或る輝き
難産だった。
途中(※以下)三人称視点に変わります。
たくさん後悔をした人生だった。だから今世は、後悔なく生きたいと思っていた。
けど所詮、凡人でしかない俺には、無理なようだ。
翌日、いつの間にか投獄されていたティモナ・ルナンと、異端審問を受けていたフレデリック・ルナン男爵が解放された。
ティモナは軟禁中に相当暴れたらしい。頬の下に切り傷ができていた。
そしてルナン男爵には、宮廷医により治癒魔法がかけられた。帝国最高峰の治癒魔法のおかげで、身体の表面の傷はほとんど無くなった。
だが精神と、身体の内部は既にボロボロだった。
男爵は自身が異端であるという偽りの証言は最後までしなかった。もしされていたら、救い出すことは出来なかっただろう。
だが、男爵の身体は、精神は、既に死を望んでいる。諦めてしまっている。
……俺は、間に合わなかった。
「へいか」
「何じゃ、男爵」
療養中の部屋をティモナと共に訪れた後、ルナン男爵の希望で、俺だけが部屋に残っていた。
「まずは、かんしゃを」
男爵は話すことすら辛そうだった。だが、今の俺では自分の身体以外を、精密に治すことなんてできない。俺には、医学の知識なんてないんだ。
「へいかのおかげで、すくわれました」
「よせ、男爵……間に合わなかった」
もっと他に、出来たのではないか。たとえ違和感を抱かれようと、もっと早いうちに誰かから言質を取るべきだったのではないか。そもそも言質など得ずとも、動くべきだったのではないか。
「へいか、そのうえで、もうしあげます」
男爵は、そこで息を整えると、最後の力を振り絞るかのように、声を張った。
「なぜ助けたのです、陛下」
痩せ細った右手が、ベッド脇にいた俺の肩に乗せられる。その手は弱々しく震えていた。
「一人の臣のために動くなど、あってはなりません。貴方はこれから、何千何万の人々を殺し、そして帝国三千万の民を導くのです。目前の些事に動くべきでは、ないでしょう。あなたのその身には、三千万の人生が、かかっていることを、忘れるなっ」
「あぁ……そうだな。その通りだ」
動くべきじゃないのに動いて、結局救えなかった。俺は半端者だ。
「俺に、皇帝なんて」
あぁ、ずっと誰にも言えなかった弱音が出てしまう。
特別な存在になりたかった。けど皇帝に生まれようと、俺は凡人のままだ。
俺に、民の声に、応える力なんて。
「陛下」
男爵の手が、俺の頬を拭う。いつの間にか、泣いていたようだ。
「ですがそんな貴方に、私は希望を見ました」
「わからないよ。希望とか光とか言われても……どうすればいいか、本当は何もわからないんだ」
暖かい手だった。まるで、父のようだった。
「そのままでいいのです、陛下。思うがままに生きなさい。悩んで、迷っていいのです。きっと貴方は、正しい道を選べるのだから」
「……正しかったのか?」
俺は貴方を救えなかったのに。
「私は救われましたよ、陛下。私がどれほど救われたのか、貴方はご存知ないだけだ」
俺に何か、できるのかな。
「希望を運んでくる必要も、光へと導く必要もありません。陛下、貴方が希望であり、光なのです」
……困るなぁ。
「もっと具体的な助言が、欲しいぞ、男爵」
涙は止まりそうになかった。
頬に当てられた温かな手に、そっと自分の手を重ねる。
……あぁ、思い出した。俺は前世で、こんな風に父親を看取ったんだ。
「前へ。前へ進むのです、陛下。あなたの後ろに道はできる」
それが皇帝ですと、そう言って男爵は微笑んだ。
※※※※※
「へいか、むすことふたりで、はなさせていただけますか」
「あぁ、わかった。今呼んでこよう」
涙を拭い、切り替えたカーマインは、普段と変わらない様子で部屋から出ていった。
(それだけできれば上出来ですよ、陛下)
横たわるフレデリック・ル・ナン男爵は、満足気に瞼を閉じた。
フレデリック・ル・ナンは、アキカール貴族の三男に生まれた。上に二人の兄がいた彼は、中央の官僚となるべく、生まれた時から帝都で育てられた。
時は六代皇帝、エドワード三世の時代である。
史上類を見ない愚帝と評される彼は、その生涯において八度の大敗を喫した。帝国の財政と軍隊は、たった一代で食い潰されたのだ。
そんな狂った帝都で育ったフレデリックにとって、皇帝とは贅を尽くし、国を傾ける存在だった。
故にその息子、エドワード四世が即位した時、多くの貴族と同じく彼に希望を持っていた。
当時八歳だったフレデリックは、それから多感な時期を帝都で過ごし、エドワード四世の治世を間近で見てきた。やがて希望は失望へと変わった。確かに、エドワード四世は父親に比べればマシだった。だがその治世は、緩やかな衰退を止められるものではなかったのだ。ただ、悪政を敷いた父親に対する反動しかない男に、一度傾いた国を立て直す力はなかった。
上にいた兄二人が病に倒れ、男爵家の後継者として呼び出された時、フレデリックはちょうどいいと思った。会ったこともない兄二人への感傷は当然なかった。ただ、帝都に居ても未来はないと見切りをつけていたのだ。
やがて息子が生まれる。年の離れた妻そっくりの、ティモナと名付けた息子をフレデリックは溺愛した。妻が流行り病に倒れ、二人きりになってからは一層。
だがティモナが物心ついた頃、事件が起こる。
息子を連れてパーティーに出たフレデリックが、目を離した一瞬の隙に、ティモナは個室に連れ込まれたのだ。犯人はとある男色狂いで幼児愛者……いわゆる変態で有名な子爵だった。
そこでおぞましい体験をしたティモナは、男色文化を憎むようになる。
フレデリックは、息子を守れなかったことを深く後悔した。そして決意する。たとえ貴族社会で孤立しようとも息子を守ると。
以後、ティモナを筆頭従者……つまり男色相手にしたいという、上位貴族の誘いを断り続けた。
だが摂政より「皇帝が望んでいる」と言われたとき、これには従わざるを得なかった。断れば、不敬罪として処されてもおかしくない。男爵という身分は、貴族の中で一番下なのだから。
何より、カーマインの歳はまだ幼くそういった行為は暫くはしないだろうと考え、フレデリックは息子にこう言って送り出した。
「あくまで筆頭従者のようなものと言われただけなのだから、いざとなったら反抗しても良い」
フレデリックはいざとなれば自らの首を差し出す気でいた。もう病で余命僅かな命だ。どうせなら息子のために使おうと決めていたのだ。
そんなある日、とあるお節介な宮中伯からフレデリックは真実を聞く。皇帝の望みではなく、あくまで摂政の独断であったと。
故にフレデリックは初め、息子にただ事実を教えるために皇帝の講師役を志願したのだ。
講師役には簡単になれた。そもそもそのような面倒事を、したがる貴族などいなかったのだ。誰も皇帝という存在に、期待していなかった。
フレデリックもその一人である。ただ、溺愛する息子と同世代の子供が、満足に教育を受けられない現状に、ほんの少しだけ同情したのだ。
だから文字を教えた。圧力をかけられていようと、元から息子の件で嫌われているフレデリックには関係なかった。
教え始めてから、フレデリックの認識は一変した。幼い皇帝は、正しく現状を認識した上で、教育を受けていた。
興味のないことは、まるで興味があるように。興味があることは、さも無関心そうに。誰にも真意を悟らせないように、それでいて驚くほどの速さで知識を吸収していった。まるで大人を相手しているようだと思った。
カーマインに可能性を感じたフレデリックは、教会批判と取られようとも、自身の考えを伝えた。自分が異端審問を受けることも、その結果死ぬことも理解した上で。
その死によって、忘れられない記憶として残れば、皇帝の将来を決める一つの指針になるだろうと。それだけの、命を懸ける価値を、いつのまにか幼帝に見い出していた。
牢から救い出された時、フレデリックは呆れた。治癒されながら、詳細を例のお節介な宮中伯に聞かされ、なんて無茶苦茶な人なんだと思った。
(ちゃんと子供だったな)
割り切れない姿は、正しく子供であった。
だが同時にフレデリックはこう思った。人々を導く皇帝というものは、もしかしたらそんな、子供らしい純真さを残した者こそ相応しいのかもしれないと。
そして自分の考えが足りなかったことに、フレデリックは気がついた。将来の指針になるだなんてとんでもない。既にカーマインは、皇帝として完成している。
現状ですら、先代や先々代よりも良い統治者となるだろう。そしてその事に、ほとんどの人間が気づいていないのだ!
これほど愉快なことがあるだろうか。
(だからこれが、陛下に残せる最初で最後の贈り物だ)
「父上」
「ティモナよ。りかいしたか」
その一言で十分だった。そもそも、フレデリックが講師に来たその日、ティモナは真実を知っていたのだ。しかし一度植え付けられた警戒心はなかなか払拭出来ずに、以後もティモナはカーマインを警戒し続けていた。
また、余命僅かな敬愛する父と無理やり離されたことも、ティモナがカーマインに敵意を抱く原因であった。
「はい。陛下のことも、己の無力さも」
軟禁された翌日、事情を察したティモナは父を助けようと脱出を試みたが失敗。散々に暴れたため、拘束された上にかなり痛めつけられた。そして投獄され、父と共に救出されるまで、何も出来なかったのだ。
フレデリックは息子の頬にできた傷に触れる。
「おとこまえに、なったな」
「……牢から出た時、陛下からも同じことを言われました」
「ふっ。そうか」
それから真剣な目で、フレデリックは息子に伝える。
「陛下を支えるのだ。その為に全てを捧げよ。たとえ家名など残らなくても良い。血筋が途絶えても良い」
フレデリックは力をふりしぼり、声を震わす。
「命を懸けよ。それだけの価値が、輝きが陛下にはある」
「はい、父上。私が陛下の盾となり、剣となります」
決意を秘めたその瞳に、フレデリックは満足そうに小さく頷いた。
「本当に、男前になった」
その三日後、フレデリック・ル・ナンは息子に看取られながら、静かに息を引き取った。
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