最後の巡遊
短めです
新暦467年、俺もついに12歳になった。
成長期に入ったようで、近頃急激に背が伸びだした。
だからと言って何か変わる訳では無いのだが……宰相たちは『少年』となった皇帝に危機感を抱いたらしい。近頃、『お香』が献上されるようになった。効能について語っていた口上は忘れた。
あの宰相と式部卿が、二人そろって、希少な物ですって渡してきたのだ。
……どう考えても吸ってはいけない類だ。ヴォデッド宮中伯にも真剣な顔で止められている。こんな物を香などと称すな。真っ当な香に謝れ。
何でこういう『ろくでもない事』をするときだけ協力するかな、宰相と式部卿は。
だが確かに、皇帝を骨抜きにするには手っ取り早い手段だ。これが嫌だったから愚帝として振舞っていたのだが……あるいは駄々をこねられるのすら面倒くさくなったか。
何となくだが、彼らの『焦り』のようなものを感じる。
さて、この危険な『献上品』。本音を言えば今すぐにでも廃棄したいのだが、宰相と式部卿に使っていないとバレる訳には行かない。
仕方が無いので焚くことにした。ただし、吸うどころか身体にその成分が付着することすらないよう、空気すら通さない防壁魔法の結界を何重にも張り巡らせることにした。吸ったら終わりだ。やり過ぎなくらいが丁度いい。
メリットとしてはこの『献上品』の危険性がわかっているのか、貴族たちはほとんど皇帝の部屋に近づかなくなったことだろう。
唯一入ってくるのは家令のヘルクくらい。何と言い含められたのか知らないが、この頃急にやる気を出して頻繁に顔を出すようになった……が、少しずつその頻度も落ちてきている。目が虚ろになりぼーっとすることが増え、何に対しても億劫そうだ。
……いや、『献上品』を使っているかどうかの確認も兼ねているのだから、この男にだけは吸わせない訳にもいかないだろう。仕方なくだ、仕方なく。
……散々幼児を金蔓として利用してくれたんだ。俺が演技するためのモルモットにされたって文句ないだろう?
貴族たちから切り捨てられた道化の話はさておき、俺はこの『献上品』のせいで部屋に籠る羽目になった。それはこの『献上品』によって怠惰になった演技をするためでもあるが、純粋に結界の維持に力を削がれるからでもある。
……魔法のある世界でよかった。本当に。
懸念点としてはこの『献上品』が俺だけではなくロザリアの所にも贈られることだったが……奴らもそこまでは流石にしなかったようだ。
バレたら外交問題だし、もしロザリアたちが『献上品』について知っていた場合、なりふり構わず止めに来る可能性もあるからな。むしろロザリアと俺が接触しないよう介入してくる。
そんなこんなで、俺は引きこもり生活を送っていた。
久しぶりに外に出たのは夏、3回目の巡遊の時になってようやくである。
……まぁ、ヴェラ=シルヴィの所に顔出したりしてたけど。公式にはって話だ。
***
3回目の巡遊、今回は主にラウル公領も見て回る。これは1回目の巡遊が途中で「中断」された為だ。中断の『発端』は君なんだけどね、宰相。
そして来年はアキカール公領……と。ま、いいけどね。
今回の巡遊には今までと大きく違うところがある。それは……
「ちょっと! 馬車に籠ってないでいい加減、外に出て運動しなさいよ!」
ワルン公女ナディーヌ・ドゥ・ヴァン=ワルン。彼女が付いてきたことだろう。
11歳になった彼女にも、年相応の落ち着きが出てきた……たぶん。
「面倒じゃ」
「そんな出不精じゃまた太るわよ!」
ほら、乗馬の誘い方が昔より優しくなっただろう。
「今日はよい」
「ナディーヌ、陛下にあまり無理を言ってはいけませんわ。さぁ、行きましょう」
意外だったのはロザリアとナディーヌが秒で仲良くなったことだろうか。今まで宮廷内では関わりが少なかったのだが、たった一日同じ馬車に乗っただけでコレだ。
「お姉様がそう言うんでしたら……」
……まさかナディーヌがロザリアを姉とまで慕うようになるだなんてな。ロザリアはどんな手を使ったんだ……?
ロザリアには『献上品』について伝えてある。魔法で防いでいることも、演技についてもだ。だから今回の巡遊では皇帝の馬車にロザリアは乗せない。場合によっては馬車の中でも焚く必要が出てくるからな。
ちなみに今回の巡遊でワルン公領のある帝国南部を通過する予定は無い。にもかかわらずナディーヌが付いてきたということは……宰相派貴族の領地のどこかで、ワルン公の方から出向いてくるのだろう。娘が同行しているならば、「挨拶」と言う形で接触してきても可笑しくはない。
ただまぁ、間違いなく宰相らの監視下で、になるけどね。ゴティロワ族長・アトゥールル族長との接触の様にはいかないだろさ。
***
最初の巡遊とは違い、今回は帝都を出て真っすぐ東へと進む。帝都のあるピルディー伯領の東は皇帝直轄領のアフォロア公領。ここから東はずっと宰相派貴族の所領となる。
ちなみにアフォロア公領の北には、最初の巡遊の時に通過したヴァッドポー伯領がある。
あぁ、ヴァッドポー伯といえば……彼はガーフル騎兵の襲撃の際、俺を見捨てて逃亡した事を糾弾され、爵位を長男に譲った上で隠居させられたらしいよ。
そんなアフォロア公領も東端の街『キアマ』を出発し、今日中にはべリア伯領の都市『レイドラ』に到着予定だ。アフォロア公領は何というか……宰相派と摂政派の代官が入り混じってカオスだったよ。もはや『皇帝直轄領』って建前を誰も気にしちゃいない。「どうぞ私の領地でゆっくりなさってください」だもんなぁ。
「……ん? 宮中伯、あれは丘陵か?」
車窓から見えた景色が気になった俺は、今回の巡遊にも付いてきて、馬をこの馬車と並走させているヴォデッド宮中伯に小声で尋ねた。
「はい。確かシュラン丘陵と呼ばれていたかと。アフォロア公領とべリア伯領を隔てる境界でもあります」
「大きいな……あの時の丘陵とは比べものにならない」
あの時の丘陵というのは勿論、ガーフル騎兵と交戦したあの丘陵だ。この辺りからラウル公領にかけて、丘陵地帯が点在しているらしい。
「確か異教徒の神話では、『ハールペリオン帝国』最後の皇帝の墓だという伝説が残っております」
べリア伯領の都市『レイドラ』は、アフォロア公領の都市『キアマ』のほぼ真東に位置する。この直線上にシュラン丘陵があるせいで、街道は真っすぐ敷かれておらず、避けるように丘陵の南側へと湾曲している。
ここは間違いなく、戦略上の要衝だ。ここが押さえられれば街道も抑えられる。
「皇帝の墓、か。縁起は悪いが……」
しかもこの立地と広さ。要塞化して拠点にしても良し、引き込んで戦場にしても良しか。
「宮中伯」
先ほどよりもさらに小声となった俺に合わせ、ヴォデッド宮中伯は何も言わずに視線だけを向けた。
「シュラン丘陵とその周辺の詳細な地図は製作できるか」
「はい」
そうか。なら後は……
「水がいるな。既に井戸があれば整備、無ければ掘れないか探してくれ。もし地下に水源が無ければ、ため池用の穴を掘った上で察知されないよう埋め直せ。ファビオ達を動員しても良い。最優先でそして慎重に頼む」
「わかりました」
ずっと一人で練っていた計画が、少しずつ形になりそうだ。上手くいくかは神のみぞ知る。だがまずは、そこに至れるかが問題だった。
ここに来てようやく、ようやく見えてきた。
ゴティロワ族とアトゥールル族、宰相派・摂政派の膠着状態と弱体化。テアーナベ連合とガーフル共和国方面に割かれる両公爵の軍勢。そして、手薄な帝都。
正直、政治の方は既に頃合いだ。問題は戦略面だったが……そこに光明が差してきた。
あとは……ワルン公との会談で、上手く引き金を引けるかだ。
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