東方大陸の二大国家(共に末期)
東方大陸のほぼ中央に位置する天届山脈。その名の通り、天まで届きそうな険しい山々が連なった要害だ。その為、軍隊でこの山脈を越えることはまず不可能である。
故に、この大陸の歴史には常に二つの流れに分類される。すなわち、『天届以東』か『天届以西』かである。
『天届以西』の中心が「帝国」であるならば、『天届以東』の中心は「皇国」である。この二つの大国を中心に、東方大陸の歴史は進んできたと言っても過言ではない。
ヴォデッド宮中伯曰く、この東西の流れには一定の共通性があるという。ロタール帝国が崩壊しはじめた時、そしてブングダルト帝国が成立した時、それぞれほぼ同じタイミングで皇国に「王朝交替」が発生した。現在は「テイワ朝」皇国である。
そして帝国の崩壊が進みつつある今、皇国においても大きな動きがあったようだ。
***
皇国は聖一教聖皇派を国教とする。この聖皇派の宗教的権威は『聖導統』と呼ばれ、強大な権力を握っていた。皇国の歴史は「皇王と聖導統の対立と協調の歴史」と言われるほど。
しかし現王朝『テイワ朝』は、この『聖導統』の権威を大幅に抑えることに成功した王朝だ。それまでの王朝は、聖導統が認めて初めて「皇王」と名乗ることが出来た。認められない場合、「王」としか名乗れず、権力基盤が弱いと見なされ諸侯の離反を招くことに繋がった。この『聖導統の権威』を抑えたテイワ朝は、安定した権力基盤を形成し、着実に中央集権化を進めつつあった……帝国とは比べ物にならないほど。
だが当然、問題もあった。
それまでの皇国において、政治を担っていたのは聖職者であった。彼らは『伝導学校』で幼い頃から最先端の教育を受けており、さらに聖職者は封建貴族とは違い、皇国そのものと一心同体であった。何せ『聖皇派』を国教にしているのは皇国だけだからな。裏切りの心配も無く、重宝されていた。
しかしテイワ朝は、聖職者が政治の中心にいるから『聖導統』の権威が大きくなると考え、彼らを政治から遠ざけた。しかし政治を担う人間は必要である。そこでテイワ朝では、貴族がこの任に着くこととなる。
まぁ、どちらがマシかは一概には言えないだろう。聖職者は皇王と対立することはあっても、皇国を裏切ることは無い。貴族は皇王に忠誠を誓うこともあるが、皇国を裏切ることもある。
さて、聖職者を政治から排除することで権力を強化したテイワ朝の「皇王」であったが、ここ数十年はその権力を急速に低下させている。理由は簡単。聖職者に代わって政治を執り行っていた貴族……いわゆる「宮中貴族」が力を持ち、皇王の権威を脅かすようになってきたからだ。
そして現宮宰……「宮中貴族」の代表格は、「皇王を超える権力」を持つという。これに対し、現皇王である、テイワ朝第11代皇王ヘルムート2世は俺と似た立場だ。
そう、傀儡である。
宮中の全権を取り仕切る宮宰、ジークベルト・ヴェンデーリン・フォン・フレンツェン=オレンガウはクーデターにより前皇王を放逐した男だ。そんな彼の手によってヘルムート2世は即位した為、実権はほとんど宮宰が握っている。
ヘルムート2世は即位した時から宮宰を恐れていた。いつか自分も、前皇王のように玉座から降ろされるのではないかと。
そんな中、宮宰と『聖導統』が対立する事件が起きた。
放逐された前皇王及びその一族は、聖皇派教会に身を寄せていた。聖職者の政治復帰を目論む『聖導統』は彼らを支援。密かにクーデターを計画していたのだ。そしてこの動きを察知した宮宰は教会を焼き、クーデターを未然に防ぐことに成功した。
これを好機と見たヘルムート2世は聖導統と接近した。
そんな状況下で起きた事件、それが今回の「皇王出家騒動」である。
ある日、ヘルムート2世が突如として聖職者になると宣言し、教会に引き籠ってしまったのだ。皇国では、聖職者が皇王になることも、その逆もできない。事実上の退位宣言である。
もし本当にヘルムート2世が退位した場合、別の人間を皇王としなければならない。だがそういった皇族には、既に地方貴族の手が伸びていた。当然、待っているのはその「外戚」との政争である。
この選択は不利と判断したのか、宮宰はヘルムート2世に退位を断念するよう説得の使者を出した。ヘルムート2世は宮廷に戻る交換条件として、前皇王の弟など「クーデターを謀らなかった前皇王の近親者」を全て殺害するよう求めた。自身の「替わり」の傀儡を消せという要求である。そうすれば「自分が玉座から降ろされる恐れはない」と考えたようだ。
当然、彼ら皇族には「外戚」の貴族が付いている。ヘルムート2世の要求は「彼らと対立しろ」と言っているようなものだった。とはいえ、地方貴族が一丸となっているかといえばそんなことは無い。二つの派閥に「整理」されている帝国とは違い、皇国貴族の「勢力争い」は非常に混沌としているようだ。
これは中央集権化の弊害かもしれない。力のある「有力貴族」がいないせいで、派閥がまとまらないのだ。
まぁともかく、宮宰はこの要求を受け入れた。彼は前皇王の近親者たちを宮廷に呼び出すと、その場で殺害したのである。
自身が追放され新たな皇王を立てられるという心配がなくなり、安堵したヘルムート2世は宣言を撤回。宮廷へと戻った。
これがヴォデッド宮中伯より報告された、「皇国での大きな動き」である。
***
「それで陛下、この動きをどう見ます?」
窓の外にいたファビオが、俺にそう尋ねてくる。
「まぁラッキーとは思うかな。しばらく帝国への介入は無いだろう。皇国はこれから相当荒れるはずだよ」
話によると、テアーナベ連合独立の際も若干ながら皇国からテアーナベ連合への支援があったらしい。まぁ、帝国も皇国が周辺国と戦争する際、その周辺国に支援しているらしいし、どっちもどっちだ。この二つの大国が「仲良しだった時代」なんて、ロタール帝国時代から見ても存在しないからな。
「そうですか? ヘルムート2世は自身の対抗馬を排除した上に、宮宰の力を削げたんですよ? これからは彼に実権が戻ってくるのではないですか」
「問題はその『削いだ力』の行き先だよ」
残念ながら、ヘルムート2世が「自ら政治を執り始めた」という報告は受けていない。どちらかといえば「元の鞘に収まった」だ。
「まず、宮宰は『大義名分のない殺害』を行った。それも皇族相手にね。これまで味方だった貴族も宮宰とは距離を置くだろう。間違いなく彼は孤立する」
宮宰がクーデターに成功したのは、そもそも前皇王が「養子」であり、実子であったヘルムート2世を差し置いて即位したからだ。「正当な継承者に玉座を戻す」という大義名分があった。
だが今回は違う。騙し討ちの上、大義も名分もない。
「ヘルムート2世が命じた、というのは?」
「大義名分になると思うか? 傀儡の言うことなど。その上、口頭での要求だぞ」
「……傀儡はともかく、証拠が無いのは不利ですね」
……いや、俺も傀儡だからって気使わなくていいぞ?
「皇国は宮宰とその他の貴族で割れるな」
それは地方の統制が取れなくなるということと同義である。
「そして何より、ヘルムート2世と教会の関係が悪化する」
「聖導統が、ですか? ……しかし今回の件を見るに彼はヘルムート2世を支援しているように見えましたが」
確かに、聖導統は今回の「出家騒動」の当事者だが……問題はこの件の「結末」まで関わっていたかという点だな。
「考えてもみろ、聖導統の目的は何だ? 聖皇派の政治復帰だろう。その為に手を貸した。だが蓋を開けてみれば自分たちへ見返りはなく、ヘルムート2世は宮宰の傀儡へと戻ってしまった。教会を焼き討ちした宮宰の、ね」
「あぁ、なるほど。聖導統は現皇王に失望したと?」
「そういうことだ」
結局のところ、ヘルムート2世のやったことは中途半端なんだ。宮宰の力は削がれた。だがその「削いだ力」をヘルムート2世は手にしない。その分「反宮宰派」の貴族が力を持ち、聖導統はそれを支援するだろう。力を削がれた宮宰に担がれたままのヘルムート2世は、ぶっちゃけ自分の首を絞めただけだな。たぶん貴族たちは前皇王の血縁を探し出してきて担ぐ……つまり、皇国は割れる。
「ちなみに陛下が皇王の立場ならどうします」
うーん。皇国について詳しく把握している訳ではないからなぁ……まぁ、帝国の実情も把握できていないんだけどね!
「少なくとも、宮宰に皇族を殺させた後、それを理由に宮宰を討つかな」
「そうすれば実権を完全に掌握できますもんね……なんでそれをしなかったんでしょうか」
そう、ヘルムート2世の今回の企ては悪くは無かったのだ。あと一歩で政治を完全に取り戻せたのだから。ヘルムート2世が「殺害を命じた」という証拠が無い以上、宮宰を討っても貴族からは批判されない……どころか称賛を受けるだろう。そして皇国に「権威ある皇王」が誕生する。恐らく、それを期待して聖導統も協力したのだろう。
「それは前提の問題だよ。思い出してみろ、そもそもヘルムート2世は政治を取り戻すためにこの事件を起こしたんじゃない。放逐を恐れて、だ。つまり自分で政治を行うという発想がないんだよ」
実はこの考えの君主は意外と多い。まぁ、自分が頭使わなくても臣下が全部やってくれるのだ。そりゃ楽だろう。
俺は……そういう君主にはなれないだろうな。
王以外の生き方を知らないのであれば、もしかしたら許されるかもしれない。思うがままに振舞い、考えなければいけないことから逃げて、人に任せて……思考することを放棄し、君主としての贅沢を謳歌することも。
だが俺には前世の市民として生きた記憶がある。それを捨てて、君主として享楽にふけるつもりはない。そんなことするくらいならば、とっととすべてを放り出し、北方大陸で冒険者にでもなるさ。
「大国が傾き、周辺国はその利権を狙い動き出す。きっとこれから、その動きは加速していくだろうね」
本来、この国では15歳で成人と見なされ、即位式もそれ以降が「普通」らしいが……はたして、そこまでもつかな。
「きっと残された時間は少ない。死なない程度に働いてくれよ、ファビオ」
「こんなところで時間を使わずにってことですかね? 了解っと」
ファビオが肩をすくめた。
「……なんか、いい意味で砕けてきたよな、お前」
ホント、どっかの側仕人も見習ってくれねぇかなぁ。
「ご安心ください陛下。陛下は我ら一族の希望にございます……無論、身を粉にして働かせて頂きます」
ティモナの声真似をし、芝居がかった仕草で礼をすると、ファビオは夜の闇へと溶け込んでいった。
……希望、ね。
俺はヘルムート2世とは違う。必ず実権を取り戻し、俺の手でこの国を動かす。戦争も起こすことも、貴族を取り潰すことも、他国を滅ぼそうとすることもあるだろう。
その結果生まれるであろう犠牲とも、流れるであろう血とも、俺は向き合う。
その全てを背負えるだなんて思わない。この罪深い業は、俺一人で背負えるはずもない。だから死んだら地獄へ行くか、それに近い境遇に生まれ変わるだろう。
だがそれでも、皇帝が帝国の民に必要とされる限り、俺は罪を犯し続けよう。
俺を、希望や光と呼んだ者たちの為に。
いつも読んで下さりありがとうございます。
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