章エピローグ
バクト丘陵の皇国軍は降伏した。彼らは皇帝によって奮戦を称えられ、その身柄は丁重に扱われた。
一方、敵の攻撃にろくに抵抗せずに逃亡した右翼軍の貴族、指揮官らは、尽く処刑された。彼らの醜態は帝国中に広められ、その遺体は帝国に還されることなく、その場に晒された。ヴォッディ子爵ゴーティエも、元ディンカ伯サリム・ル・ヴァニーユ男爵も処刑後、その場に晒されている。
……あぁ、流石にオダメヨム伯ボリスの遺体は帝国に送ったよ。罪人として帝都に晒すためにね。
そんな中、残念なことに……じゃなかった、幸運なことに、メヨムラル伯ヴァレールは生きながらえることになった。彼は右翼軍が潰走する前に気絶しており、捕虜として敵に捕まっていたのだ。その後、ローデリヒの軍が撤退する際に、村にそのまま置いていったようだ。
正直な話、別に殺しても良かったんだけど……他の貴族は「敵前逃亡」での処刑。一方で彼は、逃亡はしてないからな。しかも捕虜になった敵兵の証言で、メヨムラル伯が捕虜になったのも、降伏ではなく単純に「弱すぎて」捕まったということが分かったからな。
というわけで、今回は生かすことにした。まぁ、一人くらいはこういう幸運な奴がいてもいいでしょう。次はどうせ死んでるか、逃げて処刑になってるよ。
あと、右翼軍の半数近い数を占めていた傭兵らについては、一部を見せしめに殺したものの、大部分は許すことにした。雇い主が先に逃げたからという彼らの方便を一理あるとして認めたのだ。
彼らを殺すのは帝国に帰還する時だ。今処分すると、生き残りが敵側で雇われるかもしれないからな。
こうして、皇国の中枢部に向けての道が開けた連合軍は、道中の諸都市を落としながら北上を続けていた。
「陛下。また傭兵が、降伏した都市で略奪したとの報告が」
俺は軍中の馬上で揺られながら、もう何度目か分からない報告にげんなりとしていた。
「軍規違反だ。殺してその都市で晒せ。該当の傭兵団で略奪に参加しなかった者は近くの軍に編入させろ」
これは戦争だ。自軍が飢えるくらいなら略奪も命じるだろう。だが、命令外の略奪は許さない。
何より、帝国周辺で好き勝手暴れ回った傭兵共を、正当な理由で処分できる理由があるんだ。俺が見逃すわけないだろう。
「陛下、この先で霧が濃くなっているとのこと」
「……もういい時間だな。今日はこの地で野営とする」
ちなみに対皇国連合軍は、各軍約五~六千程度に振り分けられ、各地の諸都市を陥落させていた。これは皇国が大規模な軍を結集せず、各都市に防衛の命令だけを出しているからだ。
連合軍としては、一か所に部隊を集結させると進軍速度が低下する上、各都市で連携して増援などを送り合われかねない。同時に複数の都市を落としていくことで、彼らが援軍を送り合うことを阻止し、何より各都市にかける補給上の負担も少なくて済む。
そして大都市を攻略する際は、周辺の部隊を集結させてこれに臨む。そして敵が軍隊を集結させたという報告があっても同様の対応をするだろう。
連合軍はこうして、順調な北上を続けていた。このペースなら、来月には聖都か皇都に入城できるかもしれない。
「それにしても霧が濃いな」
まぁ今日はずっと天気悪かったし……ん? ここは近くに森がある訳じゃない。見通しの良い田園地帯だ。そんな開けた土地で、こんなにいきなり霧が濃くなるのか?
「っサロモン! サロモンを呼べ! 魔法兵に霧払いをさせろ! 全軍、臨戦態勢!!」
僅か過ぎて気づくのが遅れた……魔法の気配だ。
この霧が晴れるまで、四時間以上もの時間がかかった。それでも、俺が率いる重歩兵連隊は魔法兵連隊と行動を共にしていたお陰で、この霧に対抗することができた。
だが霧が晴れ、眼前に現れた光景に、一同は驚愕することになる。
「こ、これは……」
そこにいたのは、明らかに万を超える敵の軍勢だった。それが、帝国軍の皇帝がいる部隊を、いつの間にか包囲していた。
「これだけの規模の敵が集結しているなんて報告は受けていないが」
そんなことがあれば、連合軍は即座に対応して集結している。そのために、偵察や情報収集は徹底していた。
「ありえません。魔法による幻影でしょう」
そう断じる近衛長のバルタザール。それに対し、その場にいた老ゼーフェが言う。
「幻影であっても兵は動揺するのである」
ちなみにこの爺さんは、合戦の後も孫の連隊に戻らずに未だに本陣にいる……って、今はそんなことどうでもいい。
「どう考える、サロモン」
俺の言葉に、冷汗を浮かべたサロモン・ド・バルベトルテが答える。
「敵はこの間、ずっとこちらの霧払いに対し相殺の魔法を使い続けていました。まだ空気中の魔力は枯渇こそしていませんが……あれだけの規模の幻影魔法は、不可能かと」
だよな……多少の幻影で誤魔化している可能性はあるが、それよりも……。
「……周辺の各軍に通達。皇帝部隊、敵の包囲を受け危機的状況。至急集結せよ」
俺の命令に、異変を察したころから伝令を集結させていた宮中伯が、一斉に伝令を各地に派遣する。もっとも、この軍は包囲されている。彼らの内、たどり着けるのは何割か……一人もいないかもしれない。それでも、出さない訳にはいかない。
「総員、戦闘態勢だ」
俺の命令で、バルタザールとサロモンは自らの指揮する部隊へ戻っていく。
「馬鹿な……どこからこの数が湧いたのであるか」
老ゼーフェの疑問ももっともだ。周囲は見通しの良い開けた土地だ。鬱蒼とした森とかじゃない。
なら空から? いや、この数が空挺なんて絶対に無理だ。なら魔法か? いや、接近は霧で隠されたが、それ以前に魔法は使われてなかったはず。その場合は流石に気がつける。
後はあるとすれば……。
「村ですか」
ティモナの言うとおり、それ以外には考えにくい。
都市の攻略を優先している我々は、道中の村々を放置していた。もしその村々に少しずつ兵力を隠し、そしてその兵力を今、霧で視界を遮っている間に一気に集結させたのだとしたら……これなら、理論上は可能ではあるか。
だがそんなことは無理だ。霧が濃かったんだ……あの敵軍の中の数人くらいは、合流する前に霧に迷って、帝国軍の視界に入ってくるだろう。そもそも、道中の村に兵士が潜んでいる気配はなかった。戦慣れしていない村人は、村に兵士が潜んでいれば、無関心ではいられない。気にするか、誤魔化そうとするかは分からないが……絶対に意識はする筈なのだ。
だから兵の潜伏を村人に意識をさせないなんて、それこそ魔法でも……いや、待て。それを為せる手段に一つだけ心当たりがある。
「オーパーツ……」
俺は以前、見たことがある。他者の思考を操作する、洗脳系のオーパーツを。
「エンヴェー川の!!」
だとすれば、あり得る……この状況は。そして、最悪の状況だ!
「敵、来ます」
「応戦だ! 敵兵は洗脳されている可能性が高い。完全に殺すまで油断するな!!」
洗脳で死を恐れない兵士になっているかもしれない……あぁもう最悪だ。これだからオーパーツってやつは!
「これが敵の本命か!?」
六千の皇帝軍に、一万以上の敵が襲い掛かる。こうして俺は、何度目か分からない命の危機に陥る。
皇帝カーマインと、『狂人』テオ・フォン・ボルク。互いの命を懸けた死闘が、こうして始まった。




