悪法、古法
傀儡だった頃の俺は、自らの意思で宮廷から出たことはほとんど無かった。ましてや、帝都を自由に散策したことなど一度も無い。建国記念式典の時は言われるがまま馬車に乗ってただけだからな。
俺が自らの意思で宮廷から出たのは巡遊の時。それも帝都の中は、車窓からうっすらと眺めた程度だ。
……あぁ、城壁の数を確認しに出たことはあったか。でもそのくらいだろう。
では皇帝として実権を握った今、自由に出歩き放題かというと……全くもってそんなことは無かった。
俺は今、再び大聖堂にて演説を行うべく、『皇帝馬車』に乗っている。護衛は三重に陣を組み、近づける人間は事前に身辺調査された者のみという徹底ぶりだ。
やり過ぎな気もするが、君主の護衛は本来これくらい必要なのかもしれない。
今までは、宰相や式部卿にとって「都合の良い駒である限り」暗殺される可能性はほとんど無かった。だが今は違う。誰から狙われるか、いつ狙われるかも分からない状態だ。
しかしこの状態では、帝都の様子はほとんど把握できない。遠目から覗くことはできても、馬車の中からは分からないことも色々とあるだろう。庶民向け商品の物価や、路地裏の清潔感なんかも気になる。調査させて報告を聞くより、こういうのは視察するべき事柄だろう。
だがこの護衛の厚さでは間違いなく混乱が起こる……今だって一時的に街道封鎖しているしな、俺が通る度に。
そこで俺は、帝都を視察できるよう、より少ない人数での護衛をバルタザールに計画させた……が、返って来た答えは「無理」だった。曰く、宰相派・摂政派にいた下級貴族や、派閥の影響下にあった商人が帝都内に一定数いる状況で、これ以上護衛の数を減らすのはかなり危険らしい。
ちなみに、俺はバルタザールを「近衛大隊長」に任命し、近衛の采配を任せている。本当は近衛長官に就けさせたかったんだが、いきなり抜擢すると他の近衛が反発する可能性もあったので、新しく「近衛長官の下、中隊長の上」として設置した官職になっている。現在は近衛長官が獄中にいる為、近衛の指揮権は実質バルタザールにある。
かと言って、混乱を起こしてまで強行するのは市民に良い印象を与えないだろう。つまり視察ができるようになるとしたら、内乱後のことになる。
内政や税の改革も、やはり内乱が終わらなければ実行できないだろう。まずは内乱に勝利する。全てはそれからだ。
そのための第一段階……「徴兵」をする為に、俺はこれから演説する。
***
演説の内容は極めてシンプルだったため、すぐに終わった。即位式直後のものとは違い、純粋な「説明」としての演説だったしな。
民衆の歓声に応え、小さく手を振りながら大聖堂の中に戻る。それにしても……演説の時は皇帝の顔を直視するのも歓声を上げるのも許されて、そばを通るときはダメなのってなんでだろうな。最前列の人の顔とか、結構はっきり見えるんだけど。
それはさておき、今回の演説で話した内容は主に二つだ。
一つは宰相の息子がラウル公を名乗り帝国に反旗を翻した為、これに備えてラウル公領との境界に要塞を建築するということ。ラウル公の挙兵についてはすでに帝都の市民は知っていることだ。そしてそれに備え、要塞を建てるというのもおかしなことではない。
もう一つはこの要塞建築の為に、「働き手」を募集するというものだ。ある種の公共事業だな。給料と十分な食事、そして護衛の兵士も常駐することを説明した。さらに、移動などの「建築に携わっていない日」分も、満額ではないが給料を支払うと約束した。
感触としてはまずまずだったと思う。給料は相場と同じ程度。だが食事も保証されるし、移動の日数分も少額とはいえ支払われることはあまりない。お得な出稼ぎ先だと感じてくれたのではないだろうか。
まぁ、手放しに信用されるとも思っていない。最初は数百人集まれば十分。あとは給料がちゃんと払われるかどうかといった評判が広まって、少しずつ参加者が増えればいい。
……徴兵はどうしたのかって? これが徴兵だよ。
前線で拠点を作っている最中にたまたま敵が来て、彼らには仕方なく武器を持って自衛してもらう……そういうことになる。
だからこれは「募兵」ではなく「徴兵」なのだ。
まぁ、つまり騙している訳なんだが。
もちろん、ちゃんと建築もしてもらう。要塞というより、丘陵を防御陣地として強固なものにしてもらうつもりだが。その上で、人が一定数集まり、陣地がある程度完成……特に中の人間が簡単には外に出られないくらいまでできた時点で、ラウル軍を誘き出す。
逃げられない状況で、その手にクロスボウなどの比較的取り扱いやすい武器があるならば、彼らも戦うことを選ぶだろう。それも要塞化された斜面の上……極めて有利な状況だ。恐怖心より、有利な状況で戦える高揚感が勝る……とふんでいる訳だが、実際に上手くいくかは分からない。そこから先は、その時になってみないとな。
あえて言わなかったが、「建築に携わっていない日」には戦闘日も含まれる。戦闘の際は、満額以上の給料を支払うつもりだ。そこで「騙された」という声よりも、「良い臨時収入が得られた」という声を増やし、印象を上書きする。民衆の評価もそれほど悪化しないはずだ。
……もちろん、勝てればの話だが。
それと……後日、改めて「募兵」も行うつもりだが……あまり期待できないだろうな。
誰だって死にたくないし、勝てる軍で戦いたいものだろう。だが最近の帝国軍の戦績があまりに悪すぎる。こんな状況で募兵に応じる人間はほとんどいないはずだ。
しかも今は夏……これが農閑期なら出稼ぎ先として期待できるが、残念ながら農民たちはこの時期忙しい。
これは「公共事業(徴兵)」をここ帝都で布告する理由の一つでもある。例え給料の良い公共事業でも、農民は応じない可能性が高い。まだ都市の住民の方が応じるだろう。
他にも、この時代では主流の「強制的な徴兵」という選択肢もあった。だがその場合、間違いなく「現地」に着くまでに逃亡者が相次ぐ。
あとは誰が「強制的な徴兵」をするのかって話もある。それ専門の職業がある訳でもないし、傭兵は信用できない為、ワルン公軍などの貴重な「戦える兵」を割く必要が出てくる。だが帝都の防衛にブンラ伯領の攻略、チャムノ伯領との連絡線確保などが控える中、この貴重な兵力を「強制的な徴兵」に割くことはかなり厳しい。徴兵は少人数でも可能なんだが、現地までの輸送がな……
こうして色々と考えた結果、「要塞建築」の名目で人を集めることが一番効率が良いと判断した。
ちなみに、「募兵」の布告を先に行ってからこの「公共事業」を布告すると、「兵が集まらなかったから別の名目で人を集めている」とバレる可能性がある。今回は順序にも気を遣った。
……帝国を守る為なら、帝都市民だって騙す。そんな君主が良いか悪いかは分からないが、彼らが歓声と共に出迎えてくれる限りは「良い君主」と判断されているのだろうか。
そんなことを考えながら、また馬車に乗って宮廷へと戻る。
その道中、街道沿いに首が三つ、晒されていた。処刑された医官長オーギュスト・クラウディアーノら三名の首だった。同じ場所に晒されていた宰相と式部卿の首は、既に回収され胴体と同じ棺に入れられている。
その首も悲惨だったが、こちらの首はより一層酷い。数えきれないほどの石を投げられ、もはや原形を留めていなかった。宰相たちは貴族だったため遠慮されたのか、あるいは意外と一部の人間からの人望は篤かったのかもしれない。
……俺が下した判決による「結果」だ。目を背けるつもりは無い。
あの裁判の後、処刑は比較的速やかに行われた。医官長オーギュスト・クラウディアーノら三名は先帝暗殺の実行犯として処刑、こうして晒し首になった。他、関与した二名も死刑となった。
さらに前アキカール=ノベ侯フリードも同日に処刑された。彼の遺体は式部卿の遺体と同じ場所に安置されている。処刑の際、皇帝である俺に対し色々と呪いの言葉を口にしていたが、魔力の反応は無かったので無視した。
彼の息子フィリップ・ド・アキカールとヌンメヒト伯は終身刑として牢に入った。
同じく終身刑のアクレシアの方は、牢ではなく塔への幽閉となった。ヴェラ=シルヴィが幽閉されていた塔だ。これについてはチャムノ伯の要望であった。
彼の復讐心を満たす必要は無かったのだが……かといって塔に幽閉することに問題がある訳でも無く、今回は聞き入れることにした。
アーンダル侯テオドール、ヴァッドポー伯テオファンの二名に関しては、無罪判決の通りに既に解放されている。彼らは帝国北部の、東西を宰相派に挟まれていた摂政派貴族だ。仮にそのままアキカール公に従うにしろ、離反してラウル公に従うにしろ、どのみち良い陽動になる。勿論、皇帝派になってもらっても構わないのだが。正直、北はしばらく放置するつもりなので、好き勝手に動かれても困らない。その為、この段階で「無条件の解放」を行った。
……ちなみに無罪判決に関してはこの二人以外、判決結果を公表していない。
あとは罰金刑となったペクシャー伯ベルナルダン、カルクス伯マリユス、アクレシアの愛人であるコパードウォール伯ジャンの三名には、法外に近い金額を吹っ掛けることにした。
まぁ、慣習法には罰金額の上限は無いから合法なんだが。
この三人には決して支払えない額だ。そこで俺は、宰相派・摂政派の影響下にあった商人たちに「彼らの罰金については立替を認める」と伝えた。すると彼らは「自分の商会が持つ資金を確かめてくる」と言って帰っていった。
当然、自分の商会の資金を把握していない商会などある訳も無く、ようは時間稼ぎである。それぞれアキカール公・ラウル公に連絡を取っているようだ。
俺はおそらく、この罰金は支払われると見ている。ラウル公もアキカール公も、派閥は瓦解しほぼ一からのスタートだ。日和見に走った貴族もいるようだしな。そんな中で味方となる貴族は一人でも欲しいだろう。
彼らの指示を受けた商会はこの罰金を支払い、そしてこの立替金を担保に「公爵に味方する事」を要求するだろう。当然、彼らは要求通り公爵に味方する。
……そう聞くとむやみに敵を増やしただけのように聞こえるが、元々彼らは宰相派や摂政派に所属していた貴族、どれほど恩を着せようが皇帝に味方する保証など無いのだ。だったらせめて軍資金の調達にでも利用した方が良い。
まぁ、どうせ支払われるのはラウル金貨やアキカール銀貨。額面上は法外でも、実際の価値は大したことない。インフレが起きてるからな。
……ただ、思うようにいかないことが一つあった。
それがコパードウォール伯ジャンについてだ。アクレシアの愛人である彼が、父上と同じ名前であることに意味や理由があるのかは彼女にしか分からないだろう。だがどうやら二人は、いわゆる「幼馴染」だったらしい。その為、父上が存命の頃から愛人としてかなりの利益を得ていた。貴族にしては若くして爵位を継いでいるのもそれが理由だし。
前アキカール公からではなくアクレシアから利益を得ていた彼は、摂政派内の「アクレシア派閥」のナンバー2と言っていい存在。解放さえされれば、その「アクレシア派閥」をまとめて第四勢力になることも可能だったはずなのだ。
……だったというのに、なんと彼は「愛する人と添い遂げたい」という理由で「宮刑(去勢する刑罰)」を要求した上で、アクレシアと同じところに幽閉されることを望んだのだ。
いや、こっちが罰金刑下してるのに勝手に判決を変えるなよって思うよな? 普通こんな我がままが通る訳がない……そう思ったんだがな……これが通るかもしれない。
まず、ブングダルト族にとって、去勢は「最も恥ずべき行為で死に等しい」らしい。どうやらブングダルト族は「子孫繁栄」を重視していたらしく、そんな彼らにとって「子を残せない」のは死に等しいと。その為、ブングダルト族の『部族法』には「『宮刑』は去勢する代わりにあらゆる罪状や借金を帳消しにする」っていうとんでもない法律があるらしい。ただし当時の彼らには、これは耐えられないことだったらしく、「宮刑になるくらいなら誇りある死」を選んでいたらしい。
そしてロタール帝国が聖一教を受容する以前、ロタール王国時代に成立した法律で、「命じられた刑よりもより重い刑を選んでも良い」とする法律があったらしい。当時は自殺を否定する聖一教を受容していなかった為、「他の刑を宣告された際、自殺する権利」として多用されたらしい。
ところがどちらも、国家の都合で急速に聖一教が広まったため、誰も使わなくなりすっかり忘れてしまった。おそらく、使われなさ過ぎて「廃止」することも忘れていたのだ。
それらを組み合わせ、コパードウォール伯はこの刑を要求しているらしい。
実際、資料を調べるとこの二つの法律が存在したことが証明された。もし、この二つの法について「廃止した」という記録が無ければ合法となってしまうが……調べているティモナ曰く、今のところ見つかっておらず、見つかる可能性は低いと。
このままだと何度も変な法律に苦しめられる気がする……本格的に法の専門家を探し出し、整理を行う必要があるな。
だがこれは、彼自身が捻り出した訳ではないらしい。どうもある人物から入れ知恵を受け、この要求をしているらしい。実際、この要求には穴がある。宮刑は「死に等しい」と言われているだけで、帝国法における「刑の等級」には含まれていない。それにもし、この宮刑を認めるとしても、その時点で刑罰は完了し、幽閉や終身刑にはならないのだからアクレシアと同じ塔に入る権利も理由も存在しない。
……だが、もう受け入れても良いと思っている。正直、そんな奴にかまけている暇は無いし……何より、それであの人が満足するならばもういいかなと。
母親らしいことをされた記憶はないが、息子らしいことをしてやった記憶も無い。最初で最後の親孝行とするなら悪くないだろう。
……本音を言うと、コパードウォール伯領は取れるなら取っておきたい領地なのだ。
この領地はチャムノ伯領の東にあり、しかも彼の爵位はまだ引き継がれておらず、自ら幽閉されて勝手に領地が混乱すれば、間違いなく介入の機会は巡ってくるだろう。これを機に占拠できれば、チャムノ伯領との連携が取りやすくなる。正直、是が非でも抑えたい。
まぁ、彼の処遇については後で考えるとしよう。問題は彼に入れ知恵した人物……どうも拘束されている部屋が隣だったらしい。警備体制などの見直しについても必要なようだな。
とにかく、その男だ。誰も知らないような忘れ去られた古法を、暗記していた人物。その警戒すべき頭脳を持った男の名前は……シャルル・ド・アキカール。
前アキカール公の三男である。