二日目、三日目、そして……
「魔法兵中隊を増援に送れ」
皇帝軍左翼の銃兵連隊にも疲れが見え始め、それを立て直すために俺は予備兵を派遣するよう指示を出す。
「承知しました。ですが陛下、これが最後の魔法兵連隊です」
俺の命令を受けた宮中伯の回答に、老ゼーフェが聞いてくる。
「どうする、チャムノ公から回された予備に手をつけるであるか」
「……鈍足な兵ばかりだし、編成も一定じゃない。できれば使いたくない」
皇帝軍右翼のレイジー・クロームから救援要請が来た際、俺は即座に残った銃兵一個大隊を送ろうとした。だがそれに待ったを掛けたのは老ゼーフェだった。
彼曰く、重歩兵連隊はまだ耐えれると。それより、今予備兵を使い切る方がマズいとのことだった。だから俺は、右翼に『無理』と伝える伝令を送った。
それと入れ違いになるように、チャムノ公旗下の帝国軍の中でも、鈍足な兵を中心とする部隊が到着。合流したのだ。
彼らを予備兵として見なせるのであれば、老ゼーフェも右翼に援軍送ることに異論は無かった。俺は即座に銃兵一個大隊の右翼派遣を決め、丁度帝国軍を率いてきた指揮官、ヌンメヒト女侯にこの一個大隊の指揮を委ねたのである。
「彼らの再編は?」
「ある程度は終えたのである。しかし中隊単位で編成すると問題が起こりそうなのである。小隊単位で投入していくのである」
「……まぁそうなるか」
つまりより素早く、より細かく増援を送らないといけないのか……。今も結構ぎりぎりなんだけどな……。
この後の指揮が難しくなると予感したその時、宮中伯から報告がもたらされる。
「陛下、敵が一斉に後退しつつあります」
「一斉に? ……日没か!」
言われてみれば、空はいつの間にか夕日が差している。
「指揮に必死で、陽の傾きに気づいてなかったであるか」
気づいてるなら言えよお前……いや、別に日没で敵が退く保証もないのか。
「敵はどの方角に後退している?」
「東へ。我が軍から距離を取るように真っすぐです」
……なら追撃は不要だな。
「こちらも同時に下がるぞ! ケガ人は可能な限り回収。捕虜は取るな! まだ明日以降も戦いは続くぞ!」
***
「では改めて、戦況を説明します」
初日の激戦を終え、両軍ともに敵軍と一度距離を取った。仕切り直して、明日以降に備えるのだ。
そして日が完全に沈んで夜になった。偵察を密にして警戒はしつつ、兵たちには野営させている。今日戦った兵たちは、幸運にも怪我をしなかった者は疲れ果て寝静まり、怪我した兵は痛みに呻きながら休んでいる。
「我々はファブート村まで軍を退きました。そしてフローサ市、ティップ村は敵軍に明け渡す格好となりました」
チャムノ公が両軍の状況を整理していく。朝の時点では北に敵軍が、南側に連合軍が布陣する形だったが、現在は西に連合軍、北の丘陵と東に敵軍という状況になっている。
「エボックス村、ジュコイド村は一時的に占領に成功しましたが、バクト丘陵から砲撃を受ける距離にあることが判明したため、現在は放棄しております。ただし、その過程で村の防衛設備の破壊には成功しています」
……もしこの二つの村を確保できていたら、我々は敵主力を半包囲する形で一日目を終えられたんだけどね。そんな甘いことはないか。
「バクト丘陵の奪取には失敗」
「これは余の判断ミスだ」
同盟諸国軍に大きな被害が出てしまった。まさか、それほどまで強固な防御陣地を築いているとは……どんだけ前からこの戦場を設定していたんだ? 敵は。
「ミフト村は一時占拠し、集積されていた物資を燃やすことに成功。これにより、敵の補給状況はかなり悪化しているかと思われます」
これはエタエク侯が独断でやったらしい。相変わらず、勝利への嗅覚が尋常じゃない。
「そして敵主力はティップ村まで大多数が退きました。フローサ市も敵に奪還されましてが、最低限の兵しか入れていないようです。コレらと、バクト丘陵に籠る敵部隊……これが敵の全軍かと」
敵の騎兵部隊は、エタエク侯が壊滅させたらしい。この女は怖いくらい戦場で活躍するな、本当に。
「敵の活動限界は?」
「持って三日でしょうか。……エタエク侯、バクト丘陵を見た所感として、水源は少なそうだと?」
チャムノ公の確認に、エタエク侯が応じる。
「はっ! 恐らく簡易的な貯水池もないかと」
水事情は極めて重要だ。俺もシュラン丘陵籠るとき水の確保に苦心したし、水の不安があったから短期決戦を選択した。そう考えるとこの戦い、あの時とは立場が逆転した感じだ。
「となると……明日も敵は全力だろうな」
ただのにらみ合いでは終わらないはず。相手がどう仕掛けてくるか。
今の布陣を俯瞰すると、敵は北と東に軍を分散しているとも言える。可能性としては、東の主力がこちらの軍を拘束し、その間に北の敵軍が丘陵を捨てて挟撃……という可能性もある。その場合、敵は強固な丘陵を捨てることになるが……この敵になら十分にやりかねない。
そして分散している敵への対処としては各個撃破が常道だが、北の丘陵は堅すぎて先に撃滅するのは無理だ。かといって東の敵も、最低でも五万はいる。これを八万弱の連合国軍で殲滅というのは、あまりに現実的ではない。となると、安牌な選択肢は丘陵の警戒に一部の部隊を置いて、残りの軍で正面の敵主力と戦う……か。
「明日はこちらから仕掛けますか」
チャムノ公の言葉に、俺は深く考える。確かに、昨日は敵が仕掛けて機先を制してきた。明日も敵に仕掛けさせると、戦全体の流れを渡すことにもなりかねない。
だが、こちらが何か奇策を打って、それを完璧に対処されて返された時の方が苦しくなりそうだ。そもそも、現状は兵数・補給の観点からこちらの方が若干有利なはず。
「……いや、仕掛けて失敗した時が怖い。明日は敵の出方を窺って対応しよう」
むしろ何か仕掛けてきた敵に、適切な対処をした方が良い。こちらから仕掛ける必要はないんだ。まぁ、その裏をかいて仕掛ける選択肢もありだが、失敗した時のリスクを考えれば待ち一択だな。
こうして、一日目の戦いは終わり、二日目の戦いへと入っていく。
だが二日目……この日は予想に反して、敵は何も仕掛けてこなかった。こちらは丘陵の警戒に最低限の数だけ残し、敵主力との正面からの殴り合いに終始した。
とはいっても、何も仕掛けてこなかったと気付いたのは日没後だ。常にどこで何を仕掛けてくるのかと身構えて待っていた……が、最後までなく、ただの平凡な押し合いとなった。そうなれば帝国軍の方が数の優位がある分、有利な訳で。こうして二日目の戦いは帝国軍の優勢で終えた。
これはあれだな。互いに相手が何か仕掛けてくるだろうと思って、それに対応しようと待ち構えたら何もなかった……ってところだな。
そして三日目になると、初日に瓦解した右翼軍……その逃亡した貴族らがぽつりぽつりと帰ってきた。
……二日目に帰ってきてたら許してたんだけどな。流石に戻ってくるのが遅すぎる。
コイツらは戦いに負けたと思って逃げたものの、まだ皇帝軍などが戦ってると聞いて戻ってきたらしい。今更遅いんじゃボケ。
だが結果的に、これが最後の決め手になったらしい。本当に癪だけどな。
敵は自軍がこれ以上増援を見込めない一方で、帝国軍は時間経過で瓦解した元右翼軍が続々と戻ってくる。つまり兵力も増えていくということ。それでは勝ち目がないと判断した敵は、ついに撤退を開始した。
「陛下、追撃はいたしますか」
二日目以降、本陣に戻っていたティモナが、敵が撤退を開始したのを見て、俺に判断を仰ぐ。
「撤退している方角は?」
「南東方面です、陛下」
……あぁ、そういうことか。これはやられたな……まぁでもここまでだな。
「エタエク侯とペテル・パールを送れ。ただし、追撃も自己判断に任せる。無理はしなくていい」
我々の当面の目標は皇都、あるいは聖都だ。ヘルムート二世の復位に必要だからな。
そういった皇国の中心部に向かう上で、これ以上の消耗は避けたい。だが、タダで帰すのも癪なので、優秀な騎兵によってプレッシャーだけは与え続けることにする。
「それより、バクト丘陵は?」
「依然として抵抗を続けております」
ならそこを取りきって勝利を確定させよう。流石にローデリヒの軍を追撃するために、目の前のバクト丘陵という陥落間近の拠点をスルーするのは無しだ。物資の補給を許したら抵抗が長引いてしまう。
「残る全軍でバクト丘陵を包囲。兵糧攻めにする」
こうして、帝国軍は総勢二十万近い軍勢が激突したこの戦いに、勝利したのだった。
***
皇帝の命令の下、大部分の部隊が丘陵の包囲を行う中、俺は再占領したフローサ市の元城主の館で、宮中伯からこの戦場以外の報告を受けていた。
ちなみに元城主は、フィクマ・テイワの連合軍が接近した際、即座に城門を開け彼らに都市を明け渡したので、彼らの撤退後、帝国軍によって処刑され広場に晒されている。まぁ、帝国軍からすれば裏切り者だからしょうがない。
「……やはり、敵軍は皇国軍も含めてフィクマ大公領へ退いていったか」
まだ皇国から出てはいないが、明らかに進路がフィクマ大公国方面だ。
「対フィクマ方面に抑えとして残していた軍勢には、無理に仕掛けるなと伝えろ。そのまま見逃してもいい」
明らかに数的不利だからな。それに、あのローデリヒに勝てるとは思えない。
「連合軍右翼四万が潰走したとの報を聞いたヘルムート二世は、慌てふためき都市捨てて逃げたようです。ですが既に落ち着きを取り戻したとのことで、ゆっくりですが、こちらに向かってきております」
なーにやってんだあのバカは。戦場に出たくないって言って後ろの都市に籠り、しかも一万もの兵を持っていっといてさぁ。別にそのまま籠っとけば問題なかっただろうに。
「敵に都市を明け渡さなかっただけマシと考えましょう」
宮中伯の酷いフォローに頷く。まぁ、何の期待もしてないから別にいいけどさ。
続けてヴォデッド宮中伯が、少しだけ衝撃的な報告をする。
「それとこれは、先ほど確認しましたが……ニコライ・エアハルト、戦死です」
「……それは本当か?」
実は一日目が終わった後に、彼が行方不明で戦死したかもしれないという報告は耳に入ってきてはいた。だがそういった状況が確認できないくらい短時間での軍の壊滅であり、この報告はあくまで不確定情報だった。
てっきり誤報だと思ったんだがな……あの男のことだ、自軍が総崩れになった時点で、一目散に逃げたと思ったのに。
「はい。そして……これの確認に時間がかかった理由ですが、首が持ち去られておりまして」
「持ち去られた……ってことは、敵にか?」
まぁ、一応は大将首か。そうか残念だ……あのバカはあのバカで、使い道が色々とあったというのに。こんなにあっさりと死んでしまうとはなぁ。
「その上……残った遺骸も過剰なまでに切り刻まれ、晒されておりまして。本人かどうか確認する必要がありました」
「えっ」
そこまでする? そんなの、余程の恨みがないと……。
「……あ」
いや、そっか。ローデリヒって、政争で一族みんな粛清された中、たった一人生き残った皇国の元皇族だった。しかもその粛清を指示したのはヘルムート二世だ。ならばその息子であるニコライ・エアハルトを憎んでいても可笑しくはない。
「あの男、言葉とは裏腹にきっちりと復讐はする訳か」
復讐とか興味ありませんって顔しておきながら、やることやってんなぁ。
……あれ、でも今の皇国ってヘルムート二世の子供たちを担いでの政争だよな。ってことはもしかして、ローデリヒの目的は……うわぁ。もし成功したら歴史に名を残すな。
「……これは面白くなるな。宮中伯、ニコライ・エアハルトの死体の状況などは隠せるか」
「可能です。行方不明という事にしましょう」
「頼む」
上手くいけば、帝国が撤退した後も戦乱の火種をこの地に残せるぞ。
「しかし……そうか。ご苦労だったな宮中伯。嫌な思いをさせてしまった」
ただ時間がかかっただけでなく、刻まれた遺骸が本人かどうか「確認する必要があった」と宮中伯は言った。つまり、彼が持つ能力で死者の記憶を覗き見て確認したってことだ。
普段は何事にも平然としている宮中伯だが、その能力を使う瞬間は猛烈な嫌悪感と憔悴を隠そうとしない。相当な苦しみなのだろう。
「勿体ないお言葉」
「ですが陛下、何の発表もしないという訳にはいきません。我々は旗印の一つを失った訳ですから」
俺はティモナの言葉に頷く。
「あぁ。だから右翼……貴族軍とニコライ・エアハルトの醜態は盛大に喧伝しろ。彼が逃亡後、行方不明であることもな」
醜態は事実だし、彼の死を俺のせいにされても困るしな。
「承知いたしました。しかし……ヘルムート二世が騒ぐでしょう」
「あぁ、そりゃね」
そもそもヘルムート二世が皇位を追われたのって、やらかしたニコライ・エアハルトを庇った結果だしな。しかも兄弟とは違って帝国に亡命する時まで一緒についてきた、ヘルムート二世にとっては孝行息子だったわけだ。そのニコライ・エアハルトはヘルムート二世のことを利用しているだけだったけど、それを理解してないくらいの馬鹿だし……騒ぐだろうなぁ。
「まぁ、丁度いいな。大体、どっちも戦場を舐め過ぎだ」
戦場に出さなきゃいいのに出すから……まぁ、一人はもう死んでるから言ったって意味ないけど。
「陛下、チャムノ公からご報告があると」
「ほう」
クソ真面目なチャムノ公が、任された丘陵の包囲を放置して俺の所へ来るとも思えない。つまり丘陵の方で何か進展があって、その判断を仰ぎに来たんだろう。
「ここに呼んでくれ。ティモナ、公に何か飲み物を」
ちなみに、この館で働いていた人間は全員追い出しているし、元からあった食器、飲食物などは全て手をつけていない。だから大したもてなしはできないが、まぁ何も無いよりはマシだろう。
そしてやってきたチャムノ公から、俺はバクト丘陵についての報告を受ける。
「守将ウィッシーブ伯より、命を保証してくれるのであれば降伏するとの使者が来ました。陛下の判断を仰ぎたく」
「なんだ、そんなことか。構わんぞ……いや、元帥の言いたいことは彼以外をどうするか、か」
ティモナが淹れた紅茶が、チャムノ公の前に置かれる。わざわざ帝都から持ってきた道具の一式で淹れている。皇帝とその周囲の人間に許された特権だな。
「はい。いかがなさいますか」
「許してやれ。この軍の名目は、侵攻ではなく皇王の復位なのだからな……皇国兵とは不幸なすれ違いで戦うことになった、という事にしておけ」
帝都から遠く離れた敵地で、余計な敵は作る必要はない。
「しかし、これで皇都への道がひらけたな……元帥も、良い働きだった。流石だ」
俺はそう言って、チャムノ公を褒めたたえる。実際、今回の彼の働きには満足している。これはお世辞抜きの本心だ。
「いえ……」
だがチャムノ公の反応は微妙なものだった。
「どうかしたか?」
「いえ……一つ、お聞きしたいことが」
なんだろう、改まって。
「なんだ」
「この戦い、敵に内通者がおられたのですか」
……あぁ、チャムノ公の気になっていることが何となく分かった。
「いいや、全く。 ……それにしては、違和感があったか?」
「はい。まるで敵の動きが分かっているかのようでした」
うーん、鋭いなチャムノ公。鋭すぎるよ。
「何というか……この戦いは、剣術でいう『型』のようなものに沿っていたのだ」
前世の記憶がある俺は、記憶している前世の戦史から、似た状況を引っ張ってきて、それと照らし合わせて判断ができる。だから俺は、敵の動きがある程度読めた。それが自然な「流れ」だからだ。
「今回は敵も同じく『型』通りの動きをしたからな。もし、この戦いが『示し合わせ』たように見えたなら、それが原因だろうな。それに、この戦いは敵に上手いことやられた感が強い。あまり勝った気はしないな」
「……と、おっしゃいますと」
「戦闘ではこちらが勝利した。だが敵も……正確にはフィクマ大公国軍の指揮官、ローデリヒも目標を達成した。彼は我々の約半数の兵で、帝国側の三分の一に当たる四万の兵を敗走させ、その上で悠々と自国に撤退した」
……ニコライ・エアハルトのことは黙っておこう。チャムノ公なら大丈夫だろうが、念のためにな。
「彼はこの戦いで大いに名を挙げた。そして何より、退路を失った皇国軍を、なし崩し的に自国の傘下に取り込むことに成功した。完全に彼の一人勝ち……余は試合に勝って、勝負に負けたというところだろうか」
そもそも、今回の帝国と皇国の戦争は、各々の目的がバラバラで複雑だ。ヘルムート二世は復位したい。帝国は帝国の国力の消耗を抑えながら、皇国の国力を削って相対的な優位を築きたい。皇国周辺の帝国側諸国家はこれを機に領土を得たい。そして皇国の大貴族は自分にとって都合のいい人間を皇王にしたい。それ以外の貴族はこの戦乱の最終的な勝者について、戦後出世したい。
だから皇国は未だ一つにまとまれない。何せ、帝国が天届山脈以東の領土を維持するなど、無理だと分かっているからだ。一時的に占領されても、帝国の主力が撤退した後に取り返せばいい……そう考えているから、帝国より周辺国の、帝国側で参戦した各国への対応を優先しているのだ。
そして彼らの考えは正しい。帝国に長期間、天届山脈以東の領土を維持する能力はない。ただ帝国としては、皇国の周辺国が皇国と開戦し、戦争を開始したというこの状況こそが狙いなのだ。
自分たちだけでは皇国に勝てないから様子見していた諸国が、帝国の侵攻を見て「勝機あり」と判断して一斉に参戦したこの状況。これによって皇国の国力は消耗し衰退する。これで帝国と皇国の国力差は、帝国優位に広がっていく。
もっとも、皇国貴族は皇国の国力低下など気にしないだろうが。なぜなら、これで低下するのは主に皇王の権力。領地が戦場になっていない有力貴族は、ちゃんと戦力も経済力も戦後を見据えて温存しているだろうからな。
だがそんな俺の説明に、チャムノ公は尚も続けた。
「では……やはり陛下も『勝者』の側ではないでしょうか。陛下も合戦の結果とは別の狙いを、この戦いで達成したのであれば」
チャムノ公は、帝国ではなく陛下と言った。
「右翼軍……中小貴族ばかりを集めたあの軍勢、はじめから崩壊すると読んでおられたのでありましょう。そして敵前逃亡を理由に、右翼にいた貴族や指揮官を罰し、帝国国内における彼らの勢力を削ることができる。ましてや、ニコライ・エアハルト殿が行方不明になってしまった今、ヘルムート二世と右翼の貴族の関係も大幅に悪化するはずです」
これを機に、ヘルムート二世は息子を守れなかった貴族たちを信用しなくなるだろう。あの性格なら、声を大にして処刑を求めるかもしれない。そうなれば、俺は「皇王の要請で仕方なく」というポーズも取れる。
そうなれば、処刑される貴族の遺族の恨みは俺ではなく、ヘルムート二世に向かうかもしれない。
俺は座っていた椅子から立ち上がり、チャムノ公に背を向ける。
「……ずっと風見鶏を続け、ここにきて甘い汁を吸わんと出てきた地方貴族。代官として汚職で私腹を肥やしてきた下級貴族。何の生産性も無い癖に、帝都に居座り声だけは上げ続ける零細貴族」
俺が生まれながらの皇帝になった原因。宰相や式部卿によって傀儡とされていた原因。それは自分の私欲、自家の都合だけを考え、多くの貴族が好き勝手したからだ。
「余はそいつらが、反吐が出るほど嫌いなのだ」
帝国に巣くう害虫。貴族としての義務を果たさず、ただ特権だけを振りかざすゴミ共。
……何で皇帝である俺が、そんな連中を許さなきゃいけないんだ?
「つまりこの遠征の本当の目的は、彼らの処分なのでありますな」
そう言ったチャムノ公に、俺は肩を竦めた。それから振り向いて、人差し指を口の前に置いた。
処分なんて人聞きが悪い……ちゃんと功績を挙げたら土地を与えるよ。天届山脈以東の領地(帝国が維持できない見捨てる土地)をね。
「……恐ろしいお方だ」
いやいや。マリアナ・コンクレイユとハロルド王子も同じことやってたよ。不要な反帝国派貴族に帝国軍との決戦を挑ませ、帝国軍に処分させたあの手腕とかね。
……まぁ、信用している有力貴族に「新たな領地の安定化が最優先」と言って、皇国遠征の兵力を絞らせたり、ちょっと露骨に皇国遠征を盛り立てたり、代官貴族に汚職の精査と戦功での相殺を言外にチラつかせたり……ちょっとやり過ぎたかもな。流石にバレるか。
でも丁度良かったんだよ。帝国にとって不要で邪魔な貴族をライバル国にぶつけ、その両方を消耗させられるんだから。