第2話 恋の予感(前半)
早速、飛来峰へ向かいつつ、張大侠による特訓が始まった。
「これから両義太極拳三百八十四拳」を授ける。完全に会得することは無理でも、俺が教えるんだ。基本が身に着けば何とかなるだろう。」
「それにお前、役人と戦っていた時に太極拳を使っていただろう。」
そうか、喧嘩空手の基本部分、実は太極拳だっておじさん言ってたな。
「陰の中に陽があり、陽の中に陰がある。そしてこれは互いに入れ替わり、円のように動く。この基本的な考え方に基づき、一つずつの技を覚えろ。」
何を言っているか分からない。それに三百八十四拳って多過ぎないか。
太陽拳が良かったが、まぁ気功は無理か。
あっという間に3日間が経ち、強引ではあるが予定より早く覚えることができた。太極拳は基本的に相手の力を制して自分の力に変える技だが、この基本は同じようだ。
「飛来峰に着いたぞ。」
歩いていた張大侠が立ち止まり言った。
霊峰と言うだけあって、周りの山々とは全く違う。岩が沢山あるのだが、恐らく石灰岩だ。
それに石の仏像が沢山並んでいる。
しばらく歩くと、ひと際大きな洞窟に着いた。
「ここは青林洞。ここで虎の化け物を倒し、俺は能力を得たのだ。」
張大侠は虎と契約したのか、霊峰と呼ばれるだけあってすごいなぁ。ひとまず、周りを散策してみることにした。
川に沿って歩いていると、急に辺りが薄暗くなる。
一体何だろう、月食か?
「ゲコッ、ゲコゲコッ!」
とんでもなくデカいカエルが現れた。もしかして、張大侠が言ってたのはこれか?
ヒキガエルのような見た目で、後ろ足が1本しかない生き物だ。
「それは青蛙だ!何とかして倒せ!!」
張大侠の声が聞こえる。しかし、姿が見えない。周りに結界が張られているような感じだ。
戦うと言っても、相手の力を利用する太極拳ではカエルには不向き、どうしたものか。
しかし、そんなことを考えている余裕はなかった。
カエルは水上を走りながら攻撃を仕掛けてくる。カエルの力を利用して左右へ受け流すが、見た目よりすばしこく、なかなか攻撃に転じることができない。
「お前の体術では倒せない、武器を使え!」
また張大侠の声が聞こえた。どうやら、あちらからは見えているようだ。護身用にもらった短刀を使えということか。
カエルの動きが止まった。なぜか分からないがじっとしている。
「まずい、力をためている。蝦蟇功のような突進が来るぞ!」
蝦蟇功ってなんだ?とにかく時間がない。大分疲れてきたし、次の一撃で決めるしかない。
「ゲコー!!」
カエルが突進…ではなく飛んできた。
「なんだそりゃー!」
だめだ、対応が間に合わない。何もできず固まってしまった。
しかし、カエルは仰向けに倒れた。
信じがたいが、どうやら突き出した短刀に勝手に刺さって自爆したようだ。
すると、周りの結界が薄くなり、張大侠の姿を確認できた。
「早く契約しろ、青蛙と契約する、と言え!!」
言われた通り契約の言葉を口にすると、カエルは消滅した。
そして、俺の一部になったことが分かる。
「ふぅ。それにしても、俺の初めての契約がカエルとは、あまりにも弱そうなんですけど。」
「まぁ、そう拗ねるな。さっき見た感じだと、水上を渡れるし、あの突進力は強力だろう。」
張大侠がそう言うなら、悪くはないか。
とにかく、これで準備は整ったということだろう。
いよいよ、月蛇教なのか破戒僧なのか、雪梅さんを連れ去った連中と対面だ。
張大侠の案内に従い、次に向かった先は「霊隠寺」と書かれた門構えの寺だった。
中に入っていくと、そこには西域の僧侶がいた。恐らく、彼が鳩摩流だろう。
「張大侠、ようこそいらっしゃいました。拙僧は鳩摩流と申します。」
「月蛇教には縁が深く、ご助力している次第です。」
黄色の法衣をまとった僧侶が挨拶する。
人さらいしておいて、僧侶と言えるのか?まったく、なんて時代だ。
「武当派の掌門、張三宝と申す。鳩摩流殿、娘の雪梅を返して頂けないか。」
「もちろんでございます。いかに月蛇教の頼みとは言え、命までは取りまぬ。」
「拙僧は各派の奥義を集めてましてな、武当派の奥義書を頂けませんか?難しいと言うなら、ここで戦って見せて頂きたいですな。」
なんて身勝手な、奴は僧侶の皮をかぶった悪魔だ。
「どうしても戦うしか選択肢がないようですな。」
「お前は雪児を探してくれ。」
張大侠は俺に頼むと、鳩摩流と戦うべく構えた。
俺は中央突破を避け、池沿いに走り寺の中へ向かう。すると、西域の僧侶たちが俺を囲む。
「こんなにいたのか?すっかり囲まれたな。」
池を背に呟くと、青蛙を召喚し池の上を一気に飛び越えていく。
「何!?若造のわりに、奇妙な軽功を使う。その技、是非伝授頂きたい。」
なんと、鳩摩流が興味を示しこちらへ向かってきた。
「俺が相手だと言っただろう!」
「いくぞ、太陽拳!」
でたっ、張大侠の十八番、太陽拳だ。鳩摩流も技を繰り出し応戦する。
「むっ?それは少林派の鉄砂掌に鷲爪功か、しかも達人の域だ。」
「だが、俺は少林の流れをくむのだぞ、勝てはせぬ!」
よし、張大侠が押している。俺も寺の中に入ろう。
「両義太極拳!」
入り口にいた西域の僧侶数名を倒す。形だけ会得しているとは言え相手は雑魚だ、俺の敵ではない。
寺の中に入ると、柱に縛り付けられている雪梅をすぐに見つけることが出来た。
かすり傷は負ったが、中にいた2人の僧侶も倒し、縛り付けている縄を切る。
「張小侠、ご迷惑をお掛けしてごめんなさい。有り難うございます。」
顔を少し赤らめてお礼を言う姿も可愛い。
外から張大侠の叫び声が聞こえた。何事かと雪梅を連れて外へ出る。
そこには大きな法杖を持つ鳩摩流がいた。どうやら、張大侠はこの杖で不意を突かれたようだ。
「卑怯な坊主め!林家刀法を受けなさい!!」
雪梅は刀を抜いて飛び掛かる。まずは鳩摩流と3手を交わす。雪梅、想像以上だ、俺より全然強い。
だが、少しずつ鳩摩流に押されていく。
俺も助けに入ろうとしたその時、
「太陽剣!」
張大侠が剣を抜き、鳩摩流へ飛び掛かる。
これはたまらないと鳩摩流が杖で受けようとしたその時、鳩摩流の体が吹き飛び、大きな香炉に打ち付けられた。
鳩摩流は吐血し、戦意を消失したのか屋根に飛び乗り去っていった。
その速さと言ったら、軽功も達人の域だ。
しかし、それよりも張大侠の技だ。杖に触れる瞬間、物凄い剣気を放っていた。
これで虎も召喚できるのだから、恐ろしい強さだ。
雪梅が張大侠に飛びつく。
「雪児、無事で良かった。」
俺たちは張大侠の屋敷に戻り、疲れを癒すことにした。
翌朝、特にやることもない俺は、両義太極拳を修練していた。
それにしても、元の時代に戻れないと言うことは、雪梅の救出が目的ではなかったということだな。
「お前、短刀では何かと困るだろう。剣をやるから、使い方は雪児から習うと良い。」
そういうと、張大侠は仕事があるのか去って行った。
言われた通り、雪梅と二人で修練を始めた。
型の基本を一通り覚えられた頃、俺は両義太極拳の理解も深まり、明らかに強くなっていることを実感していた。
「一体何の目的でこの時代のこの場所に来たのか、帰れるのか、不安ばかりが募るよ。」
雪梅が横にいたが、ついつぶやいてしまった。
夜も更け、俺は一人、月を観ながら酒を飲んでいた。
酒も旨いが、何といっても月が美しい。
現代と違って、黄砂や公害がないからだろう。
すると、雪梅が声をかけてきた。
「もう遅いですから、張兄はお休みになって下さい。」
まだ出会って間がないのだが、俺たちは兄、妹と呼び合っていた。
これは兄弟と言う意味ではなく、親しみを込めた呼び方だ。
「いや、もう少しだけ飲みたいから、雪妹は先に休んで。」
雪梅が膳を下げようとした時に、俺も膳を引き寄せようとしたため、お互いの力で膳の上の酒瓶が倒れてしまった。
それを支えようとした二人の手が合わさってしまう。
雪梅はまだ20歳そこそこの娘だ、顔を真っ赤にして立ち去ろうとする。
しかし、俺は彼女の腕をつかんだ。
月に照らされた彼女は、何とも可愛く感じた。
「雪妹…」
好きだと言いかけて、俺は言葉を飲み込んだ。
もうすぐ元の時代に戻るのだから、言ってはいけない言葉なのだ。
雪梅はそれを察したのか、目に涙を溜めながら走り去って行った。
やりきれない気持ちで月を眺めたまま、俺は眠った。