【多勢に無勢】
翌朝。目覚めるとなんとも外が騒がしかった。線路の向かいにアパートがあるので、電車の音だろうかとも思ったが、どうやらそれだけではなかった。人間の声が聞こえてくるのだ。
久しぶりにテレビをつけてみると、なんとビルが銃撃され爆破されたらしい。爆破は聞かない話ではないが、銃撃となると黒い服の方々が絡んでいるのかなあ、と勝手に想像を膨らませる。だが、驚きはそんなことに収まってしまえるほど浅はかではなかった。
テレビから流れてきた映像は、幾分見慣れた光景だった。一階部分にはコンビニがあって、つい昨日も訪れたばかりだったあのコンビニ。
画面に顔写真と年齢が映る。昨日ドアを開けて待っていてくれた親切な女子大生。綺麗にブリーチされた髪型のコンビニ店員も死んだみたいだった。
儚い。
ブリーチの女性と並んで、高齢女性の顔も映っていた。白髪交じりのその髪型から、俺は勝手にストレスを感じ取った。こんな年齢になっても夜勤をするのかと尊敬の念を抱く。年金だけじゃ足りなかったのだろうな。求人が増えたのは、きっとこういう人たちなのだろう。定年後も働き、とばっちりでビルにつぶされ生涯を終える。世話がない。数秒先に死ぬことも、今死んだことも知れないままの即死だったことだろう。
きっと外傷は、かすり傷だったのだろう。
大学生活は、思い描いていたものとは全然違った。月とスッポンと比喩してもいいくらいには、暇な時間が増えて、そのおかげでいろいろと悩むことが多くなった。
高校時代、友人に「何で彼女作らないの?」と聞かれたことがあった。その問いに、「大学に行けば嫌でもできるだろう」と、そう思い描いて、なんとなく答えていた。
実際本当にそんな気がしていた。高校と比べれば、大学は数倍規模が大きいのは確かで、その分いろんな人たちが通うことになる。だから、今そんなに焦るようなことでもないだろうと高校時代は漠然と考えていたのだと思う。
合コン。カラオケ。ボーリング。飲み会。サークル。
大学というコミュニティに属する人々の印象は、ドラマや小説で自分の中でイメージが定着していて、どこかそれに憧れを抱きながらも心の奥底では、「めんどくさいなあ」と思っている自分がいることも、一応は自覚していた。
入学式後の一週間あたりまでは憧れと面倒が入り混じった気分だった。
憧れている時間ほど心地よい時間はなく、何かを目指している時間ほど人間でいられる時間はない。そんなことは周りの友人たちと絡みながらも、本音を出せない怠惰な生活を送っていた高校時代を通して、十分理解していたはずだった。いじめられていて、目に見える苦痛を味わったわけではない。病気になって苦しんだわけでもない。でもその後ろに佇んでいた何かを、いつの間にか忘れていたようだった。
改めて知った。
甚だしいくらいに。
まず、誰かと共同で何かをするっていうのが耐えられなかった。これを言ってしまったら社会で生きていけないだろうと思われても仕方のないことなのだが、本当におぞましく、厭わしい、煩わしい。
大学のグループワークで、男女二人ずつの四人グループでレジュメを作れという課題が出された。条件付きで、分業ではなるべくやるなと教授は言う。
一人でやった方が断然早いと思っているのは自分だけのようで、「みんなでやった方が早いんだからちゃんと手伝ってよ」と、一緒のグループの女子生徒に言われた。咄嗟に俺はスマホを開いて周りの生徒と一緒になり、情報収集を始めるのだが、俺にはそれが、「自分も一緒にやっているんだ」という真似事のようにしか見えなかった。真似事をしている俺も、素直にスマホを開いてしまう俺にも、悪寒が走ったような惨めさを感じた。
その日の夜、自分なりにレジュメを作ってた。俺の見込みが外れ、一時間もあればできるだろうと思っていたことが、結果、二時間強もかかってしまった。だが、この程度で出来れば妥当であろうと自分を納得させた。
次の週。俺は一人で作成したレジュメをグループ内で共有しようとした。教授はあくまで「なるべく分業でやるな」と言っただけなので、このまま俺の作ったレジュメを出して早く済むならそれがいいと思っていた。だが、グループ内の方針的には、「みんなで作ろう」ということになっていた。だから、とりあえず俺は自分なりに作ったが、みんなの意見や調べてきた情報を組み合わせるものなのだと漠然と思っていた。このグループの方針なら俺の作ったレジュメは意見交換の材料でしかなかったはずなのだが、俺が自分で作ったレジュメを共有しようとすると、同グループの女子生徒はこんなことを言う。
「おお。これでいいじゃない」
耳を疑った。
「他の人が調べてきたのも組み合わせないの?」
「めんどくさいからもういいよこれで。ありがとう」
そうやって話は片付いた。
元々、話し合うことや真似事をさせられるのが嫌だったので、実際これで終わってしまえばと半分期待していたのも事実だが、どうも腹の虫がおさまらなかった。聞けば、俺を除く二人の生徒は、調べて何か印刷して来ていたようだが、残りの女についてはパソコンを持って来ていただけで何も調べていなかった。
「何しに来たんだ?」そう言えない自分にも、腹の虫がおさまらなかったのは内緒にしておく。
ただの講義というものはほぼないと言ってもいいくらいに、グループワークやらアクティブラーニングという名義なのかは知らないが、とにかく周りの人たちと話をさせる機会が増えていた。おそらく、コミュニケーションがこの先社会に出て生きていく上で重要だと気付いたのだろう。大人になるための授業。そんな機会が与えられるたびに、嫌だなあと思うのだが、そうそう悪いことばかりでもないということも、正直否めない。




