王国の俊童と帝国の愚帝
「あー……陛下。ご報告に上がりました」
気まずそうな声が、窓の外から聞こえた。
「……三日前にかっこつけて出ていかなかったか?」
それとも、たった三日で報告するような事態が発生したのだろうか。
「ファビオ」
「早めに知らせておくべきことが……ありまして。今、大丈夫ですか?」
随分と言葉に詰まっている。どこかの国でも滅んだか。
「ティモナと剣術の稽古をしていただけだ。問題ない」
最近はヴォデッド宮中伯が忙しい分、ティモナが稽古をつけてくれる。ちなみに一度も勝てたことは無い。ヴォデッド宮中伯にも勝てるビジョン見えないし、もしかして俺、剣の才能全く無いのでは。
「陛下」
ティモナに声をかけられ振り返ると、銀のコップが差し出される。
……銀色のって意味じゃなくて、本当に銀でできたコップだ。この世界でも、銀は「毒で色が変わる」と言われている。俺の場合、常に対毒用に開発した魔法を展開しているから必要ないんだが。
まぁ、銀製品以外の食器なんて宮廷には無いから仕方ないね。
「あぁ、ありがとう」
ちょうど運動後で喉が渇いていたので、口をつける。今日は麦茶らしい。
そう、この世界……というかこの国では、麦茶や緑茶が一般的に飲まれている。
上流階級の飲み物がハーブティーや紅茶といったところか。だが貴族でも、普段の飲料水として麦茶や緑茶を飲む。西洋系の容姿の人間が、ぐびぐびと緑茶を飲む光景はちょっとシュールだ。慣れたけど。
その辺も、前世の常識で判断しちゃいけないってことだな。逆に前世のヨーロッパで生産されていたオリーブとかは、この世界では未だに見たことが無い。もしかしたらオリーブ自体、この世界には存在しないのかもしれない。
「さて、報告を聞こうか」
麦茶を差し出したティモナも、そのまま俺の隣に控えている。これは自分も報告を聞く、という意思表示か。
「実は……まもなくロザリア王女が宮廷に上がられると。突然決まったので、ご報告が遅くなりました」
……きゅうていに、あがる?
「どこの」
「勿論帝国の宮廷ですよ」
「あがるって」
「婚約者としてこちらで生活なさるようですね」
「……いつまで?」
「そりゃずっとじゃないですか? 婚約者なんですから」
……なんで?
「なんで?」
「さぁ……」
えぇ……何にも分かんねぇよ。どうすりゃいいんだ、これ。
***
三日後、本当にロザリアは現れた。
「お久しぶりです、陛下」
満開の花を思い起こさせる、可憐な笑顔を浮かべる。またしばらく見ないうちに綺麗になってるな。これが成長期ってやつか。
「うむ、久しいの。息災のようで何よりじゃ」
「はい!」
場の雰囲気にそぐわない、嬉しそうな声色のロザリアに、宰相が表面上は笑顔で尋ねる。
「殿下、本日よりこちらに住まわれるとお聞きしましたが、本当にございますか」
そう、今俺は謁見の間の玉座に座っている。
階段で高くなっているところから君主が見下ろしてくるっていう典型的な謁見の間に、これまた捻りのない金ピカな玉座の組み合わせ。ちなみにこの椅子、俺の成長に合わせ何度も作り変えられるらしいぞ。うーん、無駄。
しかも俺から見て左側に宰相派貴族連中、右側に摂政派貴族連中が並んでいる。俺の知る限り、初めてだぞ? ここまで大所帯なの。
雰囲気は「圧迫面接」のそれだ。
とはいえ、この場にいるのはたまたま帝都に滞在していた上位貴族だけだ。宰相と摂政はいるが、式部卿とか真聖大導者とかは不在である。
「はい。帝国のしきたりや暮らしに慣れるのに、早過ぎるということは無いと思いまして」
宰相の問いにロザリアが答える。前から優秀だと思ってたけど、なかなか言うねぇ。
何せ、ロタール帝国時代の宮中儀礼を簡略化した帝国より、当時から続くベルベー王国の方が、その辺はよほど厳格で複雑だ。
つまり今の一言、あからさまな建前なのだ。これは「本音は別にありますよ」と言っているのと同義だ。
案の定、貴族たちの目の色が変わった。そもそも、今日これほど貴族が集まったのは、ロザリアを通してベルべー王国の『目的』を探る為だ。前回もその前も、ロザリアには「外交官」としての役割があったが、今回は「これから宮廷に住まう」としか聞かされていない。ベルベー王国の思惑、目的が不透明なのだ。
派閥間のパワーバランスに敏感な貴族共が立ち並ぶのも当然だな。部屋の空気最悪だけど。
何が言いたいかというと、目の前で起きているのは完全な「外交」なのだ。片方は11歳の少女、対するは魑魅魍魎の貴族共。どう見ても不公平な図だが、それが外交とも言える。
そしてそれを傍観する皇帝。
ううむ、かっこ悪い。だが傀儡なので援護はほぼ無理だ。
「あら、立派な心掛けですこと。それで、ベルベー王は何かおっしゃってまして?」
俺の右隣にいる摂政がロザリアを問いただす。いきなり本題に入るとは、相変わらず堪え性のない人だな。まぁ、この謁見が早く終わってほしいのは俺も同じか。ババアの香水で鼻が曲がりそうなんだよね。
ちなみに、今の摂政の発言は帝国だから許される。「国王陛下」と言うべき所を、「ベルベー王」と敬称もつけずに呼んだのは、「帝国の方が格上である」というメッセージに他ならない。
……流石に、その位のことは考えて発言してるよね? 摂政。
さて、ロザリアはどう答えるだろうか。この答えがベルベー王国の答えと見なされてしまうだろう。下手な回答は正に、外交問題へと発展する。
仮に、ベルベー王国がどちらかの派閥を支持したとしよう。この場合、実は支持された方の派閥が不利になる。何故なら派閥争いに口を出すという行為は、内政干渉に他ならないからだ。貴族というものはそういう「他国からの干渉」を嫌う。多くの貴族が「支持されなかった方」に流れるだろう。 ……自分たちは散々やる癖にな。
ちなみに、何も言わず非公式に支援だとか、妨害だとかはどこの国も日常的にやっている行為である。言わずにやるのは、いくらでもしらばっくれることができるからな。悪印象は持たれても、問題にはされづらい。だが、実際に干渉する気が無くとも、そう受け取られる回答をした場合、それは「内政干渉」と見なされる。
だからと言って、ここで「中立」とアピールするのも不味い。
中立には二種類の意味がある。一つは、天秤が傾いたら「勝者」に追従する「風見鶏」としての中立。もう一つは「第三勢力」としての中立だ。ベルベー王国が中立と言った場合、間違いなく後者と判断されるだろう。
確かにベルベー王国は帝国と比べたら小国である。だが、一国なのだ。結婚相手の母国に骨抜きにされ、事実上の属国となる話は珍しくない。今回の場合、帝国とベルベー王国の間には隔絶した国力差があるため、ベルベー王国によって帝国が支配されることは絶対にない。だが、皇帝がロザリアの言いなりになってしまう可能性はある。
何せ貴族たちは自分たちの言いなりにすべく、俺にまともな教育をしてこなかったから。 ……自業自得だと思うぞ。
まぁともかく、ここで安易な「中立宣言」は「第三勢力として介入する」という意味になる。実際にどうするかでは無い。どう受け取られるかが問題なのだ。同様の理由で「有耶無耶にする」とかもダメだろうな。
この場にいるほぼ全員の視線を受ける中、ロザリアは平然としていた。
「陛下は『他国の事情に介入をする余力はない』とおっしゃっていましたわ」
ふむ、まぁそうだろうな。現状、唯一国境を持つ隣国が宿敵であるベルベー王国に、他国の政争に介入する余力は無い。
だがそれでは足りない。その中立は「いつ敵に回るか分からない中立」だ。常に派閥争いをしている連中ならこう考える。「いつか敵に回る可能性があるなら、今のうちに潰してしまおう」と。
「ですが……」
そこで再び口を開いたロザリアは、笑顔を浮かべてこう言った。
「我が国の問題を解決してくださるなら、全面的に支援しても良いとお考えの様ですわ」
……なるほど。この場合の問題とはトミス=アシナクィのことだろう。それを「解決」ということはつまり、「トミス=アシナクィを潰してくれた方に味方する」ということだな。
これは上手い。思わず感嘆の声を上げそうになるくらいに。
先ほどまでの「中立」は、どちらの派閥に味方するか、あるいはしないのかロザリア側に決定権があった。だからこそ、「いつ敵に回るか分からない」と見られてしまう。だが今、ロザリアは味方になる条件をあらかじめ宣言した。もし味方にしたいと考えたなら、トミス=アシナクィを潰せばいい。そうでないなら放置すればいい。
つまり、決定権は宰相派・摂政派側へと委ねられたのだ。
これにより、ロザリアは味方にしようと思えば「いつでも味方にできる中立」になった。現状ではベルベー王国を味方にするメリットと「出兵」というデメリットを天秤にかければ、デメリットの方が明らかに大きい。だがこの先もそうとは限らない。両派にとって、状況が変わった際の手札の一つとなったのだ。
その上、トミス=アシナクィを潰すためにはその手前にあるテアーナベ連合を討伐しなくてはならない。つまりどちらかの派閥が「味方にしたい」と考えても、実際に条件を満たすまでには時間がかかる。なら、潰すとしてもその時で良い。
ベルベー王国にとっても、旧領全土の奪還は悲願である。全面的支援の見返りにも納得がいく。
この娘、有能すぎる。こんな王女を育てるとは……ベルベー王は才気あふれる人物に違いない。
「殿下」
再び宰相が口を開く。
「先ほど殿下は『早過ぎることは無い』とおっしゃられましたが……残念ながらそうは思えませんな」
どうやら宰相をはじめとする貴族たちにも、中立である件は納得されたらしい。だがもともと、ベルベー王国側に何か思惑があってロザリアが来たのではないかと疑われており、ベルベー王の考えを問われた訳だ。
先ほどの回答はロザリアが帝都に来た理由にはなり得るが、帝都で暮らす理由にはならない。ベストな回答ではあったが、メッセンジャーとしての役割なら、もう帰国するはずである。
正直、何で急に宮廷で住もうと考えたのか、俺も気になっている。
「我々には余裕が無いのです。介入する余力も無ければ、二番手に甘んじる暇も無いのですわ。私はこちらに住まわせていただきますが、その時は一度戻る予定ですの」
……ふむ。つまり、事前にどちらかの派閥に肩入れし「多大な見返り」を狙うことは無いが、派閥争いに決着がついた後は真っ先に勝者と手を結びたい……ということか。
当然、宰相派と摂政派の派閥争いに決着がつくとしたらここ帝都であろう。だから帝都に住む。なるほど、道理は通っている。
まぁ、この辺で十分だろう。
「宰相、もう良いのではないか」
ロザリアは確かに余裕そうに見えるが、まだ11歳なのだ。疲れでボロが出る前に切り上げるべきだろう。
「余はそろそろ戻りたいぞ」
この幼帝はただ玉座に座る事すらできないのか……と、呆れの目を向けた宰相が、渋々ながら許可を出したのでお開きにする。
「ご苦労であった、下がってよいぞ!」
静かに、美しい所作で一礼すると、ロザリアは下がっていった。うん、やっぱりベルベー王国の方が宮中作法は厳しそうだな。
お、貴族共が「王女と比べてこの皇帝は……」みたいな目で見てくる。だからそうなるよう育てたのは君たちだって。いい加減自分たちの罪を自覚して? 許さないけど。
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