第1話 決意
世界的なコロナで時間を持て余したことがきっかけで書き始めたが、前々からこういった小説を書きたいと思っていた。
私は尊敬する金庸氏の影響を大きく受けている。彼は中国圏で絶大な人気を誇る有名人だ。2018年に惜しむらくも亡くなられ、このことが初めのきっかけである。
思い返せば15年ほど前か。中国の出張で、ここぞとばかりに金庸氏のDVDを買いに走った。
ある店で物色していた時、これと決めて手を伸ばすと、同じDVDを求めた人と手が触れてしまったことがある。どんな人かと見れば、まだ小さな子供だった。
上海で演劇を観た時には、金庸氏の作品を愛する中国人が沢山いた。その中には、老人や中年、青年もいた。とにかく支持される年齢層が幅広い、それだけ彼は愛されていたのだ。
この小説は長編になるが、せっかく始めたことだ。隔週又は出来れば毎週のペースで更新していきたい。
俺の名前は「尾張 友和」、26歳独身だ。
温和で冷静な性格。最近は運動不足気味だが、高校までサッカーをやっていたスポーツマンだ。もうずっと運動はしていないが、まだやれると思っている。
温和な見た目に反して、中学の頃は少しやんちゃで、近所のおじさんに習った喧嘩空手が得意技だ。
昨日から出張で中国の上海に来ている…のだが、ついてないことに拉致された。
随分遠くの田舎まで移動し、少数民族の結婚式に連れてこられたようだ。
女性たちはカラフルな民族衣装に身を包んでいる。
近くにいたおじさんが俺の手を引き、赤く彩られた椅子に座らせようとする。聞いたことがある、ある民族では、椅子に座ることが結婚の了承になるのだと。
そんなことに従えるわけはない。俺は力いっぱい反抗する、しかし、それも空しく数人がかりで椅子に押し込まれてしまった。
「あんたら何なんだよ、やめてくれーっ!!」
思い切り叫ぶと、突然雷鳴が轟いた。あたりが一瞬暗くなり、明るくなると周りの人々は倒れこんでいた。
何が起こったのか分からないが、急いでこの場を離れることにした。
しばらく歩いていると、何やら景色がおかしい。田舎とは言え、あまりに民家がレトロなのだ。レンガ造りの住宅に、川には大きな水車もある。それに、すれ違う人の服装がおかしい。昔の漢服というか、侠客の衣装なのだ。
ともかく、町の入り口に着いたようだ。中へ入ってみよう。
「おいお前、なんだその服装は?怪しい奴だな。」
3人組の官服を着た男が話しかけてきた。それにこの人、左手に剣を持っている。
怖いが話しかけてみる。
「撮影中のところ申し訳ありません。お尋ねしますが、ここはどこでしょうか?」
片言だが、中国語のコミュニケーションは問題ないはずだ。
「撮影?何を言っている?私は臨安府の役人だ。怪しい奴め、連行する!」
さっぱり状況が分からないまま、俺は力ずくで連行されていく。臨安府と言えば、宋の時代の杭州府のことだろう。撮影じゃないとすれば、宋の時代なのか。信じられないが、雷鳴の瞬間にタイムスリップしてしまったのか。
役所へ連れて行かれると思ったが、到着したのは裏通りの広場だった。
「よし、見なかったことにしてやるから金を出せ。」
え、役人じゃないのか?これでは盗賊だ。
しかし、中国という国は昔から賄賂や着服が横行しているし、こういうことだって普通のことなのかもしれない。俺は素直に財布を渡した。実は何かあった時のために、服の中にもお金を入れている。当然、有り金全て出すわけにはいかない。
「ふざけてんのか、やっちまえ!」
財布の中身を見た役人が怒り、こちらに飛び掛かってきた。
財布を渡しても襲ってくるのだ、理解するしかない。タイムスリップしている。
「俺の空手なめるなよ!」
円を描くように両手を回し、1人目の攻撃をいなす。そのまま円を描きながら正拳突きで2人目を倒す。3人目の突きを何とかかわすと同時に、相手の態勢を崩す。倒れる男の体を片膝で支えた瞬間、その体を挟むように肘うちを食らわせる。これは危険な技だが、喧嘩空手を使わなければこちらが危ない。すると、1人目がもう一度斬りかかってきた。
「おいおい、殺す気かよ!?」
時代が違うのだ、考えてみれば当たり前である。1人目の攻撃はかわしたが、2人目の男が起き上がっていた。さすがにかわせず、俺の手を剣がかすめ、鮮血が流れる。本気で痛い、剣で斬られるなんて生まれて初めてだ。
この状況は不味いと逃げ出すも、二人が追ってくる。このままでは本当に殺される。
死を感じたその時、
「太陽拳!」
男が割って入り、一瞬で二人を吹き飛ばした。剣を持った相手の懐に入り拳を突き出す、そして相手に触れず吹き飛ばした。太陽拳って、あの眩しいやつしか思い浮かばないのだが…。そんなことを考える余裕もなく、俺はその男に連れ去られた。
目を覚ますと、俺は寝台の上にいた。どうやら、連れ去れる間に気絶したようだ。斬られた腕は布で巻かれている。どうやら、さらわれたのではなく助けられたようだ。
「大丈夫か?少々武術は出来るようだが、このくらいで気絶するとは情けない。」
その男は40代だろうか。浅黒く背は低いが、英雄の風格だ。
「助けて頂き有り難うございます。俺は尾張と申します。」
「こんなことを突然言っても信じてもらえないと思いますが、どうやらタイムスリップしたようで…」
何をバカなことを言っているのか、と俺は言葉に詰まった。
「分かっている、武当派の張三宝だ。俺にも経験がある。」
武当派の張三宝と言えば、開祖ではないか。本物の英雄だ、そりゃ強いに決まっている。と言うか、実在した人物なのか。
それに、経験があるとは?
「先ほどの技。相手に触れず吹き飛ばしてましたが、どうやったんですか?」
今聞くことはそこじゃない。分かっているが、そうせずにはいられなかった。
「太陽拳は俺が編み出した技で、太極拳のひとつだ。相手が吹き飛んだのは、触れる前に発勁を使ったからだ。」
気功みたいなものか、やはりすごい人だ。
「武術に興味があることは良いが、それよりもタイムスリップのことを話しておこう。」
そうだった。
「タイムスリップをした者には必ず目的が与えられ、目的を果たすまで戻ることは出来ない。その目的は、タイムスリップして一日以内に起きたトラブルを解決することだ。経験を積むと、自分の意志でタイムトラベルすることも可能になる。」
「なぜこんなことが起きるのか、それは俺にも分からない。」
「張大侠はタイムスリップでここに?」
張三宝と言えば大英雄、俺は敬意を込めて大侠と呼ぶことにした。
「俺は元々江湖の出身だ。タイムスリップで未来へ行ったことがある。それでお前の格好を見ても驚かないし、理解できたと言う訳だ。」
「話しはまだ終わりではない。」
「タイムスリップをした者は、ある能力を与えられる。それは、生き物と契約することができる能力だ。ごく稀な変異種に出会い、自分の力で倒すことで契約は成立する。」
「契約した生き物の能力は、目的を果たすために強力な武器になるだろう。」
タイムスリップだけでも混乱しているのに、こんなに色々説明されても理解が追い付かない。
「ついてこれないのは方ない。」
「ところで、お前の名前は尾張と言ったな。中国では俺と同じ張を名乗れ。」
張三宝と同じ姓を名乗れるとは有り難い、何と光栄なことか。
「目が覚めたようね、張小侠!!」
小さな英雄!?むずがゆくなる呼び名…と言うか誰だ?声のする方を見ると、何とも可愛い20歳くらいの娘がこちらを見ていた。クリクリの目にサラリと腰まで伸びた美しい髪、活発そうだが恥ずかしそうにしている姿、ひと目で気に入ってしまった。
「俺の娘だ。雪梅という、仲良くしてやってくれ。」
俺がタイムスリップした目的は分からないが、ともかくしばらくは張大侠の屋敷でお世話になることにしよう。
翌朝、張大侠の叫び声で目を覚ました。
「雪梅!どこだ?返事をしてくれ!!」
「どうしました、張大侠?」
張大侠が言うには、今朝から雪梅さんがおらず、探し回っているそうだ。あたりを見渡すと、太陽の位置からして昼頃か。時間を把握して、俺はハッとした。
「張大侠、俺がタイムスリップしたのは昨日の昼頃です。そろそろ一日になります。」
「まさか、これがお前の目的なのか。」
二人は言葉を発することなく考え込んだ。しばらくすると、張大侠が口を開く。
「おそらく、月蛇教の連中だ。我が武当派と敵対していてな。しかし、雪梅は林家刀法の使い手。簡単にやられないはずだが。」
雪梅さんは張大侠の娘なのに、なぜ林家?気になるが、今確認することではない。一旦忘れよう。
雪梅さんを探し回っていると、突然窓から矢が撃ち込まれた。どうやら矢文のようだ。張大侠の屋敷は立派で護衛もいるようだが、やたら簡単に侵入されている。
「矢文によると、一週間後に飛来峰で待つとされている。どうやら、月蛇教は破戒僧の力を借りたようだ。」
「破戒僧と言うと、少林寺ですか?武当派と敵対関係にあるんですか?」
武当派と少林派に敵対の歴史はあるが、宋の時代には聞いたことがない。
「ああ、少林寺ではない。西域の僧侶だ。部下の報告だと、臨安府で鳩摩流を見かけたと聞いていたからな。」
「それに、飛来峰はインドの僧侶が霊隠寺を開いた場所だ。」
「なるほど。それで、期日までの1週間はどうしますか?」
張大侠はしばらく考え込むと、こちらに向かって微笑んだ。
「お前を鍛えよう。せめて基本的な体術を叩き込む。自分の身は自分で守れ。」
えっ!?俺も行くのか?しかし、目的のことを考えれば行くしかないか。それに、雪梅さんも心配だ。
何とか彼女を助け出して元の時代に戻ろう、そう心に誓った。