不連続を生きる
そりゃ概念じゃさ
直線は隙間なく詰まってると思えるさ
でも校庭のチョークの線は
とぎれとぎれさ
注意深く線を描いても
電子顕微鏡でみれば
原子が連続な線をいつか断ち切るさ
無理数や何やらで直線を隙間なくしても
現実はそれを許さないみたいだ
そりゃ概念じゃさ
時間は隙間なく詰まってると思えるさ
でも僕たちの頭の中は
とぎれとぎれさ
ニューロンの処理で伝わる
電気信号の限界が時間を断ち切るさ
注意深く観察しても
僕の目の前に結像した原子は
その途切れを捉えられないけれども
記憶や論理で昨日の僕とつなぎ合わせても
現実はそれを許すのだろうか
完璧な直線も
途切れない時間も
ただの幻想に過ぎないかも知れない
それでも僕たちは
その隙間を埋めようと日々を紡いでいく
お読みいただきありがとうございます。
注1: 量子力学では、粒子の場所と速さのどちらも同時には定まらないことが知られています。同様に、粒子のエネルギーの変化とそれが起こる時間も同時には定りません。これをハイゼンベルグの不確定性原理と呼びます。物差しとしての位置や時間は連続でも、観測すると飛び飛びの値になり得ます。
注2: 本文で取り上げた、原子による空間の不連続、ニューロンによる神経伝達速度による限界による時間の知覚の不連続は、量子力学の限界ではありません。しかし、小さな領域、時間間隔で不連続は起きます。
時間の不連続を乗り越えて、私たちは昨日の私と今日の私を連続に生きているのは、一見、不思議です。多分、「因果」を感じることができるので、時間が途切れても、連続を感じられるのでしょう。
普段は、自然科学を哲学から切り離して考えますが、珍しく、こんなことを考えました。