空飛ぶ影
二巻発売中です(活動報告に追記あり)
黄金羊商会との会談の後、僅か一週間ほどで約束の帝国通貨が届けられた。おかげで俺たちはかなり動きやすくなった。
むしろ今までが異常だったのかもしれない。無い袖は振れないというからな。それでも無理やり振っていたのがこれまでの俺たちだ。
これまでは武器の調達にしろ傭兵の雇用にしろ、後払いやツケ払いという選択肢しかなかったが、先払いも可能になったことで、話の進みが段違いである。
そして帝都の商人たち……それも宰相派や摂政派として動いていた連中が、少しずつ恭順し始めた。これは俺の勢力を強くすると同時に、ラウルとアキカールの反乱勢力を弱体化させていることにもなる。
ちなみに彼らが手のひらを返しだした理由は俺たちに金が入って来たからではない。おそらく、彼らのもとに届いた二つの情報が関わっている。
一つ目は、マルドルサ侯の離反である。事実上、宰相派のナンバー2と目されていた侯爵が『ラウル大公国』にはつかず皇帝派についたことで、旧宰相派の中にはかなりの動揺が広がっているらしい。
このマルドルサ侯、数日前に宮廷まで挨拶に来ている。事前に聞かされていた通り特に怪しむ所もなく、それどころか後継ぎを人質に出してきた。さらに、旧宰相派貴族の内部事情や、ラウル公爵が保持してきた私兵の編成まで。どうやら本気でこちら側につくつもりらしい。こうしてもたらされた情報は、ヴォデッド宮中伯に頼んで裏付けを進めてもらっている。
ちなみに、ヴォデッド宮中伯には変わらず密偵長として働いてもらっている。信用できない男ではあるが、かといって代わりの人間はいないからな。
そしてもう一つ、商人らが動いた情報……それは「アキカールの分裂」だ。
俺がわざと逃がしたフィリップ・ド・アキカール、彼が『正当なアキカール公爵』として挙兵したのである。この結果、帝国西部は式部卿の次男アウグストによる『アキカール大公国』と式部卿の孫であるフィリップによる『アキカール公爵軍』という二つの「アキカール家」が擁立された形となった。
さらにアキカール地方はブングダルト人に恨みたっぷりの『旧アキカール王国貴族』という地雷まで抱えている。確実に、俺たちやラウル大公国に戦力を割く余裕は無い。
これらの事情によって、商人らは潮目が変わったと判断したようだ。
今までは『大公同盟』によって皇帝派が東西から挟まれる形だったため、単純に2対1で反乱側が有利だと思われていた。だがその片翼が潰れたことにより、ラウルと皇帝派の1対1の勝負になった。そこに追い打ちをかけるかのように、旧宰相派ナンバー2の離反。
完全に流れがこちらに来ている。
そして金銭的余裕ができた上に商人が懐柔され始めたことで、帝都の市民もより動かしやすくなった。これまで市民は皇帝という存在に対する「期待感」だけで動いてくれていたが、これからは「金」もそこに加わる。余程のヘマをしない限り、俺が帝都市民に見限られることは無いだろう。
とはいえ、「金があるから後は簡単」という訳でもない。何故なら実際に金で動かせるのは帝都や大都市に住む「経済的に裕福な人間」くらいだからだ。
何せ農民などは『金貨』や『銀貨』をほとんど使っていないからな。
いつだったかも話したかもしれないが、この時代の農村などでは物々交換で生きていけるのだ。税も「収穫した穀物の○割を納める」と決まっているが、それを貨幣で納める義務は無いのである。まぁ、貨幣持ってない人に貨幣で納めてっていうのも無理な話だからな。
これは貨幣経済の普及が甘いとも言えるし、単純に帝国金貨や銀貨が『高価すぎる』のも原因だろう。まぁ、普通に考えて銀でパンを買う奴はいないよな。
かつては「金貨」や「銀貨」といういわゆる本位貨幣に対し、補助貨幣として銅貨が用いられており、パンなどの購入に使われていたらしいが……これが帝国の混乱期などで衰退してしまい、現在の状況になったらしい。
つまり、帝国の情勢によって価値が変動する貨幣より、ある程度安定している現物の方が、納める側も役人も楽だったんだろう。実際は穀物の価値も変動するんだが、まぁ今は置いておこう。
とはいえ、俺もこのままでいいとは思っていない。金銭以上に詳細な記録を残しにくい現物納税は、中抜き……つまり役人による汚職の温床になっているし。何より、穀物を貨幣代わりにされると飢饉になったときや逆に豊作すぎた時に、農民が困窮するだろう。一刻もはやく、貨幣で納めるよう納税改革に取り掛かりたい。
この改革に必要なことは三つ。官僚を増やし権限を与え、貨幣の流通量を増やし、そして誰でも使いやすい貨幣にすることである。
……うん、今の俺らには無理だな。
何故かって?
官僚に権限を与えるのは、そうしないと貨幣納税が徹底されないから。貴族ごとに勝手な法を敷かれ、国内が混乱するのは間違いない。だがこれはつまり、貴族から権限を取り上げるという事でもある。ワルン公やニュンバル伯などの協力なしでは帝国は成り立たない現状で、そのような余計な火種を生むわけにはいかないのである。
そもそも官僚の数も足りないし。
あと貨幣の流通量を増やすのは、そうしないと単純に農村にまで貨幣が行き渡らないからだ。その為には銅貨の造幣しないとだろうな。つまり銅の安定供給が必須と。
最後の使いやすい貨幣というのは、まぁ分かるだろう。『大金貨1枚=小金貨4枚=大銀貨4枚=小銀貨40枚』の交換レートとか、どう考えても使いにくい。
だが……この部分が一番難しい問題でもある。
というのも、この時代の貨幣は金と銀の希少性によってその価値が保証されている。今は金の方が銀より流通量が少なく希少だから、より高価な貨幣になっている訳だ。
しかしこの貴金属の価値というものは、当たり前の話だが周辺国での金銀の産出量に比例して変動するのである。早い話、帝国や周辺国で一斉に銀が枯渇すれば、銀の方が希少になり金の価値を上回ることだって起こり得る。
地球でも金貨や銀貨が記念硬貨以外消えたのって、金銀の希少価値が高まり過ぎて貨幣として使えなくなったからじゃないだろうか。いや、詳しくは知らないけど。
つまり価値が変動してしまうから、『大金貨1枚=大銀貨4枚』なんて交換レートになっているのだろう。昔はおそらく、もう少しキリのいい数字だったんだと思う。『大金貨1枚=大銀貨5枚』のように。
けれど金銀の産出量に変化が起きて、この交換レートになってしまったのではないだろうか。
もちろん、現状の『金銀の価値の差』に見合う含有量、重量に造り直した新貨幣を発行すれば、この辺もキリのいい、使いやすい交換レートにできるだろう。「金貨1枚で銀貨10枚」みたいな。
ところが新しい貨幣の発行……つまり改鋳という行為は、悪用することもできてしまう。額面より少ない金銀含有量にしてその差額で利益を得る行為……ロタール帝国が崩壊する原因の一つとなったのがそれだ。
そういう前例がある以上、「正しい価値」で「分かりやすい交換比率」の貨幣を用意したところで、それを商人らが信用して使ってくれるとは限らない。つまり商人らに新貨幣を正しいレートで使うよう、強制できるだけの力がなければこの改革は失敗する。だから今の俺には絶対に無理な話なのだ。
まぁ、そもそも金貨の造幣施設も、銀貨の造幣施設も、俺は持ってないんだけどね! 六代皇帝がアキカールとラウルに売っちゃったから!!
というか、俺が改革をして分かりやすいレート、例えば「金貨1枚」=「銀貨10枚」にしたところで、結局金銀の価値は変動するのだから、いずれ「金貨1枚」=「銀貨9枚」という風に変わってしまうけどね。常に金貨と銀貨の比価が固定されるのは、都合の良いゲームの中だけだ。
それを常に「金貨1枚」=「銀貨10枚」のレートに安定させる為には、こまめに正しい価値比率の貨幣に改鋳し、尚且つそれをしても、貨幣の信用が落ちないような強力な国家になるしかないだろうな。
いや、あるいは金銀の採掘や輸出入を完全に国で管理して、国内流通量を安定させられれば……できるか? それこそ貴族が権限を持っている限り不可能か。
あの大英帝国ですらこの問題には苦しんだのだ。簡単な問題ではない。
まぁ、まずは帝国全土の統一が先だな。こんな状況でそんな大改革をしても、中途半端な結果で頓挫するだろうし。
ちなみにこの金銀比価問題を解決する簡単な方法は、金貨か銀貨のどちらかしか使わないことではある。大英帝国も金銀複本位制から金本位制へと移行していたし。ただ、それをする為には需要を満たすだけの金あるいは銀が必要になってくる。大英帝国がそれを可能としたのは、あの国が広大な植民地を抱えた世界帝国だったからだ。
どっかに金か銀の大鉱脈ないかな。
***
商人が感じ取ったように変わり始めた局面ではあるが、俺はすぐに兵を動かさなかった。勝率を上げるために、色々と準備を整えたかったからである。
これから視察するのもその一つだ。
「実験結果はどうなった」
ティモナを引き連れ訪れたのは、宮廷内の開けた土地。そこではサロモン・ド・バルベトルテがベルベー王国の魔法使い部隊と共に実験を行っていた。
「流石と言うべきでしょうか、陛下の考察通りの様です」
俺に気づき、頭を下げようとする兵士らに作業を続けるようジェスチャーした俺は、サロモンから羊皮紙を受け取る。眼前には『封魔結界』の魔道具が山積みになっている。
宮殿内でも発動している『封魔結界』、これは魔力を強制的に「固定化」することで空気中の魔力を操作できなくし、魔法の行使を封じるものだ。強力な上、この世界では暗殺対策に必須と言っても良い魔道具である。
まぁ、体内の魔力を無理やり排出して代用とする俺みたいな奴とか、ヴェラ=シルヴィみたいに固定化された魔力すら動かす人間には通用しないが、それでも多くの魔法使いを無力化できる以上、貴族の間では重宝されている。ある程度金を持っている貴族なら、どの邸宅にも置いてあるくらいには。
ここに山積みになっているのは、拘束した貴族らの帝都にある邸宅から押収したものである。分捕って来たというのが正確な表現かもしれないが。
「実験は成功か」
「えぇ。その空間で魔力枯渇が起きても、『封魔結界』内の魔力に影響はないようです」
魔法は原則として、空気中の魔力を使用し行使される。そのため、激しい魔法行使が連続した場合、その場の空気中の魔力が枯渇し、一時的に魔法が使えなくなってしまう。これを魔力枯渇という。
勿論、これは一時的な現象で時間が経てば周辺の魔力が流れ込んで再び魔力量が回復する。
しかしそれには時間がかかる為、戦場では魔法の撃ち合いの後、魔法が飛び交わない時間がどうしても生まれてしまう。
一方、『封魔結界』は空気中の魔力をその場に固定する魔道具だ。つまり、その結界の周囲で魔力枯渇が起こっても、結界内の魔力は影響を受けないのではないかという仮説を立てたのだ。
これはそれを確かめるための実験である。
そして、これが成功したらしい。
「事前に『封魔結界』を作動させ、その場の魔力を固定。その後『魔力枯渇』が起こった際に、結界を解除し魔力を供給する……確かに、奇襲には使えそうです」
つまり、魔力タンク……あるいは疑似的な魔力回復アイテムだろうか。相手の魔法兵が魔力枯渇で「休憩」と判断した隙に一方的に魔法が撃ちこめる訳だ。
「何で誰も気づかなかったのか」
これを使えば、戦場に革命が起きるぞ。
「しかし奇襲以上の効果は見込めません。余程大きな結界でない限り保持しておける魔力量は限定的で、これでは大した魔法は打てません。そして結界解除後の魔力拡散も早い。しかし広範囲に渡る『封魔結界』では、そもそも魔法兵の活動に支障が出ます」
空気中の魔力は、その量が多い場所から少ない場所へと流れる性質がある。全体の魔力量が平均化されるように。これは差が大きいほど早く流れてしまう。
この現象、魔力が豊富な地点にいる人間から見ると、急に魔力が霧散してしまうように感じる。だから「魔力拡散」という。
「小さな『封魔結界』内に魔力を送り込んで溜めておけばよい。そうすればそれなりの魔法は撃てるはずだ。魔力拡散の方も、拡散する前提で小分けにすればいい。それを一つずつ解除すれば、断続的かつ一方的な魔法攻撃が可能だ」
まぁ、今度の戦いでは魔法『攻撃』に使うつもりは無いんだが。
我ながら完璧な解決案だが、サロモンはそれでも指摘する。
「それは発動している『封魔結界』内に、魔力を供給できる人間がいる前提です」
……確かに、それもそうだ。俺は自分ができるから考えついただけか。
「陛下、一般的な魔法使いにとって『封魔結界』とは死地に等しいものです。好んで近づく者がそもそも存在しません」
なるほど、だから考えもしないと。
「気をつけよう。それで、募兵した中にいた魔法が使えそうな人間の練兵状況は……」
俺の不用心を咎めるような口調のサロモンに、バツの悪さを感じた俺は話題を切り替えつつも、サロモンの表情を窺おうとした。
まだ成長途中の俺より、彼の顔の高さは当然上だ。だから少し見上げる形になったのだが……その背後の空に、黒い影のような物がいくつか見えた。
「あれは何だ」
一瞬、飛行機かと思ったがそんなものはこの世界にはない。その影の編隊が少しずつ近づいてくる。
「ワイバーンの編隊でしょうか」
隣に控えていたティモナは特に驚くこともなく、そう答えた。
「ワイバーン?」
少しずつ影が近づいてくる。間違いない、空を飛ぶ魔獣だ。ファンタジーお決まりの、ドラゴン……。
「恐らく北方大陸の使者かと。私も父に彼らの冒険譚を……」
そこまで言いかけ、ティモナはようやく気付いたらしい。
そう、俺は物語を語り聞かされことがない人間だ。それすら教育と見なされ止められていたのだ。この世界の子供ですら知っていることも、知らない可能性がある。
「ワイバーンは北方大陸で冒険者によって飼育されている竜種です。人間によって開発された種で、腕が退化しており自力では狩りができません。魔力によって上昇し、異常に発達した翼で滑空します。また、身体はそれほど大きくなく、大きな個体でも三人乗せるのが限界でしょう」
ティモナが急いで解説する中、編隊の後方にやけに巨大な個体がいるのが見えた。
「リトルドラゴンもいるようですね」
サロモンの言葉を受け、ティモナがこれも説明する。
「リトルドラゴンは野生の竜種の中で、唯一調教が可能と言われる種です。他の魔獣と同様、乱獲により東方大陸からは姿を消しました。他の竜種より体は小さいものの、ワイバーンの二倍近い体格を持ち、凶暴です。騎手は余程の実力者かと」
「事情は分かった。辺りの物を全て屋内に運び込め! 撤収だ」
本当は俺ではなくサロモンに任せるべき指示だが、状況が状況だ。
急な来訪者……それも空からとか、流石に予想していなかった。
その編隊は、やがて宮廷の上空を旋回し始めた。
「旗を振っているのか」
正確には風に靡かせているだけかもしれないが、明らかに合図をしている。
「あれは冒険者組合の旗と……ベルベーの王室旗ですね」
「それと黒枠に白地の旗も見えるかと思います。あれは使者である事を表します」
使者で良かったよ。あれで爆弾でも落とされたらと考えると、本当にゾッとする。ワイバーンの編隊とか、制空権も取り放題で、爆撃もし放題じゃないか。
同じく航空戦力を揃えるか、対空兵器を開発しないと、あれには対抗できないぞ。
ほんと、一つ解決したと思えば次から次へと……。