エレベーター
遅れました(真顔)
三日後。ワルン公の軍勢は皇帝直轄領であるエーマサーシェ侯領へと入っていた。
その間、帝都は大混乱に陥っていた。反乱軍接近の噂が立ち、帝都から逃げ出す市民も現れたようだ。
大量の傭兵が集められ治安は急速に悪化。不足している兵糧を補う為、多くの商店から物資が強制的に徴収されている。もちろん、宰相と式部卿の命令によってだ。
当然、帝都市民の二人に対する心証は最悪だ。勝手に悪役になってくれて感謝だな。
あと兵糧が不足しているのは、借金をしながらもゴティロワ族が大量に買い込んだ為である。
正確に言うと、発覚しないようワルン公が時間をかけて少しずつ兵糧を蓄えていたのに対し、ゴティロワ族はあからさまに短時間で買い込んだ。まるで「今から戦争します」とでも言うかのように。結果的にワルン公の動きを隠す良いブラフになり、宰相たちは反乱が起きるまで察知できなかったようだ。
そして「ゴティロワ族による反乱の兆候」と誤った判断をした宰相は、兵力の大半を領地に置いたまま動かせていない。
……まぁあながち間違いでもないんだが。
ちなみにこの動き、俺からはゴティロワ族に何の指示も出していない。なんていうか、流石だな。
それと集められた傭兵の中にはアトゥールル族もいるらしい。どうも宰相が戦力として呼んだらしいが……裏目に出てるんだよなぁ。
頼れる戦力を帝都まで呼び寄せてくれるだなんて、本当に助かるよ。
***
皇帝の即位式に向けて、宮廷は大混乱に陥っていた。
これは儀式まで時間が無いというのもある。だがそれ以上に政治が停滞し、混乱に陥っているのだ。
帝国の政治はこれまで万全に機能していた訳ではない。それは宰相派と摂政派に分かれ、政争が行われていたからだ。だが同時に、ある種の住み分けもされていた。互いの利権に固執する連中により、自然と役割分担が発生していたのである。
しかし宰相と式部卿がこの政争を中断すると宣言したことにより、この役割分担が突如崩壊。結果、一つの問題に複数人が対処しようとしたり、逆に誰も対処しない問題が発生したりと、とにかくてんやわんやになっている。
そんな最中、俺は今宮廷の外にいた。正確には『建国の丘』に建てられた教会に向かっている。
何でも、ここには『即位の儀』に必要不可欠な『儀礼剣』が保管されており、それは初代皇帝カーディナルの遺命で「皇帝となる者以外が触れてはならない」ものらしい。だから俺は今、ヴォデッド宮中伯に連れられここを訪れていた。
そんな「剣を取りに行く」だけのことに付いてこれるほど、宰相や式部卿といった貴族たちに余裕は無いらしい。
建国記念式典以来の、懐かしい教会に足を踏み入れると、そこには一人の老人がいた。格好からして聖職者……それも仰々しい帽子被ってるから上の方の人間だろう。
「お初にお目にかかります、陛下。親政に向けて順調なようで何よりに御座います」
そういって老人は深々と頭を下げた。
付き添いは宮中伯だけ。なるほど、ここで接触してくるわけか。
「デフロット・ル・モアッサンの言っていた師父か」
皇帝も敵も全てを利用し、結果的に俺に味方を増やさせた男。あの襲撃事件の折、全てを掌の上で操った男。
危険な人物だ。だが、そのお陰で俺はゴティロワ族長やアトゥールル族長と会えた。
「ダニエル・ド・ピエルスと申します。以後お見知り置きを」
後ろに控えていたヴォデッド宮中伯が、詳しく紹介する。
「聖一教西方派の司聖堂大導者で、表向きは摂政派に所属しております」
「司聖堂大導者?」
「西方派教会で真聖大導者に次ぐ三人のうちの一人。主に施設管理などを担当しております」
そう説明されたダニエル・ド・ピエルスは、半身をずらし背後を見せた。
そこには、以前訪れた時には無かった隠し扉が開かれていた。
「なるほど、つまり『儀礼剣』の保管は卿の表向きの仕事の一つと言うことか」
「はい。どうぞこちらへ……ご案内いたします」
彼の先導に付いていく。そして隠し扉の目の前に付いた時、ヴォデッド宮中伯が立ち止まった。
「陛下、私はここから先に進むべきではありません」
「そうなのか」
またしきたりの話だろうか?
「はい。故に一つだけ……」
宮中伯は少し考えた後、口を開いた。
「陛下がどのような判断を為されようと、我らは陛下に忠誠を尽くすのみにございます。仮に、陛下がこの世全てを征服せんと欲するならば、我らはそれに付き従いましょう。その男の言うことを必ずしも聞く必要など無いと言うことを、お忘れなきように」
……なるほど。良くは分からないが……この先には尋常じゃない何かが控えているらしい。
「良かろう。心に留めておく」
「はい。それでは陛下、私はここで見張っておきます」
俺は一度頷き、隠し扉を通り抜けた。
***
隠し扉の先には、螺旋階段があった。
それを降りるとまた扉があり、その先には小部屋があった。そしてまた扉がある。
……何か変だ。
「『帝国儀礼剣』は普段、この扉の先に保管しております」
ダニエル・ド・ピエルスはそう言いながら、その扉に何かをかざした。
「ですが陛下には真実を知って頂きたく、本来の保管場所へと移させていただきました」
その言葉と共に、床が小さく揺れた。
……違う。これは部屋が降りている?
「エレベーター……だと?」
「それとは比べものにならない程遅いですが」
そう言って彼は笑顔を浮かべた。
「到着するまでしばしの時間がかかります。魔力は電力と違い、瞬間的な出力が足りないのです」
この男、以前から俺が転生者だと知っているようだった。ということはやはり……
「卿も転生者なのか」
そう尋ねると、男は静かに首を横に振った。
「いいえ。ですがそれを知る者ではあります」
知る者ね……それにしては詳しすぎないか?
「聖一教において、アインは『授聖者』と呼ばれますが……これは周囲の人間からの敬称であり、本人は一度として名乗ったことはありません。彼は主に二つの名乗り方をしました」
「いきなり聖典の話か?」
聖一教の教義やアインの言葉が記された聖典……その原典を訳したものという、デフロットから手渡されたあの本。興味深い内容だったし、この国の為政者として必要だと思ったからそれなりに読み込んだ。
「『神の第一信徒』と『エーチの伝導者』。基本的には前者を名乗り、いくつかの教義については『エーチの教え』と前置きした上で後者を名乗っていたか」
アインが『伝導者』と呼ばれるのはそこかららしい。
「読んで頂けたようで何より。この『エーチ』については信者の間でも意見が分かれ、各宗派で違う解釈を取ります。例えば聖皇派では『エーチは神の遣い』と見なし、ここ西方派では『エーチは神の名前であり同じ存在』と解釈します。ですが……陛下ならばこの響き、別の意味に捉えられましょう」
……そう言うことだったのか。
エーチ……この世界では何らかの固有名詞としか解釈しようのない単語。だが俺には……いや、転生者には別の意味を持つ。
「叡智」
その教えは人類の叡智……ただし、異世界の。
つまり、聖一教の開祖アインは……
「転生者か」
「はい。そしてその真実を知る者、それが我ら『アインの語り部』です」
***
言われてみれば、気づけるポイントはいくつかあった。
この世界が球体であるとする『地平線』の説話。『断食』の否定……異世界ならではの、前世で知っている宗教とは少し違う教義だな程度にしか思わなかった。
だがそれらは、前世における常識を『宗教』と言う形に落とし込んだだけだったのだ。
ヒントはあったのに、全く気づけなかったな。
となると……
「神はいないのか」
聖職者に聞かれれば一発で火刑にされそうな発言だ……いや目の前の男がソレだけど。
「いいえ。アインは神に頼まれたのです。どうか異世界の進んだ知識をこの世界に広めてくれないかと」
「それは事実か? それとも解釈か?」
まぁ、事実と言われても信用するかは別だが。
「我らとしては事実です。しかし証明のしようがない以上、解釈と見なされるでしょう」
それはそうだ。だがそれを理解できる理性的な信者で良かった。
「それで? その『アインの語り部』っていうのは何だ」
なんか似たようなもの聞いたことあるような……あぁ、ロタールの守り人か。
「我らを一言で言い表すならば……『転生者教』かもしれません」
「聖一教ではなく?」
「信仰はアインの言葉のみを守っております。それが彼との契約ですので」
……ふむ、これは詳しく知る必要がありそうだな。
「我らの思想はただ一つ。『進んだ異世界の、失敗も過ちも知る転生者ならば、世界をより良い方向へと導けるのではないか』」
確かに俺たちは知っている。民族問題・環境問題・宗教問題……数百年、あるいは千年後。この世界がこのまま進めば何が『間違い』になるか、何が『正義』になるか。
世界をより良くしたい。それはあらゆる人間の、切なる願いだ。その手段の違いから争いが起きようとも、間違った手段を選んでしまった人々が居ようとも、その根本にある理念は一緒なのだ。
そして『アインの語り部』は、その手段に転生者を選んだ。ある意味俺たち転生者は、答えを知っているから。
「だが……それは神への信仰を説いたアインの考えとは明らかに乖離しているな」
「はい。我らは神の存在を信じた上で、それよりも転生者を優先する異端であります。しかしアインはこれを是としました。ただし、三つの遺命を対価として。その内の一つは『聖一教の教えを改竄せずにそのまま伝えること』です。どの宗派も人々に受け入れられやすく、あるいは時の為政者の都合の良いように解釈されるものですが……我らには関係ありませんからな」
「皮肉だな。最も不信仰な連中が一番教えに忠実とは」
おっと。思わず心の声が漏れてしまった。
「仕方ありません。権力は人の心を曇らせる。故にアインは生前から信者たちを信頼できなかった」
……なんか血生臭そうだな、その辺の話。
「だから契約か」
「はい。我らも例外ではなかったということで」
そう言ってダニエル・ド・ピエルスは笑った。
「そしてもう一つの遺命、それは……」
老獪な聖職者はじっと俺の目を見つめて、衝撃の言葉を口にした。
「アインに子がいたことを200年間伏せ、その後も必要最低限の人間以外には伝えないこと」
誤字報告助かります。
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