塔の歌姫
「なぁ、ティモナ。外行っちゃダメか」
訓練の無い夜、俺は窓の外を見ながらそう尋ねた。
「何かご用件が?」
「いや? ……ただ息抜きしたいって思ったんだよ」
俺は生まれながらの皇帝だ。だが、皇帝としての在り方しか知らない訳じゃない。むしろ、パーソナルな部分は前世の市民的感性が色濃い。幼帝として在るときは演技をしている俺は、自室にいる時間が『オフ』の時間……になれば良かったんだが、そうもいかない。一人でいる訳ではないからな。
いや、別にティモナに不満がある訳じゃない。単純に一人の時間が欲しい……正確には皇帝でない『オフ』の時間が欲しいなぁと思っただけだ。
きっとこの先、皇帝で在り続けるなら無くさなければいけない欲求だ。それはわかっている。
「……問題ないかと。ですが、くれぐれも痕跡等を残さないように」
「あぁ。じゃあちょっと行ってくる」
身の回りを諸々の結界で固めた俺は、窓から外に出た。
そして俺は、空を飛んだ。
いや、浮遊魔法とか飛行魔法とかが使えるようになったわけじゃない。相変わらず、重力だの空気抵抗だの、考えなくていい事を考えてしまい、出来ないでいる。
俺が今、空を飛んでいるのはある種の力技だ。
まず、物理防御の『防壁魔法』を作り、足場とする。これを魔力操作によって無理やり動かす。俺が空を飛んでいるのはこういう仕組みだ。ものすごい勢いで魔力を使うし、明らかに効率が悪いが……まぁ、たまにはいいだろう。
全身を吹き抜けていく夜風が心地よい。月も満月で綺麗だった。
ちなみに、この世界の月は地球の頃と明らかに模様が違う。パラレルワールド、と言うことは無さそうだと考える根拠でもある。
さて、そんな風に特に何も考えずフラフラしていた俺は、気づけば宮廷の東端近くにまで来ていた。目の前には塔がたっている。地下監獄に併設された塔で、皇太子ジャンの側室、ヴェラ=シルヴィ・ル・シャプリエが幽閉されている。皇太子ジャンと政略結婚が為されたのが、彼女が14の時だったらしいから、生きていれば24歳になる。
……こういう言い方をしたのは、彼女がどんな状態で幽閉されているのか、俺も知らない為である。というか、幽閉した本人も把握しているのか怪しいところがある。もしかしたらすでに亡くなっている……あるいは、それ以上に酷いことになっている可能性もある。
これも、俺が知っておかなければいけない罪か。
ちょうどバルコニーみたいなものもあるし、いるとしたらそこだろう。軽い気持ちで俺は、ゆっくりとそこへ向かっていった。
***
近づくにつれ、歌が聞こえてきた。
――まるで魂が、揺さぶられるような歌だった。寂しさや悲しさが込められた、透き通った声だ。
この世界の歌は、芸術教養の時間に何曲か聞かされた。そのどれよりも、上手いと思った。思わず聴き入ってしまう程に。ちょうど、目的地のバルコニー奥から聴こえている。
そっと、音を立てないように降り立つ。空気が震えていた。顔を上げると、窓には鉄格子がはめられていて、中は薄いランプ明かり一つしかなかった。ゆっくりとのぞき込むと、予想以上に室内は清潔だった。質素ではあったが、衛生環境等は悪くは無さそうだ。問題はこの部屋の主だが……
「だ……れ!」
気づけば歌は止まっていた。そして、自分より少し年上程度にしか見えない少女が、震えながらこちらをジッと見ていた。
あーマズい。普通にマズい。こんな所にいること、知られてしまったら……いや、でもこの様子、この少女も俺の正体に気づいていない? だとすれば、まずはこの警戒心剥き出しの少女と対話を試みねば。大声を出されて人を呼ばれたら尚更マズい事になる。
「良い歌だった」
その言葉はするりと出た。いや、今は褒めている場合じゃないんだが、なんだかまずは、その言葉を伝えなくちゃいけない気がした。
「あ……りが、とう」
歌の時とは違って、聞こえるかどうかギリギリの、小さな声が聞こえた。この小さな体から、よくあんな声が出るもんだ。
「あまりに綺麗な歌声だったからな。思わず引き寄せられてしまった」
「妖……精、さん?」
少女は首を可愛らしくコテン、と傾けた。
前世で何歳まで生きたか覚えていないが、少なくとも今世合わせて三十以上は生きている。そんな男に妖精さんは無いんじゃないかなぁ。犯罪臭がするよ。
「まぁ、そのようなものだ」
……いやいや、違うんだ。皇帝ってことがバレるのだけはマズいから、ぶっちゃけその設定でもいいなと思ってしまったんだよ。そして何より、可愛い少女が不安げに瞳を揺らしているんだぞ……否定できる訳ないだろ。
少女はホッと胸を撫でおろす。えぇ、それで安心しちゃうの? ……大丈夫かな、この子。防犯意識が薄すぎる。
まぁ、ここで急いで帰っても、却って怪しまれるだろう。俺はなるようになると、達観した心持で彼女と話すことにした。バレたら……うん。惚ければ宰相たちに怪しまれはしても、殺されはしないだろ。
「なんでこんな夜に歌ってたんだ?」
「あの……ね。ひる……まは、小鳥さん、とか。猫さん……がね、来て、くれるの」
たどたどしく少女は話す。
「でも……ね、夜は、独り、なの。だから……寂しく、てね」
それであんな悲しい歌を歌っていたのか。
「そうか……ところで、名前は?」
「ヴェラ=シルヴィ……です」
……つまりこの少女がこの塔に幽閉されている元側室……? え、話によると24歳のはずなんだけど。せいぜい13~4歳にしか見えない。
え、本当に?
再びコテン、と首を傾けるヴェラ。俺は咳ばらいをした後、動揺する心を押さえ口を開く。
「あーよし、素晴らしい曲を聴かせてくれたお礼に、何かしてほしいことはあるか? 力の弱い妖精だから、出来ることは限られるけど」
魔法でできることなら、何とかなるだろう。それで妖精として仕事を終え、さっさと離脱しよう。
「あの……お友達に、なって、くれる?」
……おぅ。それは一回では終わらないやつじゃん。それはちょっと……
「もちろん」
……違うんだ。こんな不安そうな目に見つめられたら、誰だって『はい』しか言えなくなる。
俺は悪くない。
***
それからしばらく、俺は鉄格子越しにヴェラと話した。どうやら14歳の時から、ずっとこの塔に幽閉されているらしい。彼女が幼児体型なのはそこから来る栄養不足の弊害だろう。そしてその幼さを感じる言動や、「妖精」と言われただけで警戒心を解いてしまう無知さとかも。さらに、どうやら緊張すると上手く話せない、極度の人見知りの様だ。歌を流暢に歌えるのは、それに集中していたからだろう。薄明りではっきりとは断言できないが、恐らく銀髪に瞳は緑だ。
「あの……また、来て、くれる?」
遠く東の空が少しずつ薄くなり始めた頃、彼女は不安そうな瞳でそう尋ねた。
「……そうだな。満月の日は、ここに来よう。そういう妖精だからね」
うげぇ、自分で言ってて恥ずかしい。幼帝演技して醜態晒してる時の、何千倍も恥ずかしい。
「ホント!」
心の底からの、可愛らしい笑顔だった。まぁ、俺としても少し気分転換になった気がするしな。 ……新しく妖精も演じなければいけなくなったが。
「次も歌を聴かせてくれ。そしたらそうだな……代わりに魔法を教えてあげよう」
きっと無駄にはならないだろう。まぁ、彼女は既に十分使える可能性もあるんだが。
俺に出来るのはその位だしなぁ、とその時は考えていた。
「歌は……もちろん。でも……魔法は、できない、よ?」
「できない?」
「うん……この部屋、封じられてる、から。 私も……教わったこと、無いし、できたことも、ないよ」
封魔の結界がこの部屋に?
言われた俺は空気中の魔力を練ってみる。 ……確かに、いつもより固い……か。バルコニーでこのくらいと言うことは、塔の内部には強力な封魔の結界が張られているのだろう。だがさっき……
……なるほど。もしかすると俺は、とんでもない逸材と出会ったのかもしれない。
「大丈夫、きっとできるさ。妖精だからね。それじゃあ、また次の満月の夜に!」
そう言って俺は、手を振りながら、自室に向けて飛んでいく。
それまでに初心者向けの魔導書とか読んでおくべきか……? うーんでも借りる算段がなかなかなぁ。
そんなことを考えながら、俺は誰にもバレることなく部屋に戻ることに成功した。
ちなみに戻りが遅くなったことについて、ティモナからお咎めは無かった。 ……むしろ怖い!
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