【6】何もかもが同じという恐怖 4
「大変だな、じゃないわよ。貴方も入るのよ」
「へ?」
遙香が何を言っているのか、一瞬理解出来なかった。
遙香は雑巾を流し台に放り込むと、脇の事務机の引き出しから入部届の用紙とボールペンを取り出し、今しがた水拭きをしたばかりの会議テーブルの上を、自分のブレザーの袖口でごしごし拭うと、俺の正面に向けて紙とペンを置いた。
彼女が放課後に付き合え、と俺に言った理由が、部員不足で困っていた写真部への勧誘だったのだと気付いたのは、間の抜けた返事をしてから数瞬経ってからのことだった。
「はい、これに名前書いて」
彼女は氏名欄を指さした。
「あ、……ごめん。俺、部活は入れない。力になってあげたいけど……ごめん」
「名義だけでもいいよ。忙しいんでしょ?」
俺はうつむき、膝の上で両手を組んだ。
力を入れすぎて、指先が白くなっていく。
「そうじゃないんだ。俺…………」
その先の言葉が、どうしても出ない。
「……どうしたの?」
俺の様子がどこかおかしい。
そう感じた遙香は、俺の隣に腰掛け、不安げに顔を覗き込んだ。
そして、俺の握りしめた拳にそっと手を載せてきた。
遙香の手のひらが、やわらかい。
さっき水を扱ってたせいで、指先がすこしひんやりする。
――ダメだ。
やっぱり、言えないよ……すぐいなくなるなんて。
そんなこと、自覚するだけでも胸が苦しくなってくる。
「い、いい、今まで部活とか入ったことないし……。あ、でもシスターに聞いてみるから……返事、後でいいかな」
その場しのぎの言い訳をし、入部届を畳んでシャツのポケットにねじこんだ。
数ヶ月、あるいは数週間もしたら、自分はこの町を出て行く。
その変えようのない事実を、俺は遙香に告げることが出来なかった。
――やっぱりここでも、自分は本当のことが言えない卑怯者だ。
『ハルカを殺したのは、俺だ』と、ずっと言えずにいるのだから。
俺は深呼吸し、罪悪感を必死に飲み込んだ。
「ああ、忘れてた、今日はウチの教会のこども会なんだよ」
「こども会? あっ、むかし行ったことある」
「でさ、スコーンとかクッキーとかたくさん焼いてるからさ、もらいに来ないか?」
「え、いいの? 子供じゃないのに……」
「朝あんだけメシ食っといて、遠慮もあるかよ。ほら、行こう!」
俺は強引に遥香を連れて帰ることにした。ここで色々追求されても面倒だし、このまま学校内にいるのが不気味に思えたから。
☆☆☆
遙香を連れて教会に戻ってくると、門の前には、こども会開催の看板が立っていた。礼拝堂の方からは、アニメの主題歌が漏れ聞こえてくる。
ちらと時計を見ると、もうイベントは始まっているようだ。
「ほんじゃ、お菓子もらってくるから。ハルカさんはここで待っててくれ」
「うん、ありがと」
俺は遙香を教会の外に待たせると、門を開けて敷地の中に入っていった。
まっすぐ食堂に行くと、そこはこども会のバックヤードと化していた。
近隣の子供たちをもてなすための大量のドリンクやお菓子、軽食がバットに入ってテーブルいっぱいに並んでおり、室内はいろんな食べ物の匂いが充満していた。
床にはいくつもの大きな段ボール箱が置かれ、中にはお土産の包みが詰まっている。
毎度のことながら、教団の地元住民へのバラ撒きは度が過ぎるのでは、と思わなくもないのだが、異界獣の沸くゲートを始末出来ない自分達の不甲斐なさを考えれば、迷惑料としては少なすぎるくらいだ。
「ショウくんおかえりなさい。おやつの補充大変なのよ。手伝ってくれる?」
シスターの一人が声を掛けてきた。
「もちろん。その前に、ちょっとお菓子を分けてもらえますか?」
「自分用かしら? あとでお部屋に届けるわよ」
「いや、と、友達にちょっと……」
俺が口ごもると、シスターは意味深な笑いを浮かべ、
「ああ、彼女さんね? いいわよ。待ってて。包んであげるから」と言った。
数分後、俺はコンビニ袋いっぱいのお土産を持って、遙香の元に戻ろうと廊下を歩いていると、ふと窓から彼女が見えた。
ガラス越しに様子をうかがうと、何だかぼーっとしている。
「うーん……やっぱり、思い出せない。写真が本物だとすれば、あいつと俺はガキの頃に会っているのは確かなんだろうけど、お互いずいぶん育ってるからなあ。
正直に全然覚えてないよ、って言うべきかどうか、ちょっと悩むなあ。でも……、俺が忘れてるって知ったら、あいつ悲しむかな」
――やはり言うべきじゃないのかもしれない。いつか思い出せればいいのだが。
「おーい、お待たせ。いっぱいもらってきたよ」
今はこども会会場となっている礼拝堂のドアを開け、俺は遙香に声をかけた。そして、お菓子のいっぱい詰まったコンビニ袋を頭の上に掲げて見せた。
遙香はニッコリ笑って俺に手を振った。
こども会の喧噪と遙香の笑顔。
俺は一瞬何かを思い出せそうな気がしたが……やっぱり、ダメだった。