表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

64/85

【8】天使の休日 3

 遙香は薄暗くなったリビングに灯りを点けた。


 庭に出て行った教団兵士が、外側からガタガタと一階の雨戸という雨戸を閉めている。俺に逃げられないようにするためだろう。


 いま明かりが差し込んでいるのは、キッチンの窓や、リビングに隣接した一文字氏の書斎にある、格子のはまった窓からだけである。


 不貞腐れた俺は、リビングの床の上にあぐらをかき、さっき自分が開けた窓の前で、ガラス越しに雨戸と、その内側に張った蜘蛛の巣とその主を、ぼんやりと眺めていた。俺の気分はまるで、虜囚(りょしゅう)だ。



     ☆☆☆



<遥香side>



 あくまでも、拒絶。


 つい数日前まで愛し合っていたはずの少年、多島勝利のその背中を、私は悲しく見つめていた。二度も自分を救ってくれた少年。二度も自分を殺そうとした少年。そして、二度も自分を忘れた少年のことを。


 どうして?


 私に対する彼の態度に、怒りすら覚えている。

 でも同時に、彼の不遇な境遇、現在の過酷な環境にも同情せざるを得ない。


 事情は知っている。事情はわかる。でも、そんなに簡単に割り切れるもんじゃない。十年間探し続けた少年に、関わるなと言われて出来るものか。


 私は内に秘めるような女じゃない。

 目の前に彼がいるのに、問い正さずにはいられなかった。



「私のこと遠ざけたの、ホントは私のこと心配してくれてたからでしょ。前もそうだったじゃない」


「……」

「忘れたこと怒ってないよ。だから、もどっておいでよ。ショウくん」

「ごめん、俺……」


「ショウくんが具合悪くなった原因、多分私にもあるんでしょ。いまは病気治すことだけ考えようよ。ね?」


「…………うるさいんだよ」


「ごめん……」

 彼の拒絶に唇が震えてしまう。


「いや、あの……俺も、ごめん」


 彼は大きくため息をつくと、くるりとその場で私の方へ向きを変えた。

 眉根を寄せ、ひどく苦しそうな表情をしているけれど、視線を落として私と目を合わせることはなかった。

 私も彼の前に座った。


「あのさ、俺……すごく普通じゃないっていうか……、今まで普通の人には理解しにくい生活してたから、だから……いろいろうまくいかないっていうか……」


「うん……」

「極端に狭い環境だったというか……」

「うん……」

「というか、そこしか、教団しかなかったんだ。居場所が」

「うん」

「普段あまり意識しないように周囲が気を遣っててさ、俺が生体兵器だってこと」

「……」


 私は唇を噛んだ。

 当人の口から聞くには、あまりに酷い言葉だ。

 生体兵器、だなんて。


「俺はべつに……誇りを持って仕事をしてたし、こないだお前が言ったように、多少は楽しんで仕事してる時もあったよ。――他に楽しみもないしさ」


「そう……」


「こんな身の上じゃ外に友達を作ることも出来ないしさ、おれ教団の広告塔にもなってるから、教団内じゃ気安く近寄ってくる同年代の奴もいない。正直、シスターベロニカ以外に信用出来る人間は一人もいない」


「……」


「それでも、今までなんとかやってこれたんだ。実はものすごく危ういバランスの上でだったけども」


「私、のせいで、それが……」

「ああ。お前のせいでな」


「ッ――」

 私は唇を歪め、ぎゅっと拳を握った。いまにも涙がこぼれそう。


「……でも、それを責める気はないよ」

「ショウくん……」


 少しだけほっとした。

 また彼は大きなため息をついた。


「それで、ホントに申し訳ないと思ってるんだけど、俺にとってハルカは……あの ……すごく言いづらいんだけど……かなり迷惑な存在になっちゃったんだ……」

 彼は、ひどく申し訳なさそうな顔で言った。


「私のこと、嫌いになった?」


「そっちこそ、なんで嫌いにならなかったんだよ。あれだけのことされといて、おかしいだろ?」


「ちゃんと答えてよ。質問に質問で返すとかないから」

「ごめん………………。嫌いになるわけないじゃん。だから俺、壊れたのに……」

「……ごめん」


 ううん、と彼は頭を振った。


「俺、教団に居場所がなくなるのが恐かった。お前と出会って、俺、何もかもうまくいかなくなって、どうしようもなくなって、大怪我して、ヤケになって、お前のことホントに忘れようと思って、それでおかしくなって、もう……」


「……うん」

 そっと彼の手を握った。

 彼は拒まなかった。


「それに、知らなかったとはいえ、十年もの間お前んちにすごい迷惑かけたし、お前のこと二度も殺しかけたし……もう、一緒にいたらいけないって……。

 だから、あの晩も言ったけどさ……、俺もう本当に限界で。どうしようもなくて。本気で、迷惑だったんだよ。もう病院にも来て欲しくなかった」


「ごめん…………」

「どうしてほっといてくれなかったんだよ。お前だってひどい目に遭ったじゃんか」

「――勝手なこと言わないでよ」

「分かってるよ、自分が無責任だってことぐらい」


 私は小さく頷いて、握った手に力を込めた。

「ずるいよ……一人で勝手になんでも決めて……」

 彼を責める声が、細く、震える。


 彼は握った私の手に、反対の手をそっと重ねた。

 触れあうことがあんなに嬉しかったのに、今ではすごく苦しそうに見える。


「………………あのさ。いま俺、どうしようもないくらい、いろいろぐちゃぐちゃでさ。その……いきなり医者や親に無期限休暇とか言われても、どうしたらいいのか分からないんだ。どうしたら元に戻れるのか、目処が全く立ってない」


「うん……」


「そんでさ……心の平静を取り戻そうとすると、どうしてもお前が……。ハルカが俺の心をかき乱すんだ。その度に、頭と胸が痛くなって……薬飲まないとダメで……でも飲むとぼんやりして……だから、昨日お前が見舞いに来たとき、何も言えなかった。すごく具合い悪くて、手紙も読めなかった……」


「……ごめんなさい、私……」

 私は、手前勝手に怒りを募らせていたことを反省した。 


 私と目を合わせることも出来ず、床を眺めていた彼は、顔を上げ、私の顔を見た。

 今にも泣きそうなのを必死にこらえ、唇をへの字に曲げている。

 私の涙も、今にもこぼれそうだった。


「だから俺、すごく苦しいんだよ。つらいんだよ。痛いんだ。

 医者や親に、いきなり休めだなんて言われて心の支えがなくなって、どうやって生きたらいいか分からない。

 パトカーのサイレンが聞こえると、装備品担いで現場に出なきゃって焦るんだ。狩らなきゃ教団に居場所がなくなる、そう思い込んでたから。

 俺……こんなんだから、自分のことで精一杯で、治るまでお前と付き合ってる余裕ないんだ。大事にしてやれる余裕がないんだ。

 お前のこと好きだから、また傷付けたくないから……だから……ごめん……」


 痛みが走るのか、彼は胸を押さえてうずくまった。


「ショウくん、だいじょうぶ?」

「……いたい……よ、ハル……ぅ」

「ん……だいじょぶ、だいじょぶだよ……ショウくん」


 私は膝立ちになり、勝利の頭を胸にうずめて抱いた。

 彼が小さくうめくたび、私は彼の髪を静かに撫で付けた。


「あの時も、いたいよ、いたいよって言ってたよね。園庭から担架で運ばれてった時のこと、今でもたまに夢に見てるよ」


「俺の代わりに、……覚えててくれたんだな」

「かもね」


 彼は私の胸に顔をうずめたまま、私の腰に腕を回した。



     ☆☆☆



「ありがと……。少し、楽になった」

「お薬飲む?」

 遥香が言った。

 俺は、ううん、と頭を振った。


「俺、どっか間違ってたのかな……」

「……え?」

「お前のこと、忘れようとすると苦しくなる。今までずっと忘れてたのに」

「もう忘れないようにってことじゃない?」

「そう……なのかな……」

「そうだよ」


「俺、教団以外に居場所がない。そう思ってた。俺が育った場所だから。……だけど、シスターベロニカは、たとえ狩りが出来なくなっても、お前の居場所ぐらい私が作ってやる、って言ってたんだ……でも……」


「このままうちにいたっていいんだよ。ショウくん一人ぐらい私が養ってあげる」


「え? ……マジ?」

 俺は遙香の顔を見上げた。


「マジ」


 しばし思案して、俺はゆっくり口を開いた。

「んー……………………、ヒモにしてくれる?」


 彼女はいささか邪悪な笑みで応えた。

「そのかわり家事やってよね」


「主夫か。……うん。俺、料理勉強するよ」

「ニシシ……これで、ショウくんは私のものね」


 遙香は、俺をぎゅっと抱き締めた。






 ――ヒモって何すればいいのかな。

 あとでネットで調べるか。


 ……でも、俺に違う生き方なんて、出来るのかな。

 殺戮のない世界で生きるなんて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ