【12】翼の古傷
「ねえねえ、こないだの部活の件、保護者の人に聞いてくれた?」
翌日、帰りのHRが終わると、遙香が俺の席に飛んできた。
このまま部室まで連行する気マンマンに見える。
「いや、まだ……。それより、全然人数足りてないんだから、タケノコでも入れたらどうだ? 熱心に働くぞ」
遙香は一瞬タケノコの方を見ると、
「イヤよ。備品壊されたら困るし。だいたいあいつ写真なんか興味ないでしょ。友達とバイクとゲームの話ばっかしてるし」と一蹴。
「写真に興味ないの俺だって一緒だよ」
「はいはい、部室行きましょうね~」
と言って、俺の腕を引っぱり始めた。
その手に乗るもんか。
「いやいやいや、入れるかわかんないからマジで。それよかこれから家行ってもいい?」
「えっ! あ、い、いいよ」
急な申し出に、遙香は驚いて目を丸くしている。
☆
俺と遙香は、帰りにちょっとコンビニに寄り、『夢のらせん階段』を買い食いした。最初に彼女と食べた時とは違う味がするのは何故だろう。
「おいしいね」と言って遙香が笑いかける。
至福。
思わず目を細めてしまう。
それと同時に、近いうちに彼女と離ればなれになる運命を呪わずにはいられなかった。
――このまま、連れ去ってしまえたら。
俺と同じ、教団の子どもになってくれたら。
願っても仕方のないことを、頭の中から追い散らす。
このまま死んでしまいたい。
悲しみたくない。
そんなバカな考えすら浮かぶ。また、頭の中から追い散らす。
「どうしたの? さっきっからヘンな顔して。まだケガの具合よくないの?」
心配そうに顔を覗き込んでくる遙香。
(ちげえよ、お前のせいだよ)
そう思いながら、残りのソーセージをさっさと胃の腑に納めた。
☆
俺たちが一文字家に到着すると、先日の借金取りはいなかった。
あの時、銃で脅してお引き取り願ったのだが、アレで大分懲りたろうか。
少なくとも、御曹司のタケノコ本人は本気にしていたようだけど。
「それで貸すのはいいけれど、地図なんかどうするの?」
家の鍵を開けながら、遙香が尋ねた。
俺が借りようとしているのは、一文字氏が仕事で使用していたと思しき、リビングに貼ってあったあの地図のことだ。
ドアが開くと、東南アジアのインセンスや古書、古木の匂いが漏れ出してくる。さしずめ、アジアンテイストの古物店の香りが一番近いだろう。
「確かめたいことがある。ハルカさんのお父さんが、何を調べていたのか。もしかしたら、失踪の手がかりが掴めるかもしれない……」
「ホントに!?」
遙香の目が大きく見開かれた。ただでさえ大きな瞳が、ひときわ輝く。
「あ、あくまで可能性だ。あんまり期待しないでよ」
「そっか……。うん。わかった」
口には出してないけれど、期待して損した、と顔に書いてある。
(早合点すんなよ……)
遙香が例の地図を持ってくるまで、俺は廊下に飾られた世界中の民芸品を眺めていた。
「世の中には、ホントに器用な人がいるもんだよなあ…………」とため息。
どれもこれも素人目にも本当に素晴らしい品で、民芸品と言うのが失礼なほど精巧なもの、美しいものでいっぱいだった。もしかしたら、この中にシスターベロニカの興味を惹くものがあるかもしれない。
(そういえば、シスターベロニカは日本の古都や美術品を見に来日したんだっけ……)
かつて某国の軍人だったシスターベロニカは、退役直後に観光で日本を訪れていた。和風好きな彼女は度々来日し、仏教芸術や日本の手工芸品を熱心に見て回っていたという。
その最中、彼女の経歴に以前から目をつけていた教団がスカウトしたのだった。
俺が食い入るように廊下の民芸品を見ていると、奥から遙香の声がした。
「ショウくーん、ちょっと来てー」
「なにー?」
「画鋲に手が届かないから、こっち来てー」
(そういうことか。はいはい、今いきますよ)
「わかったー」
俺は、怪しいグッズや本で足の踏み場もない廊下を慎重に進み、リビングに向かった。部屋の中では、遙香がうんうんと画鋲に手を伸ばしている。
「何やってんの。椅子でも使えばいいじゃんか」
「イヤよ。前に椅子に昇ってひっくり返ったことがあるんだから」
とむくれながら、画鋲の入っていた、樹脂製の小さい透明なケースを手渡した。
「はいはい。あ、地図べろーんとなるからそこ押さえてて」
「うん」
俺は、地図の上辺に点々と刺し込まれた画鋲を、一つ一つていねいに外し始めた。
「ここ、このあたり、教会あったよね」
遙香が急に、地図の一点を指した。
「あー知ってる知ってる。昔、大きな木があったとこだよね」
俺は外した画鋲をケースにザラザラっと入れ、パチンとフタをした。
そして、遙香にポンと手渡した。
「ショウくん、いま、あの木どうなってるのかな?」
「あの木、古くて朽ちかけてたから去年切っちゃって今は母子家庭用施設になってるよ」
俺は地図を丸めて、足元に用意された樹脂製の大きな書筒に入れた。建築の図面等を入れるもので、ご丁寧にストラップもついている。
「それってさ……この場所だよね?」
遙香が俺の目の前に、写真立てに入った、幼い俺と遙香のツーショット写真を突き出した。何をか言いたそうに、こちらをじっと見ている。
「み、みたい……だな」
「あのね。この写真撮った日。その教会で毎月恒例のこども会があったの」
俺の隣に並んで、壁に背を預ける遙香。
先日のような、ひどい尋問を受けるのかと思ったら、遙香は昔語りモードに入っていった……。
「食事も終わって退屈していた私は、もらった風船を手に裏庭に遊びに行ったの。危ないから大人がいない時は入っちゃいけないって、今まで何度も言われてたのに、その日は無視して裏庭に行ったの。
それを見ていたこの子が私を追いかけてきて、先生に怒られるから戻れって何度も私を注意してたの。もちろん私はその子も無視してどんどん裏庭に駆けていった」
遙香は、子どもの頃からずいぶんとおてんばだったようだ。
勝手にあちこち入り込み、人の言うことを聞かないのは、今もあんまり直っていない気がする。
「裏庭で走り回っていた私は、そのうち何かに蹴躓いて転んで持ってた風船を飛ばしてしまったの。で、あの木の枝に引っかかった。私は風船を取るために木に登ったわ。でも、登ってはいけないって、下から男の子が叫ぶの」
(そりゃそうだ。あの木は子どもの身の丈からすれば、結構な高さだったはずだ……)
「男の子は、登ってはいけないって何度も何度も叫んだけど、私は無視して登った。あんまり私が無視するから、男の子も後から登って、私を注意しに来たの。
すぐ後まで男の子が来たけど、枝に引っかかった風船に手が届きそうだったから、私は幹から枝の方に這っていった」
(俺じゃなくたって、普通は止めるだろソレ。落ちたら最悪死ぬぞ)
「男の子は半分泣きながら、降りよう、降りようって言ったけど、私はうるさいって怒鳴って風船に手を伸ばした。案の定、二人分の体重に耐えかねた枝がぽっきり折れて、私たちは落っこちた」
(ほれ見たことか。……って、俺も落ちたのかよ! ひでえ)
「その時よ。男の子が私を抱えて……背中から翼を出したの」
――ちょっと待て。
――俺が、翼を出した、だと?




