【1】転校生は異界獣ハンター
俺は夏が嫌いだ。それが初夏であっても。
いまは仕事で関東のどこかに来ている。
中規模の都市。宅地が多いからベッドタウンのようだ。
都心よりは、ちょっと自然が多いだろう。山が少々と川。
河川敷には野球、サッカー、テニス、ゴルフ等のスポーツ用区画。
山寄りには大きな池を擁した緑地公園がある。
他は……来たばかりで町の地形情報以外はよくわからない。
今日転入したこの学校は、……聖ナントカカントカ学園高校。
家業の都合で、しょっちゅう転校しているから学校の名前なんか知らない。
というか興味もないし覚えてもしょうがない。
いつも数週間から数ヶ月後には出て行くんだから。
家業は、人に聞かれたら『公衆衛生を維持する仕事』と言いなさい、と家の人に言われてる。ピンと来ないけど、分かる人には分かるんだろう、と思っている。
でだ。転校早々大問題が発生した。
俺は、会ってはいけない人に遭遇してしまったのだ。
運の悪いことに、同じクラスにヤツがいた。
俺がヤツに気付くと、ヤツも俺にすぐ気がついた。
ヤツは、明らかに、俺を知っている。
おかしい。
知っているはずがないのに。
あのとき意識はなかったのに。
教室内では不思議と俺に接触してはこないものの、文字通り射るような視線をガンガン飛ばしてくる。おかげで、俺のメンタルは転校初日早々穴だらけだ。
そんなヤツにガクブルしながら放課後まで耐え抜いた。
極限まで精神値を削られて、今や体力値を精神値に変換している始末だ。
とにかく急いで学校から離れなければ!
これは非常事態、絶賛大ピンチなのだ!
さて、心底神経疲労困憊状態の俺は一体何者なのか。
『悪いな、もう下駄箱に到着だ。自己紹介はこのくらいでいいかい?
あ、忘れていた。俺の名は――――』
☆
俺が急いで学校から逃走しようと、下駄箱の扉に手をかけたその時だ。
『バンッ!!!!!!!!』
昇降口に、けたたましい衝撃音が響いた。
背後から誰かが、スチール製の下駄箱に強く手を突いたのだ。
叩いた力が強すぎて、下駄箱全体がぐらっと揺れて少し後に傾いでしまった。
(ひっ!)
俺はおどろいて、その場で二センチくらい飛び上がった。
その衝撃で、鼓膜よりも心臓が破れそうになった。
おかしい。たしかに振り切ったはず……。
なのに何故!?
恐怖を押さえ込み、俺は試みる。
ソイツが誰なのか、確認しようと首を動かす。
だが、何十年も油を差してない錆び付いた蝶番のように、思うように動かない。
首にまとわりつくのは、錆ではなく、懼れ。
ギギギギ……と首を回してみると、人影が目に入るよりも早く俺のネクタイがぎゅっと掴まれ、強く引っ張られ――
次の瞬間、目の前に『彼女』のドアップが出現した。
「返してよ! 私の獲物とファーストキス!」
「私の獲物とファーストキス?」
至近距離から鬼の形相で睨んでいる彼女。
首根っこを捕まれたまま、哀れな転校生は歯の根も合わぬままオウム返しをした。
(え、なに? ファーストキス?
俺だってまだしてないのに。
いや、もしかしてアレのこと?
でもアレってキスじゃないし応急処置だし……。
って、まさか…… ああああ、あの時意識が????
――覚 え て た の か!)
顔バレしていた原因が、いくぶん腑に落ちる。
ざっくり彼女の容姿を説明すると、中肉やや長身、外側に大きくハネたボブヘアー。目力が強く、良く言えば元気一杯な少女だ。
「これ! 多島君でしょ! 証拠は上がってんだから!
それにその泣きボクロ! 覚えてんだから! このセクハラ男!」
「セ、セクハラって人聞きの悪い……」
彼女は市販のゴツいショルダーベルトをたすきがけにした改造スクールバッグから、ゴソゴソと数枚の写真を取り出して俺の顔に突きつけた。
「いや、近すぎて見えない……」
彼女はイラっとしたのか、ぎゅっと目を細めると、ネクタイを掴んでいた手を放し、乱暴にドンと突き飛ばした。
少々距離を取ったと思ったら、今度は『ガンッ』と大きな音を立て、俺の腰の脇に片足を突き立てた。
足で壁ドンなど聞いたことがない。
これは逃がさない、という意思表示か。
「これなら見えるでしょ。あんた一体なんで私にあんなことしたの?」
「へぁっ!?」
彼は目ン玉がブッ飛びそうになった。
多分リアルに二ミリくらいは飛び出ただろう。
確かに、写っているのは仕事中の俺、そして日頃俺が虐殺しまくっている駆除対象たちだ。その異形の生物たちは、青い炎で燃え散ったり、極彩色の臓物を往来にブチ撒けている。暗がりが多かったにもかかわらず、よく撮れている。
――俺、終わった。マジ、万事休す。
やっぱバレてたんだ……
「え……あ……あの……あの……あああああの……あの……」
どうすればいいか分からなくて、俺は口をぱくぱくさせるしかない。
駆除対象相手なら無慈悲な俺だが、今は為す術がない。
イラっとした彼女、もう一発ガンッ、と下駄箱に鋭い蹴り。
ヤモリのように下駄箱に貼り付く俺。
「答えなさい! 多島勝利!」
それが俺、異界獣ハンターの名だ。
「な、何のことだか分からないな」
「とぼけないで! なんでキスしたの!」
「知らない……」
「じゃあこの写真は何なの? そもそも私の獲物を横取りしといてセクハラまでするとは、とんでもない男ね!」
「あうう……よ、横取りってどういう意味?」
俺は女子みたいにスクールバッグを両手で抱えて縮こまった。
「私の生活がかかってんの! 二度と横取りしないでくれる?」
「何を言ってるのかわかんないよ」
彼女はジロリと睨みながら俺の顔を覗き込んで言った。
「この写真はなんなの? 何してたの?」
「えーっと……家の手伝いで……」
「そっちこそ何言ってんのかわかんないわよ! ちゃんと説明して」
「いや、その、とにかく騒がないでくれ、俺マジ困るんだ」
「え~~~、どうしようかな~。セクハラしたって言いふらそうかな~~~」
写真をピラピラさせるコイツ。俺を脅迫しているのか……。
「他の人には言わないでくれ。頼む。本当に困るんだ。
俺、ビッキーに殺されちゃう。
何でも言うこと聞くから、秘密にしてくれ。頼む!」
「じゃあ……」
彼女は、九十度首を動かして、廊下の方をちらりと見た。
俺もいっしょに首をギギギと動かして廊下の方を見ると、向こうから、やたら体を左右に動かして下品に歩いてくるヤツがいる。
カギやらチェーンやらをぶら下げてるせいか、体が揺れるたびにジャラジャラ音を立てている。背は低めで、この学校の生徒にしてはちょっとオツムが軽そうだ。
「あのDQNがどうした?」
「私の彼氏になって。今すぐ」
彼女は再び俺を見て言った。告白というよりも脅迫だ。
「いま、なんて?」
「ナァウッ!」
奴が両手で下駄箱に壁ドンと共にシャウトした。
イエスかはいで答えろと、血走った目が語っている。
「わかったよ」
――――――これで俺、助かるの? もしかして、悪魔の契約?