手札は揃いつつあり
地図については簡単な物ですが製作中です。来週中には上げたいと思っております。
部屋を出た俺はゆっくりと廊下を歩いていた。まだ調子が悪いことになっているから、念のためな。
「どちらに向かわれますか」
ティモナの言葉に、俺は小さく肩をすくめた。部屋は密偵が固めているから伯の通話がバレることはない。よって、問題は俺がどうするか。
「さて、そこまでは考えていなかった」
流石に屋外に出たりしたら仮病がバレるしな。
「いっそ湯浴みに行かれては? 珍しく調子が良いからと侍女にでも伝えれば、不自然でもないでしょう」
儀礼剣を取りに行った時以外、俺は基本的に部屋に籠っている。それは「グァンダレオ」の影響を受けている(ことになっている)皇帝の自然な行動だが、お陰でこの数日、身体を拭き、頭を洗うくらいしかできていない。
「いいな。頼めるか」
「はい。では先に支度して参ります」
ティモナが先に浴場へと向かい、廊下から見えなくなった辺りで俺は口を開いた。
「何か言いたいことがあるのか?」
隣にはヴォデッド宮中伯がいた。
「ありませんよ……思うところはありますが」
思う所……ね。
「チャムノ伯を味方に引き入れる方法についてか?」
畏怖を以て都合の良い返事が得られても、人の心は後々変わる。だったら心情に訴えかけた方がいい。だからチャムノ伯を説得するために、その娘を利用した。
……やっていることは宰相らとそれほど変わらないな。
「いえ、そちらは宜しかったかと。伯には、情勢的に陛下に従う他ありません。後は理性ではなく感情の問題でした……私が言いたいのは、あまり臣下に公私の『私』を見せるべきではないという事です」
あぁ、通話の。確かに、それも道理か。
「分かった。気をつけよう」
ようは皇帝らしくあれってことなのだろう。
「ところで宮中伯。先帝や父上の死について、市民に情報工作を行ったか?」
「……はい。余計でしたか?」
バルタザールからも聞いたが、未だに帝都市民の皇帝への評判は悪くない。それは人気のあったジャン皇太子を暗殺したのが、今の宰相や式部卿らであるという噂が広まっているためである。言ってしまえば宰相や式部卿が嫌われていて、相対的に俺に同情が集まっているだけだが。
「いや? これからも頼む。ただし、決して覚られないようにな」
「はい。承知いたしました」
情報操作……俺はそれを悪とは思わない。制限がなければ、デマや嘘が蔓延する。俺は前世で、良い所も悪い所も見てきた。そして教育がまだ市民に行き渡っていないこの時代では、情報の取捨選択はまだ難しいだろう。民衆が混乱しないようにある程度の情報操作は必要だ。
……と正当化させた所で、許せない人間は許せないだろう。前世の俺もどちらかと言えばそちら側だったし。
「だがその噂は宰相らの耳には入っていないのか?」
「入っているでしょう。ですがそれを理由に処罰すれば、却って悪化することくらい理解しているかと」
流石に自分の領地を治めているだけあって、その辺は慎重か。
やるとしたら徹底的にやる……恐怖政治に近い所までやるしかないが、間違いなくその隙を対立する派閥に突かれる。だから動けない。
……なんとか、この絶妙なパワーバランスをここまで維持できたようだ。
***
湯浴みを終え部屋に戻ると、チャムノ伯が跪き、そっと耳飾りを差し出していた。
俺はそれを丁寧に受け取り、声を掛ける。
「良いのか?」
「はい」
ヴェラ=シルヴィが幽閉されてから十年以上、会うことの許されなかった娘との会話だ。できればもう少し話させてあげたかったと思う。
「余は即位式にて宰相、式部卿を打倒し、自らの手で帝冠を戴く。さすれば幽閉されている伯の娘は速やかに解放できるであろう。チャムノ伯、どうか余についてはくれまいか」
「……元より、陛下が戴冠された後は陛下に従うつもりでした。ですが、私が間違っておりました。今この場で、陛下に絶対の忠誠を誓います。遅くなったこと、お詫びのしようも御座いません」
「ありがとう、伯爵。卿の帝国に対する忠誠は本物だ」
まぁ人の本心なんて分からないんだが。だがチャムノ伯が俺に味方するのは間違いない。仮に宰相か式部卿に「ヴェラ=シルヴィの解放」を条件に提示されたとして、もう片方の派閥がそこに介入する可能性が高い以上、もっともリスクの低い選択肢は俺につくことだ。だから俺は伯を信用する。
「さぁ、楽にしてくれチャムノ伯。卿に頼みたいことがあるのだ」
まずは帝都に集結中の軍勢について、情報を得るところから。チャムノ伯は今、将軍として帝都に集結中の軍を管理している。だが……
「やはり実際の兵力の把握は難しいか」
「はい。これほどの兵力となると……少なくとも4万はいるでしょう」
「だが傭兵が主体となれば……解散させるのも難しくは無いか」
問題はこの兵力をどうするかだ。指揮官であるチャムノ伯が皇帝支持に回ったところで、その配下が全員すんなりと従う訳では無い。何せチャムノ伯の軍ではなく、寄せ集めの軍隊なのだから。中には反抗する部隊もいるだろう。
だが傭兵は金で雇われる存在……その支払いさえ完遂できれば、表立って反抗することはないはずだ。
「諸侯の軍勢ですと、大半は宰相派貴族の軍になります。ラウル公爵の本隊は、ゴティロワ族の動きが活発になったことにより、自領から動けないようです……彼らも、陛下が?」
「あぁ。彼らは余を支持してくれている」
……まぁ、制御できている自信はないんだけどな? そんなこと、チャムノ伯に言う訳にはいかないから黙っているが。
「やはり……。摂政派貴族の軍勢につきましては、どこも寡兵ばかりです。どうやら、大半の旧アキカール貴族が参陣に従わなかったようで……それどころか、中にはワルン公側に堂々と参戦する者もいるようです」
「ワルン公側に?」
確かに旧アキカール貴族は式部卿に対して反抗的だったが……それがワルン公側につく理由になるか?
「陛下は旧アキカール=トレ侯領の現状をご存じでしょうか」
アキカール=トレ侯……式部卿のかつての政敵であり、俺が生まれる直前にアプラーダ王国へ割譲された領地だ。
彼らは自分たちが負けた訳でもないのに、このような講和になど納得がいかなかった。当然、進駐に来たアプラーダ王国に対し反抗する。
だが帝国から一切支援は無く、その抵抗運動は次々に制圧されていった。
「確かにアキカール=トレ侯領の貴族にはアキカール公を恨む理由がある……彼らがワルン公の軍に合流し、帝国にいる一部の旧アキカール貴族もワルン公についたと?」
「はい」
だとすると……ワルン公の軍勢にはアプラーダ王国にいるはずの抵抗勢力が混ざっている? それをラウル公と繋がっているアプラーダ王国が許すのか? ……いや、自領の中で反乱を起こされるくらいなら、この機に乗じて国内から排除した方が彼らにとっては得か。
とすると、意外とラウル公とアプラーダ王国は深くは繋がっていないのか? これは貴重な情報かもしれない……いや、外交に考えを巡らせるのは後だ。
「同じく、ロコート王国の旧帝国領からも兵が流れ、彼らは挙兵したラミテッド侯領の軍に合流しているようです……彼らも陛下が?」
なるほど……道理でファビオの軍がやけに多いわけだ。
「そうだ。彼らは余に忠誠を誓っている」
……ファビオが統制を取れていれば、の話だが。
「となると……私に求められるのは兵力としての助力ではない、と」
「卿の率いる軍はあまりにも不確定要素が大きいからな……ワルン公軍に対する抑えとして対陣していてくれればいい。その間に帝都に居る貴族らを拘束し、帝都を掌握する」
『即位の儀』には、帝都に居るほとんどの貴族が参加する。そこを制圧できれば貴族たちも拘束できる。彼らの身柄を押さえておけば、チャムノ伯の軍に参加している諸侯の部隊も、そう簡単に動けない。
「帝都掌握後、時間をかけてワルン公軍・連合軍の武装解除、あるいは解散させていく」
「よろしいかと。陛下が自らの手で宰相・式部卿を排除なされるのであれば、間違いなくワルン公も陛下に従われるでしょう」
ワルン公は「政治を壟断している宰相、式部卿を討ち、皇帝陛下を解放する」という大義名分で挙兵している。もし俺が帝都の掌握に成功した場合、ワルン公の大義名分も『達成』という形で喪失する。皇帝が無力であれば新宰相として実権を握る選択肢もあり得ただろうが、ファビオの軍勢やアトゥールル騎兵、そしてここにはいないがゴティロワ族と、俺は完全な無力ではなくなっている。
となると、彼に取れる選択肢は二つ。皇帝に従うか、従わないか。だが彼は挙兵の際、「皇帝を解放する」と掲げている。なのに、自力で宰相・式部卿から解放された皇帝と対立するなんて、そんな訳の分からない行動をするほど彼は狂っていない。
まぁ、今後もずっと従ってくれるかと言われれば、それはまた別の話なんだが。
「卿もそう思うか」
「はい。公はそういう人物です……となると、私への頼み事はワルン公の軍が暴走しないよう、牽制し時間を稼ぐことですか」
掌握さえ済めば、ワルン公はおそらく従ってくれる。だがその前に軍の一部が先走って行動する可能性もある。
「それも卿に頼みたいことではある。収拾に時間がかかるので、できれば戦闘は起こさないよう、対陣していて欲しい。だがもう一つ頼みがある。卿の信用できる部隊を帝都の門の『抑え』に回してほしいのだ」
貴族の逃亡防止も含め、『即位の儀』と同時に帝都の全ての出入り口を封鎖する予定である。その際、内側の封鎖については宮中伯の提案で既に解決策が出ている。だがそれでも完璧にはいかないかもしれない。そこで、外側からも抑えが必要となる。
「抑えるだけでよろしいのですか?」
「あぁ。門の内側は抑えられる手筈になっている。だが念の為に、な。それと帝都の東に関しても抑えてほしい」
「東もですか……そうなると兵は多めに割かねばなりませんね。承知いたしました。一人たりとも逃さぬことを約束いたしましょう」
帝都の東は城壁が完成していない。お陰で余計な兵を割かなければならないのだ。
「ありがとうチャムノ伯……よろしく頼む。これは卿にしかできない仕事だ。成し遂げてくれたなら、その功に篤く報いることを約束しよう」
……実を言えば、その帝都封鎖の役割はアトゥールル騎兵団に頼むこともできた。だが今回、彼らには監視の役割についてもらうことにした。
誰のって? それは勿論チャムノ伯のだ。
確かにチャムノ伯は俺の指示通りに動いてくれるだろう。だが完璧に従うかはまた別だ。例えば、自分と関わりのある貴族だけは逃亡を見て見ぬふりをするかもしれない。そういった行為を防ぐための監視だ。
……信用はしても、信頼はできないからな。
たくさんの評価、本当にありがとうございます。誤字報告も感謝です。