【2】終わりの始まり 2
「それ、持ち歩いててくれてるんだ。何か撮った? 引き延ばして部室に貼ろうよ」
教師が出勤しないので、実質休講となってしまった昼休み後の教室。
俺の上着のポケットからチョロリとはみ出したデジカメのストラップを、遙香がめざとく見つけた。
それをひょっとつまみ上げられそうになり、俺は半身をよじってかわした。
「なによ、エロ画像でも入ってんの?」
「そうじゃないけど……」
「んじゃ、いいじゃん」
「やめろってば、コラ」
無理やりデジカメを取り上げ、電源を入れると、遙香は嬉々として撮影された画像を見始めた。……が、数枚めくった時点で彼女は固まってしまった。
「だからいわんこっちゃない……。もういいだろ、返せ、ほら」
俺は渋い顔をしながら、手を差し出した。
が、遙香はまだ固まったままだ。
「あのさ、お前が夜中走り回ってアレの写真撮ってたけどさ、どうしてアレしかいなかったか分かる?
どうして人の死体がなかったか分かる?
お前の行く先々で俺が始末してたからじゃん」
遙香は小さく頷いた。
「んでさ、本当の現場はそっち、俺が撮影した方なんだよ。わかるか?」
遙香は再度頷いた。
「どうして俺が、ありきたりな風景やポートレートなんかを撮影せずに、こんな汚らしいものばかり撮ったかわかるか?」
遙香はううん、と首を振った。
「それが、俺のリアルだから」
遙香はハッとなった。
デジカメの中には、遙香に見せたくない画像が山ほど入っていた。
獣の駆除現場や遺骸、巻き込まれた市民の死亡現場等々……まるで鑑識写真のようだ。
都市伝説マニアが興味本位で消費するようなものではなく、むしろ違うマニアが喜びそうな、グロ画像のオンパレードだ。
「お前には、あんま見せたくなかった。でもこれが俺のリアル。汚れ仕事だけど、これが俺の仕事なんだ。
お前を安心させるために、絵空事を撮り溜めたって、俺にとっては何の足しにも慰めにもなりゃしない。
むしろ考えれば考えるほど、苦痛になるって分かった。だから俺は、ありのままの自分の生き様をカメラに収めようと思った。これって、どっか間違ってるか?」
遙香はううん、と頭を振った。
「正しい。ショウくんの方こそ、本物のカメラマンだよ。……私が間違ってたかも」
「……そう?」
「わたしね、パパから時々聞かされてた話があるの」
と言って、思い出話を始めた。
写真とは、己の魂をフィルタとし、その向こうに見えるものを捕らえた物だと。
しかし、自分は一体、彼氏に何を撮らせようとしていたのか。
少年らしい風景写真か。
友達との日常風景か。
自然や小動物か。
彼氏を日常に引き戻したいばかりに、自分のものさしに嵌め込んで、作り替えようとしていたのではないか。
自分のフィールドに引き込んで、逃がさないようにしていたのではないか、と気付いたと。
「ショウくんがやってきたことは、汚れ仕事なんかじゃない。市民を守るためにやってることでしょ。消防警察海保自衛隊、それと同じ立派な仕事だよ?
家でサイレンが聞こえるたびに、キミが苦虫を潰したような顔をして、拳を握りしめてたの知ってる。人が死ぬのがイヤなの知ってる。
たとえ今は日陰者だとしても、私だけはキミの理解者でいる。だから、自分を汚れてるみたいに言うのやめて」
「……ありがと、ハルカ」
「おい、たいへんだぞ、これ見てくれ」
隣の教室に遊びに行っていたタケノコが、血相を変えて戻ってきた。
「どうしたんだ」
「ついさっき、うちの若い衆が看板立てに行った帰りに撮影した画像なんだけど……これってまさか」
タケノコは自分の携帯を差し出した。それを遙香が毟り取った。
画面にどこかの事故画像が映っている。
「なになに?」
「ああ、よく見えないよハルカ、ちょっとこっち貸して」
俺が遙香から奪い取った携帯には、かなりマズい生き物が映っていた。
「こないだの公園にいた連続殺人犯って、……ホントはこいつだったの?」
青い顔で俺に尋ねるタケノコ。
だが、その問いには、遙香が代わりに答えた。
「そうだよ。あんたたち、こんなのに食われるとこだったんだよ」
「そ、それじゃあ、昨日の晩に高架下で死んだ人って……」
遙香は俺からデジカメを奪い取り、その死人と思しき画像を背面の液晶に表示させ、タケノコに見せた。
「場所からして……これじゃない?」
「あ! この人……昨日ウチに来てたぞ。顔は隠れてるけど、服に見覚えがある。オヤジの主催したゴルフコンペの賞品なんだ。しかもワンオフの……」
タケノコはガタガタと震えだした。
「あいつらが車で迎えに来てくれるって話なんだけど、とっくに着いていてもいいのにまだ来ないんだ……。何かあったらどうしよう……」
「お前等二人とも、教会に避難しろ。あそこなら大丈夫、お前等を護ってくれる」
「ショウくん、こいつって……」
「画像が不明瞭だが、おそらく共食いで巨大化したやつだろう。相当マズい。ったく、うちの連中は何やって……って、ああ……そうか。手が回らなかったのか……クソッタレ……」
俺は歯ぎしりした。
散発的に追加投入される戦力、ムラのある駆除活動、日に日に増える負傷者。
「あああ……、よく考えりゃ分かることだったんだよ……クソッ」
駆除のスキをついて獣は増殖し、共食いを繰り返して成長していく。だから、区画ごとにきっちり掃除をしていかないと後々面倒なことになってしまう。
だが、負傷した俺から中途半端に現場を引き継いでしまったために、最早まともに駆除することが不可能となってしまったのだ。あとは行き当たりばったり、出たとこ任せ、手当たり次第に獣を狩るしかなくなった。
この状況は起こるべくして起こったといえる。
「はい、注目! 君たちすぐ下校してください」
パンパン、と手を叩きながら担任教師が教室に入ってきた。
悪化した状況を曲がりなりにも把握しているのだろう。顔に焦りが見える。
「さきほど大橋の方で大規模な事故と火災が発生、有毒物質がこちらに向かっているとのことです。県道よりこちらに住んでいる人は、市役所方面に一旦避難してください。それ以外の人は、速やかに帰宅し、市役所からの連絡があるまで自宅待機してください」
ちょうど担任教師が話し終わるころに、市役所からの緊急放送が、市内全域の防災スピーカーから流れ出した。
「有毒ガス……だって?」
教室の窓から、勝利がこの街と内陸部を結ぶ大きな橋の方を見ると、橋の上だけでなく、あちこちから煙が立ち上っている。
「これは……マズいぞ」
「ショウくん、どうしよう……」
「先生、ちょっと」
勝利が手招きすると、担任はすぐ彼の元にやってきた。
「なんだい? 多島君」
彼は担任に耳打ちした。
「ガチでヤバくなったら、教会に行ってください。さもなくば、川の向こうに行ってください。連中は水を渡れない」
「わかった。私はこれから生徒達を下校させるために校内を見て回らないといけないけど、何かあったときは頼むよ」
「ういっす」
担任はサンダルをバタバタ鳴らして廊下を走っていった。
「お前等、とにかくすぐ荷物をまとめろ。タケノコ、車まだなのか?」
「ええ、えーっと……」
タケノコが携帯を操作しようとすると、遠くから車のクラクションが短く鳴った。
「あ、来ました!」
校門の方を指さすタケノコ。
「よし来い」
俺は二人の手を掴み、教室を飛び出した。
校舎間を結ぶ渡り廊下まで来ると、おもむろに二人の胴を抱えた。
「ちょ、何、どうすんの」
「兄貴何すんですか~」
「大人しくしないと落っことすぞ。あと舌噛むから歯食いしばってろ」
「「は????」」
「んじゃ、いくぞ! ダ――イブ!!」
「「ぎゃああああああああああああああッ――!」」
俺は二人を抱えたまま、渡り廊下から地面に飛び降りた。