があるのでは、やり直しですね」と、言われるかも知れません。日本は世界第2位の経済大国に発展しました。しかし・・心豊かな国になりましたか。箱は立派です。全てではなく1ここ近年・・日本の経済は、落ち込んでいます。瑞枝を試したように・・神様・仏様・大王様に、試されたのではないですか!やり直しは、早く出来ますよ。修正ですから。一人の人をどうにかして・・心豊かな国になる筈がありません。と、人々が気付くからでしょう。瑞枝は、人生最終章です。来年は80歳になります。お陰様で、永く生きる事が出来ました。流れ星としての使命は・・永く生きる事ですか? 永く生きてこの有り様を見る事ですか。そうする事で、永く皆が、平穏に過ごす事が出来るんですか?                                                            

 長い年月・・掛けなければ、分からなかった!それでもいいです。今迄と価値観の違う・・真の豊かな世界になるのなら・・。それが永久に続くのなら・・。

 時々思いますね・・。昔々一緒に流れた星々は、それぞれの得意分野で活躍された事でしょう。音楽・・経済・・政治・・芸能・・ファッション・・楽しかった事でしょう。そして、皆様に夢を差し上げられて、良い事です。瑞枝は未だ、探し物中なんです。もしも短命であったとしても・・、運命通り生きる事が出来たなら・・どんな仕事をした事でしょう。

 ⑬ 野の草 ・・

 庭のカタバミのピンクの花が見頃です。繁殖力あり、これ以上増えると困るんですが・・鉢に植えて、その鉢を並べると、可愛いです。花言葉ありました。「輝く心」「ハレルヤ」「喜び」などで、明るい言葉であふれています。我が家では、何も手入れをしないのに可愛く咲いて貰ってありがたい事です。繁殖力の強い花は、草と云う名前が付けられて・・嫌われます。どの世界も同じ事ですか?扱い方に、工夫必要ですかね。

 春・・ビオラを植えた鉢に、何かの花の茎が伸びていました。何じゃろか?結構上手にアレンジしています。ビオラを中心にして、周りに何かの花・・。上手です!!待ちに待ったその花・・月見草の黄色い花が咲きました。可愛いです。花もこちらを見て居るかのようです。花言葉ありました。「無言の愛情」「ほのかな恋」「うつろな恋」「自由な心」夜ひっそりと花を咲かせるようすから、儚くロマンティックなイメージ・・の花言葉です。種子から抽出されるオイル(月見草油)リノレン酸には、生活習慣病の予防、美肌効果、アトピー性皮膚炎の緩和など期待されるそうです。

 花壇のビオラ・パンジー・スイトピー・ノースポール・・春の花から、夏の花への植え替え時期です。種が出来たら植え替えます。今度は私が主役よ!と、言わんばかりに・・花手鞠の赤い花が、今か今かと、ビオラの間で出番を待って居るんです。それもちゃんと、回りの花とアレンジして居ます。可愛いです!!ありがとう・・私も通る人も、待って居ますよ。

                                     終わり


 気になって居た事を、書いて見ました。人と人とは、流れ星の様に互いに影響して居るんですね。もう会う事もない人達です。只・・お陰で、思い出だけは沢山あります。ありがたい事です。

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