【10】都市伝説ハンター 3
「ごめんなさい!」
遙香はいきなり立ち上がると、ローテーブルにバンッと両の手を付き頭を下げた。
「助けてくれたのか確信がなかったの! 気がついたらキミにキスされてて、でもまたすぐ気を失って……どさくさ紛れにあんな……あの、だから……ごめんなさい!」
「わ、分かったから、もうちょっと静かに謝罪して? コップ倒れるよッ」
俺は慌ててローテーブルからグラスを取り上げると、背後のキッチンカウンターに移した。また遙香が暴れてグラスが割れでもしたら大変だ。
「そんなんどうでもいいから! 命の恩人にホントひどいこと言ってごめん!」
半泣きでダイナミック謝罪を続ける遙香。
なんでこんなに大げさなんだろう?
「もういい、わかったってば、だから落ち着いてハルカさんッ」
でも彼女は落ち着いてなんかくれなかった。
ローテーブル越しに、勝利の胸に突然飛び込んできたのだ。
その時、ハッキリ聞こえた。
彼女はこう言った。
『また守ってくれてありがとう』と。
――また?
勝利は遙香に半ば押しつぶされながら訊いた。
「またってどういうこと? 俺がハルカさんに逢ったのは、あの夜が初めてのはずだ」
彼女は瞳を潤ませながら、頭を左右に振った。
「ちがうよ。二度目、だよ」
「そんなバカな……。ありえない」
「じゃ、証拠見せるから」
そう言って遙香は身を起こし、棚の上にならんだ写真立ての中から一つを持ってきた。
「ほら。見覚えがないなんて言わせないから」
「――――――――――記憶に、ない」
「はァ? どっからどう見たってこれキミでしょ? ウソつかないで!」
彼女が俺に見せたのは、幼い頃の「彼女」と「俺」のツーショットだった。
「う……」
二人とも面影はしっかり残っていて、誰から見ても、見紛うことはなかった。
たしかにこの少女は遙香、そして少年は――俺だった。
背景になっている場所にも、ハッキリと見覚えがあった。あるはずだ。
それは自分が育った教団の孤児院なのだから。
唯一見覚えがないのは、「彼女」だけだった。
「……そんな……バカな」
写真立てを持つ手が震える。
「た、たまたま会っただけだろ? 遊びに来たとか何かで……そんなの、忘れてもおかしくもなんとも――」
彼女の目がつり上がった。はっきり怒っているのがわかる。
「忘れるなんてあり得ない! だってこの後すぐ、キミは高い木から落ちて大けがしたんだよ! 私をかばって!」
(――かばって? 俺が?)
「……ウソだ。俺にそんな記憶はないし、木から落ちた記憶も、誰かをかばった記憶もない。本当に……ないんだ。ないんだ。ない……ない、はずなんだ」
俺は写真立てを床に落とし、頭を抱えた。
脳がミシミシといっている気がする。
記憶をいくら遡っても、ほじくり返しても、遙香の記憶は全くもって見つからない。だが、彼女がウソを言っているとは思えない。
「信じて欲しい、俺は本当に君のこと、覚えてないんだ。確かにこの場所は記憶にある。だけど……」
なら、この記憶の空白は一体何なんだ?
「ホントだよ!! キミは『羽』を折ったんだから!! 思い出してよ!!」
遙香は大粒の涙を流しながら悲壮な叫びを上げた。
教団関係者しか知り得ない言葉を口にしながら。
「どうして……………………ソレを、知ってるんだ」
何故、この娘は自分が翼を持っていることを知っているのか。
何故、自分も知らないような事故を知っているのか。
木の上から落下したことも、翼を骨折したことも、全く記憶にない。それどころか、自分の翼は飛ぶことも出来ない、ただのジャマな気管に過ぎないのだ。
(なんで? なんでだよ? お前一体……誰なんだ? 俺の何なんだ?)
言いようのない恐怖に襲われ、いてもたってもいられなくなった俺は――、
「ご、ごめん!」
遙香の家を飛び出した。
背後から自分の名を呼ぶ声が何度もしたが、無視して一目散に教会に逃げ帰った。
敵を前に退いたことなどないこの俺が。
☆
遙香の家を飛び出した俺は、襲ってくる不快感と戦いながら、日暮れの道を急いだ。歩けばものの数分の距離が、無限に遠く、遠く感じた。
本当に今日はひどいひどい一日だった。
いろんな事がありすぎて、心がひどくかき乱されて不快になったってことだけど。
早く教会に帰って安心したい。
シスターベロニカの顔を見て安心したい。
異界獣のツラを見て安心したい。
闇に紛れて安心したい。
何も考えずに安心したい。
ただ言われるままに殺戮に酔っていたい。
――だってハンターが不安になったら、死ぬしかないじゃないか。