【8】天使、溶ける 2
俺は、緑地公園で異界獣と戦った夜のことを思い出していた。
あの惨たらしく、でも、俺等にとっては日常的な日のことを。
あの晩俺は、駆除対象=アンモナイトにペイント弾を撃ち、シスターベロニカ、シスターアンジェリカの待つ狙撃ポイントへと誘導していた。
アンモナイトは体高二mはある、二足歩行の大きな化け物で、ドスドスと音を立てて俺を追いかけていた。俺のすぐ後を奴の触手がヒュンヒュン飛んできて、わずかなタイミングのズレや油断で、俺の体はいつ絡め取られてもおかしくなかった。
『ジュッ』
……と、耳元で何かが溶けるような焼けるような音がした。
正体はすぐに分かった。
――『強酸』だ。鼻に刺さる臭いがした。
奴が咥えていた犬も、この酸でむごたらしく表面を溶かされてしまったのだろう。
俺はこの時、一瞬で恐怖に囚われた。
普段なら感じることのない、恐怖に。
『次はお前だ』と、言われた気がした。
自分と遙香も、あのカップルみたいに喰われて頭だけになって、納体袋に詰められるまでの一連のイメージが、一瞬で脳裏を何周も駆け巡った。
普段なら、己の死のイメージなんて浮かばない。
任務以外のことは、頭から極力排斥出来るはずなのに。
敵の死のイメージだけが浮かぶのに。
――なんであの時に限って。
原因はなんとなく分かってる。
そう、ハルカだ。最愛の女、ハルカ。
でもそれだけじゃない。
よく分からない自分の出自、何か裏がある教団の目的、そして上書きされ続ける己の記憶――。
自分の心が乱れないよう、余計な記憶を入れないよう、教団は莫大な資金を投入して様々な対策を施してきた。自分だけのために。何故?
俺がこの町へ来て、遙香と出会い、失ったと思われていた記憶がよみがえった。だがそれは、教団の恐れること――心の乱れを生み出す結果になった。
それはすなわち、教団の敗北、そして俺の死に直結する。
一番失いたくないものが、俺を死に至らしめるのだ。
あともう少しで指定ポイントに到着する、という所で、俺はハデに転倒した。
死にたくないと思うあまり、道の高低差に気付かずに蹴躓いたのだ。
日頃機械のように淡々と殺戮を行う腕利きハンターの心に、一度沸いた恐怖と迷いは獲物の異界獣よりも手に負えなかった。
教団による過保護のあまり、倒す手段、心を御す方法を知らなかったからだ。
当然俺はアンモナイトに追いつかれ、太股から下を奴にバックリとやられた。
奴の口の中は強酸の粘液が溢れ、俺の足は灼かれるように痛み出した。
だが、あともう少し前に出なければ、狙撃の射線に届かない。
俺は激痛をこらえながら、奴の頭に特殊弾をブチ込んだ。
『ギョワェェェッ』
何の動物とも似ていない、耳障りな悲鳴を上げるアンモナイト。奴の口が開いた瞬間、俺はアンカー銃を遠くの木に撃ち込んだ。
このアンカー銃、普段は高い場所に登る時などに使っているものだ。
下半身を食われている最中に、当たるかどうかなんて分からなかった。でも、それしか逃れる方法はなかった。
俺はアンカーの先端が木の幹にヒットした瞬間、一気にワイヤーを巻き上げた。
俺の体は化け物の口から飛び出し、地面を這い、真っ直ぐアンカー目がけて滑っていった。
強酸でズル剥けになった両足が激しく地面と擦れて、死ぬほど痛くて痛くて、俺は歯を食いしばり、泣きながら滑っていった。
これ以上失敗が続いたら、自分は教団に居場所が無くなる。
教団しか居場所がないのに。
どこにも行かれないのに。
そうなったら本当におしまいなんだ。
もう、失敗なんか出来ない。俺はここにいたいんだ。
――だけど、遙香も記憶も失いたくない。矛盾してるのは分かってるけど――
その執念だけで残りの力と気力を振り絞り、俺は自らをエサに敵をおびき寄せた。
俺を追って狙撃ポイントに入ったアンモナイトは、見事粉砕された。
文字通り、木っ端微塵に。
――全く、俺も運がいい。
そして、その後意識を失って現在に至る、というわけで。
ひとつ間違えば自分は死んでいたし、射線に誘い込めず奴を討ち漏らしただろう。
そして奴は仲間の肉を喰らってどんどん強くなって、さらに手がつけられなくなり、被害は拡大……という最悪のシナリオが待っていたはずだ。
シスターベロニカたちに救出された時には、俺の両足はかなり強酸で溶かされて酷い有様だった。筋肉と腱、そして一部の骨までが露出していた。
通常なら切断して義肢を着けていたろう。
だが俺は――