File3:ユートピアの呼び声『 写真』完
隠は月刊『異界』編集部のあるN区から車で二時間ほどかけて千葉県にあるK駅にやって来ていた。駅の手前、駐車場と駐輪場を兼ねていそうな狭くるしいスペースで車が停まる。
ここまで運転してくれた友人であり同居人の男──姫榊 礼一に感謝を伝えて車から降りた。姫榊はハンドルにもたれたまま無言でフロントガラスを見据えている。
しかし隠が助手席のドアを閉める直前になって静かに声をかけてきた。
「気をつけろよ」
「ああ。もし七時を過ぎても戻ってこなかったら一人で帰ってくれ。おれを探したりするなよ」
眼鏡を外しながら薄ら笑いを浮かべる隠に対して姫榊は器用に片眉だけを跳ね上げた。
「そんな愚は犯さない」
「だよな」
愉快そうに相槌を打って隠はドアを閉めた。姫榊はまだ何か言いたそうにしていたが、友人とのお喋りに興じるのは後回しだ。
K駅へ通じる小道を眺める。この場所からは線路も確認できない。事前に知っていなければこの先に駅があるとは思わないだろう。
駅のホームへ歩みを進める。編集部を訪ねたときには高く昇っていた太陽も西の空へと沈みつつあった。四方から響くひぐらしの鳴き声があるはずのない郷愁を誘う。
窪田と彼の知人たちは隠の想定よりも早く写真の駅の候補をいくつか挙げてくれた。一番可能性が高いのは今向かっているK駅とのことだが、もし当てが外れていた場合は結構な距離を移動しなければいけなくなる。
運転手の姫榊にかかる負担もだが、精神的に不安定になっている窪田のためにもなるべく速く決着をつけたかった。窪田には例の如く『お守り』を渡してはきたが、今回の怪異に効果があるかは分からない。
緩いカーブを曲がった先に駅のホームが唐突に現れた。駅舎は当然なく、代わりにホームの一部にプレハブ小屋が待合室として設置されていた。
「本当に小さい駅だな」
思わずそう呟いてしまうくらい全てがコンパクトな駅だった。一日の乗降者数も多くはないだろう。とはいえ、待合室の前にはピンクや黄色の花の植わったプランターが置いてあり案外うら寂しさは感じない。
懐から写真を取り出しホームに上がると、すぐに見覚えのある景色が広がった。塚元の写っていた場所に立つ。見下ろした先の線路にはぽっかりと開いた口が待ち構えていた。
口の中は真っ暗だ。光の届かない深い海の底を直接覗き込んだような錯覚にさせられる。何にせよ、一発で正解を引けたのは確かだ。
隠はゆっくりと振り向いた。そして写真を突きつける。
「……この写真はおまえが撮ったのか?」
口のないヒトが佇んでいた。ジャケット、ブラウス、スカート、パンプス。上から下までが全て白色に包まれている。肩につくほど真っ直ぐ伸びた黒い髪にはまったく艶がない。片手に握ったインスタントカメラの緑色だけが鮮やかだった。
瞳孔が開き切ったまん丸の黒目はそれぞれがかなり離れている。果たして薄い膜のかかったその目に隠は映っているのだろうか。
白いヒトは隠の問いかけには反応しない。身じろぎ一つしないまま前を向いている。
「何のために『異界』の編集部に写真を送った? 次の犠牲者を生み出すためか?」
やはり白いヒトは答えない。瞬きもせず、本来鼻があるべき場所にある二つの細い穴が呼吸のために広がることも狭まることもない。
写真を引っ込めて一歩前へと踏み込んだ。
「話せないわけじゃないだろ? 口なら立派なのが線路についてるもんな。おれとは話す価値もないか?」
手応えはまったくない。だが隠は喋り続けた。睨み合いを続けても意味がないからだ。塚元の写真を視てはいるが、塚元のように夢が叶うかもしれないという気持ちにはまったくなっていない。
それが白いヒトに獲物としてみなされる条件の一つだとしたら隠は(そして窪田も)満たしていない。獲物でない人間に対しては白いヒトは関心を持たずまったく無害なのかもしれなかった。
窪田にとっては朗報だが隠にとってはマイナスでしかない。少しでも情報を引き出したいのに、これでは手の打ちようがない。
「塚元さんともう一人の女性はどこに行った? おまえが喰ったのか?」
一瞬だけ線路の口に目をやった。変化はない。白いヒトを睨む。やはり変化はない。
隠は舌打ちをした。このままでは埒が明かない。ここで無駄な問答を続けて逃げられてしまうより強引にでも決着をつけてしまった方がいい。
白いヒトの『核』はまだうっすらとしか視えていない。この状態で核を引き抜くのは時間がかかる。そのぶん反撃の余地を与えてしまうし不測の事態が起きる可能性も高まってしまうけれども、致し方ないだろう。隠はそう判断した。
両手を黒く変化させる。無数の目玉と呪いと腐肉で形作られた手が白いヒトへと沈み込んだ。
核を力任せに掴み出されれば怪異すら苦痛と消滅の恐怖を感じるはずだった。今回のように手当たり次第に内側を探り抉られたら尚更のこと。
「…………抵抗もしないのか?」
白いヒトは微動だにしない。明確に攻撃を加えても隠を脅威として排除しようともしないのだ。確実に消滅の時が迫っているというのに逃げもしない。ただ突っ立っていた。
人間を……塚元や女性を喰らうのは核を保つためではないのか。この世に存在し続けるためではないのか。それならばどうして抗わないのか。怪異は人間の理屈では測れない。ではまだ隠は人間と呼べるのかもしれない。
ようやく核を掴み体から引きずりだしても白いヒトは無反応だった。目の前で隠が核を喰らっても動かない。
そしてとうとう最期まで白いヒトは動かず、一度として意思を示すことのないまま核を溶かされて消滅してしまった。持ち主を失ったインスタントカメラが地面に落ちて安っぽい音を立てる。
どうしてカメラだけ残ったのか。これだけはこの世の物だったのだろうか。白いヒト自体は消滅したが、塚元たちに繋がる手がかりになるかもしれない。
しかし、隠が腰を屈めて拾い上げようとした寸前でカメラは消えてしまった。白いヒトと同じように呆気なく。
地面を殴りつけて立ち上がり線路の状況を確認する。あれほど存在感のあった大きな口は影も形もなくなっていた。
ぐるりと駅を見回す。K駅は正常な無人駅に戻っていた。おかしなところは何もない。隠は緩慢な動作で塚元の写真を取り出した。
ひぐらしの鳴き声が遠ざかっていく。太陽は地平線に沈み、赤く染まった空だけが残される。
「……夢」
写真には駅以外のものはもう何も写っていなかった。大きな口はもちろん、塚元さえも。
◾︎◾︎◾︎
某テレビ局の一室。
全国ネットのゴールデン特番『決定的瞬間!霊はそこにいた』の一コーナーである【投稿!本当にあった心霊写真】を担当する若いAD二人が視聴者から送られた心霊写真を選別していた。
それっぽいのもそれっぽくないのも合わせて写真の数はとにかく多かった。地上波に乗せるのに相応しい写真かそうでないかを最速でより分けていく。ホンモノかどうかは重要ではない。番組的に盛り上がるかどうかが問題なのだ。
今日の夕方には放送候補の写真を上司に提出しなければならなかった。二人のADはもう一時間ほど選別作業に没頭していた。
そんなとき、メジャー球団のキャップを後ろに被ったADが唸り声を上げた。
「うーん……」
「どうしたんだ?」
バンドTシャツを着たもう一人のADが顔を上げる。集中を乱されたことよりも、一息つける口実ができた解放感の方が勝っていた。
「いや、この写真ってさあ何なんだろ」
「何なんだろって何だよ」
具体性に欠ける言葉にTシャツADは大らかに笑って正面に座るキャップADの手元を覗き込んだ。しかし微妙な距離と光源の関係でどんな写真なのかは窺えない。
「心霊現象だって送られてきてるはずなんだけどさ、どれだけ見たって何もないんだよ。差出人の名前もないしイタズラだろうなって」
「何もない? 見せてみろよ」
TシャツADが促すとキャップADは一枚の写真を渡した。眉を寄せるキャップADの表情をからかいながら、写真をざっと眺める。
苔むした廃トンネルの手前に一人の少年がいた。撮影者に振り返り満面の笑顔で手を振っている。登山だか旅行にでも行くのか、背中いっぱいを覆うリュックサックを背負っていた。
謎めいたシチュエーションではあるが、確かに幽霊らしきものは何も写っていない。真っ暗なトンネルの中に幽霊の顔の一つや二つ浮かんでいるのではと目を皿にして探してみるが、やはり何も見当たらなかった。これでは心霊写真とは呼べないだろう。しかし。
テーブルの上を滑らせキャップADへ写真を返した。
「確かに普通の写真だな。でも……」
「でも?」
TシャツADは腕を組んだ。逆さになった写真を睨めつける。
「いや、別に何がってわけじゃないんだけどさ……怖くねえ? この笑顔」
「そうか? いい笑顔じゃん。でも状況はよく分かんないよな。普通トンネルに入るのにこんないい笑顔するか? しかも廃トンネルだぜ? よっぽどのマニアなのかね」
キャップADがトンネルをつつく。不精して伸ばしたままの爪が写真越しに薄っぺらい天板へと当たってコツコツと音を立てた。
「さあ? もしかしたらトンネルの向こう側によっぽどいいところでもあるんじゃねえの? ほらあれだよ。別世界に繋がってたりして」
「何だよそれ。アニメじゃないんだからさ」
「だよなー。あるわけないよなそんなこと」
AD二人はそうして少し盛り上がってから仕事に戻った。どう見ても普通の写真は当然ながら不採用ボックスに入れられた。その後の行き先は言うまでもなくゴミ箱である。
File3:ユートピアの呼び声~完~




