【14】翼の古傷 3
「ちがうよ」
言葉では否定しながらも、目では肯定する俺。
「ムダな抵抗しないでよ……。分かってるんでしょ?」
「しらない」
「ショウくんの嘘つき。何度も遊んだのに」
「しらないしらない」
「泣きながら言ったって、説得力ないよショウくん」
俺は口をへの字に結んで、イヤイヤをする。
「ったく……」
遙香はすっと立ち上がると、リビングのダッシュボードの上から何かを取って、戻ってきた。
「これ。あの夜のあの場所に落ちてたの。これでもシラを切るつもりなの?」
「げっ! いや……あの……」
目の前に突きつけられた物証。
パールホワイトにキラキラと淡く発光している、薄くて細長いその物体は……。
(なんで持ってんの? なんで落とした俺。マズイ。すごくマズイ。どうしよう俺……)
「これ、ショウくんの羽根、だよね? いい加減白状しなさいよ!」
「タジマくんは何も知りません知りません、知らないから許してください」
言い逃れを続ける俺をガン無視し、遙香は彼の太股の上に馬乗りになった。
(あー……これは、昇降口の悪夢・リターンズじゃないか……)
昔の羽根と今の羽根の両方を突きつけられた俺は完全に逃げ場を失った。
「なんで認めないの? 怒るよ?」
「もう怒ってるじゃんか」
「あたりまえでしょ! 十年怒ってるよ!」
俺は言い返す台詞が見つからず、口をつぐんでしまった。
そうだ。
彼女は十年間も自分の消息を探していたのだ。父親の助けを借りて。
昇降口でネクタイを掴んで怒声を上げたのも、キスしたからじゃない。
きっと黙って雲隠れしてしまったことを怒っていたのだ。
「ご、ごめん……」
プリプリ怒った遙香が、フンと鼻を一度鳴らすと、少し大人しくなった。
「じー…………」
と、口で言いながら、俺の怯えた目を見据える。
しばらく見て気が済んだのか、俺の太股の上から降りて、再び俺の横に並んで座った。
「私、思い出したんだよ」
「なにを?」
「ショウくんがこの街に来て、初めて会った晩のこと」
なにやら嫌な予感がする。……そのまま忘れてくれてよかったのに。
「あの夜、私は瀕死の重傷を負った……そして、ショウくんが何か生暖かいものを私に口移しで飲ませて、私を抱いて、そして……大きな翼で包み込んでくれた」
――どうして。大量の出血で、意識は失っていたはずだ。
俺は激しく動揺した。
翼を出したのは彼女の回復を早めるためだったのだが……。
「夢でも見たんだろ。別にあんときハルカさんは重傷なんか負ってないし、そもそも俺にはそんなもの生えてない」
「まだしらばっくれてる。逆になんでよ? 羽もある、写真もある、なのにどうして?」
「まだ分からないのか? さっきも言っただろう。どうして教会がお前等親子と男の子を会わせなかったのか、よく考えてみろっての」
「わかんないよ! ちゃんと言ってよショウくん!!」
「言わせんなよ!! こっちにも事情があるって分かれよ!!」
同時に怒鳴って、お互いの顔を見合わせた。数瞬、間を置いて、
「「……ごめん」」
そして、どちらともなく相手の体に手を回し、ぎゅっと抱き締め合った。
「ハルカ……」
俺は、彼女を強く抱き締めた。身動きが取れないくらい、ぎゅっと、強く強く。
ついさっきまで、遙香と縁を切ろうとしていたことも忘れて。
「今からホントのこと言う。――ハルカのことが、大好きだ」
――ひどいよ……。胸元から、か細い声がした。
本当だな。自分は、本当にひどい。
「答えになってないよ……。ショウくん」
「だから、ごめん」
俺は遙香の顎をぐっと持ち上げると、あの夜のように唇をふさいだ。
「んっ……んぅ……」
遙香がくぐもった声で呻く。
でも、いやがってるわけじゃない。彼女も自分と同じく、唇を激しく求めてるから。
しばらく抱き合った後、俺は寸止め状態で遙香の体を引き剥がした。
俺はまんじりとも出来ず、床に座り込んだまま遙香の手を握っていた。
遙香も彼の手をにぎにぎしたり、指先でなでたり。
物足りなさを無言で訴える。
だが、せっかくのクールダウンも水の泡。
愛しさが抑えきれず、俺は再び彼女を抱きしめる。
床の上で、二人の切ない吐息だけが聞こえる。
これ以上は――
夜には狩りに出かけなければならないのだから、ガールフレンドと悠長にイチャついてる場合じゃない。
一線を越えそうになる度に、歯を食いしばって耐える。
その繰り返しに俺はおかしくなりそうだった。
己の野生を押さえつけ、床に転がり天井を眺めていると、遙香が胸に身を預けてくる。まだ暴れる鼓動を聞かれるのが、少し恥ずかしかった。
日も落ちて、外は少し暗くなってきたが、部屋の灯りは点けないままだ。
そしてまもなく、道路に面した窓から、街灯の明かりが白い帯となって差し込んでくる。異界獣避けのために、一般の街灯より何倍も強い光を放っているからだ。
その光の届かない暗い床の上で、ほんのりと輝くものがある。
先日、俺が落とした羽だ。
子どもの頃のものはもう輝きを失っていたが、抜け落ちたばかりの方は、薄闇の中でその高貴な存在を誇示している。
形は鳥の羽根に見えるのに、それは明らかに、通常の生物が持つ輝きではなかった。
「キレイね……」
「うん」
「小さい方は、もう数年前に光らなくなってしまったの」
「そう……」
そんなこと、自分でも知らなかった。
己の羽を保管する趣味もなかったから、蛍光塗料のように何年も輝くものだとは思わなかったのだ。
言われてみれば、確かに美しい。
普段は体の中に格納しているが、自分はこんなものを背中に持っていたのか、と再認識した。
「……まだ白状してくれないの?」
度々の抱擁ですっかりとろけた遙香が、甘えた声で問いかける。昨日までなら、その手は食わない、と思っていたが……。
「白状する前に、話しておくことがある」
「なあに、改まって」
言いたくないけど、言わなければ。
俺は覚悟を決めた。
万一、教団が彼女に危害を加えるようなことがあれば、全力で阻止しよう。
屍の山を作るのは慣れている。
もう迷うのはヤメだ。
「俺、この仕事が終わったら、この街を出るんだ。数週間なのか、数ヶ月なのかわからない。だけど、そんなに長い時間じゃない。
だから……聞かないで欲しかった。告白させないで欲しかった。別れるのがつらくなるから」
「ショウ……くん……行っちゃうの? せっかく十年ぶりに会えたのに……」
遙香は俺の手をぎゅっと握った。この手を離したくない、という気持ちが伝わってくる。
「ごめん……だから、写真部には入れない」
「そういうことだったんだ……。知らなかった。ごめんなさい……」
「別にいいさ。ただ、力になれなくて申し訳ないと思ってる。それはホントだよ」
「いいのよ。気にしないで」
俺は大きく深呼吸した。
「俺、あのコンビニの前で一目惚れしたんだ」
「……私に?」
こくりと頷く。
「俺、今まで女に興味なんてなかったから、何故だか分からなかった。でも、今なら分かる。俺、ハルカのこと、どこかで覚えてたんだ。だから――」
遙香が首に抱きつき、耳元で囁く。
「よかった。私のこと全部忘れたわけじゃなかったんだ」
「それが、答えじゃダメかな……」
「それで十分よ。お帰りなさい、ショウくん」
「――ただいま、ハルちゃん」
ふと昔呼び合った名が、自然と口から零れた。
通りの方から、パトカーのサイレンが聞こえてくる。少し離れた県道の方からだ。今夜も誰かが異界獣に食われているのだろう。
本気で帰らないとマズい。
今の自分で仕事になるか分からないが、行くしかない。
「じゃ、今日はこれで帰るよ。聞こえるだろ? 俺、行かなくちゃ」
俺が立ち上がろうとすると、遙香が握った手をぎゅっと引っぱる。
行くな、と。
「俺、このためにお前の街に来たんだ。分かってくれよ。遊びじゃないんだ」
「あんなに気持ち良さそうに飛び跳ね回っていたくせに」
「それはそれ、これはこれ。仕事の中にも楽しみを見いだすタイプなの、俺は」
一体どこを見ているのか。油断もスキもない女の子だ。
もしかしたら、本当にカメラマンの才能があるのかもしれないな。
「……で、ハルカさん、そろそろこの手を離してくれないかな?」
「ダメ」
「どうして。明日学校で会えるだろ?」
「会えないかもしれないじゃない……。こないだも大けがしてたし」
全身包帯グルグル巻きのミイラ状態を、彼女に見られたことを思い出した。
不安なのだろう。
「俺は平気だから――」
「兵器だから?」
ただの聞き間違いなのに、うッ、となってしまった。
そうだ。遙香の言うように、教団にとって自分はあくまで兵器なのだ。
たった一人で幾百幾千の獣を屠り、ほぼ不死身の体を持っている。
普段意識はしないものの、他の誰かに言われると、暗い気分になってしまう。
「ちがう、そうじゃない。俺はカンタンには死なないっつってんの」
「でも……」
「仕事なんだ」
遙香が両手でぎゅっと腕を握った。
どうしても帰さないつもりか。
「お願い、行かないで! もう会えなくなるのはイヤなの!」
遙香が泣きだしてしまった。
「ハル……」
どうしよう……。