【15】天使の課外活動 5
「お帰り、勝利。今日はいいことでもあったか?」
アンジェリカと揃って帰宅した俺は、廊下でTシャツにパンツ一枚のシスターベロニカと鉢合わせた。
「ただいま、今起きたのか。別になんもねえよ」
「姐さん、おはようございます。今日は下校時にご学友の皆さんとファーストフード店に立ち寄った、です」
「あのシェークが飲みたかったのか?」
アンジェリカは顔を真っ赤にして、
「あ、あ、姐さんまでッ! うわああん……」
アンジェは手で顔を覆って、廊下をバタバタと駆けていった。
俺とシスターベロニカは顔を見合わせ、吹きだした。
「あいつ、Lサイズ三杯おかわりしてたよ」
「なんとまあ……そんなに飲んだのか。あといくらもせずに夕食なのに」
「アンジェだってこんな仕事してりゃあ、おやつぐらい好きに飲み食いしたくもなるだろうさ」
「ん? お前たち、仲悪かったんじゃないのか?」
「悪いよ。三角関係みたいだから」
「なんだそりゃ」
「俺もよく知らん」
シスターベロニカはお手上げポーズを取ると、スリッパをペタペタ鳴らしながら洗面所へと歩いていった。
☆
「よくお許しが出ましたねえ……」
「アンジェのおかげだよ」
俺とシスターアンジェリカは、軽めの武装で夜の街に繰り出した。
自発的に、仕事以外の事をやりたいという俺の要望、そしてアンジェリカの後押しが、俺の撮影散歩を可能にした。
「ねえ、なんで応援してくれたのさ」
「それは……姐さんの喜ぶ顔が見たかったからだ、です」
「アンジェと母さん、どんな関係なの?」
彼女はうつむき、数瞬おいてポツリと言った。
「……今は、言いたくない、です」
「そか。じゃ、聞かない」
「ども。……で、何を撮影するんですか」
俺はちらと暗がりに視線を投げた。
「自分の歩いてきた場所の記録。……やっぱ俺、知らないものは撮れないよ」
「そうですか。……了解しました。全力で援護します。それは私も同じですから」
「同じ?」
「貴方と同じように、闇を歩き、陽の元では己を偽る」
アンジェはニヤリと笑った。
「バレてたか。食えねえ女だな、あんた」
「行きましょ。サイレンが呼んでる」
俺は彼女の肩をポンと叩いた。
「おう。頼むぜ、相棒」
アンジェは黙って頷いた。
☆
「あんた……言い残すことはあるか」
夜の街で、下半身を食いちぎられた瀕死の市民を見つけた。
高速道路の高架下、人気の無い資材置き場に彼はいた。
「もう死んでますよ」
冷たくアンジェが言い放つと、被害者の目蓋を手のひらで閉じた。
「そっか……。ちょっと前まで生きてると思ったんだけどな」
「ショウくんさんが見つけた時には、まだ生きていたのでしょう」
「遺族には見せられねえな……」
そう口では言いながら、俺は死体をカメラに納めた。
俺は、被害者の顔は写さないよう注意して撮影した。
「これも撮るんですか」
「そうだ。これも俺の日常だから」
「……本部に、遺体処理の依頼をしておきます」
「ああ、頼むよアンジェ」
――まだ息があれば、楽にしてやろうと思ったが、俺の出る幕じゃなかったな。
「ん、誰だ!」
俺は何者かの気配を察知し、振り返った。
「お勤めご苦労様です、多島君」
暗がりから、声に聞き覚えのある男性が現れた。
「あ、なんだ先生か」
「こんばんは。ちょっとコンビニに行った帰りに、嫌な気配を感じたもんだから来てみたら、君たちがいたってわけだ」
「すまない、もう遅かったよ……。食ったやつはどっか行っちまった」
「そうか……。この人、看取ってくれたんだろう? お礼を言うよ。はい、これお二人でどうぞ」
教師はコンビニ袋の中から板チョコを二枚取り出すと、俺に手渡した。
「まあ……あ、ども。ゴチなります」
「自分の領域も守れないなんて、ホント、土地神やってるのイヤになっちゃうよ~。こんなこと教団の方に言うのはなんだけど……。それじゃ、お邪魔したらいけないから僕は行くよ。二人とも、気をつけてね。バイバイ」
ひらひらと手を振って、長身痩躯の担任教師は再び闇の中に消えていった。
「あれが……先生?」
警戒を解いたアンジェが尋ねた。
「そ。俺の担任で、ここいらの土地神なんだと。お社を再開発で壊されちまって、再建費用を稼ぐために、教団に頼んで雇ってもらったって言ってた」
俺はもらった板チョコを一枚、アンジェに差し出した。
彼女は受け取りながら微妙な顔で言った。
「神様の世界も世知辛いんですねえ……」
「俺もそう思う」
二人そろってため息をついた。
獣の気配をまったり追いつつ、二人が夜の街を徘徊していると、日付が変わったあたりで教会からアンジェリカに連絡が入った。
丑三つ時になる前に、そろそろ引き上げろということだ。
迷信はともかくとして、夜の力が満ちるのか、真夜中の獣はとても元気だ。
俺の体のことを考えれば、面倒に巻き込ませるわけにはいかないと、アンジェリカは渋る俺をを引っぱって教会に帰った。
☆
「ただいまー」
俺たちが教会に戻ると、食堂の方から物音がする。
覗いてみると、見慣れぬ中年男性のハンターが、シスターと話をしていた。会話から察するに、彼の名は村上というらしい。
(自分の知らないうちに、また本部から補充人員がやってきたのか……)
さすがに教団兵=正規部隊では力不足だと思ったか、本職をやりくりして送り込んだと見える。だが。
「やあ、こんばんは、勝利君」
「こんばんは、村上さん。……負傷されたんですか」
シスターの背中で見えなかったが、近寄ってみると、彼は傷の手当てを受けている最中だったのだ。そういえば、薬品の臭いがしていた。
「ああ、大丈夫だよ。かすり傷だから、一服したらまた現場戻るよ」
「そうですか……」
しんみりしていると、アンジェリカに肘で小突かれた。
自分を責めるな、と彼女の顔に書いてある。
「いやあ、ボクがお休みだから、おじさんお給料増えて助かるよ~」
「…え?」
「おじさんも色々物入りでね、だからボクは気にせずゆっくり休んでいるといいよ」
「はい、ありがとうございます」
ほとんどのハンターが金のために仕事をしているのは分かっているが、それでも誰かがケガをするのは見ていてつらい。日頃シスターベロニカ以外と仕事をすることがない俺にとって、ケガをするのは己だけだから。
「教団はいいよなあ。おじさん、ここで勤めてまだ日が浅いんだけど、べっぴんさんに身の回りの世話してもらって、金までもらえる。軍隊より何倍もいいじゃない」
うごかないで、と手当中のシスターに怒られる村上。
「でも、危ないでしょ」
「あ~。相手が人じゃない方がおじさん、気が楽なんだよ。アフリカとかもう疲れちゃったしさ」
「うう~~ん……」
それはそれで、村上氏の前の職場はずいぶんと悩ましい所だったようだ。どちらが危ないとは、一概には言い切れない。人間、死ぬ時は死ぬ。
「ショウくんさん、お邪魔したら悪いからお部屋に戻りますよ」
アンジェリカが俺の袖を、きゅっきゅと引っぱった。
「う、うん。それじゃあ村上さん、お大事に」
「はい、おやすみ。ボクもゆっくり休んで元気になれよ」
村上は破顔しながら、俺の頭を手のひらでぽんぽんと軽く叩いた。
「ありがとう、おやすみなさい」
☆
廊下に出た俺は、ぽつりと呟いた。
「教団って、そんなに居心地のいい場所なのかな……」
「それは、人によりますよ」
「アンジェは?」
彼女はしばし思案して、問いに答えた。
「会いたい人に会えたから、きっといい所なんだと思います」
「それってもしかして――」
何かを察したのか、アンジェリカは、
「じゃ、今夜はこれで!」と、逃げるように自室へと去っていった。
「ふう……。ま、いいけどさ」
アンジェを見送った俺も、己の部屋に戻っていった。
☆
――今、一体何人で現場を回しているんだろう。
あまり足りているとは思えないが……
休めと言われても、やはり不安だった。