絶やすべきか、活かすべきか(下)
「目的……とは少し違いますが、一つだけ陛下の御恩情賜わりたく」
目的を問う俺の言葉に対し、シャルル・ド・アキカールはそう言って恭しく頭を垂れた。
「今も某の邸宅に留め置かれている執事、及び侍女らの助命。そして彼らをアキカール公爵家の人間とは見做さないという保証。これをお願い申し上げます。彼らは某個人に仕え、アキカール公爵家とは距離を置いている者達ですので」
その言葉は少しだけ意外だった。助命については予想できていたんだが、てっきり自身の助命か、あるいは妻の助命かと思っていた。
「卿には妻がいたな? そちらの助命はよいのか」
「某が陛下の御立場であれば、アキカール家の血を引く者は決して残しません。子を宿しているか分からぬ妻など、生かしはしないでしょう」
……殺すものだと決めつけられているようで、何だか不快だ。
それを察したのか、シャルル・ド・アキカールは言葉を続けた。
「無論、陛下の御心など某には量りかねます。しかし陛下にはあのヴォデッド卿が居られます故」
その言葉に、俺は少しだけ引っかかりを覚える。まるで……俺が指示していなくてもヴォデッド宮中伯が動くと思っているようだ。あるいは、何かそういった前例を知っているのだろうか。
……少し気になるが、この男の言葉をそのまま信用するつもりも無いし、この場では聞かないことにする。
「助命と保証についての考慮はしよう。これからの卿の態度次第ではあるがな」
俺がそういうと、彼は改めて一礼した。
まぁ、俺としてはもともとそのつもりだったんだがな。
……これでこの男を殺した場合、その執事らは復讐を志すかもしれない。この男がどの程度慕われているかは不明だが、その可能性は大いにある。
だがそういった可能性を全て排除しようとすれば、関係者を全員殺さなければならなくなる。
それはただの虐殺……論外だ。だから、基本的には生かすつもりだ。それは平民に限らず、子爵以下の下級貴族についても。
「そういえば」
ふと、シャルル・ド・アキカールが顔を上げ、まるで世間話でもするかのように話し始めた。
「これは風の噂で耳に入れたのですが……どうやらあえて生かしているとか。そのままアウグストの対抗馬に仕立て上げる御積りなのでしょう。アキカールを分断するのに実に有効かつ巧妙な一手です。感服致します」
前アキカール公には三人の息子がいた。そのうち、三男は目の前にいるシャルル・ド・アキカール。次男はアキカール公継承を宣言し挙兵したアキカール=ドゥデッチ侯アウグスト。そして長男は、先日処刑した前アキカール=ノベ侯フリードである。そしてこのフリードの長男、フィリップ・ド・アキカール(ややこしいことに前アキカール公と同じ名前だ)については、終身刑として投獄されている。それは何もおかしい事ではない……表向きは。
……実のところ、彼はアキカール軍の分断策に使う予定だったのだ。牢を移す最中に、密偵によく似た何者かが現れ、前アキカール公の遺言であるとして彼と共に逃亡。さらに前アキカール公の遺体を回収し、「正当なアキカール公爵の継承者」としてアキカール=ノベ侯領で挙兵させる手はずだった。
もちろん、俺はそれを決して認めないが。
だが少なくともアキカール=ノベ侯の家臣らはフィリップを支持する可能性が高い。それだけでも十分に時間は稼げるだろう。そして「アキカール公」二人が争っている間にラウル軍に注力し、各個撃破する。それが、俺が今描いている戦略だった。
そのためにも、フィリップの脱獄に俺が関わっているとは悟られないようにする必要がある。何せ、彼にとって俺は父親と祖父を殺した男だからな。あくまで前アキカール公の遺臣による手引きであり、皇帝は出し抜かれた……と思い込ませなければならない。
今は前アキカール公の遺臣を偽った密偵が、彼に何度か接触し「逃走の機を窺っている」と思い込ませているはずだ。
そしてこの策は、実はワルン公ら諸侯にも話していない極秘のものだった。知っているのは、ヴォデッド宮中伯と計画を実行する密偵数名、ティモナとバルタザール、そして協力するごく一部の近衛だけ……のはずだった。
そもそも、早い段階でここに入れられているシャルル・ド・アキカールには、誰にどのような判決が出たのかすら伝わっていないはずなのだ。
そしてこの貴族牢に近づけるのは、俺を除けば監視役の密偵と近衛だけだ。
いくら人手不足で総動員しているとはいえ、密偵が漏らすとは考えにくい。そんなことをすれば、あのヴォデッド宮中伯によって消されるだろう。となると、近衛だろうな。
俺は思わず、バルタザールの方に目をやる。
「随分とおしゃべりな近衛がいるようだ」
バルタザールは青ざめた表情をしていた。どうやら把握していなかったらしい。まぁ、もともと近衛を指揮する立場だった訳ではないバルタザールには、現在の役割は荷が重いのかもしれない。
かと言って他の人間に任せるのもなぁ……バルタザールには『即位式以前からの皇帝の協力者』という功績がある。だから近衛内での派閥争いは、少なくとも表立っては発生していないのだ。
……いっそ解体して一から護衛集団を作った方が良いかもな。
そんなことを考えながら、牢の中に目を戻すと……シャルル・ド・アキカールは、何かを謝罪するかのように小さく頭を下げていた。
……謝罪? いったい何の……まさか、今の発言に対して?
……ちょっと待て、この男が知っていて可笑しくない情報は何だ? まず、拘束された時点で前アキカール公の死は知っている。そして前アキカール=ノベ侯フリード、フィリップ親子の逮捕も同じタイミングなのだから知っているのも納得がいく。当然、アウグストが即位式に出席していないことも知っており、彼が粛清に対抗して挙兵することも予想できる。
そしてこの時点で自分が生きている……事故に見せかけての暗殺などをされていないのは何故か考える。すると可能性の一つに「フリードの対抗馬」として生かされている可能性も上がるだろう。
問題はその「対抗馬」の本命が自分なのか、それとも自分以外に本命として生かされているアキカール家の人間がいて、自分は予備なのか。そこまでは確定できないだろう……つまり、さっきのは。
「やはり、某の他にいるのですね。アキカール家の『駒』が」
鎌を掛けられていた訳かっ!!
確かに俺の反応は、これから策で使おうとする人間にバレた反応ではなかった。実際、俺はフィリップ・ド・アキカールのことを言われているものだと思い込んでいた。
何が「荷が重いのかも」だ。俺のミスじゃないか。迂闊にも程がある!
「たった今、卿を殺す理由ができたかもしれぬ」
こいつは危険だ。殺してしまった方が後腐れなくて済む。
……いや、落ち着け。
そもそも、本当にそれだけの情報から「アウグストの対抗馬としてアキカール家の人間を生かしている」と結論付けられるものなのか? 可能性の一つになるのは分かる。だが、この男はまるで確信しているかのように話していた。
あるいは、本当に近衛が漏らしていて、それを隠すために鎌をかけたフリをしているのか。よくよく考えると、隣の牢に居たコパードウォール伯に助言した際も、もしかしたら同様に協力……あるいは見逃していた近衛がいたのではないのか?
……クソ。考えれば考えるほどに分からなくなる……やはり殺してしまった方がいいかもしれない。
「その件につきまして、誠に勝手ながら情報を一つ。フリードとアウグストの仲は極めて険悪であり、それは彼らの子供には勿論、家臣にも波及しております」
……まぁ、仮にさっきのが『鎌をかけた』場合でも、生かしている人間がアキカール=ノベ侯フリードか、その子供であることは分かるだろう。消去法でな。
「そして前アキカール公の直臣ですが……どちらに付くかは半々といったところでしょう。間違いなく、アキカールは二つに分裂します」
会話の主導権を握られている……そのことを理解しながら、俺は気になった点を尋ねる。
「継承は基本的に長男が優位になるのではないか」
この国には部族法と帝国法の二つの継承法がある。だがどちらについても、長男が最も優先順位が高くなっている。無論、例外も存在するが。
「名前です、陛下」
……この男の目論見は分からないが、もう少しは聞いてみるとしよう。
「アキカール公爵だったフィリップ・ドゥ・ガーデ=アキカールは、子に自らが所有していた爵位を一つずつ譲りました。アキカール=ノベ侯フリード・ハド・アキカール、アキカール=ドゥデッチ侯アウグスト・ド・アキカールです。ですが、あの男は二人の家名に『ヴァン』をつけることを許しませんでした」
名前につく『ガーデ』は、ガーデ支族の本流……つまりブングダルト皇族の直系である事を表している。前アキカール公は5代皇帝の子供のため、その名乗りが許されていた。これは名乗らなくても良いのだが、少なくともその子供からは「分家の二代目」として見なされるので、『ガーデ』は名乗れず、ガーデ支族の分家である事を表す『ヴァン』を名乗ることになる。
今、ラウル公を名乗り挙兵している男も「ジグムント・ドゥ・ヴァン=ラウル」と名乗っているし、前ラウル公もラウル公爵家の二代目だったため「カール・ドゥ・ヴァン=ラウル」であった。
「基本的に自家の長男が爵位を継ぐ……ですがこの法則には例外があります。その長男が別の家長となったときです。つまり、別家の養子となる、あるいは分家の当主になった場合に、自家の継承権を放棄させることができます」
これは、いわゆる「乗っ取り」を防ぐ為の法である。
「つまり、独立させるつもりだったと?」
この「同列に置かれている状況」は、両侯爵家の家臣からは天秤にかけられているようにも見えてた訳か。当然、次代の公爵の座を巡って二人の侯爵は激しく対立していたと。
「はい。未だ『アキカール=ノベ』や『アキカール=ドゥデッチ』ではなく『アキカール』と名乗らせていたため、完全な独立はさせていない状態でしたが……しかし、仮にどちらかに継がせるつもりならば、少なくとももう一つくらいは爵位を譲っていたでしょう。あの男にはまだサゴン侯・ヴェーニュ伯・アキカール=セイ伯の爵位号があったのですから」
……そもそも、分家の分家でも「ヴァン」は名乗れる。ロザリアがいい例だ。彼女の「ヴァン=シャロンジェ=クリュヴェイエ」は分家であるシャロンジェ家のさらに分家ということになっている。
にもかかわらず、「ヴァン」を名乗らせない……ガーデ支族との関係性を切り離しているのは確かに異常だ。
「その話を聞くと……彼は公爵位を卿に継がせるつもりだったようにも聞こえるが? 卿はまだ爵位を譲られておらず、本来ならばシャルル・ドゥ・ヴァン=アキカールと名乗れる身であろう」
そう。この男だけはまだ爵位を譲られていなかった。「兄を差し置いて『ヴァン』は名乗れない」と言ってシャルル・ド・アキカールと名乗っているがな。
そんな目の前の男は、俺の言葉にこう答えた。
「あの男にそんな考えは毛頭ありませんでしたよ」
その声色は、どこか嘲笑すら混じっていた。だが、それは俺に向けてのものでは無いだろう。
「娘が政治に介入することに激しく反発したのも、早々に息子を追い出したのも、自分の権益を『他人』に渡したくなかったから。本来ならば隠居している年齢にもなって、未だ権力にしがみついていたのもそう。次代への継承という貴族の義務すら放棄したあの男は、完結型の自己中心的思考しかできない怪物でした」
……底知れない嫌悪。それがシャルル・ド・アキカールの言葉からにじみ出ていた。
まぁ、演技である可能性もあるがな。
「ですが、公爵家の家臣達は別です。彼らはあの男が、貴族として重要な欠陥を抱えていることに気づかなかった」
そこで言葉を区切ると、シャルル・ド・アキカールは俺の目をまっすぐに見つめてきた。
「陛下の御指摘にお答え致しましょう……その通りです。アキカール公爵家の人間は、某が次代の公爵であると考えておりました。つまり、内乱の後も某が生きていた場合……次に反乱の旗印として担がれるのは某になりましょう」
思えばこの男は、最初からこの着地点を見据えて話していたのではないだろうか。
「陛下、世界には『出る釘は打たれる』という諺があるようですが、アキカールには『曲がった釘は抜かれる』という諺が御座います。そして某は、いわば初めから曲がっている釘。いずれ抜かれる運命にあります……ならばいっそ、打たれる方が良い。ただし、その打たれるまでの時間を少しでも長引かせる……いつでも打てる釘、それが生き残る唯一の道と考えました」
何が目的だ、と俺は尋ねた。これがその答えか。
「陛下は必ずやアキカールの平定を為さるでしょう。しかしその統治は容易ではありません。アキカール貴族が再び反乱を起こすかもしれない。もしアキカール公爵家を絶やせば、その反乱の芽は小さい物でしょうが無数に散らばります。監視には多くの労力を割かねばならず、後手に回るかもしれません。ですが、一人だけ生き残っていれば次に担がれるのはその者です。その周辺を監視すればいい。故に、某は心から陛下の勝利を御祈り申し上げます」
……この男は生き残ることを諦めている訳ではなく、その逆。既に活路を見いだしていた訳だ。
読んで下さりありがとうございます。
活動報告の方にも書きましたが、現在体調が安定しません。そのため、不定期更新が続きます。申し訳ありません。
本編補足:この世界に『出る釘は打たれる』という諺はありません。そして、正しくは『出る杭は打たれる』です。