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13.あるいは、エイヴァという女


オスカーにとってエイヴァは星のような女だった。まっすぐに闇夜を駆ける流れ星。軌道を変えることも知らないように、愚直なまでに一直線に突き進む。いつか足をとめる日が来るとしたらそれは、燃え尽きて落ちる日だけ。




オスカーが十七のときだった。


当時、急成長した魔術師部隊と伝統ある騎士団の対立は、誰の目にも明らかなほど悪化していた。オスカーはたびたび仲裁役に駆り出されることに辟易していたし、これほど険悪では共同作戦など取れないだろうと思っていた。足並みを崩す味方は敵よりも有害だからだ。


しかし、上層部はそう考えなかった。特に騎士団の幹部たちは、魔術師部隊の快進撃を忌々しく見ていた。戦場で血を流すことのない地位にある者ほど手柄を焦るものだ。彼らは騎士団が名を上げる機会を求めていた。


そしてとうとう、国内南部のウィーラ地方奪還という大規模作戦が決行されることになった。


……あれは最悪の負け戦だった。戦場に情を残さないオスカーでさえ、今でも苦く思う。

エイヴァに至っては、今でもウィーラのことになると途端に口数が減る。思い出すことすら苦痛だからだろう。ウィーラの戦いの後、騎士団の上層部の首が丸ごとすげ変わり、体制が一新された。それほど泥沼の敗戦だった。


ウィーラ奪還作戦において、当初は、騎士団の一部には魔術師部隊の協力を拒む声もあった。しかし、さすがに大規模作戦になると騎士団単独というのは認められない。それでも彼らは可能な限り魔術師たちを排除しようとし、何かにつけて魔術師部隊の意見を嘲笑した。それで魔術師側から反発が起こらないはずもなく、オスカーもエイヴァも内部の対立を収めるために奔走する羽目になり、戦いが始まる前から疲弊していた。


だが、実際の戦場は、それらが可愛らしく思えるほどに、最悪だった。


手柄を焦った騎士団の一部が暴走し、事前に決められた作戦は総崩れになり、混乱の中で敵の主力が出てきた。魔物というのは人間から見ればおぞましい異形だが、彼らにも知性はある。世界を蹂躙しつくすという本能もある。人間側の混乱に乗じて殲滅にかかるなど、当然の流れだった。




───退け! 


───バカな、退くな! 


───ふざけるな、無理だ! 


───進め、進むのだ! 


───よせ、撤退しろ、何でもいい、とにかくここから逃げろ! 


───逃げるな、騎士の誇りを見せよ!




指揮系統は混乱し、命令は定まらず、戦線は維持できずに崩れた。

罵声と怒声が行き交う中で、エイヴァはそれでも制空権を抑えようと戦い、オスカーは部隊を守る盾となり続けた。

だが、それにも限界が来る。悲鳴が上がり、轟音が響く。爆発が起こり、がれきの山が積み重なり、煙が上がり、うめき声すら消えていく。


ここまでだと思ったのは、おそらくオスカーもエイヴァも同時だった。


空からエイヴァが急降下してくる。一瞬、視線が絡み合った。

そして、それを振り切って、オスカーは前へ出た。


「エイヴァ、撤退の援護を。ここは俺が抑える」


どちらかがこの場に残らなくてはならなかった。味方をより多く生き延びさせるために、しんがりを務める者が必要だった。そしてその役割は、空域のエイヴァよりも陸域の自分のほうが適任だ。ただそれだけの話だった。


けれど背後で、彼女が悲鳴を呑みこんだのがわかった。こちらを引き留めたいと指先を伸ばしかけて、絶望とともに抑え込んだのがわかった。自分たちのどちらが適任かなどエイヴァにもわかっている。制止も反論も無意味だ。


そして今は、正しく別れを告げるための時間すらない。


オスカーは前方へ駆け、エイヴァは後方へ飛んだ。


互いに振り向くこともしなかった。オスカーはただ前へと進みながら、胸の内で呟いた。


(忘れてくれ、エイヴァ)


俺の死を悲しまなくていい。苦しまなくていい。呑みこまなくていい。耐えなくていい。忘れてくれ。


そう願いながらも、彼女がそれをできない人間だということもまたわかっていた。


オスカーの指先が魔術印を描く。無数の式が空中に展開する。


空は暗く、黒煙がくすぶり、異形の群れだけがそこにいる。


敵の軍勢を前にして、オスカーは不敵に笑った。


「まあ、死ぬには悪くない場所だ」



(俺はここで死ぬだろう)



けれど、エイヴァ。



(君は未来に行け)




───どうか、最後まで墜ちることなく、光り輝く未来へと飛んで行け。












それが最後の願いだった。













暗闇に身を浸し、地獄の底へとたどり着いたと思った。


しかし、眼が覚めたときには病院のベッドの上だった。

確実に死んだと思っていたので、瞼を上げるという動作をしたことにさえ少し驚いた。

実際、九割方死んではいたらしい。生き延びたのは運がよかったとしかいいようがない。


オスカーの意識が戻ったという知らせはすぐさま魔術師部隊中に広まり、ほうぼうから見舞いが押し寄せてきた。病室から人が溢れかえるほどの賑わいに、病院側はただちに面会制限を敷いた。「死にかけのガキの眼が開いたからって、絶対安静じゃなくなると思ってんのか、お前ら?」というのが当時の病院長と治癒術師による怒りの共同声明だった。大人たちは蜘蛛の子を散らすように散り散りになり、オスカーは再び眠った。


見舞い客の中にエイヴァの姿はなかった。しかし無事だということは聞いていたので、それで十分だった。



エイヴァが病室に現れたのは、それから二十日後のことだった。



身体のあちこちに包帯やガーゼが巻かれていることを除けば、エイヴァはいつも通りだった。

いつも通りの朗らかさでやってきて、いつも通りの軽い口調で現状を話した。

事態の収拾と部隊の立て直しがいかに大変かということをぼやいた後で、「でもまあ、何とかなるよ」と力強い声でいいきった。


初夏の日差しが差し込む病室で、窓辺に立つエイヴァは自信に満ちた笑みを浮かべていた。忌々しいほどにいつも通りの《天輪の魔術師》だった。嵐に打ちのめされた者たちが縋りつく先、揺るぎなく立つ大樹のような。


オスカーはしばらくそれを見つめたのちにいった。


「なあ、エイヴァ。その猿芝居はいつまで続くんだ?」


エイヴァはさすがにイラっとしたようだった。

まなじりを釣り上げて、こちらを睨みつけた。


「あのね、あなたが寝ている間も、わたしはものすごく忙しかったんだからね?」


「俺は寝るのが仕事だ。医者もそう言っている」


「今だけだからね!? お医者さんの診断を盾に取れるのは今だけだから!」


復帰したら馬車馬のように働かせてやると、彼女は恨みがましい眼でいう。

それからエイヴァはベッドサイドの椅子に腰を下ろした。


「あなたがいないと、忙しくて大変なんだよ」


いつも通りの声でそういった後、彼女はそっと視線を落とした。それから、重たいなにかに引きずられるようにうつむいてしまう。表情を見せることを拒むように、顔を伏せたまま、かすかに震える声でいった。


「だから……、いなくならないでよ、オスカー」


「……ああ、わかった」




それが、オスカーが敗北した瞬間だった。


長く認めずにいた想いを、とうとう、嘆息とともに受け入れた。


エイヴァの強さが哀しかった。愛しかった。守りたかった。甘やかしたかった。心のままに泣かせたかった。抱きしめて、腕の中に閉じ込めてしまいたかった。


けれど不可能だと知っていた。エイヴァは星のような女だった。闇夜を切り裂く流れ星。いつか星のように墜ちるとしても、空を駆けることをやめはしない。


オスカーが愛したのは、そんな人間だった。








すみません、もう一話続きます。

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