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9.姉妹


かつての自分は強大な力を有する魔術師でありながら、幼いといっていいほどに若くて、妹以外には身寄りもない身だった。

宰相家の眼が届かない戦地に送り出して、ほかの人間に尻尾を振るようになってしまっては困るとでも思われたのだろう。自分に確実な首輪をつけておきたいと王妃様も宰相閣下も考えているのだろうなということは、当時から薄々気づいていた。


だけど自分にとって重要なことは、シャリール夫妻が、セシリアを大切にしてくれているということだけだった。


これがもし、養女とは名ばかりで酷い扱いを受けていたなら、自分の行動はまったく違うものになっていただろうけれど、その辺りはさすが宰相閣下だ。抜かりはなく、閣下の三人いる弟君たちの中で唯一子供に恵まれなかったシャリール夫妻の元へセシリアを預けた。そして夫妻は、セシリアを我が子同然に慈しんでくれた。


だからこちらとしても、何の文句もなかった。妹が安全な場所にいて、温かい家があって、ご飯を食べられているなら、それで十分だった。……とはいえ、自分だけが安全であるというのが、セシリアにとってつらいことだったというのも、わかってはいるのだけど。


遠く離れ離れになって、相手は今この瞬間にも命の危険に晒されているかもしれないのに、自分は何もできない。


自分がセシリアの立場だったら耐えきれなかっただろう。無謀を承知で家を飛び出して、途中で魔物に襲われて死ぬという最悪の結末までありありと想像できる。


しかしセシリアは生真面目で思慮深い子だったので、己が無事でいることこそが姉を最大限守るのだと知っていた。妹に万が一のことがあれば、姉は絶望の中で崩れ落ちてしまうだろうということも。


エイヴァは妹の淹れてくれたお茶を一口飲んで、ふっと胸を張っていった。


「セシィ、おねーさまはたとえ何度時を繰り返そうとも同じことをするからね」


「その得意そうな顔はやめていただけます? わたくしばかりが心配しているようで腹が立ってきますの」


「だいたいわたしが戦うのは自分の意志だって、昔から何度もいってるじゃない。セシィが人質に取られたとか、そういうの関係ないからね」


「では、わたくしが王太子殿下に人質に取られたとしても、見捨ててくださいますのね?」


エイヴァは無言で妹を見返した。


世界一の美少女がにっこりと微笑む。


天輪の魔術師はそっと眼をそらして、もごもごと呟いた。


「それはさあ……、それはまた話がちがうっていうかさあ……。でもほら、殿下はもう王太子殿下ではなくなってしまうから……、セシィの心配も杞憂に終わってよかったね! いやあ、よかったよかった!」


「ええ、本当に。あの方がお姉様に婚約破棄をいい渡したと聞いて、心から安堵しましたわ」


「セシィ……、それ絶対に王妃様の前ではいっちゃ駄目よ……」


頭を抱えて呻くと、妹はしれっとした口調でいった。


「そのくらいのこと、無論わきまえておりますわ。……もっとも、妃殿下はわたくしの考えなんてお見通しでしょうけど」


「ううっ、胃が痛くなってきた」


「ご心配なく。妃殿下はその程度のことでは指一本動かされませんわ」


セシリアはそこで、ふと憂いを帯びた息を吐き出した。


「わたくしも妃殿下のことは尊敬しております。為政者である以上、綺麗事ばかりではやっていけないというのも理解しておりますわ。それでも……、お姉様のことは別です」


だって、と、セシリアは眼をすがめてこちらを見た。


エイヴァは思わず後ずさるような気持ちで身を引く。どれほど強大な魔物を相手にしたときよりも、妹を前にしたときのほうが勝てないという気持ちになるのはなぜだろうか。普段から心配をかけている自覚があるからだろうか。それはそうだ。


「だってお姉様は、大雑把でおおらかでザルのような心の持ち主で」


「またザルっていった……」


「ため息一つで何でも背負ってしまうんですもの。なにがあっても、どんな状況でも、平気そうな顔をして、何でものみ込んでしまう……っ」


二人きりの室内に、セシリアの震えた声が響く。


美しい深緑色の瞳が、目尻を濡らしてこちらを睨みつけた。


「わたくし一人くらいはお姉様のことを案じ続けなくては、ほかの誰が、エイヴァという名前のただの人間であるあなたのことを心配してくれるのですか。天輪の大魔術師でも、次期王妃でもない、ただのエイヴァお姉様のことを、ほかの誰が! 妃殿下も宰相閣下も、結局は、お姉様をいいように使っているだけではありませんか……っ!」


「セシィ」


「はい」


「……わたしは大丈夫だよっていったら、怒る?」


「怒ります」


怒るのか。じゃあやめておこう。


エイヴァは何となしにティーカップの持ち手を撫でた。


でも、本当に、大したことではないのだ。王妃様に手駒だと思われていることは知っているし、それで忠誠が揺らぐこともない。あの方の描いた理想を、平和な未来を、自分もまた夢見た。その意味では、自分と王妃様は共犯者だ。


だから、どちらかというと、二人そろって自分のことをザルに例えていることのほうがよほど気になる。


まさかセシィと王妃様の会話の中でもザルっていわれてたりする? おねーさまはそのほうが怖いんだけど。……そんなことを考えつつも、話題を変えようとして、ふと、そもそもの元凶である男の顔が浮かんだ。


エイヴァはティーカップを置いて、背筋を正して妹を見つめた。


「セシィ、王妃様から聞いてるかもしれないけど、わたしはたぶんオスカーと婚約することになる。たぶんっていうか、確定かな。王太子妃の椅子までほかの派閥に譲るつもりはないからね」


「はい」


「いつも心配をかけてしまっているから、一応聞いておきたいんだけど……、セシィにとって、オスカーはわたしの夫としてありなの?」


「ありですわ」


「うそでしょ」


エイヴァは慄いた。王太子殿下の罵声が()()というのはわかるけど、あんな万年寝るだけ男のどこが()()なのだ。あぁいや今はキリキリ暗躍中だっけ? やっぱり頭を打ったの? 人格が一変したとか? それでセシィにとってもありになったということ?


そう困惑するエイヴァの前で、セシリアは一転して柔らかな笑みを浮かべると、ティーカップを手に取った。大雑把な姉が淹れた大雑把な味わいのお茶を美味しそうに飲んで、ほうと息を吐き出す。


「お姉様からの手紙はいつも明るさに満ちていましたけれど、何度かは、端的な文面だけのこともありましたわ。おそらくはとても危険な任務の最中で、帰れないことを覚悟なさっていたんでしょう? 短い文章はいつも同じでした。『わたしに何かあったら王妃様を頼りなさい。王妃様を頼れないときはオスカーを』と。それだけです」


セシリアはなぜかひどく満足そうに微笑んで続けた。


「わたくし、お姉様が妃殿下の次に信頼されるほどの方なら、夫としてありだと思いますの」


「待ってセシィ、誤解がある……! 王妃様を頼れないときにはオスカーをっていうのは、王妃様に対抗できるのがオスカーくらいだからって意味よ!?」


「ええ。冷徹な王妃様では(わたくし)を利用する可能性もある。そのときにはオスカー殿下を頼るように。あの方なら妃殿下を敵に回しても妹を守ってくれるから。そう考えていらっしゃったのでしょう? オスカー殿下へ向ける深い信頼を感じますわ」


「い、いや、信頼は、なくはないけど、それはなにかちがうんじゃないかな……? それにあの頃は、オスカーがこんな真似をしでかすなんて思ってなかったからね?」


だから信頼していたのだと訴えても、セシリアはしれっとした顔で聞き流していった。


「情勢とは日々変わるものですわ。それに愛情というのも結婚後からであっても芽生えるものだと聞いておりますし、そもそもお姉様は恋も愛も結婚相手に求めていらっしゃいませんでしょう? でしたら、オスカー殿下はわたくしの中でお姉様の夫候補第一位ですわ」


「だけどあの男、玉座に興味はないっていっていたんだよ? わたしと一緒に王太子殿下を支えてくれるって、約束までしたのに! あぁ、思い出したら腹が立ってきた……! オスカーのやつ、こんなふざけた真似をして! 王妃様にはああいったけど、これは明らかな裏切りだよ、セシィ!」


エイヴァが怒りでわなわなと両手を震わせたときだ。


自室の扉をノックする音が響いた。


めったに帰らない部屋なので、専任の侍女と同様に見張りの衛兵もいない。エイヴァが腰を浮かしたのを抑えて、セシリアが立ち上がった。


「未来の王太子妃殿下ともあろう方が、自分で扉を開けるものではありませんわ。侮られますわよ、お姉様」


「どうせ王妃様の遣いの侍女でしょ。ほかにこの部屋に来る人間はいないもの」


自分のたち振る舞いが雑なことなど、王妃様の侍女たちには知れ渡っている。そう言外に告げても、妹の深緑色の瞳はきらりと輝くだけだった。これは後で小言コースかもしれないと、エイヴァは顔を引きつらせながらも、そ知らぬふりでお茶を飲んだ。


しかし、すぐに入ってくるだろうと思っていた王妃付きの侍女は、なかなかやってこない。セシリアも戻ってこない。どうしたのかと思って扉へ向かえば、そこには予想外の男が立っていた。


「オスカー」


愕然として名前を呼ぶと、セシリアの向こうに立っている男は、けだるそうに笑った。


「やあ、エイヴァ。昨夜の返事を聞かせてもらおうか」








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