最終章 『入り相の鐘』
「おはようございます、飛鳥さん」
「おはようございます、由宇さん」
小瀬はイーゼルから振り返って、私に笑顔を見せた。
警察が笠倉の身柄を確保したあと、私と理真はすぐ新潟へ帰るつもりだったが、小瀬に引き留められて彼女の家に泊めてもらうことになったのだ。
小瀬が私だけに挨拶を返したのには理由がある。理真はまだ寝ているためだ。実のところ、私も決しておはやくはない。久しぶりに遠出をした疲れからか、ぐっすりと眠ってしまい、現在時刻は午前九時を回っている。
私は、イーゼルに掛けられた絵を見た。それは、『夜明け』と勘違いされて笠倉に盗み出された原田の作品だった、額の後ろに記載されたタイトルは『入り相の鐘』とあった。昨日、笠倉に蹴り飛ばされたせいで所々に痛みが生じたため、小瀬が修復作業にあたっているのだ。
その小瀬は、嬉しそうな顔になって、
「原田くんの自宅から、神野先生の遺書が見つかったって、松原さんから連絡がありました」
「遺書?」
「はい。先生が原田くんに預けていたようです。それによると先生は、画家を支援する組織を立ち上げるおつもりで、その運営を原田くんに託していたと」
「それは、どういう?」
「まだ世に出ていない、主にアマチュアの画家を募り、作品を発表する場所を作って、そこに一般のお客様を呼び、展示されている作品を購入していただくという、そういうイベントを定期的に開きたいと、先生はそんなことを考えていらしたようなのです」
「絵の販売場ということですか」
「はい。でも、購入していただくといっても、美術に特に興味のない方でも気軽に手が出せるような価格に抑えたいと。そうすることで、蒐集家ではない一般の方々の中にも、絵を購入する、部屋に絵を飾るという文化が育つことになりますし、画家としても、生活していけるだけの収入とまでは行かなくても、自分の描いた絵を誰かが買ってくれて、その人の生活を潤す一役を担うとなれば、絵を描いた甲斐がありますし、創作へのモチベーションにもなるだろうと」
「それは、確かにそうかもしれませんね」
「先生、常日頃から口にしていたんです。下手な絵なんて、この世に一枚もないって。作家と受け手の感性が合うか合わないか、ただそれだけだって。だから、画家はもっと多くの人に自分の作品を観てもらうべきで、そういう機会が開かれる場所がもっとあってほしいって」
なるほど、そういうものなのかもしれない。理真の職業になるが、作家も同じだろう。世界人類全員に大絶賛される小説などあるはずがないが、誰ひとり面白くないという小説もまた存在しないに違いない。作品と受け手が触れる場が広ければ広いほど、幸せな出会いが生まれる確率も高くなるのだ。
「そんな中から、埋もれた才能が発見される、あるいは開花するという可能性もありますし」
小瀬の視線は、再びイーゼルに掛けられた絵に向いた。
「飛鳥さん、もしかしたら、神野さんが自分で所有していた作品もすべて売り出そうとしていた理由って……」
「そうなんです。この組織を立ち上げて、運営する資金に充てるためだったんです」
「素晴らしいことですね。……でも、それを託された原田さんは……」
「私がやろうと思っているんです」
「えっ」
「私、先生と原田くんの意志を受け継ぎたい。簡単な道のりじゃないでしょうけれど……絶対にやりたいんです」
「出来ますよ、飛鳥さんなら」
「はい、頑張ります!」
小瀬が笑顔で答えたところに、
「おはよう……」
寝ぼけまなこを擦りながら、ようやく理真が起きてきた。
「おはようございます、理真さん」
小瀬の笑顔は、そのまま理真への挨拶になった。
「朝ご飯、用意しますよ」
小瀬は椅子から立ち上がったが、
「いえいえ、そこまでしていただかなくとも……」
恐縮すぎて、私は両手と首をぶんぶんと横に振った。
「そうですよ」
と理真も私に賛同する。ご飯の用意を断るとは、珍しいこともあるものだと思っていたら、
「今日は横浜中華街をひと周りするので」
理真は拳を握った。そういうことか。
「でしたら、私、ご案内しますよ」
「いいですね! じゃあ、三人で周りましょう。中華街を食べ尽くしてやりましょう!」
寝ぼけまなこは消え、理真の双眸が爛々と輝き始めた。
「飛鳥さん、おいしいお店をお願いしますね」
私が言うと、
「由宇さん、それは出来ない相談ですね」
「えっ? どうしてですか?」
「だって、中華街においしくないお店なんて、一軒もありませんから」
「そういうことか、やられたなぁー」
「はい。だから、おいしいお店だけを周ろうとしたら、中華街の全店を食べ歩くことになってしまいますよ」
「私は構わないけどね!」
理真が豪語する。というか、理真ならやりかねないから怖いんだよな。
「それじゃあ、さっそく着替えよう」
「理真さん、由宇さんも、タオルは新しいものを用意しておきましたので……」
洗面所に向かった理真を小瀬が追う。その背中を、窓から差し込む柔らかな朝日が照らしていた。
お楽しみいただけたでしょうか。
内容について語る前に、まずは第3章に掲載したイラストに触れないわけにはいきません。むしろ小説よりもこちらがメインです。
もういちど載せます。
こちらのイラストを描いていただいたのは、私の友人の“なおきひろ”さんです。イラストをご覧いただいておわかりのとおり、アナログ調の温かみを生かした柔らかな筆致を得意としています。これは本人の人柄がにじみ出ているものだと私は思います。
以下、コメントもいただきましたので掲載します。
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はじめまして、なおきひろと申します。
趣味でイラストを描いてグループ展に参加したり、アイドルマスターシリーズのファンアートを描いて同人誌を出したりしています。
この度いつも創作活動を応援していただいている庵字さんの小説「安堂理真シリーズ」の主人公、安堂理真のイメージイラストを描かせていただきました。
小説の人物を絵にすることは初めてで、理真のイメージを壊さないよう、庵字さんと相談しながら描きあげました。
読者の皆様にも喜んでいただけると幸いです。
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ツイッターとピクシブもやっていて、ご本人の許可もいただいておりますのでリンクを掲載します。
ピクシブ
https://www.pixiv.net/users/24514710
ツイッター
https://twitter.com/naokihiro_glr?s=09
素敵な作品が多く掲載されていますので、ぜひ訪問してみて下さい。これを読んでいただいた方との幸せな出会いになることを願ってやみません。
さて、小説の内容についてですが、今回、久しぶりに新潟県外に出てみました。これは本作のトリックに関わることなので、太平洋側に行くことは決まっていまして、実際に私自身も訪れたことのある場所がイメージしやすいなと思い、横浜を舞台としました。
横浜といえば、私にとって完全に「御手洗潔」と「あぶない刑事」のイメージですね。「港署」(「あぶない刑事」の主人公が所属する所轄署)も出したかったのですが、さすがにやめました(笑)。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。