朝焼けの丘陵にて
この世界でも、太陽は東から昇る。
天届山脈……地球におけるヨーロッパアルプス並の標高と思われる山々の、わずかな隙間から零れる光。聖一教伝来以前、この地に住む人々はこれを『神の光矢』と呼んだ。生者に力を与え、邪悪を滅する神の光。それを背に受けながら、一糸乱れぬ行軍を見せる軍勢は、ある種の神々しさすら感じた。
「陛下、お二方が来られたようです」
アンリ・ドゥ・マローの報告を受け、俺は腰かけていた切り株から立ち上がった。
「指揮官が抜けていてもあの整った動きとは……正に精鋭だな」
ティモナは両族長の対応をしているはずだ。待たせる訳にはいかないだろう。
「陛下……ご武運を」
ロザリアは俺にかける言葉を悩んでいたらしく、いつもより心もとない声だった。
……いや、単純に寝起きなだけか?
「武運……か。言い得て妙だな」
確かにこの会談は、俺にとって戦に等しい。個の武勇にも優れているらしい二人の族長に、その場で殺されてもおかしくはないからな。
「行ってくる」
さて……どうなる事やら。
***
急ごしらえの丸机に三脚の椅子。皇帝が客を迎えるには貧相すぎる場だ。
だがこれは、俺がティモナに頼んだことでもある。余計な見栄は要らず、そして椅子は全て同じ高さにしてくれと。
既に椅子に座っていた二人は、皇帝の姿に気づくと立ち上がろうとした。
「必要ない。余はまだ戴冠の儀を終えておらぬ」
この二人の前で、余計な肩書も形式も邪魔にしかならないだろう。
そのまま俺も椅子に座り、二人と向き合う。
「こちら両ゴティロワ族長ゲーナディエッフェ・ラ・ゴティロワ殿、並びにアトゥールル族長アトゥールルーシェ=ドン・パール・イッシュトヴァーン=ロ・ペテル殿にございます」
そう紹介だけした後、ティモナは黙ってその場から下がった。
皇帝一人で対応するとは思っていなかったらしく、ゴティロワ族長の眉がピクリと跳ねた。
アトゥールル族長の方は表情が全く動かない。だがその目は興味深そうにこちらを見ているようだった。
「余がブングダルト帝国8代皇帝、カーマイン・ドゥ・ラ・ガーデ=ブングダルトである。早速だが……卿らのことは何と呼べばいい?」
これは主にアトゥールル族長向けの配慮だ。彼の部族における正式名は長いし、彼には帝国として与えた官職が無い。
「ペテル・パールで構いません」
「では儂もゲーナディエッフェとお呼びいただこう」
「よかろう。余のことは好きに呼ぶがよい」
そう言いながら、俺は二人を観察する。両ゴティロワ族長ゲーナディエッフェは中肉中背の筋肉質な男だ。髭と格好も相まって、如何にも蛮族といった風貌だ。もの凄い圧がある。まぁ、ブングダルト族も元は蛮族だけど。
アトゥールル族長ペテル・パールの方は、この辺の人間にしては珍しい褐色の肌だ。実年齢以上に若く見える。ほとんど表情が動かないせいで、こちらはこちらで圧が凄い。
いちおう、武器類はティモナが預かっているが……子供くらい素手で殺せそうな二人だ。気は抜けない。
「まるで外交のようですな……巷の噂とは随分違うご様子で」
ゲーナディエッフェの言葉に頷く。丸机に三人、上座も下座も無く等間隔で座るのは正しく外交交渉の場だ。
「余はこれから卿らに助力を乞うのだ。今さら愚者を演じて何になる。選ぶのは卿らなのだから」
既に彼らの目的が、皇帝を見極める事なのは分かっている。
もし端から敵対するつもりなら既に襲われているし、ただ肩書としての皇帝に挨拶をしに来ただけならば、あからさまな会談用の机に着いて待つことなどしない。
「なるほど。確かにその通りでございますなぁ」
ゲーナディエッフェは髭を弄りながら続けた。
「では一つお聞かせ願いたい。確か陛下はテアーナベとの前線を視察されたとか。如何でしたかな?」
「随分と漠然としておるな。何が言いたい」
「聞こえましたか? 略奪に遭う民の嘆きが、怨嗟が」
……ほう、そこまで知っているのか。
「よく聞こえたよ。そして余は、それに興奮を覚えるたちではないらしい」
「では陛下は『略奪』という行為をどうお考えか」
……なるほど、ね。これは随分と深い質問だな。この世界の皇帝カーマインに対してではなく、転生者カーマインに対しての。
……いや、それについて考えるのは後だ。
「なぜ略奪が起きたのか、であれば一言で言い表すことができる。結果だ」
「ほう。結果、ですか」
「そうだ。これまでの帝国が行って来た政治、それを計算式とするならば、あの略奪はその解だ。これから起こる略奪も、全て解に過ぎない。解を変えるためには、計算式そのもの変えなければならない」
帝国そのものを変えなくてはならない。だが、軍と言う暴力に対し介入できる暴力を、俺は持ち合わせていない。
「そもそも略奪が愚行かと言われればそうでは無い。あれは戦術の一つとして確かに存在している。敵の民衆に恐怖を植え付け、敵の補給を圧迫でき、そして自軍兵士の士気を上げることができる。どうせ占領したところで統治できないのであれば、略奪と言う選択肢は十分に有効であろう」
現代の地球ですら、デモや災害による混乱の最中で略奪は起こる。
略奪のない世界、戦争のない世界。それは理想論だ。君主が理想を持つのは良い。だが君主が理想論に囚われてはならない。机上の空論は人を殺す。
「であれば……略奪を無くすにはどうすればいいか。その答えは簡単だ。軍隊を、略奪を必要としない精鋭に全て作り変えればいい。鋼鉄の軍規に律され、ただ存在するだけで敵に畏怖を覚えさせ、効率よく物資を運用する、極めて士気の高い軍隊に」
「ほう……我らゴティロワ族、山岳では負け無しでありますが……必要であれば略奪を行います。そんな我らが足りないと?」
ゲーナディエッフェの口角がにんまりと上がる。殺気は感じないが、圧が凄い。自分たちが精鋭ではないと言われたようなものだからか。
だが引き下がるつもりは無い。
「足らぬ。しかし卿らの軍勢の、練度が足りぬと申しているのでない。不足しているのは後方支援だ。偵察・諜報・補給・治療、そういった戦わない部隊が絶対的に不足している。だから情報を得る為、敵に見せつける為、補給を得る為に略奪をせざるを得なくなる。必要なのは占領し続ける能力、戦い続ける能力だ」
「戦い続ける……なるほど」
「もっとも、そのような軍隊を余の代で完成させるのは不可能だ。しかし、これが軍隊の最終目標であるとするならば、それを見据えた改革、試行が必要であろう」
「……ふむ。面白い」
ゲーナディエッフェの目が先ほどより真剣になっている。
刻一刻と空全体が明るくなっていく。そろそろガーフル軍が来てもおかしくないのだが……焦りは禁物だな。
「では我らが先祖が、時の皇帝陛下に問うた質問を致しましょう……皇帝とはなんぞや」
「統治機構、すなわち機械の最も中枢にある歯車だ」
これは俺が転生してからずっと考え、その末に出した答えだ。
「……歯車とな」
「そうだ。ただ代替品が入手しづらく、破損すれば機械が動かなくなる、欠けると困る歯車だ」
例えば、不可侵で絶対的存在であると言われる皇帝が『法』を守ることで、逆説的に法に『絶対性』を持たすことが出来る。他にも、皇帝という『看板』で他国に対し優位を取れる。交渉において、このアドバンテージは無視できないだろう。
他にも、皇帝が存在するメリットはあるだろう。だが前提条件ではない。
「……まるで皇帝は必要ではないとでも思っておられるようですな」
「今は必要であろう。無くては機械が動かなくなる。だが魔道具が日々進歩していくように、国家と言う機械も変化する。『皇帝』という部品以上に効率の良い部品が登場すれば、そちらに組み替えられる可能性は高い」
皇帝とは、絶対に存在しなければならないものでは無い。それは地球の歴史を知る俺がよくわかっている。
「だいたい……あと数百年もすれば民衆が多数決で国家の代表を選ぶ国家が登場し、やがてそれが世界の『常識』になるぞ。そうなれば国王や皇帝が残っていようが、実権は無くなる」
極論、無くても良い。だが転生者である俺は、君主という存在が国家の精神的支柱になり得ることも知っている。
「しかし同時に、『伝統』というものは……それがどれほど無駄なものでも、バカにはできないのだよ。壊すのは一瞬だが、『伝統』そのものが生まれるには、時が百年単位で必要だ。故に価値がある」
俺は、いずれ皇帝など廃止されてもいいと思っている。ただ、一度廃止したものは中々戻せない。
だから残す。後世の人々が皇帝による専制政治か、共和制か、あるいは立憲君主制かを選べるように。
「余の理念はただ一つ。後世に一つでも多く選択肢を残す……あらゆる面でな。君主もその一つだ」
「信じ難い話ですな。王のいない世界など」
「そうか? 早い話……人類が絶滅すれば王という存在も確実に消滅するぞ」
「……なるほど。これはこれは」
ゲーナディエッフェはそう小さく呟いた後、こう続けた。
「噂以上のお方だ」
その噂とやらは『愚帝』の方ではないな。やはり……本来の俺を知った上で来たか。
「ペテル・パール殿は何かあるかな?」
ゲーナディエッフェがずっと黙っているペテル・パールに話しかける。
「……俺からはただ一つ。俺の部族を守ってくれるか否かだ」
なるほど、もっともな話だ。
「では実利の話をしよう」
とはいえ、具体的な金額で請求されても出せない。だから権利……それも空手形しか出せない。
「実現できるのは余が実権を取り戻した後になるが……信仰の自由、聖一教西方派における異端審問官の廃止、アトゥールル族を帝国国民と認めた上で文化の自由を保護、アトゥールル族長に対し貴族の称号を授ける……でどうだ」
他に直近の利益を求められると困るな……と思いながら提案する。
「問題ない。これより陛下の臣となろう」
そう言って頷くペテル・パール……あっさり通ってしまった。あっさりしすぎていて、逆に怖い。
……なんかティモナの時もこんな感じじゃなかったか?
「では儂には何を差し出しますか? 陛下。既に帝国貴族である儂に」
「自治領を帝国国内と正式に認め、一切の関税を禁止する……卿が欲しいのはこれであろう?」
いつでも独立できるくらいの力を持つゴティロワ族。俺は彼らが独立しなかったのではなく、できないと見た。
その領地が山岳地帯であるゆえに、食料が圧倒的に足りない。だからどれほど宰相から嫌がらせを受けようとも、大陸有数の穀倉地帯を抱える帝国からは独立できなかったのでは無いだろうか。
宰相の嫌がらせ……法外な関税額による、食料供給への介入。その廃止は彼らにとって、必要最低限の条件だろう。
そして例え関税を廃止したところで、帝国に食料を依存する体制自体は変わらないのだ。ならばケチる必要もない。
「ついでに、横行している貴族による通行税徴収も改善しよう。街道整備などの都合上、無くせとは言えんがの」
そこでふとゲーナディエッフェの方を見ると、肩が小さく震えていた。それがだんだん大きくなっていき……
「……クックック……ハァーッハッハ!!」
彼は突如、大声で笑いだした。
……いったいなんだと言うんだ。
「良いでしょう! 陛下を『五代の盟約』、その五代目と認めましょう……これより我が一族はその約定に従い、御身の盾となります」
……『五代の盟約』って何? あと急に態度が変わり過ぎではないだろうか。
「さぁ、陛下。我らにご命令を。如何致しますか!」
とりあえず『五代の盟約』が何か聞こうとしたその時、ティモナによって敵の接近が知らされた。当然ながらその場ですぐに軍議となってしまった。
交渉は成功したんだよな? ……なんか不安になるなぁ。
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※追記 誤字報告助かります。