そうだ、帝都を出よう
ロザリア一行が部屋に戻った後、俺はティモナの淹れた紅茶を飲みながらヴォデッド宮中伯を待っていた。この密談を実現させるため、密偵たちは隠蔽や工作をしてくれていた。宮中伯は密偵長として、その現場指揮を執っていたのだ。
ちょうど二杯目に手を付けた頃、彼はいつものように天井裏からやって来た。
「ご苦労。手間をかけさせたな、座ってくれ」
目でティモナに合図すると、彼は宮中伯の分も淹れはじめる。ティモナの紅茶を淹れる腕は、正直侍女たちより上だ。曰く、「これも役割の一つなので」だそう。俺、家令に淹れてもらった記憶なんてないけどね。
対面に座った宮中伯が口を開く。
「このくらいのこと、密偵にとっては苦労したうちに入りませんよ」
その言葉に、天井裏の密偵がピクリと動いた。どうやらそんなことは無いらしい。
「まぁそう言うな。密偵たちにも余が感謝していたと伝えておいてくれ」
「陛下がそうおっしゃるのであれば」
……これってもしかして飴と鞭……つまり印象操作か? いや、密偵が少しでも俺に対して好意的であってくれるに越したことは無いが……まったく、この人は抜かりないというか何というか。
「確認だが……会談内容は聞いておくか?」
「いいえ。必要ありません」
この会談をセッティングしたのは宮中伯。であれば、事前に会談内容は把握しているだろうと思っていたが……やはりか。
まぁ、俺の本性がバレた以上、「問題あり」と判断したら即消していただろう。この宮中伯にとっての最優先は俺の意志ではなく血統だからな。
「どう見る?」
「しばらくは問題ないでしょう」
宮中伯の言葉に、思わずため息をつく。
「やはりそうか」
ロザリアの説明も、帝都における役割の確保も見事だった。だが、それらは嘘であるという。
であるならば、彼女は帝都に巣食う貴族共を理性的に評価し過ぎだ。
何せ、自己利益の為に対立貴族に「謀叛者」のレッテルを張り滅ぼした連中だ。被害妄想と、権力への執念の塊である彼らは、やがてロザリアに疑念や不安を抱き、排除に動くだろう。残念ながら、人間を動かす根本原理は感情だからな。
奴らをコントロールできるのは継続的な実利のみ。常に『利益』を与え続けなければ、「邪魔になるかもしれない」という軽い考えで排除に動く。
現に、目の前の宮中伯はよく俺に呼び出されている上、中立派の為、「皇帝に戴冠した者に味方する」と宣言しているにもかかわらず警戒されている。だから宮中伯は両派に俺の情報を流している。もっとも、流されて問題のない情報のみだが。
一言で言えば、ロザリアたちはこのままだと危険なのだ。とはいえ、ベルベー王国から出奔してきた彼女たちに、連中に提供できる『継続的な実利』はほぼ無い。どうしたものか……
「……いっそ帝都を出るか……」
「なるほど、旅行ですか」
おぉさすが密偵長、頭の回転が速い。新婚旅行、なんて文化は無いが、前例が無い訳でもない。幸い、協力関係となったのでロザリア側は受けてくれるだろう。
「あぁ。余はこの国の実情をあまりにも知らなすぎる。卿らからの報告では限界もあったしな……だからもともと、国内を回りたいとは思っていたのだ。それが今回は婚約者同行になっただけだ」
俺はこの世界の知識をほとんど持たない。平民の生活も、そして貴族の日常も。実権を握って何もわかりませんじゃ話にならない。
内政も外交も、そして軍備も、まずは知るところから始める必要がある。一国の命運を左右するのだ。前世の知識だけで物事を考え、失敗してしまっては目も当てられないからな。
ある意味、このタイミングは都合がいい。ロザリアを宮廷という危険地帯から遠ざけられる上、『好きな子相手に舞い上がってる子供』と見てもらえるだろうしな。
「反対か?」
「いいえ。それ自体には反対致しません」
つまり内容次第と。まぁ、そうだろう。これにはいくつもの問題がある。
「挙げられる問題点は三つ。一つは『宰相と式部卿が同意するか』という点。二つ目は余が『ロザリアの言いなりになっている』と見られないかということ。三つめは『中立派を利する行為』と見られないかということ……だろ?」
さて、今回の俺の目的は「国内を見て回る事」だ。であれば、それ以外は全て捨てようと思う。そうしないと危険だからな。
「まず、『一か所』を除いて余が向かう先は宰相と式部卿に全て決めさせる。これで一つ目と二つ目の解とする」
行き先を丸投げすることで、むしろ彼らは思い通りに俺を動かすことができる。見せたいところのみ見せ、見せたくないところは見せずに済む。
何かを得るには、何かを捨てなければならない。今回で言えば、ある程度利用されることは許容する必要がある。
まぁ、決められた通りに動くとは言ってないけど。
「そして三つ目の解。これは宮中伯、卿を帝都に置いていくことだ」
「なるほど……」
そう言ってしばらくヴォデッド宮中伯は考え込み始めた。
……なんだろう、初めて親に「友達の家泊ってきていい?」て聞いた時の感覚。そわそわするな。
「警護に関しては各地の密偵が利用できるので問題ないでしょう。私はなるべく帝都を離れないようにいたします」
良かった。許可が下りたようだ。
「あぁ、そうしてくれ。それとさっき言った『一か所』だが……あの二人が余の行き先を決めるとなれば必ず一か所目が揉めるな?」
二人とも、本音を言えば自分の所にだけ来て、相手の方には行かないで欲しいだろう。子供である皇帝の関心がいつまで続くかも分からないしな。突然「飽きた」と言い出し、打ち切る可能性だってある。
「えぇ、それは間違いなく」
「その一か所目を卿の提案という形で決めてくれ。余が前々から関心を持っていた場所を」
皇帝が以前から関心を持っていた、と言えば、そこが一か所目になってもおかしくないだろう。
「なるほど、テアーナベ国境ですか……となると、交換条件で二か所目はラウル公領かと」
傭兵の領土侵犯など、なぁなぁで済ませている現場だからな。取り繕うだろうが、ボロが出る可能性もあるので、宰相の弱みを少しでも引き出したい式部卿は頷くだろう。そして、ラウル公としては皇帝の行き先の一番二番を得られるのだ。悪くは無いだろう。
「その辺は任せたい。調整できるか?」
「お任せを。 ……ですが一点だけ。摂政への配慮も必要かと。定期的に帝都へはお戻りになるべきです」
あー確かに。放置してるとうるさそうだもんなぁ、あの人。
「わかった。定期的に戻り、冬も帝都に滞在するとしよう。代わりに数年がかりになるが……」
「問題ありません。報告があればファビオを行かせます」
「あぁ、よろしく頼む」
さて、あとはあの二人を呼んでと……
※※※※※
また皇帝のわがままが始まった、と誰かが呟いた。
「せっかく帝国に来たのじゃ、もっと余の国を見て回りたいであろう」
「えぇ、それはまぁ……」
少し困った表情を浮かべるロザリア王女の様子に気づかぬまま、皇帝は呼び出した二人の大公にこう命じた。
「余はロザリアと国中を回ろうと思う。行き先はお主らで決めるがよい。余とロザリアが楽しめるよう、しっかりもてなすのじゃぞ」
後に『我儘帝の巡遊』と呼ばれる一連の旅路は、こうして始まった。
そしてその旅の終わりと共に、歴史は激動の時代へと突き進むことになる。
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