File3:ユートピアの呼び声『心霊写真』
梅雨も明け暑さが日に日に増してくる八月初旬、隠はN区にあるオカルト専門雑誌月刊『異界』の編集部の扉を叩いていた。
心霊・オカルト業界において隠はそれなりに有名だった。もはや隠自身も把握できないほど各所に散らばった名刺と虚実入り混じった噂のせいだ。
自称心霊カウンセラー兼除霊師の隠に仕事を頼むのではなく、謎多き隠という人物について根掘り葉掘り尋ねてこようとする業界関係者も何人かいた。隠はそれを嫌って関係者や同業者とはなるべく距離を置いていたのだが、今回はそういうわけにもいかなかった。
「“ホンモノ”を引いてしまったかもしれません」
電話口で『異界』の編集長──窪田 守衛は切羽詰まった声で訴えた。それから事態のあらましを聞き、隠は調査のため編集部に出向くことに同意した。
窪田の話によればすでに一人が行方不明になっている。そして、推測通りであれば更にもう一人の犠牲者がいることになる。
『異界』の編集部は昭和の香りの強く残る雑居ビルの二階にあった。本と紙束、得体の知れない像やら石やらが雑然と詰め込まれた部屋の片隅──応接室という大それた名前がつけられているらしい──で、隠は窪田と対面していた。
編集部内は冷房がよく効いており、隠の汗ばんだ肌をあっという間に冷やしていく。対して窪田の顔には冷房では太刀打ちできない脂汗がじっとりと浮かんでいた。
窪田とは初対面ではないが、正式に仕事を依頼されるのは初めてだった。彼の出で立ちは以前とほとんど変化がない。ところどころ白髪の目立つ短髪にまばらに生えた髭。そして妙に丸っこい目に細い金縁の眼鏡をかけ、明らかにオーバーサイズのくたびれたスーツを着ている。第一印象の胡散臭さでいえば隠と張り合えるだろう。
内ポケットからメモ帳を取り出し、隠は言った。
「例の写真を見せてもらえますか?」
「…………」
窪田は無言でテーブルに一枚の写真を置いた。ただし裏向きにだ。写っているものを直視したくないのだろう。
窪田の態度には特に言及しないまま、隠は眼鏡を外した。胸ポケットに仕舞ってから写真を手に取る。躊躇なく写真を裏返した。
「……写っているのが塚元さんですね?」
「はい。……隠さんにはその写真はどう見えますか? 私には普通の……少なくとも幽霊が写っているようには見えないんです」
普通の写真にしか見えないと言いながら窪田は頑として写真に目を向けようとしなかった。隠としてはたとえ霊が写っていないとしてもコレを普通の写真とは呼びたくない。そういう忌避感を呼び起こさせる写真だった。
隠は窪田の質問には答えないまま尋ねる。
「最初に送られてきた写真もこれと似たようなものだったんですね?」
「そうです。送られてきた心霊写真を精査していた塚元が『これのどこに霊が写ってると思います?』と私に尋ねてきたので」
オカルト専門雑誌らしく月刊『異界』には読者から心霊写真を募集してどこぞの霊能力者と編集者がその真贋を判定し解説をする【心霊写真鑑定室】というコーナーがある。『異界』の中でもわりと人気のあるコーナーらしい。
一応参考にと本題に入る前に先月号の記事を読ませてもらったが、掲載されていた五枚の写真に“ホンモノ”は一枚もなかった。
しかしそれはあくまで隠の判定であり、記事の中では五枚中四枚が“ホンモノ”と認定されていた。先に出てきた塚元——塚元 順平は【心霊写真鑑定室】を担当していた編集者だった。
「その写真にも霊は写っていませんでしたか?」
「ええ。私にはそう見えました」
「なるほど。写真の差出人はどちらも不明?」
「はい。差出人の名前も住所も消印もなく……そういうケースはうちではまったくないわけでもないので、塚元も私も特に怪しいとは思わなかったんです」
窪田の言い分に隠は苦笑いしつつ頷いた。
「オカルト雑誌への投稿で怪しいものをいちいち弾いていたら仕事になりませんもんね。そして写真はいつの間にか消えてしまったと?」
「はい。その写真はボツにしたので同じく不採用になった写真をまとめている小箱に保管したんです。ある程度数がまとまったら、採用された写真と合わせてお寺に持っていって供養してもらっているので。小箱は塚元のデスクの引き出しに入れてありました……これです」
窪田が白く光沢のある小箱をテーブルに置いた。洋菓子の有名店の名前が金色で箔押ししてある蓋を開けて中身を隠に見せてくれる。確かに写真が何十枚も入っていた。
「塚元が失踪して……あの写真が送られてきてから私はすぐに小箱を漁りました。一枚一枚確かめて……だけど、見つからなかったんです。まだお寺には持っていっていなかったのに。どこか違う場所に紛れ込んだのかもしれないと編集部中を探してみてもだめでした。ご両親に頭を下げて塚元のアパートも探してみましたが……」
「写真は見つからなかったと」
「その通りです」
窪田は俯いた。唇を噛み締めながら小箱の蓋を閉じる。
「その写真がどんなものだったかは覚えていますか? 写っていたのは誰です?」
金縁の眼鏡を外し、窪田は目を瞑った。そして眉間に皺を寄せながら答える。
「……どこかの浜辺です。真っ昼間の浜辺の波打ち際で一人の女性が……二十代前半くらいで細身でした。海には不似合いな格好をしていましたね。大きなリュックを背負って……海よりも山……登山に向いている格好をしていたように思います」
窪田が懸命に記憶を掘り起こしながら説明するのを聞きながら、隠は手元に視線を落とした。普通の写真。しかし決して『異界』には掲載できない“ホンモノ”の写真であり、そこには塚元が写っていた。
「塚元さんと同じですね。いや、順番でいうと塚元さんが写真の女性と同じような格好をしていたと言うべきか」
独り言の後に、隠は写真から目を離して窪田を見上げた。気付けば窪田は眼鏡を掛け直している。
「失礼しました。話が逸れましたね。続きを聞かせてください」
ごほん、と咳払いをして窪田は話を再開させた。
「こちらを……撮影者に振り返りながら手を振っているんです。海の方に進みながら笑顔で……とても嬉しそうに。そういう写真でした」
窪田の説明はほとんどそのまま塚元の写真にも適応できた。違いといえる違いは塚元の方は撮影場所が浜辺ではなくどこかの小さな無人駅ということくらいだろう。
「女性に見覚えは?」
「ありません。塚元もないと言っていました」
「格好はともかくとして、写真におかしなところはなかったんですね?」
「だからさっきからそう言っているじゃないですか!」
窪田が声を張り上げた。しかし大声をぶつけられた隠よりも窪田の方がよほど動揺している。すみません、とぼそぼそ謝罪をして窪田は周囲を見回した。編集部では数人の編集者が作業をしていたが、誰一人としてこちらに注意を向けてはいなかった。
隠はゆったりとした動作で写真をテーブルに戻し、窪田へと見せつけた。
「窪田さん。本当に見えていませんか?」
「な……何をです」
窪田は顔を引き攣らせながら、恐る恐るといった様子で写真に目をやった。
「女性の方は確かめようがありませんが、こちらの塚元さんの写真の……ここですよ」
塚元が無人駅のホームから線路へと足を踏み出そうとしている。電車は停車していない。隠が指を差したのは塚元ではなく線路の方だった。
「ただの線路じゃないですか」
窪田の語気が再び強まる。隠にからかわれていると思ったのかもしれない。
隠は表情を引き締めて窪田に向き直った。
「ただの線路? おれには口が見えますよ。人一人食べるのなんて苦もなくできそうな大きく開いた口がね。でも歯は生えてません。一本も。厚くて長い舌だけを口の外まで目一杯伸ばしている。悪趣味な絨毯みたいにね」
「く……口?」
窪田が目を剥く。それから写真と隠を何度も見比べた。自分の目かそれとも隠の証言かどちらを信じるべきか悩んでいる。
だからこそ隠は己の視えたものから生じた所感を率直に伝えることにした。
「おれには塚元さんがホームから線路に落ちようとしているんじゃなく、その口に向かって歩き出そうとしているように視えますよ。嬉しそうにね」
謎の口が開いている場所を人差し指でつつく。しかし窪田は首を傾げている。視えていないから納得しづらいのだろう。隠には見間違いようもないほどはっきりと視えているのに。
隠の視えている世界と大多数の人たちが視えている世界は異なる。比喩ではなく事実としてそうなのだ。そのことにはもう慣れているはずなのに、慣れていなければいけないのに、まだ未練がましく焦れてしまうことがある。
「ど、どういうことなんです? 私が見た女性の写真にも本当はその口とやらが写っていたと?」
「二つの写真の共通点を考えれば、可能性は高いでしょうね」
隠が頷くと、窪田は片膝を細かく揺すり始めた。縋るように隠を見る。
「そ、そいつは何なんですか? どういう幽霊、いや……妖怪、UMA、化け物、とにかく何でもいい! 何者なんです?」
「分かりません。おれも初めて視ましたから」
正直に答えた。隠の取り扱う怪異で既存の情報が役立つパターンはそれほどない。いいように言うとするなら、そういうパターンから外れた対処のしにくい怪異を相手取ることが多いのだ。
悪く言えば隠は霊視とその他いくつかの能力を使って正面突破(ごり押しと言うべきか)ていくタイプで知識に欠けている。オカルトの知識量でいえば窪田の方が上だろう。
「じゃ、じゃあどうすればいいんです? 塚元は女性の写真を見た後に失踪して、今度は塚元の写真が送られてきて……私は見てしまったんですよ!? わ、私も塚元のようになってしまうんですか!?」
窪田が前のめりになって叫んだ。背後で編集者たちがこちらを盗み見ているが、窪田に先ほどと同じような周囲を気にする素振りはない。自分の命がかかっているかもしれないのだ。なりふり構っていられないのだろう。
隠はソファの背もたれに寄りかかった。
「どうでしょうね。あなたに変なものが憑いているようには視えませんが……塚元さんが失踪する前に何か様子の変わったところはありませんでしたか? 物音に敏感になったとか、虚空を見つめていたとか、独り言が増えたとか」
昔の自分や怪異に憑かれた人たちのことを頭に思い浮かべながらなるべく見分けやすそうな例を示してみる。
窪田は前傾姿勢を取ったまましばらく考えていた。手遊びにメモ帳を閉じたり開いたり繰り返していると、思いの外静かな口調で窪田が話し始める。
「……普段と変わりなかったように思います。いや、むしろ活き活きしていましたね。なんというか、ずっと楽しみにしていた遠足前日のテンションと言ったら伝わります?」
「経験はないですけど、仰りたいことは分かりますよ。どうしてそれほどテンションが高かったのか理由を聞いたりしましたか?」
「しました。ですが、塚元は『夢が叶うかもしれないんです』と言うだけで詳しくは教えてくれませんでした。私も気にはなりましたが、そこまでしつこく尋ねるわけにもいきませんからね」
「夢か……ちなみにですけど、窪田さんは今特にテンションが上がったりしてませんよね? 夢が叶うかもと浮かれた気持ちになったりは?」
「これで浮かれているように見えますか?」
窪田は血走った両目を限界まで見開いて隠を睨みつけた。小さなメモ帳で心なしか澱んでいる空気を扇ぎつつ、隠は真面目な顔つきで答える。
「いえまったく。ですが、塚元さんと同じような変化が起きていないことについては前向きに捉えていいと思いますよ」
「前向きになんてなれませんよ! どっ、どうにかしてください隠さん。あなたは“ホンモノ”なんでしょう!?」
そのまま隠に掴みかかっていきそうな剣幕だった。窪田は自覚していないだろうが、“ホンモノ”という響きは“バケモノ”と罵られているのと変わりがない。少なくとも隠にとっては。
“ホンモノ”だからといって何でも解決できるわけではない。どうにもならないことはある。むしろそちらの方が多いのだと説いたとして聞き入れてくれるだろうか?
過剰な反応はせず、隠は肩を竦めるにとどめた。
「どうにかと言われても情報が少なすぎますね」
「そんな! それがあなたの仕事でしょう!?」
いよいよ立ち上がった窪田を前に隠は顔をしかめた。
「おれにもどうにもできないことはあります。むしろそちらの方が多いですよ。ただ……そうですね」
テーブルの上に置きっ放しになっている写真を手に取って窪田に見せる。
そして先ほどとは異なる箇所を指先でなぞった。塚元の立つ駅のホーム。もっというと駅全体だ。
「塚元さんがいるこの駅の名前って分かったりします? おれには難しいですが山の中にあるかなり小さな駅で、特徴的といえば特徴的でしょう? 特定できたりしないかと」
脱力した様子で窪田はソファに腰を落とした。慮外の質問をぶつけられて一気に頭が冷えたのか、編集長の威厳を取り戻して写真を見つめている。しばらくして力なく首を横に振った。
「いえ、私には……ですが鉄道に詳しい知人が何人かいるのでそちらに尋ねてみます」
「それはいい。ですが、どうなるのか分からないのでそのまま写真を見せるのは止めた方がいいですね。……塚元さんの部分を除いて絵にすることはできますか?」
「絵……ですか。なるほど、やってみます」
やや戸惑ってはいるものの、窪田は力強く頷いた。隠は隠で窪田に絵心があってよかったと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございます。……そうだ」
写真を窪田に手渡す。これで現状隠にできることはなくなった。一度帰宅してもいいし、どこかで時間を潰してもいい。
しかしながら、失踪した塚元と同じ写真を見ている窪田を念のために見張っていた方がいいようにも思える。何かに取り憑かれているようには視えないし、嫌な気配もしない。
現に塚元が失踪してから数日経っても無事なわけで。写真を見たら必ず異変に襲われるというわけでもなさそうだ。何か条件があるのか。塚元は失踪前に夢が叶うかもしれないと浮かれていたそうだが……。
きりのない思考を強引に打ち切り、そわそわとこちらの動向を窺う窪田に隠は気安く提案した。
「そちらに支障がなければ駅名に目星がつくまでここにいてもいいですか?」
途端に窪田の緊張が緩んだのがはっきりと分かった。望まれていたかは別にして、迷惑がられてはいないようだ。
「本当ですか? そ、それは助かります!」
「いえいえ。依頼人の安全をできる限り守れるのならそれが一番ですからね。決してまた出向くのが面倒だからとかそういう理由からじゃないですよ」
「ははは……」
軽薄に笑いながら余計な言葉を続けた隠を窪田は愛想笑いで受け流した。




