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14.婚約破棄の顛末


ウィーラの敗戦から数ヶ月後、王太子の婚約者になったとエイヴァの口から聞かされたとき、オスカーは顔には出さないまま、数秒ほど硬直した。


たがいに部隊の立て直しで忙しく、連絡もろくに取れないまま数ヶ月が経って、久しぶりに会えたと思ったら婚約だ。


オスカーは何もしないまま、あるいはできないままに失恋した。


もしもエイヴァが、わずかでも婚約への躊躇を見せていたら、オスカーも悪あがきをすることができたかもしれない。しかし彼女はやる気に満ちていた。そう、恋でも愛でもなくやる気である。エイヴァは『王妃様からこの国を守る後継者として指名されたのだ』という話を誇らしげにしていた。いいように利用されているの間違いだろうとオスカーは思ったが、エイヴァは利用されていることを承知の上でそれでも王妃を慕っているのだ。オスカーに付け入る隙は無かった。


それに、そもそもの話、オスカーは自分がエイヴァにその手の対象として見られていないことを知っていた。


幼くして軍属になったエイヴァは、女性ゆえに不快な思いをすることが多かったためか、色恋沙汰というものに一歩引いているところがあった。欲と恋は同じではないが重なりはする。エイヴァは他人の恋愛事は応援しても、自分へ向けられることはやんわりと避けていた。


その一方でエイヴァは、オスカーの隣ではいつも安心していた。そこにあるのはまっさらな信頼であり、付き合いが長いがゆえに疑うことを知らない友情だった。隣に座る男が、自分に惚れているだとか、下心があるだとか、そういうことは一切考えていない、ある種の無垢な親愛だった。


オスカーはなかなかその信頼を崩せなかった。彼女が安心できる場所を守ってやりたかった。……まあ、そんなことを考えている間に失恋したわけだが。


仕方ないとも思った。どのみち、エイヴァが自分に振り向くことはないだろう。

信頼云々を置いておくとしても、あの王妃が、第二王子(自分)とエイヴァが距離を縮めることを認めるとは思えない。第二王子(自分)がこれ以上勢力を増したら、王太子の立場が危うくなる。


自分が心を切り替えればいい話だ。あるいは、一生隠し通せばいい。それだけの話だ。


だから、異母兄の婚約者になったエイヴァから『ともに王太子殿下を支えていってほしい』と請われたとき、了承して未来を約束した言葉に嘘はなかった。王太子はともかく、彼女を一生支える覚悟はできていた。


早く彼女が王宮で暮らせるようになればいいと思っていた。そんな時代が早く来ればいい。

これ以上エイヴァが、震える息で何かを呑みこまずにすむように。部下の亡骸の前でたたずむ彼女が、失った仲間の名前を呟く彼女が、その背中が折れてしまう前に。そう思っていた。




───オスカーにとって状況が一変したのは、ポーター家から王都の話を聞かされたときだ。


ポーター家当主である祖父は、昔からオスカーが玉座に座ることを望んでおり、何かと唆そうとしてきていた。オスカーにとっては迷惑なだけの話だった。王冠になど興味はないし、エイヴァがあれほど慕っている王妃を敵に回すつもりもない。順当に異母兄が継げばいい。


そう思ってオスカーは、可能な限り王家とも王都とも距離を取っていた。だから異母兄の人柄や評判についても詳しくは知らなかった。自分と比較してあれこれいう外野がいることは把握していたが、戦場で生き延びる能力と施政者としての力量は別物だ。王妃がいい例だろう。武力でいうならまったく無力な人間が一国を纏め上げた。王太子も同じであるなら戦えずとも何も問題はない。


しかし、その日もたらされた情報は、オスカーを大いに困惑させた。


───王太子とその婚約者は非常に不仲である。なぜなら王太子が、下賤の女などとは結婚したくないといい張っているからだ、と。


冗談だろう? という気分だった。エイヴァを婚約者に据えた王妃の思惑など、端から見ても明らかだ。王太子の立場が弱いからこそ、エイヴァはそれを補うために隣に座らされるのではないか。エイヴァは王太子の立場を固めるための婚約者だ。エイヴァが拒むのならわかるが、王太子が拒絶している? 


いや、拒絶しているだけならともかく……、下賤の女だと?


なんだそれは……という気分だったが、真偽を確かめようとエイヴァ自身に話を聞いて、気まずい顔で肯定されたときには、初めて怒りのあまり理性が切れそうになった。


こちらが殺気立ったのを見て、エイヴァは困ったように「わたしでは王太子殿下を幸せにできないって、わかってはいるんだよ? でも、わたしが隣にいるほうが殿下は安全だとも思うから」と言い訳がましくいってきた。


はらわたが煮えくり返る思いだった。


───王太子の幸せだと? 安全だと? 誰が今そんな話をしている。


エイヴァはこちらのことを「どうしてそんなにわたしを怒らせるのがうまいのかな」などというが、その台詞はそのままそっくり返してやりたい。どうして君はこれほど俺を怒らせるのが上手いんだ。


───君がどれほどのものを背負い、どれほどのものを呑みこんで、どれほどの重さに耐えているか。それを知ろうともしない人間が、君に罵声を浴びせ続けるのを、ため息一つで許すのか。


王妃が抑えていてなおその態度だというなら、いずれ王妃が退き、王太子が玉座についたときにはどれほど悪化することか。王が蔑めば周りも追従する。貴族たちはここぞとばかりにエイヴァを嘲笑うだろう。無論、彼女には軍部の支持がある。実力行使をもって黙らせることは可能だ。だが、エイヴァの性格上、王妃の息子を力づくで抑え込むことはできないだろう。そしてエイヴァが沈黙すれば、魔術師たちの不満はいずれ彼女自身へと向かってしまう。エイヴァは夫に蔑まれ、貴族たちに嘲笑され、かつての部下たちからも反感を買う。


それをわかっているのか? とは、思わなかった。


わかっていて、エイヴァはその役割を引き受けたのだ。立ち回りを一歩間違えれば四方八方から圧し潰される未来があるとわかっていて、それでも笑ってその責任を負った。


(ああ、まったく───ふざけるなよ)






王太子の態度がどれほど理不尽なものであろうとも、エイヴァが自ら進んで婚約解消に動くことはないとわかっていた。エイヴァが慕っているのは王太子ではない。いっそ王太子に恋心を抱いているなどという話だったら、幻滅して別れを望むという事態もあり得ただろうが、エイヴァが忠誠を捧げているのは王妃だ。あの冷徹で非情な女を母親のように慕っている。自分がなにをいっても聞く耳など持たないだろうとわかっていた。


あの星のような無茶苦茶な女の決意をひるがえさせることができるのは、王妃か、さもなくば最愛の妹だけだ。王太子の罵声を聞き流せるのと同じほど、自分の言葉など笑って済まされることだろう。


本当に、腹立たしい。


だからオスカーは、己の怒りに従って王太子を失脚させた。それが彼女の望みを踏みにじることだと知っていて、その道を進んだ。


───これは君のためではない。君を思いやっての行動などではない。俺はただ、あの男に罵られ続ける君を見たくないだけだ。君が何もかもを呑みこんで笑う姿が、たまらなく不愉快なだけだ。これは俺のための行動だ。俺のための望みだ。


オスカーは歩き出す。今は政変直後だ。今は昼寝をしている余裕はない。面倒でも動かなくてはならない。わかっていた。それで構わないと思った。望むものが手に入るなら。


これを愛と呼ぶ気はない。これはただの欲だ。彼女の意志を尊重せず、自分の望みのために踏みにじった。




オスカーにとってエイヴァは星のような女だった。オスカーの身を満たしていた空虚な闇夜を切り裂く流れ星のような人だった。




───エイヴァ。俺はただ、君という星が堕ちるのを見たくなかっただけだ。





本編はこれで完結で、次は番外編でその後の二人です。

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