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第2章 画家、神野灯明

 事件に関する情報を得るため、喫茶店を出た私たちは神奈川県警に向かった。

 理真(りま)は、小瀬(おぜ)の頼みを聞いてここ横浜へ赴くに先駆けて、懇意にしている新潟県警捜査一課を通して神奈川県警に根回しをお願いした。「こっちの素人探偵がそちらの事件捜査に協力したいそうなので、よろしく」と新潟県警から一報を入れておいてもらったというわけだ(実際はこんなに軽い言い方はしていないだろうけど)。日本各地において、主に不可能犯罪と呼ばれる特異な事件が発生した際、警察が民間探偵に捜査協力を仰ぐことは珍しくない。よって、警視庁及び道府県警の垣根を越えた、こういった根回しも通りやすい。今回の事件は“不可能犯罪”と呼ぶほど特異な状況を呈しているわけでないが、問題なく捜査協力は取り付けられるだろうという、理真の良き理解者であり、神奈川県警に根回しをしてくれた新潟県警捜査一課の城島(じょうしま)警部のその言葉を信じよう。



 私たちは横浜駅からみなとみらい線に乗り、神奈川県警本部を目指した。その車中で理真は小瀬から、病死した画家、(かん)()灯明(とうみょう)についてのことを詳しく訊いた。


「神野先生は、主に風景画を描いていらっしゃいました。(はら)()くんも風景画が好きでよく描いていましたから、先生とは話が合ったのだろうと思います」

「神野さんの作品には、何か際立った特徴などはありましたか?」

「そうですね……画風などの専門的な点を口で言い表すのは難しいですが、神野先生の絵の特徴としてまっさきに挙げられるのは、作品にタイトルを付けないという点ですね」

「タイトルを付けない?」

「そうなんです。神野先生がおっしゃるには、作品にタイトルを付けると、見る人はどうしてもそのタイトルに引きずられた視点で絵を鑑賞してしまうと。例えば、草原に咲くユリを描いた絵に、まさに『ユリ』というタイトルを付けたとしましょう。そうすると、人は、『ああ、この絵はユリを描いたもので、それ以外はすべて脇役なんだな』という、必然とそういった視点で絵を鑑賞してしまいます。その絵にはユリだけでなく、その周囲に広がる草や、背景には山も、さらに、その後ろに広がる青空も描かれています。手前にピントを合わせれば、タイトルとなっているユリだけではなく、画家はその根元に咲いていたも小さなスミレも、あるいは、偶然視界に捉えた蝶までも、もしかしたら作品に落とし込み、絵の中に描き込んでいるかもしれません。ですが、『ユリ』というタイトルを付けたとしたら、その時点でユリ以外の絵に描かれているすべては、従たるものとして観賞される宿命を背負ってしまいます。

 これは、神野先生の作品のほとんどが風景画であることから生まれたスタイルで、もちろん、例えば同じ絵画でも人物画であれば、その人物をタイトルとすることに何の問題もありません。人物画というのは、描かれるものに対して必然主従の関係が生まれます。主たる描写要素である人物が主役になるのは当然で、その主役の名をタイトルとすることには何の問題もありません。ですが、風景画、特に自然画は別です。自然には何が主役で何が脇役かなどといった区別はありません。見る人間が自分の立場や主義主観、美意識、あるいは損得勘定などといったフィルターを通して、勝手に主従を決めているだけだと、神野先生はそう考えていらっしゃいました。何人かの人がまったく同じ風景を目にしたとしても、花が好きな人は花を、山が好きな人はその背後に広がる山を、空が好きな人はその上にかぶさる空を、それぞれその風景の主役として見て取るでしょう。ですから神野先生は、自身の描く風景画は人によって独自の視点を持って観賞してもらいたい。何を主役として見るかは人それぞれ、あるいは、何が主役ということは決めずに、描いた自然そのものを感じ取ってもらいたい、という願いを込めて、作品タイトルを付けないようにしていたそうです」

「ははあ、奥深い話ですね」


 理真はしきりに頷き、私もなるほどと感銘を受けた。


「私も、これからは作品にタイトルを付けない方針で行こうかなあ……」

「絶対無理でしょ。絵画と小説は違うって。だいたい編集者が黙ってない」

「だよね」


 あっさりと理真は、自作のノンタイトル化を断念した。わざわざ私が突っ込むまでもなかったことだが。


「でも」と理真は小瀬に向き直って、「そういった手法を採ると、作品の管理が大変なのではありませんか? それと、例えば、ファンが神野先生の作品について語り合うときなどは、どうしているんですか?」

「作品の管理については、先生が通し番号を作品ごとに付けて、それで管理をしていました。それと、ファンの間では、さすがに通し番号で作品を語るのは味気ないので、先生の作品には渾名を付けて呼ぶならわしになっていました。それでも、例えば『春』だとか『夜の街』みたいに、なるべく絵に描かれた特定のものを言い表さないように心がけてはいましたね。もちろん、神野先生のお考えを汲んでのことです。先生の新作が発表されるたびに、ファン界隈では、『今度のこれにはどんな渾名を付けるか』で論争が巻き起こったものでした。『それじゃ抽象的すぎる』とか、『その呼び方は対象物ずばりで先生の主義に反する』とか、色々な意見、主張が飛び交って、面白かったですね。そういう、ファンが自分の作品を渾名を付けて呼んでいる、ということが先生の耳にも入るようになると、今度は先生自身も自作をその渾名で呼ぶようになったりもしました。やはり、先生も作品を通し番号で呼ぶことには抵抗があったのだと思います」

「ファンが付けた渾名が、いわば公式に認められたようなものですね」

「そうなんです」理真のその言葉を聞くと、小瀬は表情を明るくさせて、「私も付けた渾名が採用されたことがあるんですよ。一作だけでしたけれど」

「それは、ファン冥利に尽きますね」


 しかし、その栄誉を受けることは、もう誰にも出来ない。神野灯明は三日前に病没している。


「ええ……。でも、先生は病気になられたのを境に現役を引退されていましたので」

「そうだったのですか」

「はい。先生が最後に作品を描かれたのは、もう五年も前のことなんです」

「神野さんが入院されていた病院は、横浜市内なのでしょうか」

「はい。ですが先生は、どうせ入院するなら、今度は故郷の小田原(おだわら)の病院に入りたい、とおっしゃっていたそうです。けれど、横浜市内で開かれる個展が控えていたこともあって、ご自宅に近い病院に入院されることになりました」

「小田原というと、同じ神奈川県ですが、横浜のずっと西のほうですね」

「ええ。小田原の港町で先生は生まれ育ったそうです。高校進学を機に横浜に出て、以降はずっとそこで過ごされていました。私も一度病院にお見舞いに伺ったことがありましたが、そのときに、入院中に横浜の自宅を処分して、退院後は小田原に移り住む計画を立てているというお話を聞きました。先生の生家はもうありませんが、海の見える小さな家を借りて、そこに永住するおつもりでいらしたそうです。先生の生家も、高台に建つ海を望める家だったそうで……」


 しかし、終焉の地をふるさとで、という神野の願いは叶わなかった。


「私がお見舞いに伺ったのは一週間ほど前だったのですが、そのときはお元気そうにされていて、個展のことも嬉しそうに話していらして、なんとか個展開催中に体調を回復させて一時退院許可をもらって、必ず会場に姿を見せるともおっしゃっていました。ですので、まさか、その数日後にお亡くなりになるなんて想像も出来ませんでした。さらに、矢継ぎ早に原田くんのことが……」


 しんみりとした空気が私たちの周囲にただよう。それから数秒後、私たちの降車駅、馬車道に到着したことを知らせるアナウンスが車内に流れた。

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