【6】ゆがむ記憶 崩れる心 6
帰りたい。
ああ、帰りたい。
帰りたい。
俺がこんな気分になるのは、昨年夕食の鯖に当たったとき以来。
「もう……どうなってんだよ」
自分以外、どこにぶつければいいのか分からない憤りを、仕方なく足下の石にぶつける。全く持って、石にとってはとばっちりもいいところだ。
コン、と乾いた音を立てて飛んでいった握り拳大の石は、道路を挟んだ植え込みの中に消えた。
低木の中に落ちて、ガサ、ドス……という音がする筈なのに、ガサ、の次が――
『ギャンッ』
「あ……。マンガかよ」
即座に植え込みへと銃弾の雨を浴びせた。
満タンにしたばかりの、サブマシンガンの弾倉内がみるみる減っていく。
数秒ほど甲高い悲鳴が続き、そして消えた。
異界獣の生臭い血と内蔵の臭いが、前方から漂ってくる。
コツコツ、とブーツを鳴らしながら二車線の道路を渡り、植え込みの前に立った。
ベルトバックルのライトで照らしてみると、低木の向こうでぐちゃぐちゃになったアギトが転がっていた。
ピクリともしないので、死んでいるだろう。
念のため、急所に数発銃弾を撃ち込む。
大カエルとやり合った時のように、大きな刃物でもあればムダ弾を撃つ必要もないのだが、正直いって体の半分が顎の『アギト』には、あまり触りたくはない。
「また一匹、と。運の悪いやつだな。隠れてないで逃げればよかったのに」
今宵は、異界獣の血をさんざん浴びた男がうろついているのだ。
危険を察知して逃げるのが動物じゃないか、と思いもしたが、こいつらは異界獣。こちらの理など通用しない。
そもそも人間が主食の連中だ。しかし個体差があることは教団も把握している。今しがた処理したアギトのように、臆病なヤツもたまにはいるのだから。
「うん、俺も逃げたい。もうこれ以上、ドジを踏みたくねえんだ」
☆
ドジを踏みたくない、と思えば思うほど、ドジを踏んでしまうものだ。
俺様の、本日二十五回目のドジは、アギトと間違って、置き去りにされた民家の飼い犬を射殺してしまったことだ。
「あああああああああ――――――ッ、もうやだああああああああ――――ッ」
頭を抱えて地面をゴロゴロのたうち回る、異界獣ハンター。
教団マニュアル通り、変質者の犯行ということで処理されるが、良心は痛む。
ごめんよ……ワンコ。マジごめん……。
「あ、あの、こちら勝利――」無線でキャンプを呼び出す。
『どうした』
いつも通りのシスターベロニカの声。少し安心する。
「やらかしました……」
『む、お前は無事なのか!! 歩けるか!?』
「そ、そうじゃなくて……」
心配性のシスターベロニカに事情を説明し、可愛そうな犬の座標を記録してもらう。明朝になれば警察から、今は避難している飼い主に話をつけてくれることだろう。
「あれ……? そういや、ここの区画封鎖って、不発弾処理だったような……」
俺の背中に冷たい汗が流れた。
(警察の人ごめんなさい、言い訳めんどくさくなってごめんなさい)
元犬だった肉塊に手を合わせると、俺は先を急いだ。
☆
足を囓られ、コートの裾を破られつつ、道中十匹ほどのアギトを処理した俺は、順調に西側の閉鎖区画を攻略していった。
「どこが順調なんだよ! クソッタレ」
誰に毒づいているのか分からないまま、俺は月夜の道を進んでいく。
汚れようとも、みっともなかろうと、アギトとの戦いで積み上げた『勝利』は本物だ。しかし、それが今は実感出来ない。
「こんなの俺じゃねえええええええッ!!」
俺のイライラは限界に達しつつあった。
☆
「マジヤダ……もう帰りたい。おうちに帰りたい……」
イライラに任せてサブマシンガンを撃ちまくっていたら、当然だが弾が無くなった。次の補給ポイントまでは、まだ距離がある。
俺は仕方なく、両手に大ぶりのダガーを装備し、アギトを切り刻んで歩いていた。もちろん、腕はガジガジと囓られ放題である。
防具を着けていなければ、俺の腕は今ごろ骨を残してボロボロになっていたろう。
背後に気配を感じた。荒い呼気と足音――
「だから!! イヤだっつってんだろッ!!」
振り向きざま、俺は刃を横薙ぎにした。
一瞬ぶにゅり、とした感触のあと、ダガーは固いものと柔らかいものを両断した。
刃は月明かりを一筋、すう、と闇の中にたなびかせる。
黒い体をぬらりと光らせた獣が、飛びかかろうとした体勢のまま空中で真っ二つになっていた。
ダガーに付いた水色の体液を、びゅっと強く振って落とすと、異界獣のなれの果ては、黒いアスファルトの上に極彩色の内蔵をブチ撒けた。
さながら、ゼリービーンズのようだ。
「…………ヤバい。このままじゃ……」
俺は額に手の甲を当て、目を瞑った。まだ微かに目眩が残っているようだ。
己の精神状態が普通でないことに、俺はようやく気付いた。
ただ集中力がないだけ、ちょっと消化不良を起こしていただけ、少し疲れていただけ。色々と大丈夫な理由を並べてみるが、ちっとも大丈夫になどなりはしない。
思い当たるフシを考えようにも、次々と敵は現れる。
もちろんメインターゲット以外も。
アギト以外は小物がほとんどとはいえ、考え事をしながら始末出来るほど楽ではない。油断をすれば指の一つくらい食われてしまう。
「早く……早くここから出なければ……」
しかし、エリア外に出るには、全ての敵を駆除しなければならない。逃げたい気持ちと戦いながら、異界獣とも戦う。
俺は、その相反する行為に耐え難くなっていた。