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バクト=フローサの戦い(下)※三人称・複数視点


 カーマインより部隊の指揮を執るよう命じられたティモナ・ル・ナンは、僅かな護衛を連れ、サロモン・ド・バルベトルテの下を訪れていた。

「バルベトルテ卿」

 道中で不服や不機嫌さを押し殺したティモナは、この時にはいつも通りの声色に戻っていた。

「あぁ、ナン卿。配置換えの命令は了解した。混乱の生まれないよう、中隊ごとに撤退させる」

「いえ、その前に頼みたいことが。『弾除け』の魔法は使えますか」

 召喚魔法やゴーレムなどを生成する魔法。そういった魔法は、たいていが銃弾一発で消滅するほど弱い魔法だ。だが逆に言えば、命中箇所によっては一撃で人が死ぬような銃弾を、一発代わりに受けれるということになる。そのため、兵士の前にこの『弾除け』となる召喚物を大量に送る戦法は、この世界における魔法兵の基本戦術の一つである。

 だがこの戦いにおいては、この『弾除け』はほとんど使われていない。それは右翼軍を壊滅させた敵軍が、銃による射撃戦を行わずに、歩兵による突撃から入ったからである。

「確かに、敵が一時的に退いた今なら意味がありますか」

「魔力を使い尽くす必要はありません、一斉召喚を一度で構いません」

「了解」


 サロモンの下を後にし、指揮する大隊と合流を図りながらティモナは砲兵連隊に伝令を遣わす。

「ティモナ旗下の大隊、これより敵に突撃を敢行する。間違っても味方に当てるなと伝えろ」

 ティモナの命令に、彼の指揮下に入った近衛小隊の隊長が訊ねる。

「よろしいのですか。陛下は敵への追撃を禁じておりましたが」

「部隊を入れ替える方が隙になる。敵の目を誤魔化すための突撃だ」

 一度敵に当たり、その間に背後で魔法兵連隊が撤退。その後、空いた戦線に後退して収まるという狙いである。しかし反撃の斉射を受ければ部隊に被害が出る為、『弾除け』を展開するよう要請したのであった。さらにティモナは、そもそも……とカーマインの意図を解説する。

「陛下が危惧しているのは突出した部隊が敵の集中攻撃を受けることです。その場合結果的に戦線に穴が空きます」

 逆に言えば、集中攻撃を受ける前に引くことができるのであれば、突出すること自体は問題ないのである。


「なるほど……」

「だいたい、独断専行をさせたくないのであれば、私に指揮は頼みません」

 正確に言えば、カーマインは結果が良ければ独断専行を咎めたりしない。エタエク侯を自由にさせているのがそのいい例だ。

 だからティモナ・ル・ナンは、常にカーマインにとって最善となるように行動する中で、独断専行も平気でするのだ。処罰を受けるかもしれない、なんて躊躇は一切ない。むしろ失敗したら、もう部隊の指揮などやらされずに済む。取り返しのつかない失敗であれば、処分してもらえばいい。それくらいのシンプルな考えである。

 もっとも、自分の功績に興味がないからこそ、カーマインが満足する積極的な選択をできてしまい、その都度皇帝の評価を上げてしまうというジレンマなのだが。


 部隊に合流したティモナは、先ほど自分に意見した若い近衛の隊長を呼び出す。

「小隊長、名前は?」

「パウロ・ファウルダースであります。大隊長」

 若い小隊長はティモナとそれほど年齢の変わらない青年であった。しかし彼は、一切ティモナを見くびったりしない。なぜなら近衛は誰もが知っているからだ……ティモナ・ル・ナンという男が、本気を出せば近衛の誰よりも強い怪物であることを。

「これより近衛小隊を先頭に突撃を敢行します。私の命令に従えばファウルダース、全ての功績は貴方のものです。気張りなさい」

「はっ! ご命令を!」

 戦後に全ての功績をコイツに押し付ければいい。そう思ったティモナは満足そうに頷いた。あまり功績を挙げてしまうと、昇進させられ側仕人から外されるかもしれないからだ。


 この後、ティモナの指示した突撃は成功し、敵軍は大いに動揺した。さらに敵の増援がくる前に悠々と撤退を成功させ、魔法兵連隊との交代も完了したのである。

 すべてティモナの思い通りにいった。ただ唯一、思い通りにいかなかったこと。それは全ての戦功を被せようとしたパウロ・ファウルダースが、馬鹿正直な報告を上げたせいで、結局ティモナの戦功となってしまったことである。


***


 皇帝軍砲兵連隊。この指揮を任されているハーバート・パーニは、自身の置かれている状況を不思議に思っていた。

「連隊長、右で部隊の入れ替えがあるようです」

「では魔法兵連隊の正面の敵を狙って砲撃を斉射してください。狙いは適当でかまいません」

 自分はつい最近まで、借金の為に知り合いを手当たり次第に当たっていたはずである。それがあれよあれよという間に帝国の貴族になり、皇帝軍の指揮官になっていた。その上、最初は小隊長だと言われたのに、訓練の度に何故か昇格し、今では国内有数の大貴族やその子弟、あるいは異民族の長と同等の連隊長として扱われてしまっている。

「第八中隊、次の砲撃の後しばらく砲身を休ませてください。第一中隊と第三中隊は攻撃再開」

 自分を抜擢しないといけないほどの追い込まれた状況なのかとも思ったが、この皇帝軍は十分な練度と、何より誰もが皇帝への高い忠誠を誓っており士気が高い。


「連隊長。ナン卿が率いる大隊が右隣りで突撃するとのことで、自分たちには絶対に当てるなと」

「あぁ、入れ替えの隙を隠すための突撃ですか。では第一から第七中隊、右前方の敵軍に一斉射。その後は連隊正面に標的を戻し順次砲撃」

 指揮官もこのように優秀な人材が揃っている。わざわざ自分を抜擢する必要はないはずだ。

(やはり、ヒスマッフェ王国の顔を立ててくれているのか……)

 だとしたら、自分が何か失敗すれば母国に迷惑が掛かるかもしれない。それは避けなければと、ハーバート・パーニは自身を引き締める。

「破損した砲は?」

「今のところありません……凄いですね」

「えぇ、本当に」

 部下は大砲の消耗の抑えながら、砲撃で戦果を挙げる指揮官を称えたのだが、彼にその意図は全く伝わっていない。

(帝国の大砲は丈夫だなぁ。遠征艦隊では一発も撃たずにダメになった砲もあったのに)


 ヒスマッフェ王国の人間は、誰も彼らが世界一周を達成するなど思っていなかった。それはあくまで方便であり、目的は中央大陸の情報収集であった。

 そのため、実は遠征艦隊の戦艦も武器も全て型落ちであり、失っても痛くないものばかりだったのだ。そしてそれは人材にも言えた。他人とまともに喋れない総司令官、一族の借金を抱えた副司令官、人を斬るのが好きすぎて軍を追い出された陸戦隊長。

 そんなひどい状態で彼らは世界一周を成功させてしまった。その結果にヒスマッフェ王国が対応に困るくらい、誰も期待していなかったのだ。

(しかし戦果を出せば、あの人の捜索隊の結成も早まるかもしれない。頑張らないと……)

「第五中隊の砲撃だけ狙いが固まり過ぎてますね。斉射はやめさせましょうか」

 こうしてハーバート・パーニの指揮する砲兵連隊は、異常に低い消耗率を達成することになる。


***


 連合国軍中央、チャムノ元帥旗下の帝国軍。

 右翼軍壊滅の報告と、皇帝カーマインからの命令を聞いたチャムノ公は、その伝令に一つの質問をしていた。

「陛下はどの位置におられる。最前線か、後方か」

「は? ……それはもちろん、後方で部隊と全軍の指揮を執っておられます」

 伝令は困惑しつつも、チャムノ公の質問に答える。

「そうか……」

 彼の様子を不思議がる側近が、チャムノ公に訊ねる。

「いかがなさいました、閣下」

 その問いにチャムノ公は答えかけ……そして口を噤む。

「いや、何でもない。何でもないのだ」


 チャムノ公は、全てを理解した。彼は皇帝カーマインの性格を知っていたからだ。

 我らが皇帝陛下は……シュラン丘陵の戦いをはじめ、想定外の状況に陥った時こそ、より前に出る傾向にある。より細かく正確に指示を出すため、自身の存在で勢いをつけるため、自身の価値を分かっているからこそ、彼は自ら前に出る。

 つまり、後方から指示を出している現状は、彼の想定内にあるという事だ。

「恐ろしいお方だ……元帥の肩書が重いな」

 チャムノ公は、そう小さく苦笑いを浮かべる。四万もの帝国軍が一瞬で瓦解することを、彼は想定していたのだ。

「閣下、我々は陛下の命令通りに……?」

「ひとまずは、そうだ。我が軍は時計回りに迂回し、敵主力の側面に回り込む。敵退路を脅かしずつ、敵軍の側背に攻撃を加える」

 つまりカーマインの狙いは皇帝軍を囮にし、他の軍で敵の側面を攻撃し退路を断つこと。皇帝カーマインは敵味方合わせて総勢二十万近い大軍が集った戦場で、その会戦初日でありながら、ノーガードの殴り合いを選択したのだった。


「では、ただちに」

「いや、待て」

 側近が元帥軍全体に号令をかけようとしたところで、チャムノ公は待ったを掛ける。

「陛下が我々に求めるのは敵側背への機動だ。足の遅い部隊は置いていくことになる」

「自然とそうなりますな」

 たとえば、元帥の旗下にも砲兵部隊がいる。その砲数は三十門。そういった部隊は、この後の元帥軍の機動にはついてこれない。

「そのままでは遊兵と化してしまう。これらは陛下の下に送り、皇帝軍の予備戦力として使っていただくべきだ」

「分かりました。では、その部隊の指揮はどなたが」


 チャムノ公は、旗下の貴族を思い浮かべる。この部隊はチャムノ公の他はヌンメヒト、ヴァローナ、アドカルの軍が大半を占める。だがアドカルとヴァローナは新参……陛下が動かしやすいのはヌンメヒトか。そう判断したチャムノ公は側近に指示を出す。

「ヌンメヒト女侯を呼んでくれ。彼女に率いてもらおう」


***


 連合国軍左翼、同盟諸国軍。中でも最大の兵数を占めるロコート王国軍を引き連れており、この左翼軍の総指揮を任されたビリナ伯、オタ・ビリナ。彼は続々と報告が届けられるなか、焦りの表情を浮かべていた。

「皇帝軍の状況は!?」

「敵主力の突撃を受けています。今のところは持ち応えておりますが……」

 ビリナ伯の焦りも当然だった。まず、彼は不慣れな多国籍軍という寄せ集めの指揮を任されている。それだけで負担が大きいというのに、突如入ってきたのは『右翼軍の壊滅』と、『その壊滅させた敵主力が皇帝軍に襲い掛かっている』の報告だ。

 だがビリナ伯が混乱する間もなく次に届いたのは、皇帝から発せられた命令だった。

「敵退路の遮断とバクト丘陵の奪還……この命令、本当に正しいのか」

 皇帝が討たれたら負ける。ならば普通は皇帝を守るために援軍の要請がくるはずだ。それが一切救援要請もなく、しかも最初の指示以降、次の命令は飛んでこない。本当にこの命令で正しいのか、別の命令が発せられたのに、まだ届いていないだけではないか。そんな不安がビリナ伯を襲う。


 しかし実際のところ、カーマインからの次の命令なんてものは存在しなかった。それは皇帝が苦境にあるからだとか、そう言った理由ではない。単純に、同盟諸国軍が命令通りに動いていたからだ。

 ビリナ伯は皇帝からの命令を聞いた時、困惑しながらもマリアナ・コンクレイユの出立前の言葉を思い出したのだ。


――あの皇帝にはビリナ伯の常識は通用しないから、頑張って付いていってね。

 まるで、伯爵が苦労する未来を察するかのように肩を叩いてきた彼女を思い出し、ビリナ伯は自身の考えに逆らって命令を遂行していた。


 そしてもう一つ、彼を焦らせる要因があった。

「伯爵! バクト丘陵への攻撃、また撃退されました!!」

 それは皇帝に命じられた丘陵の奪取、これが尽く撃退され失敗に終わっているのである。

「もう一度だ! 奪取できなければ我々がこの戦いの敗因となるかもしれんのだぞ!」

 命令を達成できなければ、この戦い負けるのではないか。そんな考えがビリナ伯の脳裏をよぎる。

 だがこれは、実はカーマインも想定していなかったことであった。この丘陵の防御陣地は、カーマインの想定よりもはるかに強固だったのである。そんな強固な陣地から繰り出される砲撃に、同盟諸国軍は尽く撃退されていたのである。

「えぇい。分からん! もう一度、突撃ぃ!」


***


「うーん、これは無理だね」

 皇帝軍重騎兵連隊隊長、エタエク侯アルメル・ド・セヴェール。うら若き乙女は馬上からバクト丘陵を眺めると、一目でそう結論付けた。


 彼女にカーマインから下された命令は、この丘陵の奪取。しかしこの丘陵は、もはや要塞並みの防御力を誇っていた。

「よろしいのですか、陛下の御命令ですが」

「無理なものは無理だよ。それに開戦前の会議と話が違うし、そもそもこの辺は偵察不足って言ってたし」

 布陣した直後の説明より、明らかに難攻不落となっている。

「しかし……友軍は必死に突撃を繰り返しておりますが」

 同盟諸国軍による必死の突撃。並みの指揮官ならば、友軍が命令通りに戦い犠牲を出しているのに、それを傍観するなんてことはできないだろう。

 だが、彼女は『ガーフル人殺し』エタエク侯である。


「そのお陰で、敵の注意が全くボクらには向いてない」

 そう、ビリナ伯の一見無謀にも見える突撃は、結果的にエタエク侯に自由を与えたのだ。

「では、いかがなさいますか」

 そう訊ねる配下に、彼女はまるでこれから食べるおやつを選ぶかのような軽さで、攻撃目標を答える。

「さっき撃退した敵騎兵部隊が行方不明だ。これを殲滅しよっか」

「なるほど。しかしこの辺りは木々も深く、探し出すのは難航しそうですが」

 丘陵より北側は、一部を除いて拓けておらず、騎兵の強みも上手く活かせる地形では無かった。

「うん、だから向こうから来てもらおうかなって」

 そう言うと、配下の騎兵らにエタエク侯は高らかに宣言する。


「攻撃目標、ミフト村。占領後は集積された物資を全て燃やす」

 バクト丘陵が予想以上に強固な防御陣地であるということと同時に、彼女はこの丘陵が防御力を高めた代わりに、大軍や騎兵の収容を想定していないことを一目で見抜いていた。

「敵の飼葉はミフト村にある」

 馬は、飼葉が無ければ活動できない。そして拓けた土地の少ないこの辺りで、戦場から遠くない範囲で飼葉が集っている場所、それはミフト村しかないと判断したのだ。そしてここを焼き払えば、敵騎兵は飼葉を守るために出てくるしかない。


「中には金品があるかもしれない。それに目が眩んで余計なことをした奴は、ボクが直々に手を下してあげる」

 ティーカップより重いものは持てない。そう表現されても違和感がないような、見た目だけは可憐な少女がそう言うと、周囲からはどっと笑いが起きる。

「面白い冗談です連隊長……ここにそんな恐れ知らずはいませんよ」

 皇帝軍の重騎兵連隊は、エタエク軍出身者など半数に満たない。そんな彼らの心を、短い訓練で彼女はがっしりと掴んでいた。


 ……ただ、その圧倒的な武力を以て。

「それじゃ、突っ! 撃っ! だあ!!」


***


 皇帝軍右翼、重歩兵連隊。緩やかに後退しつつ戦闘をしている皇帝軍の中にあって、もっとも足の遅い部隊の一つである重歩兵連隊は、敵の集中攻撃を受けていた。

「第四中隊より増援要請!」

「そんなものがあると思うか!」

 そう叫ぶのは、急遽指揮する連隊を入れ替えられ、この重歩兵連隊の指揮を押し付けられた男、レイジー・クロームだ。

「あの男……こうなることが分かっていて私を……あの男っ!」

 皇帝カーマインに対し、恨み言と怒りが沸々とわいてくる。

 実際、カーマインは重歩兵連隊が最も激戦になると予想していた。これは右翼の貴族軍を壊滅させた後、敵が皇帝軍の側背から回り込んでくるとき、もっとも最前列で敵の攻撃を受けるのが重歩兵連隊だからだ。


「連隊長! 銃兵中隊、敵の斉射を受け被害多数」

「……チッ。下がって立て直せ」

 そんなカーマインから送られてきた増援の銃兵中隊は、近接攻撃主体の重歩兵連隊にとって、貴重な遠距離火力である。彼らを失えば、最悪は敵の銃兵などの射撃で一方的に攻撃されかねない。レイジー・クロームはそう判断し、即座に後退を指示する。


「第二中隊、敵の突撃を受け被害多数。後退を願っています」

「ダメだ! 敵の突撃には退くな。死守しろっ」

 敵の攻撃は、正しく苛烈だった。既に右翼軍を潰走させ、敵は勢いに乗っていた。その勢いのまま、重歩兵連隊に襲い掛かったのだ……勢いのまま攻撃する敵に対し、重歩兵連隊はひたすら耐える戦いとなっていた。

「第四中隊、もう持ちません」

「えぇい。それ以上退いてみろ! 私が代わりに殺してやる!」

 あるいは、砲兵連隊にしろ銃兵連隊にしろ、どこも苛烈な反撃を敵に食らわせている為……そこから逃れるように、この一点に集中しているとも言えた。


「連隊長、ペテル・パールの軽騎兵連隊が、一度突撃すると」

「……クソっ」

 重歩兵連隊の右隣りで戦うペテル・パール旗下のアトゥールル騎兵は、本来は騎上弓による引き撃ちを得意とする。そして彼らに下されている命令は、重歩兵連隊の側背に敵が回り込まないようにすること。

 つまり彼らが突撃するということは、重歩兵連隊の後退速度が遅すぎて、一度無理やり敵を押し返さなければ重歩兵連隊の側面が守れないという意味である。

「やってられるか」

 仮にペテル・パールにそんなつもりが無かったとしても、お前が足を引っ張っていると言われているような感覚に陥る。

「連隊長、第七中隊隊長、負傷!」

「第九中隊、中隊長戦死!」

「……やってられるかっ」


 それでもレイジー・クロームは諦めずに、懸命に指揮を続ける。そんな中、彼の下に部隊外からの伝令が届く。

「連隊長、陛下より伝令です!」

「増援は!?」

 レイジー・クロームは既に、皇帝の下へ救援の要請を送っていた。それに対する回答が返ってきたのである。

「それが……『こちら余裕なし。死守せよ』と」


 一瞬の沈黙の後、レイジー・クロームは突如笑い出した。

「ふっ。ふふふっ。あのヤロゥ、毎度毎度オレを扱き使っておいてっ」

 主に使える者として相応しいように、レイジー・クロームは己の本来の口調を封印し、可能な限り綺麗な言葉を使おうと努力してきた。だがこの苦境にあって、スラム時代の『素』が解き放たれようとしていた。

「総員、戦闘準備! もう知るかっ、オレが突っ込んでやるっ」

「連隊長がついにキレた! 誰か止めろ!」

 重い鎧を着こんだ兵士らに押さえつけられたレイジー・クロームは、驚異的な膂力で彼らを振り払い騎乗する。

「コロス!」

 誰をですか、とは彼らは聞けなかった。聞いたら大逆罪になりかねないからだ。



 そんな時だった、戦場に救いの女神が現れたのは。

「レイジ!」

「……お、お嬢様!?」

 ヌンメヒト女侯の率いる銃兵一個大隊が、右翼の戦場に到着したのである。

「間に合った! 銃兵大隊、必要なのはどこ!」

 彼女の登場で正気を取り戻したレイジー・クロームは即座に反応する。

「右です! アトゥールル騎兵との間隙に展開を!」

「分かった!」

 勢いよく馬で駆けていくヌンメヒト女侯を見送ったレイジー・クロームは、即座に連隊の指揮を再開する。

「全軍に援軍がきたことを伝えろ。反撃用意! 耐える時間は終わりだ!!」


***


 テイワ皇国・フィクマ大公国の連合軍を指揮するローデリヒ・フィリックス・フォン・スラヴニク。彼はテイワ皇国軍が敵軍に押し戻されたのを見て、やれやれと呟いた。

「負けたね、これは」

「閣下……誰の耳があるか分からぬところで、そんなこと口にしないでください」

 副官の忠告に、彼は無言で肩を竦める。

「君も分かってるじゃないか」

 全く事情を知らない人間が見れば、彼の指揮する皇国派連合軍は、帝国派連合軍を相手に戦いを有利に進めていた。敵の四万の軍勢を蹴散らし、そのままの勢いで数に劣る皇帝直轄軍に襲い掛かっている……そのはずだった。

「この短い間に随分と良い軍隊に生まれ変わってるじゃないか……こちらの勢いが完全に止まった。もう我々に勝ち目はないよ」

 もっとも、それを理解しているのは彼と、その副官くらいであった。彼は口にするなと言っただけで、『負け』を否定しない……つまり現状を正しく認識できていた。


「……しかし何を以て『負け』と見なすかでしょう。我々は既に目標を達成しています」

「半分だけね。もう半分は無事に撤退を成功させないと」

 撤退に失敗すれば、この壮大な計画も無駄になる。ローデリヒは既に目標を達成している敵が羨ましいと心から思った。

「……まったく、誘いに乗ったらこれか」

 ローデリヒはこの戦場での自身の判断ミスを吟味する。あるとすれば、敵の四万の軍集団を破った後、即座に撤退しなったことだろう。

 しかし敵の四万の軍勢をほとんど損害もなく打ち破り、その先に居並ぶ三万の軍中に皇帝の所在を示す旗が見えた時、ローデリヒには欲が湧いてしまった。

「欲に負けたから、戦いに負けた。この結果は道理に合っている」

 皇帝直轄軍の練度が想定より高かった。というより、その練度に自身があったから皇帝カーマインはこんな大それた策を打ってきたのだろう。


 だがそう言って自身の判断を批判するローデリヒに、副官は不満を口にする。

「……皇国軍が、閣下の命令通り追撃を止めていれば、可能性はあったはずですが」

 敵四万の右翼集団は、一瞬で瓦解した。そして無秩序に敗走していく様を見て、ローデリヒは追撃を不要と判断し、即座に狙いを皇帝軍に切り替えた。だがその判断についてきたのはフィクマ大公国軍のみであり、テイワ皇国軍は目の前の無防備な背中を追うことに夢中になってしまった。

 結果、皇帝軍に対する最初の攻撃の際、戦列の幅が狭くなってしまった。もし皇国軍が指示に従っていれば、戦列を横に伸ばし、皇帝軍を半包囲することだって可能だったかもしれない。

「……そもそも敵がここまで無秩序に逃げ出すとは思っていなかった。ある程度秩序を保って撤退していれば、皇国軍もこれほど合流に時間はかからなかった」

 そう……帝国軍右翼は、情けなくも一瞬で瓦解したが、彼らがあまりに無秩序に、散り散りに逃げ出したため、皇国軍もまとまって追撃できず、同じように散り散りになってしまったのだ。

 その皇国軍が再集結した頃には、帝国軍の一部が既にフィクマ大公国軍の側面を脅かし始めており、皇国軍はその対応に投入せざるを得なかった。そしてその攻撃が先ほど撃退されたのを見て、ローデリヒは完全に勝機を逃したことを理解したのだった。


「それに、そんなことを言ってはいけないよ……彼らとは今度、長い付き合いになるんだから」

 今度はローデリヒの方から、副官に口を慎むように言う。

「本当に実行するんですか」

「あぁ。大公もきっとお喜びになるだろう」

 不満げな副官に、ローデリヒは自分たちの主の名前を出して窘める。

 副官は納得した訳ではないものの、これ以上は言うべきではないと思い、ローデリヒの判断を仰ぐ。

「では、すぐに撤退しますか。残る兵は多いほどいいですが」

「いやいや、この状況じゃ諦めがつかないだろう。特に皇国の指揮官……彼らの諦めがつくまでは戦うよ、この勝てない戦いをね」

 どうしても彼らには、撤退を納得させる必要があった。そうしなければ、ローデリヒはバクト丘陵に籠るウィッシーブ伯を早々に見捨てたと罵られかねないからだ。


「ちゃんと『見て呉れ』は整えないとね」

「……酷い化かし合いです」

 バクト丘陵を堅牢にすると同時に中から逃げにくい設計にして。

 そこを皇国軍の総司令官、ウィッシーブ伯に任せることでまんまと皇国軍の大部分の指揮権を掌握して。

 そしてこれを見捨てることで皇国軍をそのままフィクマ大公国軍に取り込もうとしているなど、バレるわけにはいかないのだから。



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― 新着の感想 ―
魅力的な登場人物の見え方、考え方が知れてよかった、そして彼等からの陛下の見え方で、陛下の解像度が上がるので、別視点はありがたいです。 出来れば、北方軍、中央軍の人物視点があると嬉しいです。
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