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【閑話】ナディーヌ1



 ワルン公リヒター・ドゥ・ヴァン=ワルン。彼の母、オリヴィアは皇太子ジャンの乳母であった。幼い頃から共に育ったリヒターにとって、ジャンは親友であり、かけがえのない主君だった。

 そんな彼が戦死した(と、本人は思っている)時、リヒターは直前の戦闘で片目を失っており、後方で治療中であった。彼は今も、その時同じ戦場にいなかったことを、駆け付けることができなかったことを悔いている。


 実のところ、戦場を駆け、数々の戦果を挙げた皇太子ジャンは、多くの将兵から崇拝されていた。ワルン公の元には、そういった『ジャンの直臣』の多くが身を寄せている。

 彼らはジャンの息子であるカーマイン帝にも、多大な期待を寄せていた。故に、帝都からカーマインの噂が流れてくる度に、失望感と焦りが広がっていた。


 自身が政治を不得手とすることを分かっているワルン公は、宮廷から自ら距離を取った。かつてワルン公領の東西に隣接していた帝国貴族領は、皇太子ジャン戦死後の講和交渉において他国に割譲されてしまった。自領の守りを固めるためにも、中央の足の引っ張り合いに巻き込まれる訳にはいかなかったのである。

 その結果、幼帝カーマインには満足な教育が施されていないという。



 (ことごと)く主家に不義理な行為をしたと、このところワルン公は常々落ち込んでいた。


 そんな父を見てきたナディーヌにとって、カーマインは『父を悲しませる存在』だった。威風堂々とした父の姿に憧れ、心から敬愛するナディーヌは、父の落ち込む姿を見て、こう考えた。

「もっとカーマインがちゃんとしていれば。立派な皇帝になれば。そうすればお父様はきっと喜んでくださる」



「お父様、私が帝都へ行きます! 陛下と共に学び、少しでも()()()になるよう見張ってきます!」

 ナディーヌの帝都行きに、はじめワルン公は反対していた。奸臣共が巣食う宮廷に、大事な娘を送る訳にはいかないと。

 だがテアーナベ連合討伐の為に、両派の貴族の()()()()()帝都を離れたとの報告を受け、ワルン公は娘を送り出すことに決める。

 また、カーマインが死にたくないと駄々をこね出陣を拒否したことは、ワルン公にとって許しがたい事態であった。かつて共に戦場を駆けた親友(主君)の息子が、「死にたくない」を理由に出陣を拒否するなど、かつての主君(ジャン)に申し訳が立たないと考えたからだ。


 できることならば自ら帝都へ(おもむ)きたかった。しかしアプラーダ王国が何やら動き出したとの報告を聞き、その対応をせざるを得なかった。こういった事情で、ワルン公は渋々娘に託したのだ。



 ちなみにアプラーダ王国の動きは、宰相による「対ワルン公への牽制」である。()()()戦争に参戦され、影響力を高められることを恐れたのだ。 ……もっともそれを利用した商会もいるのだが。



 こういった事情により、ナディーヌの帝都行きは決まった。それが何者かの思惑であることに気づけずに……



***



 帝都に来る前からカーマインには良い印象を持ち合わせていなかったナディーヌだが、実際に間近で見るようになり、より一層その印象は強まった。


 ナディーヌから見たカーマインは、情けないの一言である。授業はサボり、日中は惰眠を貪り、その癖自分を年少者として、失礼な扱いをする。


 比較対象がワルン公であることも、同世代の男子を知らなかったこともあり、ナディーヌはカーマインに対する期待値が高すぎるのだが、それを本人は気づいていない。


「なんとしても真人間に矯正してやるわ……!」

 元来、意地っ張りであり負けず嫌いなナディーヌにとって、帰るという選択肢は存在しないのだった。



 そんなある日のこと、ナディーヌは性懲りもなく授業を抜け出すカーマインを見つけた。


「どこへ行かれますの!」

 ナディーヌに怒鳴られた男は「げぇ」と小さく呟くと、隣にいた側仕人に声をかける。

「おい、あれどうにかしてくれ」

「かしこまりました」


 皇帝の側仕人がナディーヌの前に立つと、彼女は少しだけ身を竦ませる。彼女はこの男の無機質な目が嫌いだった。カーマインの一言さえあれば、自分のことなど一思いに斬ってしまいそうな目が。


「……なによ」

「陛下はこれより乗馬に向かわれます。些事に関わっている暇は無いのでお下がりください」


 その言葉に、ナディーヌは手を力いっぱい握りしめた。

「些事ですって……? 授業が、私のことが些事だって言うの……?」

「そう言っております。お下がりください」

 ナディーヌは泣きそうだった。自分の努力が、父の思いが、無意味と言われたのだ。



 後ろで、うわぁと言いたげな表情を浮かべた男がいた。カーマインである。試しにティモナに任せてみれば、考えられる限り最悪な対応をするではないか。

(でもこれで確定したな……この男(ティモナ)、ナディーヌの事嫌いだわ)

 カーマインはそう考え、ナディーヌの相手は自分でしようと心に決めた。



 実際のところは、ティモナにとって大抵の人間は興味の対象外である。意図的に好悪を抱かないようにしていると言ってもいい。それは主君の行動に柔軟に対応できるようにと、ヴォデッド宮中伯から最初に教えられた「心がけ」である。故にナディーヌに対しても、特に好悪を抱いてはいない。ただ、取るに足らない相手として「邪魔」くらいには思っているが。


「もうよい。行くぞ、ティモナ」


 ティモナや護衛を引き連れ歩いていくカーマイン。


 まるで、本当に自分のことを何とも思っていないかのような行動に、ナディーヌは奥歯を噛みしめる。

(諦めない……諦めるもんですかっ!)


 少女は一行の後を駆けていく。



***



 厩舎まで来たナディーヌに、カーマインは改めて呆れた表情を浮かべた。

 だが目が合えば、また何か言われそうだと考えたカーマインは、すぐに目を逸らし、馬へと向かった。



 ここまで付いて来たは良いものの、ナディーヌは動けずにいた。実のところ、ナディーヌは生き物が苦手であった。何を考えているかも、どんな行動をとるのかも分からない相手は、どうすればいいか分からなくなり、身が竦んでしまうのである。

 今、カーマインに怒鳴れば馬が暴れたりはしないだろうか。生き物を驚かしてはいけないと聞いたことがあるナディーヌは、カーマインに言いたいことが言えずに戸惑っていた。


 するとカーマインが馬の手綱を引きながら出てきた。馬に乗ったところで、彼は何か思いついたかのような表情をし、ナディーヌに声をかける。

「お主も乗るか?」

 いっそのこと共犯にしてしまえば文句も言えなくなると考えたようだ。

「いいわ」

 馬に乗れないナディーヌは、そう短く答える。そのことを察したカーマインが揶揄(からか)うような声色で言った。

「何じゃお主、馬に乗れぬのか」


「別にいいわ! 乗りたくなんて無いもの!」

 ナディーヌは思わず叫んだ。顔は真っ赤に染まっていった。

 カーマインに出来て自分に出来ないことがある。それはまるで許しがたい恥辱かのようだった。カーマインを更生させるには、自分はカーマインより優れていなければならない。なのに自分が劣っていては、大好きな父の頼みを果たせない。


「仕方ないのう。ほれ、そこの台に乗って手を伸ばせ」

 その時だった。カーマインがナディーヌに手を伸ばしたのは。


「……何よ」

「乗りたいのじゃろ? この馬は大人二人乗せても平気じゃからな。お主を乗せたところでどうと言うこともない」

 ナディーヌはしばらく逡巡した。実のところ、ナディーヌはカーマインが馬を撫でる時の表情が気になっていた。穏やかで、まるで馬と会話しているかのような表情が。


 しばらく悩んだ後、彼女は皇帝の手を取った。




「ちゃんと余を掴めよ。落ちたら助けてやれないからの」

 二人は子供の為、背丈にほとんど差が無い。よってナディーヌはカーマインの後ろに乗っていた。いくら護衛がカーマインの馬の手綱を引くとはいえ、前が見えないのは危ない為である。


「危ないからもっとくっつけ。腕に力入れて余に掴まれ」

 ナディーヌは、同世代の男子とこれほど密接したことが無かった。だがそれが気にならないくらい、初めて馬に乗ることに緊張していた。目をぎゅっと瞑っていたナディーヌは、言われるがままに力いっぱい、自分と変わらない背丈に掴まった。


 するとカーマインは、馬に速足をさせた。


 風が二人の頬を撫でていく。ようやく慣れてきたナディーヌは、少しずつ目を開けていった。

「どうだ。心地よいか」

 カーマインに問われたナディーヌだが、実のところ、そんなことを気にする余裕は無かった。だがいつも通りの強がりを発揮した彼女は、黙って頷いた。


「そうか。だがそこからでは前の景色が見られぬだろう。見たければ自分でも騎乗の練習をするのだな」

 そう言って、カーマインは続ける。

「あのワルン公の娘なのだ。馬くらい乗れなくてはな。きっとその方が公も喜ぶだろう」

「……あなたにお父様の何がわかるのよ」

 いつもお父様を悩ませるくせに、とナディーヌは心の中でそうぼやく。

「おぉ、ようやっと調子が出てきたの。てっきり余に掴まる不敬に委縮しておるのかと思ったぞ」

 そう言って声を上げ笑うカーマインに、抗議の意味を込めて、ナディーヌは掴まっている腕に力を込めた。だがさっきほどの力は、不思議と入らなかった。



 その姿はまるで、仲のいい兄妹のようだった。


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― 新着の感想 ―
[一言] だいぶだめな親子だな。何も見えてない悲しみ。
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