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【7】天使、溶ける

「ショウくん……もうこのまま、ずっと起きないの?」


 ん……………………。


 ――女の子の声が聞こえる。俺……寝てたんだな。誰……


 目を開けようとしたけど、何かに塞がれているみたいだ。

 何? 包帯?

 体を起こそうとしたけど、うまく動かない。

 というか……すごく重い。


 さっきの女の子が何かわめきながら、大慌てで部屋の外に出て行った。

 なんなの……。

 ああ、腹減った。

 何か食いたい…………食う?


 食う?

 食う?

 食う?


 ――食われる?


「ギャアアアアアアアアアアアア――――――――ッ 溶けるッ 溶けるぅ――ッ!」


 俺は、動かない体を何とか動かそうと、寝台の上で身をよじった。


 足は――溶けてる。

 溶けてるから、だから、だから、溶けてるから――――――――


「うあ、やだ、やだ! いやだああああぁぁぁッ! うぁああうおああうああああッ」


「落ち着け勝利! ここはお前の部屋だ!」

 別の女の人の声――。


 痛い。

 誰だ俺を押さえつけるのは。

 やめろ、痛い。体が痛いんだよ。

 なんでそんな痛いことするんだよ。俺動けないのに。


「勝利、勝利、私だ。分かるか? もう大丈夫だ。大丈夫なんだ」


 シスターベロニカ、なのか?

 もう、だい……じょうぶ?

 いない?

 あいつ――


「見えないよ……見えない……どこ、シスターベロニカ……」


 シスターベロニカは、息子――俺の髪を愛おしそうに数度撫で付けると、ミイラのように全身包帯巻きになった俺の、頭部を覆うものを取り除き始めた。


 彼女は、俺の後頭部に手を差し入れて頭を浮かせると、所々に青黒いシミのある包帯をぐるぐると巻き取り、それが終わると俺の頭をそっと枕に戻した。


 次に、俺の目をすっぽりと塞ぐ眼球保護用のガーゼ、それを止めている粘着テープを剥がしていった。


 粘着テープには髪の毛や眉毛が貼り付いて、剥がすと同時に毛がぷちぷち抜かれ、その度に、俺はうめいた。


 俺の顔が全て露わになると、シスターベロニカは濡れタオルで俺の目の周りをていねいに拭いた。


「あれから一週間も経つ。そろそろいいだろう。ゆっくり、目を開けてみろ」


 一週間……?

 俺、一週間も寝てたの?


 俺は、シスターベロニカに言われたとおり、ゆっくりと目を開けた。

 ぼんやりとした視界。

 何度か目をパチパチしてみた。

 上から誰かが覗き込んでいる。

 白黒のシスター服に金髪……これはシスターベロニカかな。もう一人、女の子が……誰だっけ。


「ショウくん、もう大丈夫よ」

さっきの声の子だ。えっと……


 ――そうだ。

 こいつは、俺の『敵』だ。


「出て行け! ここから出ていけえぇぇッ!」

 ベッドの上で、俺はもがいた。


 身を起こすと、全身に繋がれたチューブやケーブルなどがギュっと引っぱられ、体の動きを妨げる。


 いくつかは針が抜け、いくつかは機器から外れはしたが、無様にもがくだけで、負傷で衰弱した俺には、全てを引き千切りベッドから逃れる力は無かった。


 もがき暴れながら、俺は『ガールフレンド』に向かって、何度も出て行けと叫んだ。だが、彼女は泣くばかりで部屋を出て行こうとしない。


 俺は、さらにわめき散らした。出ていけ、出ていけ、と。


 さすがに目に余ったのか、シスターベロニカが俺をベッドに押し倒した頃には、『ガールフレンド』と呼ばれる少女は、顔を覆い、項垂れながら部屋を出て行った。


 俺が錯乱しているしばしの間、シスターベロニカはベッドの上で、傷ついた息子をぎゅっと抱き締めていた。俺も最初は暴れていたものの、ママの豊満な胸に抱かれると間もなく大人しくなった。


     ☆


 元軍人だった彼女が、教団に雇われて数年で左手足を失い、主戦力として異界獣との戦いが出来なくなった時から、彼女の運命は義理の息子、多島勝利と共にあった。


 俺が捨て子として赤ん坊の頃から教団に育てられていた……という話を、俺はともかくシスターベロニカは真に受けてはいない。


 翼を生やし、人間を遙かに超える知覚と身体能力を持つ少年。

 それは、彼女の理解を逸脱したオカルトな生物なのか、怪しげなバイオテクノロジーの産物である生体兵器なのか、兎にも角にも、そのへんに落ちているような代物の筈がない。


 そんな子供の教育係を仰せつかった彼女は、最初はおっかなびっくり、宝物を扱うように育てていた。

 武器の扱いを教えられる年になるまでは――。


     ☆


 ……どれぐらいぶりだろう。彼女にハグされるなんて。ガキの時以来だな……。

 虚ろな意識の中、俺は思った。


「さっきの娘は、お前のガールフレンド、遙香ちゃんだぞ。忘れたのか?」

 正気に戻ったことを察したベロニカが、俺に話しかけた。


「……え? そう……なの? 顔は覚えているけど……でも……」


 はあ、とシスターベロニカは嘆息した。

 でも、自分とって害になる存在だ。

 そう俺の中の何かが囁いている。


「私が、お前の不調にもっと注意を払っていれば……許してくれ」

「いや……あの……」


 記憶が混濁していて、何があったのかよく覚えていない。

 本当に、何がどうして、今こんなことになっているのか。

 なんで母さんが謝っているのか……。


 ある程度、俺が落ち着いたと見たシスターベロニカは、引き剥がしてしまった点滴のチューブや、バイタルチェック用のセンサー類を、俺の体の元あった場所に戻しはじめた。

 針の抜けた跡に、青く血が滲んでいるのが痛々しい。



 血液の青い生物というと、甲殻類や軟体動物が上げられる。

 赤い血の元は鉄を含むタンパク質、ヘモグロビンだが、青い血の場合は銅を含んだヘモシアニンだという。だが、酸素を失ったヘモシアニンは無色透明になってしまうので、勝利の血のように青黒く変色することはない。


 だとすれば、俺の血液は一体何で出来ているのだろうか?

 もちろん、そんなことを、軍人出身であるシスターベロニカや、俺自身が気にすることはなく、もっぱら教団の研究機関で話題にされる程度の事なのだが。



「なにか食べられそうか?」

「うん……。腹、へった」

「わかった」


 それだけ言うと、シスターベロニカは部屋を出て行った。恐らく厨房にでも行くのだろう。

 いまだ俺の頭の中は霞みがかかったように不明瞭なままだった。


     ☆


 シスターベロニカの持ってきたおかゆを食べて一段落した俺は、糖分が頭に回ってきたせいか、ぼんやりしていた意識がはっきりし、記憶も徐々に戻ってきた。


 強い衝撃を受けると、ブレーカーを落としたみたく記憶がズドンと遮断される。

 思考も止まる。そして、一時的に本能にコントロールを預ける。

 もしかしたらこれが、自分の安全装置みたいなものなのかもしれない。

 

 だから、いろんなことを忘れてしまったんだ。


『私が、お前の不調にもっと注意を払っていれば』

 さっきのベロニカの言葉が胸に突き刺さる。


「違うよ……俺がヘマをしただけだよ。シスターのせいなんかじゃない」


 俺は、一週間前の夜に何があったのか、やっと全部思い出した。

 自分の身に起こったおぞましい事も。


 思い出したくはなかったけど。

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