じゃんけんを、しましょう
修正&再投稿。
昼間の公園。誰もいないそこで1人、所々赤いペンキの剝がれかけている6人掛けのベンチを占有していたのは、他でもなくこの俺であった。
首を後ろに倒すと、ただどこまでも青いだけの天蓋を眺める。それこそ馬鹿みたいに、ボケーッとしていたのは、悲しいかな、俺であったのだ。
広く広い水色の背景に跡を流さない奴が通り過ぎて行き、それを少しだけ羨んでみたりする。
何も鳥になって自由に大空を飛び回りたいとか言うのではなく、自分の何十分の一程度かの知性しかないはずなのに、自分なんかよりもよっぽど立派に生きている姿が、少し羨ましかった。
なんて事はない、将来のことなんかを考え始めたら少しセンチメンタル的な思考回路になってしまった、そういう男子高校生が公園にいただけの話だ。
公園の前の道を通り過ぎていく通行人がいて、しかしこの公園には自分1人しかいない。
寂しくはないが、寂しいやつではあるのだと思う。
気が付いたらいつの間にかこの公園にいた。これは何か不思議な出来事に巻き込まれたとかそういう話ではなくて、宇宙人だとかにアブジェクションだのアブダクションだのをされたというわけでもなくて、ただダラダラと、あるいはトボトボと歩いていたはずが、いつの間にか歩くことさえやめて座り込んでいたのだ。
しかしそもそも、何故歩いていたのかを覚えていないのだから、結局のところ不思議な出来事ではあるのだろう。まぁ、その不思議も自分の中で完結してしまうのだが。
「1人?」
そんな折、話しかけてきたのは彼女であった。
俺に──そう。こんな、会社をクビになったけどそれを家族に言い出せず公園で時間を潰しているサラリーマンの様にして佇んでいた、そんな俺に話しかけてきたのは、この間話しかけられて以降、ちょくちょく話すことになった、友人だった。
友人とは言っても俺が勝手にそう思っているだけで、向こうからすれば数いる話し相手の内の1人にすぎないのかもしれないが、俺はとても、自他ともに認めるほど単純な人間であるので、そんな少し話しただけの彼女のことも、友人だと身勝手ながら認識している。
「君が霊感ある系女子とかでなければ、多分1人」
「そう?なら1人ね。私噓つきじゃないし」
「霊感があるのを噓つきだとも言わないけど」
「噓つきよ。お化けなんていないもの」
「何で言い切れるの?」
「そんなの、人間が作り出した概念だからよ。犬は仲間が化けて出るなんて考えてないわよ」
「でも猫はたまに変なところ見てるじゃん。アレはお化けじゃないの?」
「アレは人間がそう思いたがってるだけでしょ」
「ふぅん……そっか」
そう言って、ジャリジャリツカツカと、自分がいるベンチまで近づいて来た。彼女が今なぜここにいるのかは分からない。通りがかった際にたまたま見かけたから、こんな寂しそうな人間に声を掛けてみただけかもしれない。
「ここ、座ってもいい?」
しかし。
どうやら何か別の用事があるのだとかそういうことではないらしく、彼女は長いベンチの、誰もいない所を指差して言った。
「いいんじゃない?ちょうど俺も、独占禁止法とかそんなんで逮捕されるんじゃないかって思い始めてたところだし」
「なにそれ」
彼女はそう言って、スカートを手で押さえながら座った。6人掛けの長いベンチに座るのにしては、随分と距離が近いように思えた。こういう場合は最低でも人1人分くらいは開けておくというのが、日本人的な行動なのではないだろうか。
真横にガッと座り込むのは、ともすれば変な奴という烙印を押されかねない行動でもあるわけだが、まぁしかし、俺はそんなことは言わない。
これが脂まみれの中年であれば、スッと席を立ってどこかへと消えていったのだろうが、彼女は華の女子高生。どこか柔らかく甘い匂いを漂わせる彼女相手に、そういう行動をとれる男というのは、やはりそう多くないのだろう。
自分自身、例に漏れず、しかし態度には漏らさず、そういう男なのだった。
「ここで何してたの?」
「何も」
「何もってことはないでしょ」
「……何もしてないを、してた」
「本当に?」
「噓つく必要があるような状況でもないと思うけど?それに、俺は誠実だよ」
「誠実なの?」
「勿論。噓はつかないから。隠し事はするけど」
「隠し事、ね。良くないな、そういうの。弱みを握り合ったもの同士仲良くしたいんだから、教えてくれてもいいのに」
「弱みを握ると仲良くしたいが繋がらないんだけど。それに、何でもかんでも話すのが誠実だとは思ってないし。言いたくないことは言わないよ」
彼女とこうして話すことになったのは、少し前に弱みを握られ、同時に向こうの弱みも開示されたからだ。
弱味とは言っても、別に弱味というほどのものではないし、誰にバラされたところでどうでもいい部類の話でもあるのだが、それをきっかけにして彼女が話しかけてきたのだというのなら、それはそれでいいと思える。
女子との接点なぞ、場合によってはくだらないことで十分なのだ。それが年頃の男子であれば、特に。
しかし弱みを握ったから仲良くというのは何とも嫌な響きである。裏があるような言葉に聞こえるというか、不良だとかヤクザだとかに弱みを握られて、仲よくしようやと肩を組まれている感覚というか、仲よくという言葉がどこか脅迫にさえ聞こえてしまうのは、結局言い方の問題なのだと思う。
恥を晒しあったから友達、これならまだ分かるのだが。
「言いたくないこと?」
「ん?うん。皆あるでしょ、そういうの。仲良くしたいからこそ隠すこととか」
「まぁ、あるかもね」
「とにかく、折角仲良くするのなら、そんな拳銃突きつけ合ってるような感じじゃなくて、拳を解いて手のひら見せ合える仲の方がいいよ」
「グ―パンよりは平手打ちの方が好みってこと?」
「そんな話してないんだけど」
「じゃあ手のひらフェチってこと?」
「違う」
手を開いて見せつけるようにしてきた彼女に、短くそう告げた。話しかけてきてくれるのには感謝してもいるのだが、彼女、人を揶揄うのが好きなのか、こうした冗談ばかり挟んでくるのだ。
普段からこうなのかは、彼女と他の人との会話に参加することができない自分なのでその実態をつかみかねているのだが、少なくとも自分と会話しているこの時間、彼女は揚げ足取りから下ネタから、様々な物をぶっこんでくる。
とは言っても別に、嫌と言うわけではない。断じて。
「あ、そうだ」
「何?」
「じゃんけんを、しましょう」
「は?」
「じゃんけん。知らないの?」
「知らないわけないでしょ」
「じゃあしよ?」
「いやそうじゃなくて、脈略なさすぎるでしょ」
「そう?物事って言うのは存外脈略なく始まるものだと思うけど」
「それは会話前なら言えたかもしれないけど、会話中にいきなりそんなこと言いだすのは違うでしょ」
「うぅん……まぁ、グーとパーで連想しただけなんだけど。ダメ?」
彼女はそう言って首をかしげた。
もしかしたら初めからじゃんけんをするのが目的でいたのかもしれないと、そう思いかけたところにこれである。先程の会話の後、手を握ったり開いたりしていて、そこからじゃんけんが出て来たのかもしれないが、やはり脈略が無い。
というか。
「何で?」
「何で?」
オウム返しをされた。聞きたいのは、じゃんけんをする理由、というか目的である。
「いや、じゃんけんする目的、何かあるんでしょ?」
「どうして?」
「高校生でしょ?小学生なら唐突にじゃんけんし始めてもおかしくないのかもしれないけど、高校生が何の意味もなくじゃんけんする?」
「しないかも」
「しないでしょ。だからなんかあるのかなって。負けたらジュース奢るとか、そういうのが」
「ん、ならそうしたほうがいい?」
「ジュース賭けてじゃんけんすんの?別に喉乾いたんだったらそれくらい普通に奢るけど」
公園の外に見えた自販機を指差して言う。財布の中身に自信があるわけでもないが、数百円程度をケチる男ではない。
尤も、相手が男なら……どうだったのだろうかというのは、それは分からないが。
「いや、喉は乾いてないからそれ以外で」
「それ以外?」
「うん」
なんだろうか。お腹が空いているとかなのだろうか。だとしてもそれくらい、もちろん今から外食に行こうと言われたら流石に無理なわけだが、肉まん1つくらいならそれも別に、わざわざじゃんけんなどしなくてもいいのだが。
何か、どこか、じゃんけんをすることを目的としている、というか、勝負事に持ち込もうとしている様に思えた。というか実際、それは当たっていた。
勘が悪く察しの悪いこの俺をして、それは容易に推測できたのだ。
「何賭けるの?」
「勝者が敗者に一個命令できる権利」
「重くない?」
「そうね。重いかも」
「それに普通そういうのってこんな運ゲーじゃなくてさ、もっと実力が絡む勝負に賭けるものだと思うんだけど」
「実力が絡む勝負?」
「うん。対戦ゲームとか、なんでもいいんだけど。少なくともじゃんけんは軽すぎると思う」
「それ自体は軽くていいんだけど」
よく分からなかった。しかし、勝負事にこだわる理由の様なものは理解できた。彼女には何かしら、俺ができることの中でさせたいことがあるのだろう。
ただ普通に頼む様なことでもなかったのか、それとも普通に頼めば断られることが確定している様なことなのか、勝負事を介することで俺にそれを断れない様にしようという算段なのだろう。
どちらにせよ、何が目的なのか分からない今の段階では何も答えようがないのだが、聞いても答えてはもらえないのだろうな。勝負そのものを拒絶される可能性がある訳だし。
「私、じゃんけんだったらチョキが好きなの」
そうして1人悩んでいると、彼女はまたもよく分からないことを言う。
「へぇ」
俺はそれに、考え事を続けたまま返した。生返事になってしまったが、もし真面目に答えを考えたとて、いずれにせよこんな答えになっていたと思う。
「理由とか聞かないの?」
「理由とかあんの?運ゲーの択に」
「あるよ。最初はグーで、まずグーを出すじゃない?」
「出すね」
「だからその後に出すのは、人間の心理的にグー以外を選びがちなんだって」
「チョキかパーってこと?」
「そう。チョキが来ればあいこだし、パーが来れば勝てるでしょ?」
「あいこになったら結局だと思うけど……そうか、そこで勝てるのか」
「そう。だから勝率が高いの」
納得できないこともないと、「へぇ」と返した。それは初めの答えと全く同じではあったが、中身は違っていた。
しかし、1つ気になって尋ねた。
「そのままグーが来たらどうするの?」
「その時は、ほら。目潰しすれば勝てるじゃない」
「こっわ。じゃんけんってそんな命懸けの遊びじゃないでしょ」
「何言ってるの?じゃんけんは命懸けよ」
「えぇ……?」
「知らないの?じゃんけんって手を動かせないとできないのよ?生きてなきゃできないのよ?生きることが命懸けなら、その命があって初めて出来るじゃんけんもまた、命懸けであるべきじゃない?」
理屈としては、分からないでもなかった。しかし感情としては、理解を示すべきではないと感じた。あまりにも危険思想がすぎるのだ。生きているのだから命懸けであれ、というのはどうにも。
「勝負をする以上、死ぬ覚悟は常に持つべきね」
「そうなんだ。じゃあ君とは絶対じゃんけんしない」
「え、何でよ」
「死ぬ覚悟が決まってないから」
残念ながら、当然の回答であったと、自分でも思う。グーを出したら目潰ししてくることを宣言した相手と、誰がじゃんけんをするのだろうか。いや、いない。
「ちなみにさ、その命令がどうとかっていうのは具体的になんなの?」
「具体的に?」
「期間とか、数とか」
「数は、1個ね。期間は……まぁ、場合によっては一生、になるわね」
「一生……?」
「まぁ、場合によっては、だから」
場合によってはというのもよく分からないのだが、一生、か。それはもう一種の奴隷契約の様なものなのではないだろうか。
浅学非才極まる俺は日本の法律には詳しくないが、少なくともそれが禁止されているであろうことは知っている。知らなくても本能的に分かる。
「で、する?しない?」
「あ、もう1つ聞きたいんだけど」
「何?」
「命令の内容は?」
「うぅん……常識の範囲内?」
「ごめん、じゃんけんで目潰しするとか言い出す人の常識は分かんない」
「まぁ、アレよ。エッチなのはダメって感じで」
「そんなもん最初から考えてないけど」
「本当に?彼女とかいないんだろうし、そういうのに飢えててもおかしくないかなって思ったんだけど」
なぜ初めから彼女がいないことが前提で話が進んでいるのだろうかと。
いや、確かにいないしそういう欲に飢えていると言われればそれを否定し切れるだけの根拠はないのだし、つまりは彼女のいうことはぐうの音も出ないほどに俺の胸に突き刺さった訳だが、俺は問い返した。
「なんで彼女いないの前提なの?」
「いなさそうだから」
いなさそう。
その表情に悪意でも詰め込んでおいてくれれば、あるいはそういうものだとして自己防衛することもできたのだろうが、およそ悪意と思えるものを一切感じさせない彼女から放たれたその言葉は、俺の心に致命傷を与えるのには充分なほどの殺傷力を持っていた。
つまりはへこんだ。
「そんな、娘に洗濯物別々にしておいてってキレられた日の父親みたいな気味の悪い顔しないでよ、私が悪いみたいじゃない」
「君が悪いよ、紛れもなく」
「安心してよ。好きな人は好きそうな顔してるから」
「その言葉になんの意味があるの」
「無いよ。意味なんて」
「え?」
「言葉に意味なんてものはないよ。特に私のそれはその場のノリで紡いでるものだから」
「だろうね」
「だけど、いや、だからか」
「…………?」
「私の言葉で傷付いたら、そんな言葉に価値はないからすぐに忘れちゃって。でも、嬉しいって思ってくれたら、それはずっと覚えておいて」
「覚えて……」
「言葉って一瞬で消えちゃうから、そういうものだと思うし、そうであるべきだと思うの」
大した慰めにはなっていなかったが、とりあえずへこんでいた状態からは持ち直した。へこんだ俺を見た彼女なりの謝罪なのだろう。
謝罪など三文字で事足りるとは思うのだが、ただの事実に対して謝罪を要求すれば、それこそ惨めなだけである。
「で、何だっけ。エッチの話だっけ?」
「微妙に違うけどそうだね」
「エッチなこととか、あとはお金がかかっちゃう様なこともだけど。まぁお互い、流石にそういうことしちゃうと今後気まずいだけだから、残念で無念で仕方がないだろうけど、HもGも禁止ね」
「別に初めからそんなもの求めないってば」
「そう?因みに、私Fカップなの。勝っても触ることは許されないけど」
「え、F……?」
驚愕した。この歳で、F。そんな、そんな事があるのかと、視線が全力で30センチ下に向かおうとするのを阻止しながら、絞り出す様な声でそう言った。
「うわぁすごい食いつき……ま、まぁ、背中とか脇の下とか、全身から肉を集めて寄せに寄せて、その上で四捨五入すれば、うん、大体Fよ」
「……ということは普段はE?」
「まぁね。でも、いい女であることは確かよ」
「そうなんだ。口は悪いと思うけど」
ついでに言うのであれば、いい女は自分のことをそうは呼ばないと思う。そう言う芸風ならまだしも。
「そういう小さい部分を気にするから童貞なのよ」
そう言うと、彼女はそれなりの声量で言った。往来には人が歩いているのに、それもお構いなしといった具合に。俺は飛びかかろうとして、相手が男友達なんかではないことを思い出して、変な体勢のまま止まった。
「シィーーーッ!!場所考えろアホ!」
「……全部持ってかれちゃった」
「何が!?」
「何でもない」
やはりよく分からない。
「そういえば。何命令する気なの?」
俺は尋ねた。教えてはもらえないのかもしれないけど、一応聞くだけ聞いてみる事にした。教えてもらえるかもしれないし、表情とかでどう言うものなのかを想像できるかもしれなかったし。
「んー。そっちは?私になんか頼み事するとしたら何させるの?」
「質問には答えで返してほしいんだけど」
「いいじゃん。そう言う細かい事気にするから──」
「それと童貞なのとは関係ない」
「やっぱりそうだったんだ」
やっぱりって何だ。いや、彼女いなさそうに見えるのなら、当然そっちもそうなるのだろうけど、やはりへこむ。
しかし考えてもみれば、彼女いなさそうだけど童貞は捨ててそう。なんて、これではただの悪口になりかねないからな。この場合は前の発言との整合性をとった彼女が正しいのだろう。
「…………そこまで言われるなら。俺が勝ったら童貞を卒業できる様に手伝ってもらう事にする」
「え、いや、だからそう言うのはダメって……」
俺はそう言って、彼女は何を聞いていたのかとでも言い出しそうな顔で返した。しかしこの場合のそれは、そういう意味ではなく。
「そうじゃなくて。その、卒業できる様な……まぁ、だからアレだよ、ファッションだとか、そういうのを変えていく手伝いをしてもらいたいって話。俺っていう奴をプロデュースしてもらう事にするよ。もし何か頼めるのなら」
「ふぅん……そっか。じゃあ、どっちが勝っても、か」
「ん?」
「んーん。何でもない」
「それで?」
「それで?」
「君は何を頼むつもりで俺に勝負を仕掛けようとしてるの?」
流石に俺が言ったのだから向こうも教えてくれるだろう、というのは、俺の中の常識に過ぎなかった。彼女はすっとぼけたような顔をして、またもやはぐらかした。
「俺は言ったのに」
「別に言ったら教えるなんて言ってないし」
「そうだけど。なんか損した気分」
「そんな事で?」
「そんな事で」
「でも、まぁ、知りたければ教えてあげるけど?」
「教えてくれるの?」
「教えるっていうかあれだけど。じゃんけんに負けたらその時分かるじゃない」
「それじゃあ勝負を受けるかどうか決めようがない」
「うぅん……そんなに警戒しなくても、変なお願いはしないんだけど。断ろうと思えば断れるし」
「え、断っていいの?」
「聞く前に断られるのも嫌だけど。嫌々受けてもらっても悲しいし」
「じゃあ別にいいのか」
「じゃんけんする気になった?」
「まぁ、一応」
そしてじゃんけんをした。何の準備もなくノーモーションで始まったその勝負は、一回きりの待った無しで行われ、刹那に決着した。
「勝った〜!ざぁこざぁこ、雑魚童貞〜」
勝ったのは、彼女だった。
チョキが強いとか言ってたから、てっきりチョキ出してくるんだと思ってグーを出したら、平気でパー出してきた。いや、目潰しを喰らわずに済んだと考えるべきなのだろうか、この場合は。
じゃんけん負けたくらいで雑魚童貞とまで言われる覚えもないのだけれど。
いずれにせよ俺は、してやられたのである。
「はいはい、雑魚でいいから。で、何?何命令すんの?」
「え、あ、うん。命令……そうよね。今した方がいい……よね、うん」
そう言って、彼女は小さく深呼吸をし始めた。これから言うことはそんなに準備が必要なことなのかと、俺も身構えた。
「はぁ……ふぅ……よし、よし、よし!」
「めっちゃ勿体振るじゃん」
「……その、私と、えっと、付き合って……欲しいんだけど」
その言葉を理解するのに、数瞬を要した。理解してからは、一瞬だった。顔が紅潮し、全身の熱が上昇していくのがわかった。
その告白自体は尻すぼみするような声であったが、この距離では聞き流すはずもなかった。命中率低めのピストルだって、至近距離で撃ち放てば流石に当たるのだ。
「へぁ?」
それが、そんな情けない声が、その告白と呼べるものに対して、俺が最初に返した答えだった。
「つ、付き合うって……え?」
「だから、結婚を前提とした、男女のあれこれを含む交際をしてくれませんかって、そう言ったの」
俺は即座に公園内を見回した。もしかしてと、思わなかったわけではなかったから。それは後から思えば失礼極まりない行動だったのかもしれないけれど、罰ゲームか何かでやっているのではと、そう考えたのだ。
考えられて、しまったのだ。
しかしそんな人影はないし、そもそも罰ゲームならあんな無意味な会話などしなくとも、わざわざじゃんけんなどという形式を取らなくとも、ただ普通に告白してくればよかっただけなのだから、そんな推測も結局は意味をなさなかったのだが。
「ね、ねぇ。答えを貰えるのなら今欲しいのだけど」
その声で、俺は横に座る彼女に向き直った。
「とは言っても私、断られることを前提にしてないから、もし断るのなら、その、優しく断ってもらえると、助かるわ。トラウマになるのは、嫌だから」
人に散々言っておいて、自分は優しい言葉を求めるらしい。なかなか都合がいいと、そう思う。
「それは無理かな」
俺は言った。彼女はそれをどうにも違う意味で取ったのか、崩れ落ちそうな表情に変わった。
「優しくも何も、そもそも俺に断るって選択肢ないし」
「…………っ!」
「だから、その、よろ……しく?」
そのまま勢いよく抱きつかれると、ベンチに頭を打ち付けながらも、誰もいない公園の中、俺たち2人は恋人になったことを確認した。
「でもいいの?そう言うのは命令しちゃダメなんじゃないの?」
「ダメって言ったのはエッチなことでしょ?」
「だから交際ってのはそれには当たらないのかなって」
「交際を申し込むことそのものは何も問題ないでしょ。付き合う中でそう言う関係になっても、それは命令とは関係ないし」
「そういうことか……でも何で?」
「何でって?」
「何で俺なの?自分で言うのも嫌だけど、多分選ぶ価値があるほどの奴じゃないと思うよ?」
俺はそう言って自虐した。
後から俺のことをよく知って、そこで思っていたのと違うと、そうガッカリされるくらいなら、自分で先んじて自虐しておいた方が受けるダメージは少なくて済むと、考えてのことだった。
しかし。
「……やめてくれる?」
返ってきたのは、底冷えするような声だった。
「え?」
「人の好きなもの貶すのって趣味悪いと思うのだけど」
「好きな……っ……んん」
そう言われて、俺はここで何と言い返したものかと、言葉に詰まった。
自虐なのだから構わないではないかと思う一方、確かに彼女が俺を好きだと言っているのなら、それもまた正しい。俺は、彼女もまたそうなのだろうが、今後自虐はできなくなってしまうのだろうか。下手に自分を貶めるより、ずっといいのだろうが。
「あぁ、そうだ」
彼女は俺の上から退くと、ベンチに座り直しながら、思い出したように言った。
「何?」
「私のことはこれから名前で呼んでね?」
そして、可愛らしい、少女らしい笑みを浮かべていた。しかしどこか圧のようなものを感じて、拒否という選択肢はその時点で脳内からフェードアウトしていくようであった。
俺はそれに、ただ頷いた。男の首は、女の子からのお願いに対しては、縦方向にのみ振るものである。
「あ、うん。俺は?俺のことも名前で呼ぶの?」
「いや、それはまだ考え中」
「え?そこはほら、お互い名前呼びみたいな感じじゃないの?俺だけ名前で呼ぶの?」
「その日の気分によって呼び方変えたくなるかもしれないから。特定のそれにはしないでおく事にする」
「そ、そうなんだ……変な呼び方はやめてね」
「ん。それと、私のことはちゃんと、ちゃんと名前で呼んでよ?お前とか君とか、そう言う呼び方したら──」
「したら……?」
「グーかチョキかパーか、選ぶ事になるから」
「…………うぃ」
こうして俺は、たった1回のジャンケンに負けた事により、場合によっては一生涯にわたる、末永く続く命令を聞く事になってしまったのだった。