何が羊だよ(1)
要塞建築の第一陣が、ついにシュラン丘陵へ向かった。現場指揮官はファビオ、彼のラミテッド兵が護衛に当たることになる。
チャムノ伯軍は変わらず西に、そしてワルン公軍が帝都の防衛を担う形になる。ただ、このワルン公軍は帝都だけというより、俺の直轄領全体を広く守っている。
あと、機動力のあるアトゥールル騎兵は予備兵力としてどこへも派遣できる帝都郊外に待機してもらっていた。だが、今回ばかりはシュラン丘陵周辺の安全確保の為に行ってもらっている。
内乱が始まって以来、最も帝都が薄くなっていた。
その隙を見逃さないヤツが、まさかいるとは思わなかった。
***
宮廷の廊下を歩く俺の左右をティモナ、そしてサロモンが歩いていた。俺はこれから、商人との身代金交渉である。だがその前に空いたわずかな移動時間すらも、報告や相談に充てるくらいには忙しくなってきた。
「本当によろしいのですか、そのような重要な役目を他国の人間である我々に任せるなど」
サロモンの言葉に、俺は笑顔を浮かべ答える。
「ベルベー王国とは一心同体だと思っている。安心しろ、ちゃんと見返りも用意するつもりだ」
募兵の際、幸運なことに数名だが魔法が使える者がいた。また、帝都で拘束している下級貴族やその従者の中にはそれなりの人数、魔法使いがいる。彼らには解放あるいは減刑と引き換えに魔法兵として参戦させるつもりだ。サロモンには、その訓練を頼んだのだ。
「帝国の魔法兵はほとんどアキカールやラウルに持ってかれたからな。頼りにしている」
ゆくゆくは帝国の魔法使いも、ベルベー王国を参考にして広く集めたい。まぁ、そのまま実戦投入するというよりかは、魔法の研究の為だけどな。
というか、少し調べたのだがこの世界、魔法に対する研究が限定的だ。
より強い魔法とか、より便利な魔法とか、そういったものを研究しようとする流れ自体はある。だが、あまり浸透はしていない。
これには二つの理由があると思っている。一つはかつて魔法使いであることが貴族の証だったため、貴族たちが使える魔法を「一子相伝」のように秘匿してしまったからではないだろうか。戦闘に使える魔法であれば、軍事機密に等しいからな。
だが、どれほど魔法使いの血が濃くても、魔法が使えないこともある。たとえ他の魔法が使えても、どれほど才能が有っても、その一家だけの「秘匿魔法」だけが使えない……なんてパターンもあるのだ。
そしてこれはもう一つの理由でもある。つまり、魔法は術者のイメージに大きく影響されるため、「教える」のが極めて難しいのである。同じ魔法でも人によってイメージの仕方は異なるからな。
これは魔法を習得する際に大きな問題となっている。
俺は独学で使えるようになったが、この世界で魔法を学ぶ際、最も一般的なのは魔導書による学習だろう。そしてこの魔導書というものは、その魔法の「イメージの仕方」が何十・何百通りと書き連ねられたものである。
さらに、これを読めば確実に使えるという訳でも無いのだ。自分のイメージと最適な「発動方法」が書かれていれば使えるようになるだろうが、自分のものに合ったものが無ければ独学で探すしかない。
ちなみにこれは「魔力を感じ取れるようになるまで」も同じである。まぁ、俺は生まれてすぐに「前世には無かった違和感」を感じて使えるようになったが。
あと、この「イメージの個人差」はその魔法そのものにも影響が出ている。
たとえば魔法で『炎』を作った時、それが炎のように見える魔力の塊なのか、あるいは発火現象を魔法で引き起こしているのか、その炎は水を少しでもかければ消えるのか、それとも酸素を断たなければ消えないのか。それらを使い分けられる人間もいるし、どれかしか使えない人間もいる。
そういった「人によって違う魔法」をある程度画一的なものにし、部隊として運用できるようにしたのがこのサロモンという男だ。
他国でも同じことは試みられているだろうが、実績があるというのは大きい。どの国に行っても仕事が見つかるよ、この人。
……帝国も試みはあったんだがな。人も情報も全部ラウルとアキカールに持っていかれた。
「ですが、本当に『水』と『氷』と『風』を優先でよろしいのですね? 要塞建築であれば『土』や『石』が便利なのですが」
「それは人力でどうにかなるからな。あと、『風』は熱風はいらないからな」
そこで一度話が途切れたと判断したのだろう、今度はティモナが報告をする。
「陛下、クロスボウについては帝都の職人らに発注いたしました。支払いも現在の金銭でどうにか目途が付きます」
クロスボウ……前世でも長い間、戦場で猛威を振るった武器だ。何より、銃に比べて簡単に使える。もちろん、使えるのと使いこなせるのは全く違うが、ぶっちゃけ当てられなくてもいいしな。
特に今回の民兵の役割は「殺すこと」ではなく「引き寄せること」だし。
「そしてカーヴォ砲と砲弾についてですが、こちらの支払いはまだ厳しそうなので、話だけつけておきました。工房さえあれば現地で製作しても良いそうです」
「そうか、それは有難い。帝都から砲弾を運ぶのは時間がかかるからな……となると周辺から石をかき集める必要があるな」
大砲の砲弾と言えば鉄球をイメージするかもしれないが、この時代の大砲は丸い岩を撃ち出す「射石砲」が一般的である。鉄球を撃ち出す砲も開発はされているが、普及には至っていない。石よりも加工コストが高すぎるんだよなぁ。
「付近で採石可能な場所を見繕ってくれ……これも人力だな」
ファビオにはまた負担をかけてしまうな。
そんなことを考えていると、突如サロモンとティモナが俺を庇うように俺の前へと躍り出た。
「お下がりください!」
「何者か!!」
二人が睨めつけるのは廊下の曲がり角だ。
すると、そこから女性が二人、ゆっくりとその姿を現した。そのうち、目つきの柔らかい方が軽く会釈をする。
次の瞬間、上から密偵が三人降ってくると、彼女らに向かって斬りかかっていった。
だが目つきの鋭い方の女性が手をかざすと、三人はその場で地面に縫い付けられるように這いつくばってしまった。これは、重力?
しかし『封魔結界』は作動しているはず……彼女も結界内でも魔法が使えるのか、あるいは魔道具か。
ちなみに未だに殺気は感じない。それでも暗殺だろうか。
すると、目つきの柔らかい方の女性が微笑みを浮かべたまま、一歩二歩と向かってくる。
あまり使いたくないが……仕方ない。いつでも魔法を使えるよう身を構え準備する。
じっとその女性に注意を向けていると、突然彼女はその場で飛び上がった。
まだ距離はあるし、前にはティモナとサロモンの二人が構えている。それでも念のため使うべきか。
そんな一瞬の悩みの内に、彼女は地に伏せ……いや、違う。これ……土下座だ。
「大変申し訳ございませんでしたぁ!!」
その後ろでは、どこからか現れた宮中伯が、目つきの鋭い女性と斬り結んでいた。
……もう、短い間に色んな事が起こり過ぎて何が何やら。
俺は動揺を悟られぬよう、土下座する女に声を掛けた。
「直答を許す。名を申せ」
「はいぃ。イレール・フェシュネールと申しますぅ」
……黄金羊商会じゃねぇか。
いや、どうやってここまで来た? とか、何で直接来た? など、色々と疑問は浮かぶのだが。
何故来たかは分かる。つまり、黄金羊商会は帝国と協力する方針なのだろう。
「謁見の場を用意する。その場で詳しく聞く」
俺がそう言うと、目つきの鋭い女と斬り結んでいた宮中伯も剣を収めた。
「ありがとうございますぅ!!」
そうイレールは涙混じりの声を上げた。
「あと宮中伯。密偵は数が少ない故、殺さぬように」
「…………陛下の御言葉とあれば」
今すっごい間空いたけど本当に大丈夫だろうか。
……というかジャンピング土下座って。
やっぱりこの女、転生者じゃないか?