第8話 狐山を目指して
買い出しから戻ると、大兄が帰宅していた。
「おおっ、ニ弟じゃないか!良く戻ったな、待っていたぞ!」
「さあさあ、まずは夕飯だ。一杯飲みながら、これまでのことを教えてくれ。」
雪梅の手料理が並ぶ。
龍井蝦仁(エビの龍井茶葉炒め)、西湖酢魚(ソウギョの甘酢あんかけ)乞食鶏(鶏の蓮の葉蒸し焼き)などなど。
浙江料理は塩味でさっぱりしているものが多く、様々な調理法が用いられると言うが、なるほどその通りだ。
経緯を話し腹も満たされた頃、大兄からも話しがあるとのことだった。
「それにしても、ちょうど良い時に戻ってきたものだ。」
「半年後には5年に1度の武侠大会がある。」
「我が武当派、青城、峨嵋、崑崙、華山の5大門派と、少林派を初めとした武林の英雄が集まり武芸の腕を競う大会だ。」
大兄は盃の酒を飲み干すと、話しを続けた。
「邪教の者らがはびこっている状況から見て、奴らも参加するだろう。」
「何としても大会の邪魔を阻止せねばならん。」
「奴らのことは、ニ弟も知っての通りだな。」
「はい、私も加勢しろと言うことですね?微力ながら、戦わせて頂きます。」
大兄は頷きながら、盃に酒を満たす。
「まず先に、ニ弟は応援を求めに狐山へ行って欲しい。」
「狐山には、雪児の実の父、林逋という者がおる。」
「林逋の協力を得たら、大会へ向かってくれるか。」
「実の父?」
俺の質問に、大兄は続けて答える。
「そうだ。俺と林逋は、昔とあることで意気投合してな。」
「雪児の幼い頃から、俺とは親子同然というわけだ。」
何かおかしいと薄々感じてはいたが、そういうことだったのか。
ということは、本当のお父さんはこれからご挨拶すると言うことか。
余計な緊張を背負った俺の気持ちをよそに、大兄は話しを続ける。
「林逋は詩人なのだが、実は武術の達人でもある。ニ弟も教わることが多いだろう。」
「狐山には雪児と共に行きなさい。陰ながら護衛もつけておこう。」
雪梅は終始嬉しそうにニッコリと微笑んでいる。
そして翌朝、大兄は俺たちを見送ってくれた。
「二人とも、気を付けて行くんだぞ。ニ弟、雪児を守ってくれよ。」
二人の肩に手をあてて語り掛ける姿は、まるで子供二人を送り出す父親のようだった。
「父上、大丈夫。私の方が張兄を守ってあげるんだから!」
無邪気な様子に、俺も大兄も大笑いだ。
しかし、剣術で言えば雪梅の方が上だろうから、彼女の言うことは間違いでもない。
屋敷を出ると、俺たちは西湖へ向かった。狐山は西湖の中にある島なのだ。
臨安府を抜けようかというところで、事件が起きた。
雪梅が薬を買いに行った、ほんの少しの間だった。
「どうか、どうかお助け下さい。」
美しい妓女が助けを求め、俺に抱きついてきたのだ。
聞けば、油売りの若者と西域の僧侶に言い寄られ、乱暴されて逃げてきたそうだ。
放っておく訳にもいかない、そんなことをすれば大兄の顔に泥を塗ることになる。
「ちょっと、張兄!何してるの!?」
小走りに戻ってきた雪梅は、目に涙を溜めていた。
勘違いなのだが、勘違いされても仕方ない状況だった。なぜなら、妓女の服ははだけていたからだ。
「雪妹、誤解だから待ってくれ!」
俺の言葉を聞き終わるより先に、彼女は走り去っていた。
と、そこへ油売りの若者と西域の僧侶がやってきた。こちらの対処が先だな。
「まずは訳を聞かせて頂こう。」
俺の問いに、彼らは口を揃えて妓女を嫁に欲しいと言う。
「しかし、あんたはどう見ても僧侶だ。戒律に反するのでは?」
「うるさいっ!黙っておれば分からぬ。」
「俺は仏図羅という者だ、まさかこの俺に指図するつもりか!?」
なんと滅茶苦茶な僧侶か、こっちを取り押さえよう。
「私は張と申す者。口を出させて頂きます。」
「仏図羅殿、手を引いて下さい。」
「ほーう、俺様とやろうってんだな。」
とても僧侶とは思えない暴言だ、しかもこの匂いは…相当な量の酒を飲んでいるな。
飛び掛かってきた仏図羅を適当に対処しようとしたその時、奴が淡く光ったと思えば、なぜか奴に触れられない。
俺はそのまま一撃受けてしまった。
衝撃は大したことはないが、なぜ触れられなかったのか腑に落ちない。
更に奴が向かってきた。こんな酔っ払いに負けるわけがない、と今度はこちらも攻撃を繰り出す。
しかし、俺の拳は当たらず、また一撃を受けてしまった。
間違いない、光のようなものに阻まれている。
二撃目で俺の唇は切れ、血が滴った。
このままではやられてしまう。
「さーて、これで終わらせてやろう。」
奴は懐から短刀を出した。そしてそのまま短刀を突き出してくる。
すると、何者かが割って入り俺を救った。
「真正面から攻撃しても、光の術で崩されるぞ。」
「あれは幻術の類だからのう。」
年老いた道士のようだが、この人が大兄の言っていた護衛か?
「その通り、お主の攻撃は当たらぬ。」
「しかしこれは幻術ではないぞ。蜃と言ってな、拙僧は蛤と契約しているのだ。」
「説明しても分からんだろうがな。」
タイムトラベラーか!
蛤ってことは、貝とも契約できるんだな。
そうと分かれば、こちらも全力でやらせてもらう。
「青蛙!制剛流抜刀術 飛燕!」
仏図羅が光を作り出す前に、青蛙の瞬発力を使う。
これには奴も「あっ」、と声を漏らす。
しかし、驚く暇もない。速攻の飛燕で一気に拳を打ち砕いた。
奴は短刀を落とすと、戦意を喪失したようだ。
「兄弟、面白い技を使うな。今度教えてくれ。」
「わしは六合八法拳の陳希夷だ。」
「ついでに言っておく。張掌門の配下だが、いつでも門派を興せるんだからな、覚えておけ。」
どうも、意地っ張りで楽しいおじいちゃんのようだ。
だが、ただの意地っ張りではなく、相当の使い手だ。
気が付くと、既に仏図羅の姿はなかった。
どうやったか分からないが、今の隙で逃げたのだろう。
「お助け下さり、有り難うございました。」
「花魁と申します。どうお礼を申し上げたらよいやら。」
「もしよろしければ、妓楼へお越しくださいませ。」
油売りの若者は、何もできなかったことが辛いのか悲しそうにしている。
「そんなつもりで助けた訳ではない。」
「せっかくの縁だ、そこの店で茶でも飲もう。俺の連れの戻りも待ちたいし。」
俺たちは近くの店に入り、花魁の話しを聞いた。
北宋の戦場から、流浪しながら逃れてきたそうだ。
両親とも離れ離れになってしまい、一人のところをだまされた挙句に、妓女に身を落とした。
俺の見たところ、花魁は油売りの若者が好きと言う訳ではないが、一途な気持ちを無下にもできないといったところか。
「二人とも俺より若いんだ、ゆっくり考えたら良いよ。」
俺は二人の手を取り、重ね合わせた。
心のどこかで、この二人なら幸せになれると思ったのだろう。
そこへ、怒り冷めやらぬ雪梅が戻ってきた。
すかさず、俺の代わりに花魁が事の顛末を説明してくれた。
雪梅が戻ってきた時に二人の手を取っていたことも上手く作用したようで、許しを得ることが出来た。
さて、問題が解決したところで再び狐山を目指す。
西湖までもう少しだ。