【2】ゆがむ記憶 崩れる心 2
俺とシスターベロニカの二人で教会裏の駐車場に出ると、ワンボックスカーにシスターたちが弾薬などを積み込んでいる最中だった。
「お疲れ様です。まもなく積み込みが終わりますので、もう少し待っていてくださいね」
俺たちに気付いたシスターの一人が声を掛ける。
この教会には、戦闘訓練を受けた職員はほぼいないと言っていい。
異界獣と接触することを想定されている、ゲート観測員のシスターアンジェリカのみが、教団本部で基本的な訓練を受けているに過ぎなかった。
いま作業をしているシスターたちでは、せいぜい荷物番や通信係が関の山で、駆除作業の実務においては、俺たち二人でほとんどを賄わなければならない。
「今夜も騒々しいですね」もう一人のシスターが呟く。
夜の街に緊急車両のサイレンが響き、湿度を伴った風が、災いを予感させる。
「諸君はあくまで非戦闘員だ。くれぐれも無謀なマネはしないでくれ」
初めての実戦で高揚する二人に、シスターベロニカが釘を刺した。
市民には、極力不要不急の夜間外出は避けるよう、行政から指示が出ているのだが、徹底するのは難しい。
毎晩どこかしらで、誰かが異界獣の餌食になっているが、いつ市民がパニックを起こしてもおかしくない状況になりつつある。
そんな中を、ひとり無邪気に撮影して歩いていた遙香を思うと、俺は苦笑せざるを得なかった。
「こんな時に言う話じゃないとは思うんだけど……、俺の小遣い、増やしてもらえないかなあ」
出動前の喧噪の中、俺は奥歯に物が挟まったように言った。
「何だ? 欲しいものでもあるのか。仕事が終わったら注文してやる」
シスターベロニカは、通信機器を調整する手を止め、俺に応えた。
「そ、そうじゃなくて……あの…………」
「何だ、もごもごと。言いたいことがあるならハッキリと言え、勝利」
「あ、ああああの…………」
「だから何だ!」
「げ、げげげ、現金が欲しいんだよ!」
俺の痛切なシャウトに、その場にいた全員が一斉に俺を見た。
「現金……だと?」呆れ顔のベロニカ。
「シスターベロニカ、きっと人には言えないようなものが欲しいんですよ」
「AVとか?」
「今はそんなの無料で見られるじゃないですか」
「いや、きっとマニアックな性癖なのよ」
「それとも大人のおもちゃかしら?」
「えっと……テンg」
シスターたちが好き放題に憶測をし始めた。
「あああああああああああああああああああああああああああッ、なに人のこと勝手に異常性癖にしてんだよクソッタレ! 違うよそういうのじゃねえよッ」
バンバンと地団駄を踏む俺。
「どーして俺が金欲しいって言うとそういう事になるんだよッ、思春期の男子が全員エロに金突っ込んでるとか思ってんじゃねえぞ、このクソシスターどもめ!!」
「じゃあ、何に使うんだ。まさか非合法薬品でも欲しいと言うのか? ゆるさんぞ」
「ちがうってば! そっち方向に想像しないでよ!!」
「もしかして、彼女さんに貢ぐ……とか?」
ギクリ。
「あ、やっぱそうなのかしら?」
「どうなのかしら?」
「それって正解なの? 教団的には由々しき事態よ!?」
「外の女に貢ぐなんて、シスター的には由々しき事態じゃない!」
「貢ぐの?」
「ショウくん、ATMになるの?」
「「どうなの?」」
「……そういう、話なのか? 勝利」
パトカーのサイレンが教会前を通り過ぎる。
ドップラー現象で音が歪んで消えていく。
(……言うんじゃなかった)
全員の視線が体じゅうに突き刺さる中、俺はその場にうずくまってしまった。
「う……」
「「う?」」
「う、」
「「う?」」
「うんこしてくる――――ッ!!」
脱兎のごとく飛び出した俺は、一瞬で建物の中へと逃げ込んだ。
「逃げた?」
「逃げた」
「何故、逃げる?」
「「図星だからです!!」」
シスターベロニカは得心した顔で、ぽつりと呟いた。
「何だ、女か」
☆
「おーい勝利、いつまで脱糞してるんだ、早く出かけないと朝になってしまうぞ!」
玄関先からシスターベロニカの罵声が飛んでくる。
トイレに逃げ込んだはいいが、そもそも便意など催していない。
タクティカルスーツを装備する前に済ませていたのだ。
「い、い、いま出る!」
裏返った声で返事をすると、玄関のドアが、乱暴にバタンと閉じた。
だが、あの連中とは今夜一杯は同じ現場で駆除作業だ。
実に困ったことになった……。
「ああ、もう……。だから教団の女は嫌いなんだよッ、たく」
☆
「お待たせしました」
俺は意を決して駐車場に出てきたが、早くもくじけそうな気分になっている。
同行するシスターたちがクスクスと自分を見て笑っているからだ。
「……やっぱやめようかな」
シスターベロニカは大きくため息をつくと、
「お前達、いい加減にしろ。今こいつの機嫌を損ねたら、困るのはお前等なんだぞ。分かっているのか?」と、シスターたちをたしなめた。
「「ごめんなさーい」」
「ったく、反省しているのか? ただでさえ、地形を記憶するためにこいつの精神には……、まあいい。早く乗れ、勝利」
「ういす」
☆
シスターベロニカは何を言いかけたのか。
自分の精神には一体何が?
――まさか、記憶のないことと何か関係が?
だが、今それを聞くのはやめておこう。
今夜の狩りは、まだ始まってもいない。