何が羊だよ(2)
黄金羊商会の主、イレール・フェシュネール。突如宮中に現れた彼女の為に、謁見の間が調えられる。
商人との身代金交渉? そんなものは後だ。そもそも、重要な貴族は既に解放されているし、より重要な貴族はどれほど金を積まれようが、この内戦が終わるまで解放するつもりは無い。
そっちの交渉より、これから始まる話し合いの方がよっぽど重要だ……何せ国家方針に絡んでくる。
まずは黄金羊商会についておさらいを。
元々「白羊会」として存在した商会を、イレール・フェシュネールが乗っ取り、先帝の庇護を受けた際「黄金羊」に改名。一気に帝国最大の商会にまでなったが、先帝が暗殺された後は行方をくらます。
そしてこの際、先帝の私財を盗んだのではないかという疑いがある。
その後はテアーナベ連合の独立を支援し、裏から操ってきた。
その財源は恐らく大陸間貿易……それも独占に近い状況で、莫大な財を築いている。俺はできればそれを利用したい。
その交渉がこれから行われる。帝国にとって、有利なものにする為に。
玉座に座る俺が見下ろす先、イレールともう一人の女が跪いたところで、さっそく口を開く。
「敵地に乗り込んでくるのだから、二人だけということはないのだろうが……随分と無茶をするのだな」
俺の言葉に、イレールは何も言わずに頭を下げるばかりで、何の反応もない。ふざけたしゃべり方の癖に、この辺は落ち着いている。
「それで? わざわざ余に直接会いに来たのだ……前触れもなくな。つまらぬことであれば許さぬぞ」
さて、この女どう出るか。
「直答を許す。何か申してみよ」
すると、イレールはようやく口を開いた。
「ま、まずは陛下にご覧頂きたいものがございまして」
おどおどした仕草で、イレールは一枚の紙を取り出した。
ティモナがいつものように受け取る。そして本来であれば俺に手渡されるのだが、ティモナはそこに書かれた何かに目を見開き、次にヴォデッド宮中伯の方を向いた。
……いったい何なのだろう。
「陛下、拝見してもよろしいでしょうか」
「許す」
何やら重要な書類らしい。ヴォデッド宮中伯がそれを受け取り、確認する。俺からその表情は見えなかったが、すぐに玉座までやって来た。
「こちらになります……契約書です」
受け取った俺は目を通す。一枚なのに、やけに分厚く重みのある紙だ。一見羊皮紙のようだが、よく見ると違うことが分かる。
書かれている内容だが、まずイレールともう一人の名前が目に入って来た。これは……先代皇帝か。
「先帝とそこのイレール・フェシュネールの間で交わされた契約書のようです」
その内容は二つの文章からなっていた。
一つは『イレールに帝国大金貨100万枚・帝国大銀貨100万枚を譲渡する』というもの。
もう一つは『生まれてくる八代皇帝がジャン皇太子の子供であると認められた場合、その者が即位の儀を終え次第、イレールは帝国大金貨200万枚・帝国大銀貨200万枚をその八代皇帝に譲渡する』というものだった。
なんだ? この契約は。
まるで賭けのような内容に見えなくもない。俺がジャン皇太子の子供ではなかった場合、イレールは帝国大金貨100万枚・帝国大銀貨100万枚を得ることができる。だが俺がジャン皇太子の実子だった場合、一時的に受け取った分を失い、さらに帝国大金貨100万枚・帝国大銀貨100万枚を失うことになるという内容だ。
ちなみに、ブングダルト帝国では帝国の国庫と皇帝の私財は分けられる慣習になっている。これはロタール帝国時代の伝統を継ごうとした為である。
だが、後ギオルス朝の時点では破綻していたし、ブングダルト帝国になってからも、正直言って怪しい。私財だけではなく国庫の金も勝手に使ってしまう皇帝もいたのだ。
その点、先代皇帝はそうではなかった。宰相と式部卿などの、貴族からの圧力で私財分しか自由にできなかった。んで、国庫の金は宰相や式部卿が使いたいように使っていた。
ニュンバル伯? もちろん財務卿として抵抗はしていただろうが、真っ当な理由を付けられれば頷くしかなかっただろう。実際は途中でどこかに消えてしまう金だとしても。
「つまり、卿は先帝から私財を盗んだのではなく、正当な契約だと」
「あ、預かっていただけですぅ」
さて、問題はこの契約書が本物かどうかなのだが……ぶっちゃけ怪しくないか? これ。
仮にそういう賭けをするにしても、わざわざこんな書き方なのが引っかかる。
たしかに、これだけの金額が戻ってくるならありがたい。というか、喉から手が出るほど欲しい。
それも価値が崩壊した「悪貨」であるラウル金貨やアキカール銀貨ではなく、既に発行されていないが信頼度の高い帝国硬貨なら尚更だ。
だがそもそも、イレールが皇帝から盗んだものならば、皇帝に返すのは当たり前なことである。
その上で、これを交渉材料に大きな譲歩を引き出したい。
実態はもはや一商会の枠を超えているであろうこの怪物に、首輪を嵌めることができれば……。
「宮中伯、これの真偽は」
「この契約書は魔道具になっております。真贋判別用の魔道具もありますので、誰が書いたものなのか、改竄は行われたのかなど、詳細に調べることができます」
……便利だなぁ、おい。そんなものがあるとは聞いたことがないんだが。
「ならば、イレールよ。確かめる間、しばし待つがよい」
「はいぃ」
玉座から立ち上がった俺は、護衛として控えていたバルタザールに二人を監視しておくよう目配せをし、謁見の間から出る。
突然、どこからともなく宮殿の中に現れるとか、黄金羊商会じゃなければ問答無用で殺しておきたいくらいに厄介だ。同じように、いつでも逃げられる可能性が高いし。
***
そのまま、宮中伯の後ろをついていくと、初代皇帝時代の宮殿へとたどり着いた。この部屋は……ロタール帝国時代の古文書などが置かれている部屋だった。
価値あるものはほとんど残されていない為、ほとんど開かずの間になっていた部屋だ。
「改竄が分かる契約書……そんな便利なものがあったとはな」
「私も初めて耳にしました……確実なのですか」
俺の隣で呟いたティモナが、訝しげに視線を向ける先では、宮中伯が何やらルーペのような物で契約書を精査していた。
「正確には『血盟のインク』と『聖樹メモリアの記憶紙』の二つの魔道具です」
いや、どちらも聞いたことが無いのだが。
「誰が書いたものか分かるインク、そしていつ書かれたかと削られたかどうかが分かる紙……確かに便利ですが、この大陸ではほとんどお目に掛かれません」
「というと?」
「どちらの原料も中央大陸にしかないものです」
なるほど。中央大陸と貿易をしている黄金羊商会なら入手は可能と。
すると宮中伯は、そのルーペらしきものから目を離し、大きくため息を吐いた。
「もう分かったのか」
「えぇ」
疲れた様子で、目頭を押さえる宮中伯に、ティモナが尋ねた。
「結論は」
「一部、先帝陛下が書かれたものです」
一部、ということはつまり……。
「別の者の手は加えられています」
やはり、黄金羊商会の苦し紛れの悪あがきか。
まぁ、預けるだけならそう書けばいいし。賭けとしても微妙な内容だしな。
なんで受取人が先帝自身ではなく、俺になっているのかが、あまりにも不自然だ。
……となると、アイツらもう逃げてるんじゃないのか?
「それで、どう改竄されていたのか分かるか」
「それが……」
ヴォデッド宮中伯は何故か言い淀み、それを見たティモナが「まさか!」と声を荒げた。
何が……。
「『イレールに帝国大金貨100万枚・帝国大銀貨100万枚を譲渡する』の部分が先帝の直筆。 『生まれてくる八代皇帝がジャン皇太子の子供であると認められた場合、その者が即位の儀を終え次第、イレールは帝国大金貨200万枚・帝国大銀貨200万枚をその八代皇帝に譲渡する』の部分が別人によって後から書き加えられたものです」
……は?
「ちょっと待て、どういうことだ」
どうして無条件で、皇帝が自分の金を商人に譲り渡す? 借金をしていたのか?
いや、それならイレールはその借用書の方を見せればいい。そもそも二つ目の文章を書き足す意味が分からない。
まさか、まさか……。
イレール・フェシュネールの黄金羊商会が、先帝の庇護を受けたのは大陸間貿易の商品目当てだと思い込んでいたが……もしそれだけではなかったとしたら? あの女が売り込んだのは、まさか自分自身もか!?
「……俺は今、二つの可能性が浮かんでいる。一つは先帝が魔法で洗脳、あるいは類似の技術で思考誘導をされたという可能性」
声が震える。力が、抜けていくような感覚に陥る。
「もう一つは……先帝が元からそういう人間だったという可能性だ。俺には判断がつかない。宮中伯、どう思う」
顔を上げると、そこには珍しく顔を歪めた宮中伯がいた。
「どちらの可能性もあるかと」
……最悪だ。それは、先帝がそういう人間だったと、言っているようなものじゃないか。
史上類を見ない愚帝……そんな評価が妥当な第六代皇帝の負債を、俺は背負わされてるんだと、ずっと思っていた。
だがそれは正確ではなかった。俺が背負わされているのは、六代目以降の負債だ!!