第7話 再び江湖へ
戦国時代から戻り、忙しくもつまらない毎日を過ごしていた。
2度目のタイムスリップを経験したが、2度とも元の時代に戻ると同じことを感じる。
現代に飽き飽きしているのだ。俺が輝く場所は、ここではないのかもしれない。
そんな感情の中、気晴らしに旅行することにした。
そう言えば、信濃の祢津の里は、現在で言うと上田と軽井沢の間あたりだったな。
しかし、里へ行きたいと言う訳でもない。
そこで、中途半端な場所だが、以前にも何度か旅行した大町市の温泉郷へ行くことにした。
気が向けば里へ行ってみても良いだろう。
大町に着くと、早速露天風呂に入った。
雪が舞うと、その幻想的な景色は、この世のものとは思えないほど素晴らしい。
そんな景色に包まれながら、もう一度江湖へ行きたい、俺の居場所はあそこにあるんじゃないだろうか、そう考えるようになっていた。
雪梅のことが頭から離れないこともある。
しかし、実はそれよりも生きる目的が欲しいのだと思う。
自分の意志でタイムスリップすることもできる、と大兄は言っていた。
だが、どうやれば良いのか。ただ願って戻れるなら簡単だが、少なくとも今の俺では無理だろう。
これまでの経験を整理すると、恐らくタイムスリップのゲートはいくつもある。
何らかの条件が整った時、それは起きる。そして、2回とも普段の生活圏ではない場所で起きた。
それに、奥山殿は九尾狐が神獣と言っていた。この力が有効に働くかもしれない。
普段の生活圏ではない場所か、この近くでは龍神湖が良さそうだ。試してみよう。
そうと決まれば、人目を避けるため夜を待って向かうことにした。
龍神湖に着くと、良いのか悪いのか分からないが、霧が立ち込めていた。
念のため、脇差と三食分の食料、それにお土産でジュースとお菓子を持ってきた。
日本のお菓子は繊細な味わいで、現代でも中国の女子は大喜びすることを知っていたからだ。
「サヨナラ、令和の日本。」
「よし、いくぞっ!九尾狐!」
現代に別れを告げ、九尾の狐の能力である羽衣で空を舞い、湖の中央まで行く。
そこで、以前に霧をはらった空也を振るった。
すると周囲の霧が晴れ、青白く光っている水面を見つけた。
ゲートはこれかもしれない。
「青蛙!」
水中に入り召喚すると、物凄い速さで湖底へ向かう。
段々と辺りが光に包まれ、何も見えなくなった。
そして、目を開けると水面に浮かんでいた。
一瞬、気を失っていたのかもしれない。
「海か!?」
見渡す限りの水面に驚いたが、良く見れば海のような波はない。水深も深くないようだ。
ともかく青蛙を召喚し、岸を目指して水面を走り続けた。
岸に上がると、そこには数名の兵士を連れた男がいた。
他に人もいない、仕方なく兵士に話しかけることにした。
「すみません、ここは何と言う場所ですか?」
「なんだ?おかしな奴だな、西湖十景を知らぬか。」
西湖か、道理で海と勘違いするほど大きいはずだ。
しかも、運が良いのか分からないが、杭州にタイムスリップできた。
それにしてもこの男、ひと目見ただけで分かる。かなりの腕前だ。
俺は続けて話しかける。
「私は張と申します。名のある武人とお見受けしましたが、あなたは?」
「岳飛と申す。」
何と、あの救国の英雄岳飛か!話しを聞いてみたいが、無名の俺では怪しまれるだろう。
丁寧に礼を言い、別れることにした。
ここから臨安府は近い、九尾狐の羽衣で臨安府まで行けば、大兄の屋敷までの道順も分かる。
「ただいま戻りました!」
屋敷の門をくぐり、俺は力の限り叫んだ。
しばらくすると、泣きながら雪梅が走ってきた。
「戻って来てくれたのね、張兄!」
俺は彼女をしっかりと抱きしめ、彼女の涙を拭く。
「父上は仕事で出ています。」
「これから夕食の買い出しなの、一緒に行きましょう!」
俺は頷く。着いたばかりだが、雪梅と一緒にいたい。
「お嬢様、いつも料理などしないのに、どういう風の吹き回しですか?」
使用人のおばさんが冗談めいた口調で言う。
さすがは大兄の屋敷、以前は気が付かなかったが、このおばさんもなかなかの使い手だ。
雪梅は、顔を赤らめながらも、一度屋敷に入っていく。
すぐに戻ってくると、その手には俺の碧蛇剣を持っていた。嬉しい心遣いだ。
剣を受け取り、二人手をつなぎ町へ向かった。
町に入ったところで、急に上空から5人の白衣の男が舞い降りてきた。
「へっへっへっ、お嬢さん、我々とそこの小屋へ。」
「神鷹教の連中よ。」
雪梅が囁いて俺に教える。
江湖を渡るということは危険と隣り合わせ、こういうことなのだ。
しかも、雪梅のように可愛い娘であれば、トラブルも多いだろう。
「やめておけ、お前たちでは相手にならない。」
本当にそう思っていた訳ではなかったが、雪梅の手前格好つけてしまった。
雪梅のうっとりとした視線を感じる。この時点で俺の勝ちだ。
「俺たちに歯向かうとは命知らずな、男の方は殺してしまえ!」
「ちょっと待て!あの大小2本の剣は値打ち物だぞ、いただきだ。」
そう言うと、黒衣の男たちは空へ舞い上がった。俺の碧蛇剣と空也も狙われたようだ。それにしても奴ら、類まれな軽功だ。まるで空を飛んでいるようだ。
そして、降下しながら技を繰り出してきた。
雪梅は刀を抜き、2人と戦い始めた。
俺の方はと言えば、
「九尾狐!」
奴らが降下する前に、羽衣で舞い上がる。この状況に男たちは驚きを隠せない。
隙をつけば造作もない、簡単に3人を倒した。
雪梅の方へ視線を移すと、背丈の2倍以上はある水車の横で戦っていた。
押してはいるが、すんでのところで男たちは舞い上がり、水車の上へ逃げてしまう。
仲間を呼ばれても厄介だ。俺は奴らに向かって飛ぶ。
「青蛙!」
碧蛇剣を2度振るい、青蛙の発頚で男たちを倒した。
しかし、そのついでに水車も破壊してしまった。
水車が倒れ、大きな水しぶきが上がる。
「しまった。雪妹、騒ぎで役人が来る前にこの場を離れよう!」
彼女の腕をとり走り始めると、目の前に役人たちが立ちはだかった。
…あれ、どこかで見たことがあるような。
「あ、兄貴、よく見たらあの時の奴ですよ。」
子分風の役人が言った。よく見ると、やはり確かに見た顔だ。
そうだ、初めてタイムスリップした時にからまれた悪徳役人だ。
「お前ら…」
と、俺が言い終わる前に奴らは道を開けていた。
邪魔はしないと言う訳か。
こっちも急いでいる、構わず路地裏へ逃げた。
「このままじゃまずいな、九尾狐!」
九尾の狐の能力である変幻の術を用いて、俺を別人の顔に変える。
雪梅までは変えられないが、これだけで良しとしよう。
「神鷹教と月蛇教、どちらも摩尼教の流れを汲むんだけど、邪な技を使うことで有名よ。」
「今回の件で、両方敵に回してしまったかもしれない。」
「それにしても張兄、新しい能力を身に付けたのね、お祝いを言うわ。」
やはり可愛い娘だ、離れたくない。