【閑話】銀の右腕、銅の左腕
本日2話連続投稿です。この前にもう1話あります。まだお読みでない方はそちらも是非。
※三人称視点です
皇帝との謁見を終えた後、ワルン公を除いた臣下たちは謁見の間から退室した。チャムノ伯はヴォデッド宮中伯に連れられ、実の娘と十年ぶりの再会をするようだった。
そしてファビオ・ドゥヌエ改め、ファビオ・ド・ラミテッド=ドゥヌエはというと、帝都に連れてきた家臣らに一刻も早く喜ばしい報せをもたらさねばならなかった。ラミテッド家の再興と、『三家の乱』にまつわる名誉回復……それは彼らにとって悲願であったのだから。
だが彼は足を止めた。それだけ珍しい光景がそこにはあったのだ。
「陛下の傍らにいなくて良いのかよ?」
ファビオは振り返りながら、相変わらず無表情な友人に声を掛けた。
「ジャン皇太子の思い出話など、私には必要ない」
対して歩みを止めることなく、まるで突き放すかのような声でそう話すのは、皇帝カーマインの側仕人であるティモナ・ル・ナンだった。
これまで彼は、皇帝の数少ない腹心の部下として護衛も兼ねていた。だがカーマインは即位式を経て、バルタザール・シュヴィヤールをはじめとする近衛を掌握した。にもかかわらず依然としてティモナを護衛として置くようでは、彼らに対し「信用していない」と言うようなものである。その為ティモナは護衛を近衛に任せ、ファビオらと共に謁見の間から出てきたのだった。
ファビオは彼の隣を歩きながら肩を竦めた。
「だが実際、上手いパフォーマンスだったと思うぞ? ここに来る途中も何度か、ワルン公の人となりを見てきたが……あれは根っからの武人だ。敬愛していた皇太子の息子にその足跡を語れるなんて、これ以上なく喜ばしいだろうさ」
謁見の最中、カーマインから出た話は、どれも事前に聞かされている物だった。ラミテッド家の悲願を達成しておきながらファビオがこうして足を止めたのも、先ほどまで涙を浮かべていたにもかかわらず平然としているのも、一通り知っていて、既に家臣らと喜びを分かち合っている為である。
だが先ほどのワルン公の反応を見るに、ジャン皇太子の話はあらかじめ聞かされていた物ではなかったのだろうとファビオは考えた。そしてそれは事実であった。だからこそ、ワルン公はあれほど感激したのだった。
「陛下も公爵の性格をよく見抜いておられる……実際は大して興味ないんだろうけど」
ファビオという青年が見てきたカーマインは、先人に対する憧れなどといった感情とは一切無縁の少年だった。例えば初代皇帝カーディナルの偉大さを語り聞かされた時、彼は尊敬する素振りは見せても「自分もそうなりたい」といった子供らしい憧れの感情は一切抱かなかった。どこまでも「他人は他人」であり、自分とは区別して考える。ファビオから見た皇帝は「子供らしさ」から最も遠い人間であった。
「陛下は……確かに皇太子であったジャン殿下の足跡について、それほど興味をお持ちではない」
ティモナはそこで、だが、と続けた。
「父親という存在……それに対してはどこか、憧憬のような感情を抱いておられる」
「……憧憬? 本当に?」
ファビオは思わず聞き返した。それほどまでに、意外なことであった。
「正確には『家族』というものを、異常に『好意的』に捉えていると言うべきかもしれない……故に皇太子としてのジャン殿下の事績に興味はなくとも、『父親』がどのような人物であったかは、興味が無い訳ではないのだ」
それは最もカーマインの側にいたティモナにだからこそ分かる、複雑な機微であった。
「同じように、陛下はアクレシア前皇太子妃に対し、何の期待もしておられない……だが『母親』という存在に対しては、どこか敬慕の念を抱いておられる」
「……珍しいな。お前が報告以外でそんなに話すなんて」
ファビオは思わず、茶化すように言った。それだけ圧倒されていたのだ。
彼が知るティモナという男は無口で、無表情で、鋼鉄のような男だった。そんな彼がこれほど語るなど、尋常な事ではなかった。
だが実のところ、この多弁さはティモナという人物をこれ以上になく表していた。
「卿に頼みがある」
ティモナ・ル・ナンは立ち止まると、ファビオに向けてそう言った。
「……なるほど。道理でよくしゃべる訳だ」
そのファビオの言葉を無視し、ティモナは話を続けた。
「陛下の事だ。アクレシア前皇太子妃に対し、自ら極刑をお求めになられるであろう。卿にはそれを止めてもらいたい」
「……確かに、皇帝陛下の実母の処刑など、陛下以外では言い出しづらいだろう。そう考えると……なるほど。陛下ならご自身から言い出されるかもな」
カーマインは生まれながらの皇帝であるにもかかわらず、それを「役割」と考えている節がある。その為、その提案をできるのが皇帝以外にいないと考えた時、それを口にするのが「役割」だと判断するのだ。これは彼が抱える欠点の一つである。
何故なら臣下にとって、皇帝とは君主なのだ。今、少なくとも皇帝の側近に彼の意向にわざわざ反対しようとする人間はいない。裁判においては「陛下が望まれるのであれば」と、摂政の極刑は間違いなく通るだろう。
「だが……ただの臣下の言葉より、側仕人であるお前から言った方が考えてくださるんじゃないのか?」
皇帝にとってティモナは最早、半身といっても過言ではない存在だ……ファビオはそのように考えていた。常に側に控え、皇帝の世話をする。それは互いの信頼なくして成立しない関係だ。
そしてファビオが知る皇帝カーマインは、他人の言葉を聞き入れる器のある君主であった。
だがティモナは、彼とは異なる考えをしていた。
「陛下は潔癖なまでにご自身を律しようとなされる御方だ。そして今回は自身の身内に関する事。普段以上に強固な態度で臨まれるであろう。私の言葉に道理があってもお止めにはなられない」
ファビオは確かにな、と頷いた。ティモナの推察は、ファビオにも納得できるものであった。
「だから俺……というより、ラミテッド侯爵への『頼み』か」
「法に則った裁判の場で、列席する重臣の身で、政治的観点からの異議……そこまで揃わなければ、陛下はお止めになられない。そして私は、裁判において発言を許される身では無い」
「……難儀なものだな。陛下も、お前も」
ファビオの口からは思わず本音が漏れた。皇帝という役割を全うするべく、実の母親すら殺そうとする皇帝。そしてその結果、主が心に傷を負うと考え、これを阻止しようとする側仕人。これを難儀と言わずして何と言えよう。
だが皇帝が「狂う」要因に少しでもなり得るならば、その原因を排除することはファビオとしてもやぶさかでない。
「良いだろう。別に幽閉だろうがあの摂政であれば脅威にはならないし、実の母親を処刑するっていうのは、聖一教の教えに反しかねない。貴族は気にしなくとも、平民は間違いなく気にするだろう」
聖一教の教えの一つに、『親を敬うこと』というものがある。これは西方派で採用されている『原則』の一つでもある。だが「名誉ある死」の考え方がある貴族にとっては、親を処刑することは「敬っていない」とは必ずしも繋がらない。処刑によって名誉を守ることは、敬っていると考えることもできるからだ。だがそのような貴族の解釈は、あくまでも「貴族の中」での話である。
「帝都市民からは快く思われないだろう。それは彼らの印象を重要視する陛下の考えに反することになる。その任、引き受けよう」
「助かる」
ティモナはファビオに向け短く感謝を伝えると、そのまま歩き去っていった。
「……なんだあの素直な態度。嵐でも来るんじゃないか?」
この態度で素直と言われるティモナが、いったい普段どのような態度でファビオに接しているのか。それは皇帝カーマインも知らない、ティモナの一面である。
……幸いなことに嵐は訪れず、それから数日帝都は晴れが続いたという。
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