暗黒時代が無いと文明は順調に進歩する
帝都が見えなくなった頃、車窓の景色は一面の青々とした畑で埋め尽くされていた。
普段の食事にパンが出ているから、たぶん小麦だと思うが……小麦ってこの時期にはもう植えてるんだっけ? 残念ながらその方面の前世の知識は無いから、地球と同じ植物なのか、それとも全くの別物なのか判別がつかない。
「見渡す限りの農作地……流石は帝国ですね」
同じく窓の外を眺めていたロザリアが言った。 ……あぁそうか。彼女に聞けばいいのか。
「あれは全部、小麦なのか?」
「コムギ……ですか?」
あれ、伝わってないのか。
……ってことは、この世界では小麦とは呼ばないのか、あるいは全くの別物なのか。
「パンの原料となっているのは?」
「あぁ、白麦ですわね」
白麦……なるほど。この世界ではそうなのだな。
やはりと言うべきか、前世の記憶があるせいで俺はソレを基準に考えてしまう。だがそれではダメなのだ。俺が今生きているのはこの世界なのだから。
果たして『白麦』が前世の『小麦』と同じものかは分からない。だがまぁ、今はそれに近いものであると考えることにしよう。
「申し訳ありません、陛下。これが白麦なのか、黒麦なのか、あるいは青麦や黄麦なのか、私には判別がつきません……」
どこか落ち込んだ声色で、ロザリアはそう言った。
さて、それぞれにどのような特徴があるかは分からない。しかし「どれか分からない」ということは、一般的に同じ農地でそれらを育てているということだろう。確かそうやって、数年の周期で一つの農地に異なる穀物を育てることを……輪作、と言ったか。
既に農業は効率化されつつあるらしい。
「いや、気にしないでくれ。分からないのは俺も同じだ」
「はい……あ、でもアキカール公やラウル公の領地では『三圃制』なる方法が取られているようですの。もしかしたら、この巡遊で見ることができるかもしれませんわ」
三圃式農業……それは俺も知っている言葉だ。農地を夏の穀物、冬の穀物、そして家畜の放牧と順々に回すことで、畑の栄養を低下させない……んだったか? 正直、それが具体的にどういう仕組みでどういうものなのか、俺はよく知らない。
だが、それが何をもたらしたかは知っている。
生産力の増加に伴う人口の増大。そして農奴制と荘園制の崩壊。
……なるほど。帝都の外に下級貴族が溢れかえっているのは、そのせいでもあるのか。
帝国は大陸有数の農業国。その話自体はヴォデッド宮中伯から聞いていた。これは単に広大な平地が広がっているせいかと思っていたが……効率化の成果も出ているらしい。
「ロザリアは見たことがあるのか?」
皇帝直轄領で三圃式農業はまず不可能なはずだ。となると、アキカール地方かな。
三圃式農業のためには区画整理が必要。つまり、農地を持つ農民に対し、別の農地への「移動」や生産穀物の「指定」を強制できる力のある貴族が不可欠なのだ。
だがこの辺りに、そんな人間はいないだろう。本来皇帝の役目だし、代官がいるとしてもどうせ宰相派か摂政派の傀儡だ。わざわざ皇帝の力を強化しかねない「農業改革」などするはずがない。
「はい。これまで帝都に来る時は舟でしたので……その道中に」
「あぁ、水運か」
この時代、最も速い移動手段は船だ。日本と違い、川の流れが緩やかだしな。
「さて、俺も舟には乗ってみたいところだが……」
舟に乗りたいっていうより馬車との速度差を実感したいっていうのが本音だがな。
「それは……警備の面で厳しいと思いますわ。勿論、陛下であればいざとなったら魔法で御身を守れそうですが……」
まぁそうだよな。どっちかっていうと、この馬車が防御力高すぎるってだけ……って……うん?
魔法?
……待て、ちょっと待て。俺はロザリアに魔法を見せたことも、使えると言ったことも無いよな?
なんでしってるの?
その情報は俺にとって生命線であり、最後の命綱であり、数少ない切り札なんだが!?
***
しばらく沈黙した後、俺はゆっくりと口を開いた。
「いつからだ」
我ながら随分と不服そうな声が出た。
「大図書館を案内してくださった時ですわ」
大図書館? ……たしか俺が魔法の書を読みたいと思って、そしてロザリアを利用した時のアレか。
確かにあの時、俺は魔法について書かれた書物を手に取った。だが「好きな女の子相手に背伸びしたくて、分からないのに難しい書を手に取ったガキ」をしっかり演じていた……はずだ。魔法についての書物を手に取ったから魔法が使える、と判断できるものではなかったはず。いったい何故……
「ご無礼をお許しください、陛下。もしあの時の陛下が文字を読めないのであれば、分厚いものや装飾が派手なものを選ぶでしょう。そしてある程度読めるのであれば難解そうな表題、あるいは単純に長いものを選ぶはずですわ」
……なんだろう、この感覚。蛇に睨まれた蛙ってこういうことなのかな。
「あの時、陛下は魔法関連の書物以外にも数冊手に取られておりました。そちらに関しては表題が長いものや表紙が豪華なものばかりをお選びでしたわ。けれど、魔法に関しての書物だけは、いわゆる『見た目騙し』の物ではありませんでした。『付与魔法』『防御魔法』等の実践的なもの、さらには純粋な理論をまとめた『研究レポート』まで」
……あぁ、そうだ。確かにそうだった。クソっ。今考えると迂闊すぎる。どうして俺は気がつかなかった。これじゃあからさまじゃないか。
まぁ、結果論として宰相派・摂政派にはバレていないようなのだ。問題ない……はず。
「勿論、陛下が『純粋に興味をお持ちなだけ』という可能性もありましたが……それならば私を利用する必要は無いと思いまして。ですので、陛下は魔法が使えるのだろうと推測いたしましたわ」
そう言うと、ロザリアは静かにほほ笑んだ。
……それについては気づかれている気もしていたから驚きは無い。だがまぁ、勝手に利用したのだ。謝罪は必要だろう。
「あー。その件についてはすまなかったな」
俺がそう言うと、ロザリアはキョトンとした表情を浮かべ、それから戸惑った様子のまま聞き返してきた。
「えっと、申し訳ありません陛下。何に対しての謝罪でしょうか」
「うん? それは利用してしまったことについてだが」
俺の言葉に、ロザリアは何度か瞬きをすると、ゆっくりと、再び笑顔を浮かべた。
「まぁ。困りますわ、陛下。そのようなことで謝罪などなされては。それでいいのです……いいえ。願わくば、もっとお使いください陛下」
気にしていない、というのはありがたい。だが、その笑顔に若干恍惚とした気配が混ざっているのは何故だ。
「残念ながら同じようなミスを犯しそうだ。その都度助けてもらえるとありがたい」
「はい。陛下!」
……ぶっちゃけ怖い。ティモナと同じ匂いがするんだよね。
「それで? 他に誰がこの事を知っているのだ」
「サロモンのみですわ。勿論、監視して下さって構いません。それに、推察に関しては話しておりませんわ」
できれば誰にも言ってほしくは無かったんだがな……
しかしこの件、ロザリアは「知ってる」ことを言う必要などなかったのだ。俺が気づかれていることに気づいていなかったのだから。
それをわざわざ伝えたロザリアの行動は、誠意と見ても良い……か。
「はあぁ……君が婚約者でよかったよ」
敵だったら詰んでいたかもしれない。
「私も幸せですわ! 陛下」
そう言ったロザリアの、満面の笑みを見た俺は、「もしかしたらこの娘に一生勝てないんじゃないか」と、そう思った。
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