巡遊に向けて
案の定、宰相も式部卿も巡遊費用を出すことについてあっさりと認めた。そして二人は俺の巡遊について交渉を開始した。既に最初の目的地は決まっているから、具体的にどの街道を通るかとか、誰がついてくるかとか、その辺の細かい調整のみだ。比較的早く決まるだろう。
俺の予想だが、一か月くらいだな。
……これで早い方なんだよ、恐ろしいことに。
さて、それまでの間に俺がやらなくてはならない事がある。
もちろん、荷物の準備とかではない。それは手伝った方が怪しまれるからな。
「ふぅ」
一度深呼吸をした俺は、ゆっくりと塔のバルコニーに降り立つ。顔を上げるとエメラルド色の目と合った。
「すまない、ヴェラ。話がある」
ニコニコと嬉しそうに微笑んでいたヴェラ=シルヴィが、俺の言葉にキョトンとした表情を浮かべた。
「はなし?」
「あぁ……すまない、満月の度に来るという約束、しばらく守れなくなる」
女の子との約束は基本的に破ってはいけない。破る場合は事情を説明し、誠実に謝罪しなければならない。日々薄れていく前世の記憶だが、何故かこれだけは警鐘のように俺に訴えかけてくる。
……いったい何があったんだ、俺の前世に。
「もう……会えない、の?」
ヴェラの瞳が不安げに揺れ、声もいつも以上にか細くなっている気がする。冷や汗が出てきた。
「いや、数か月来れないだけだ。定期的には来る。少なくとも、冬には必ず」
「そっか……」
そういって顔を伏せた。 ……ランプのぼんやりとした明かりのせいで、さっきから表情が読み取りづらい。不味い……か?
「あっ……ちょっと、待って、て?」
何かを思い出した様子のヴェラが、鉄格子付きの窓から離れる。
どうやら、引き出しからアクセサリーを取り出したようだ。
「あのね……これ」
「エメラルドの……耳飾り?」
「うん」
さすがは貴族というべきか、前世ではお目に出来なかっただろうサイズの宝石が使われている……まぁ、俺の部屋とかで見慣れてるんだけどね。
はい、とそのうちの片方を渡される。
「これに……魔力、通すと、ね」
そう言ってヴェラは魔力を耳飾りに込める。初めはこれだけでも一苦労だったが、今では随分とスムーズにできるようになった。
『お話、できる、よ?』
「なるほど、魔道具か」
『うん!』
つまり会いに来れない間、これで通話しようって言いたいんだな?
「わかった。ありがたく受け取ろう。だが毎日は無理だぞ?」
「うん……わかってる、よ? あと、渡すのは、こっち」
ヴェラに言われるがまま、耳飾りを交換する。
「もしかして一方通行なのか?」
「ううん。ちょっと、違う……そっち、からは、いつでも……だけどこっち、からは、できない、の」
あーつまり、ヴェラが持っている方から発信はできないが、俺が持っている方が発信したら会話は可能ってことか。
「俺が好きな時にかけていいと?」
「うん……いそがし、そう、だから」
あぁ。その気遣いはありがたい。
「ありがとな。それにしても……よくこんな物持ってたな」
「帝都に、行くとき……お父様、信頼、できる人に、渡せって。でも、塔、使えないと、思って」
もしかして、嫁入りの時に渡されたのか。
「なら伯爵に渡した方が良かったんじゃないか?」
「ううん。お父様……いつも監視、されてる、から、ダメって」
……いつも?
チャムノ伯は今、宰相派に属している。その領地の周辺は摂政派に囲われてはいるが、伯の居館内部にまで敵対する派閥が入り込めるとは思えない。ということは、チャムノ伯は宰相派から監視されている?
となると、ヴェラ=シルヴィは宰相派にとっての人質か。
……これは味方にできる可能性が高そうだな。
「そうか……すまない、今日はもう戻る。ちゃんと耳飾りも使う」
「うん。気をつけて……ね?」
「あぁ。それじゃあ、また」
足場を作りバルコニーから出たあたりで、ヴェラからもう一言付け加えられた。
「あと、会ったなら、元気だよって」
「……あぁ、伝えよう」
やっぱり俺の正体気づいてません? ヴェラさん。
***
翌日、朝食を摂った俺はロザリアを乗馬に誘った。なんでも、ロザリアは乗馬含め一通りはできるらしい。流石の秀才っぷりである。
ただまぁ、本命はロザリアじゃない。
ぞろぞろと摂政派の監視を引き連れ厩舎へ向かうと、案の定ナディーヌがいた。どうやら最近は、熱心に乗馬の練習をしているそうだしな。
「あら、そちらの方は?」
ナディーヌに気づいたロザリアが俺に尋ねる。ホント、察しが良くて助かるよ。
「おぉ、この者はワルン公女ナディーヌじゃ。ナディーヌよ、余の婚約者ロザリアじゃ。挨拶せい」
「……お初にお目にかかります。ナディーヌと申します、ロザリア様」
一瞬、俺の方を睨んだナディーヌだが、比較的すんなりと挨拶をする。まぁ、ナディーヌもちゃんとした教育受けているしね。
ちなみに俺が巡遊に出ると聞いたナディーヌは、「勉強もせずに遊び歩くなんて信じらんない!」と財務卿並みの猛抗議を俺にしたのだが、ティモナに「これも立派なご公務です」とあしらわれていた。それ以降、また会うたびに睨みつけてくるようになってしまった。
「ロザリアとお呼びください。私、同じ世代のお友達少ないの。仲良くしてくださると嬉しいわ」
「そ、そう。私のこともナディーヌでいいわ」
「はい!」
……え、もう口説かれたの? チョロい……まぁ、二人が仲いいに越したことは無いですが。
「おぉ、そうじゃ! 今度の巡遊、お主も来るか?」
「えっ!?」
驚きの声をあげたナディーヌは、どうしようか思案をはじめたようだった。
……おい馬鹿、気づけ。そこで頷いたらマズいだろ。頼むから了承するんじゃないぞ!
「あっ……お父様に聞いてからじゃないと……」
よかったぁ……頷くんじゃないかと思ってかなり冷や冷やしたぞ。
ただの一公女でしかないナディーヌに、自身の行動を自由に決める権利は無い。まぁ、ワルン公が「自由にしていい」と言った場合は別だが。その場合、宮廷でナディーヌは自由に行動できるということになる。それはつまり派閥との交渉も自由にできるという意味になる。そんなの、今のナディーヌにとって重荷にしかならないからな。
「そうか。ならばワルン公に伝えておくのじゃ。ではの」
さて、娘からこの事を聞かされたワルン公がどう反応するかだが……恐らくナディーヌを同行させるついでに会談を要求するだろう。俺がわざわざ宮廷から離れるのだ。宮廷と距離を置きたいワルン公にとって、俺と接触できる唯一の機会だろうしな。だが宰相や式部卿が俺のワルン公領行きを認めるとは思えない。落としどころとしては、どちらかの派閥の領地で会談……くらいだろう。まぁ、今はそれで十分だ。
***
それからしばらく、宮廷の敷地内を馬に乗りながら散策したわけだが……常に監視はされているから、演技は続けている。
「こちらの建物は?」
「ここはのう……なんじゃったか、ティモナ」
「三代皇帝陛下、及び先帝陛下の宮殿です、殿下」
「まぁ、ここが」
三代皇帝が建てた宮殿は、宮廷の最も奥まったところにあり、その四方を塀で囲われている。そこを先帝は再利用した。両者の臣下を信用しない性格が良く出ていると思う。
「そうじゃ、おじいさまの墓がこの辺にあったであろう。墓参りじゃ」
「承知しました。ご案内いたします」
ティモナの先導で墓所へとやって来た。この歴代皇帝の霊廟は、代を重ねるごとに小さくなっていく。ちなみに六代皇帝の霊廟だけ存在しない。正確には、初代より大きいものを生前作らせたが、死後はそこに埋められることなく、霊廟も破壊された。もちろん反対する者はいなかったそう。
先帝の霊廟はかなり小さく、中には数名しか入れないようだ。実はこの歴代皇帝への参拝、ちゃんとしたしきたりがある。その中の一つが、異なる身分が同時に入る場合のしきたり。身分の高い人間が最前列、そこから低くなるにつれ後ろへ行く。だがこの先帝霊廟は大変狭く、何列も中に作れない。その為、霊廟の中へは俺とロザリアの二人のみが入ることになった。ロザリアは皇帝の婚約者なので、俺と同じく最前列扱いだ。
……敷地自体はそこそこあるから、自分が埋まってるところを目いっぱい大きく取ったのだろう。そんな見栄張らなくても良いのになぁと個人的には思う。
ロザリアと、しきたり通りに参拝する。この辺はロタール帝国ではなくブングダルト族の文化だが、ちゃんと予習して来たらしい。
……本当にありがたい。
残念だが、先帝の霊廟を訪れる人はあまりいない。正直、民からは父上の方が人気だったし、貴族からはあまり好かれていなかった。
先帝のように暗殺されない為に、俺は色々と利用するだろう。当然、ロザリアのことも。
「……迷惑をかける。これからも」
俺の呟きに、ロザリアもまた小さく返す。
「それが私の喜びです、陛下」
……もしかすると、前世の俺はそれなりに徳を積んだのかもしれない。
「そうか。ありがとう」
もう弱音は吐かないと決め、俺たちは霊廟を後にした。
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